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1章 魔法少女とは出逢わない
1章43 選別の光 ④
しおりを挟む見上げる視界いっぱいに広がっていた空の形が大きく歪んだことで自分が水に潜ったのだと気付く。
飛行魔法に注ぐ魔力を増やして浮上しようする。
顏だけをどうにか水面の上に出して「ぷはぁっ」と呼吸に喘ぐが、それとほぼ同時に身体に巻き付いた髪の毛に強く引かれまた水の中に引き摺り込まれてしまった。
鼻から水が浸入してきたことで水無瀬は大きく動揺する。
これまで魔法少女に変身中は特に意識をしなくても、あらゆる敵の攻撃からダメージを負うことはなかった。
鼻と喉の奥の痛みがきっと初めて負ったダメージだ。
その痛みでこのままだと自分は溺れて死ぬということを自覚させられ、身体も思考も恐怖に縛られる。
『死にたくない』という本能的な願いを魔法に換えることも忘れ、ただ必死にもがいた。
どうにかもう一度水上に顔を出すことができ、貪るように酸素を取り込もうとすると、水も一緒くたに飲みこんでしまう。
咽かえりながら水を吐いて飲んでと繰り返していると、涙で歪んだ視界に自分をこんな目にあわせているモノの姿が映る。
いくつかの学校の制服をアベコベに着あわせた女子高生の躰。口の中から生えた太く長い舌のような肉幹。
それに浮かんだ3つの顏が、溺れて藻掻く水無瀬を見て、愉悦に歪んだ表情で笑っている。
彼女がさっきそう言っていたのと同じように、水無瀬も思わず「助けて」と口を動かすと大量の水を飲んでしまった。
嘔吐いて鼻と口から水を吐いて泣く姿に、顏たちはさらに笑い声をあげた。
自分がそうしたように、相手も自分を助けてくれるわけではない。
そのことを知って傷つき、さらに涙が溢れる。
その涙は瞼に浮かぶ傍から川の水に流されてしまうので、だから相手は自分が泣いていることに気が付かないんだ。
そう思おうとした時、水無瀬は違和感に気が付く。
バカ笑いを続ける顏たちをぶら下げた舌を辿った先の女子高生の躰。
その背後が無くなる。
デジタルイラストの一部を黒く塗りつぶしたように、その部分の情報が『世界』から消えて見えない。
その欠落はとても太いペンを使ったかのようにどこからか線が引かれてきてアイヴィ=ミザリィの背後でインクだまりのようになっている。
「あれはなんだろう……?」と考えようとすると、黒い欠落は遠い方から消え始める。
まるで別のレイヤーに描かれた塗りつぶしを消したように、黒い欠落の線が消えた跡にはその下のレイヤーにあった元の『世界』の情報が戻ってくる。
最後に残ったアイヴィ=ミザリィの背後のインクだまりのような欠落が消えるとそこには一人の男の姿があった。
水無瀬がよく知るその男の名前を口に出そうとすると、その寸前にアイヴィ=ミザリィが破裂した。
アイヴィ=ミザリィの背後に忍び寄った弥堂が“零衝”を撃ち込むと、破裂した水風船のように溜め込んだ水がぶちまけられた。
念のため、確実を期するためにと、情報の繋がりを断ち切って認識されないように襲撃をしかけたが、水無瀬を甚振って随分と悦に入っていた様子からすると必要なかったかもしれない。
そんな評価をしながらすぐに次の行動に移る。
ここまでならば、さっきまでと一緒だ。
水を汲み上げて中身を補充されたら、なかったことにされてしまう。
移動しながら外しておいたネクタイをアイヴィ=ミザリィの首に巻き付けて、一気に締め上げた。
ガワは人間でも完全に同じ構造で出来ているわけではない。
足りない中身は水を詰め込んで膨らませて体を保っているに過ぎない。
両手でネクタイを結び付けて搾り上げると骨や筋肉が詰まっているわけではない首は、口を縛った水風船のように皮が萎む。
だが、やはり人間のように呼吸をして生体を保っているわけではないので、これでは仕留められない。
そんなことは弥堂も百も承知だ。
ドクンと――心臓を鳴らす。
全身に力を巡らせて勢いよく腰を回す。
ネクタイを引き背負い投げをするようにしてアイヴィ=ミザリィの躰を自身の腰に乗せる。
そうして弥堂は手馴れた人攫いのように少女の身体を担ぎ上げると一目散に走りだした。
向かう先は水のない場所――川原だ。
喉を縛り上げたことで体内に戻れなくなった舌の顔面が耳の周りで何やら嬉しそうに囁いている。
どこに連れて行かれるのかわかっていないのだろう。
そうして走っていると川原が近くなる。
そこまで来てようやく水揚げをさせられることに気が付いたのか、慌てて髪で弥堂を拘束しにきた。弥堂に担がれている自分の本体ごと髪を巻き付けてくる。
ここで問答無用に殺しにこられたらそれで終わっていた。
運がいいと弥堂は考えた。
水無瀬を拘束していた髪まで総動員されて弥堂に巻き付いていく。
解放された水無瀬が咳き込みながら自分の名前を呼ぶ声が聴こえたが、弥堂は無視して一気に走り抜けようとする。
段々と黒いミイラ男のような姿になっていき、ついには足まで拘束される。
完全に足を取られるようになる寸前に弥堂は強く川底を蹴って川原に飛び込んだ。
アイヴィ=ミザリィと重なったまま砂利の上を転がって少しでも川から距離を離そうとする。
転がる勢いが止まると強引に立ち上がり、すぐに倒れこむようにして自身の身体ごと地面に叩きつけた。
だが、拘束は緩むことはない。
さらに多くの髪が巻き付いてきて、逆に弥堂ごと川の方へ引き摺っていこうとする。
何度か身体を叩きつけていると一緒くたに髪の毛でグルグル巻きになっていた少女の躰がズレて、足の間に弥堂の腕が挟まる。
そのまま髪で拘束されてしまう前に素早く動かし、スカートの中に腕を突っ込んだ。
「イア゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ーッ⁉」
アイヴィ=ミザリィが驚きと苦悶の叫びをあげた。
その瞬間、髪の拘束が一気に緩む。
当然弥堂はその隙を逃さない。
火傷塗れの顔面を両手で掴んで川原の石に後頭部を思い切り叩きつけた。
それだけで攻撃は終わらせず、片足で肩を踏みつけながらネクタイを全力で引いて首を強く締め上げ、鳩尾目掛けて撃ち落とした拳で“零衝”を放つ。
アイヴィ=ミザリィの股の間から大量の水が放出され、両足が別々にビクビクと跳ねる。
化け物の身体が枯れたように萎んだ。
(このまま全て吐き出させれば仕留められるか……?)
