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1章 魔法少女とは出逢わない
1章42 bud brave ④
しおりを挟む深く深く沈んでいく。
もしかしたら深くもなく沈んでもいないかもしれない。
意識と思考と身体がそれぞれ切り離され、何もわからず、何も出来ない。
暗い闇の中を揺蕩う。
ここは死の沼。
沈みきれば晴れてお陀仏だ。
じゃあなんだ、やっぱり沈んでるんじゃないかと他人事のように考える。
悲壮感も焦燥感も諦観すらもない。
人は生まれそして死ぬ。
生きていればいつか必ず死ぬし、生きているのならば殺されることもある。
それは弥堂にも適用されることで、そのいつかが今になっただけのことだ。
未練も後悔もない。
ここで死んでは廻夜部長や生徒会長からの命令を果たせないことになり、水無瀬もこの後殺されることになるだろうが、死んだらそれももう関係ない。
自分が死んだ後で誰がどうなろうと知ったことではない。
死人は知ることは出来ない。
新たな記憶を『魂の設計図』に蓄積させることが出来ないのだから。
生命を、自分というものを惜しむこともない。
もしかしたら安堵があるかもしれない。
これならいいだろう、と。
下らない戦いで詰まらない戦場だ。
だが、自分など所詮こんなものだろう。
相手は一応は超常の存在であり、異質な化け物だ。
普通の人間が勝てないのは普通のことだ。
生身の人間なりにやれることはやった。
これなら許してもらえるかもしれない。
醜く惨めな水死体になって溝川に浮かぶ。
それはとても自分に相応しい死に様だと思った。
そういえば――と、記憶が再生される。
先日学園の廊下で希咲 七海とモメた時のことが思い出される。
再三に渡り注意を与えてもまるで人の言うことを聞かないあのクソ生意気な女に、少々立場というものをわからせてやろうと無理矢理くすぐり続けた時のことだ。
力づくで身体を抑えつけて脇腹を刺激し続けたその後の彼女の様子と、自分の現状が共通するものとして紐づいた。
あの時は呼吸困難寸前まで追い詰められてグッタリとしていた彼女を視て「ざまぁみろ」と見下げたのは当然のことだが、当時の彼女の姿は溺れた人間を救助して陸に上げた時とそっくりだと思った。
そうやって希咲を内心で嘲笑っていた自分が今こうして溺れて死ぬことになるとは、「なるほど、これが報いなのかもしれない」と廻り廻って最期は自分自身を嘲笑う。
(いや、待てよ……?)
朦朧とした意識と茫洋とした思考に電流のように一筋の光が奔る。
(これは本当に報いなのか……?)
報いなのではなくあの女の呪いなのではと閃きを得る。
閃いてしまったらそうに違いないと即座に思い込む。
ギャル種というバカっぽい見た目にそぐわず、終わったことをいつまでも愚痴愚痴と繰り返す陰湿で偏執的な妄執に塗れたあの女なら呪いを仕掛けてきたとしても不思議はない。
ただし、呪いという技術がこの世界に実在するのかという点については今回は問題としないこととする。
普通の高校生として過ごそうと日常生活を送っていたら――
ゴミクズーなどという非現実的な存在に出くわし――
さらにその化け物を皆殺しにしなければいけなくなり――
――その結果として力及ばずに殺されることは納得が出来る。
理不尽なことではあるが、仕方のないことだからだ。
だが――
メンヘラギャルとかいうポッと出のクソ女の呪いに掛かって死ぬというのは駄目だ。
これは言い訳の立たないことであり、許されないことだ。
だから――
ピクっと指先が震える。
右手の人差し指の関節一つ分――僅かな身体の支配権を取り戻す。
その時に身体が何かにぶつかって止まる。そんな感覚がした。
アイヴィ=ミザリィに沈められていた弥堂の身体は川底にまで辿り着いていた。
今の弥堂には視認することは出来ないが、周囲には様々な物が横たわっている。
美景川は比較的新しい人工の川で、外からの見た目では割とキレイな川だ。
しかしそれでも人間社会の中に存在する以上は必ず汚れて、そしてゴミに塗れる。
川底には人間によって投棄されたと思われる物が多く見受けられた。
飲料物の缶、ペットボトルを始めとして、釣り人の物と思われる道具類。大きなものでは自転車そのものだったり、バイクのものと思われるタイヤまで沈められている。
それらの中に、弥堂もゴミとして沈められ、それらの一つとなる。
先程までの、ギャル系JKへの怒りに覚醒するまでの弥堂ならば、それも仕方ない、相応しいことだと納得したかもしれない。
水底にぶつかり跳ねて漂った右手が何かに触れる。
それなりに硬質でそれなりに太くそれなりに長いゴミだ。