チラリと視線を川の方へ向ける。
何本かの髪の束が川の中へ伸びていこうとしていたのが視えた。
少女の胸倉を掴み上げて無理矢理躰を立たせる。
足が地面から離れるまで吊り上げてから手を離すとフワリと一瞬の自由落下。
右足から踏み込んで腰を捻る。
肩と背中でぶちかましを仕掛けて華奢な躰を吹き飛ばし、さらに水辺から離すよう仕向けた。
足元に残る髪を引っ掴んでゴミクズーを追う。
吸水に向かおうとする髪を引き摺り出しながら駆けた。
舌先の顔面が弥堂の手が離れたネクタイに嚙みついて千切ろうとしている。
インステップで踏み込んでその頭を蹴り飛ばした。
もんどりうって砂利を転がるアイヴィ=ミザリィに圧し掛かりもう一発“零衝”を撃ちこむ。
先程よりも排出される水の量が減った。
(――削れている)
有効打の手応えを認めそのまま押し切ろうと決める。
しかし、また髪の毛に手足を絡めとられた。
それを無視して攻撃を仕掛けようとするが、動かせない。
先程まで少しは力で対抗出来ていたのは、向こうがただの人間である弥堂が相手ということでナメていたのだろうか。
今回は力づくで押し切ることが出来ない。
せっかくの好機を――という場面ではあるが、それは裏を返せばヤツの余裕が無くなってきたということでもある。
つまり、これを続けられたら困るということだ。
ドドドド――と心臓の鼓動を速める。
より多く、より強く全身に巡らせた力を以て、無理矢理腕を動かす。
ギチギチと自分の筋肉と敵の髪の毛が軋む音を聴きながら掌をゴミクズーの躰に触れさせる。
そして下半身の捻りだけで“零衝”を発動させた。
水飛沫が舞う。
一回前よりさらに水量が減ったが、これは相手が弱っているというよりは不完全な形で“零衝”を放ったためだろう。
チッと舌を打ち、もう一度削りにいこうとするが――ガツンと側頭部に衝撃が奔る。
チカチカと視界が白んだ。
何を喰らったと確認しようとすると、もう一度頭を打たれる。
アイヴィ=ミザリィが髪の毛で石を掴み上げ、それで弥堂の頭を打ったのだ。
視界が戻ると目の前に女の顔があった。
舌先の顔がニヤリと哂う。
その鼻面に額を叩きつけた。
ダメージとしては効いていないのだろうが、ショックで僅かに拘束が緩む。
腕を回して拘束から引き抜き上から殴り始めた。
再び頭を石で殴られる。
下に敷いた女の躰にボタボタと赤い自分の血が垂れていくが、気にせずにその返り血の上から拳を叩きつける。
「……ヤメテ」「……ヒドイコトシナイデ」「……タスケテ」
口では命乞いをしているが効いてはいないだろう。
実質的に殴り殺すのは無理だ。
どこかで“零衝”を撃ち込む隙を作り出さなければならない。
殴っても無駄と考えたのは相手も同じか。
シュルシュルと再び髪が巻き付いてきて宙に吊るし上げられてしまった。
「――っぐ……ぅっ……!」
その髪にこめられた力は腕力でどうにか出来るようなものではない。
対処方法を考えるよりも先に、別の髪が太く束ねられる。
アイヴィ=ミザリィはその髪を強く振るった。
横振りのバットでボールを叩くようにして弥堂は宙を吹き飛ばされる。
川へと落ちていきながら、全身を砕かれたような痛みを無視して敵の姿を睨みつける。奴は髪を束ねて作った二つの巨大な脚を交互に地面に叩きつけて走り、こちらを追ってきている。
自分が水に落ちることよりも、相手に水の中に戻られることを危惧していたら、不意に落下が止まる。
「弥堂くんっ!」
水無瀬に受け止められたようだ。
背が小さいため手足の長さがない彼女は弥堂の身体を全身で抱きしめるようにして掴みながら心配そうな顔で見てくる。
「だいじょ――」
「――動けっ! 飛び道具がくるぞ!」
「――え……っ⁉」
反射的に指示に従った彼女が川面と水平方向に移動をすると、そのすぐ後を水砲が掠めていく。
「あ、あぶなかっ――」
「油断するな。すぐに次がくる」
「わわわ……っ! た、たいへん……っ!」
数本の水砲から逃れるため、弥堂を抱えて水無瀬は空中を逃げ始めた。
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