自動反射で身体が動き出す。
右手はそれを掴み即座に動く。
ゴミクズーに物理的な攻撃は効きづらい。
硬く尖ったもので殴りつけても容易には傷がつかない。
しかし一度傷がついた箇所からならば抉りやすくなる。
鼻や耳などの初めから空いている穴からでも内部に損傷を与えることは可能だった。
つまり――穴さえ空いていれば中身を抉れる。
弥堂の右手がアイヴィ=ミザリィのスカートの中――股の間へと突っこまれた。
川の中から水上へ何かが飛び出す。
弥堂がアイヴィ=ミザリィとともに川に沈んでから1分か2分。
血相を変えた水無瀬が助けに行こうとするとメロに止められ、押し問答をしていたところ、突然大きな音と飛沫をあげて、川の中から人影が宙へと飛び出してきた。
「ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ーッ!」
痛みを吐き出すかの如き大絶叫をあげたアイヴィ=ミザリィは、殴りつけるように髪を振り回すと絡めとっていたモノを投げ飛ばす。
弥堂だ。
川面の上を水切り石のように跳ねる。
浅瀬の方まで飛ばされると川底の石に強かに体を打ち付けるが、慣性はそれでも損なわれない。
身体に奔った痛みでもう僅かばかりの意識を取り戻すと、自身の身体にかかる力を把握し転がりながら強引に地面に掌を当てて“零衝”を撃ち込む。
反動で上体が跳ね上がった。
その勢いのまま気合で足に命令を下し、どうにか地面を両足で踏む。
泥酔者よりも酷い足取りながらも、崩れそうになるバランスを気力で捻じ伏せて立ち止まることに成功した。
「び、弥堂くん……っ!」
自分の名を呼ぶ声が聴こえるが構っている暇はない。
弥堂は自身の腹に右手を当て爪先を捻じって地面を踏み込み、体内の胃袋めがけて“零衝”を撃ち込んだ。
内容物が強烈に逆流する。
血や胃液とともに、ゴミクズーに体内に排出されたものを全て水面上にドボドボとぶちまけていく。
吐き出した後の咳き込みと、生理反応からの嘔吐きとが重なってまた呼吸が止まりそうになった。
そんな姿を目にして水無瀬は愕然となる。
弥堂は水無瀬には目もくれず首を回して敵を探す。
髪を伝って流れ落ちる水が目や鼻から出る液体を洗い流していく。
そうするとクリアになった視界に歪な制服コーデをした女子高生が写った。
「……ユルサナイィ……ッ!」
向こうもこちらに怨嗟の瞳を向けている。
スカートの中からなにかがズルリと抜け落ち、ドポンと鈍い音を立ててそのまま川に沈んだ。
オートバイのサスペンションのようだった。
「……ヒドイコト」「……シタ」「……ランボウニ」「……ヨゴシタ」「……ムリヤリ」「……ワタシヲオカシタ」「……ウソツキ」
次々と投げかけられる怨みの言葉に、弥堂は雑に袖で口元を拭うとベッと粘度の低い唾を吐いた。
「無理矢理犯しただなんて酷いな。連れないことを言うなよ。てっきり誘ってるんだと思ったんだ」
「……チガウ」「……イヤダッタ」「……ナオトダケ」「……ワタシ」「……ナノニ」「……ユルサナイ」
「そんなこと言うなよ。キスしてきたのはキミの方からだろ?」
「……キス?」「……シタ」「……ワタシ」「……スキ」「……ナオト?」「……アナタナオト?」
「あぁ、そうだな。さっきよりもナオトかもしれない」
「……ヤッパリ」「……スキ」「……ナオトスキ」「……キスシタ」「……キスシタカラナオト」
適当に言葉を返して時間を稼ぐ。
今はコンディションが悪すぎる。
全身に怠さが残り上手く力が廻らず、おまけに耳鳴りも止まない。
すぐに戦闘になってしまえば、きっとなにも出来ずに殺されるだろう。
「……ウレシイ」「……モドッテキタ」「……ナオト」「……ステタ」「……ウラギッタ」「……ウソツキ」「……デモスキ」「……ワタシガスキ」
「そうだ。キミが好きだ。だから今すぐ殺してやる」
水の抵抗を億劫に感じながら引き摺るように足を動かし敵へ向く。
「……スキ」「……ナンデ」「……ステタ」「……ウソツキ」「……ナンデ」「……ナンデ」
「なんで? それを教えてやるからこっちに来い」
「……なんで?」
その声は背後から聴こえた。
弥堂は水無瀬へ意識を向ける。
「どうして……?」
答える気はないし彼女に構っている場合でもない。
そもそも彼女が何を聞いているのかもわからない。
だから無視をすることにする。
弥堂の目玉が動いて水無瀬を一瞥する。
まるで迷子のように、どこへ行けばいいのか、自分がどこにいるのかすらもわからない。
頼りなく怯え迷う子供。
強い苛立ちが湧き上がる。
「……なにがだ?」
「なんで、できるの……?」
「なにを?」
「だって、魔法もないのに……」
舌打ちが出た。
「どうして、戦えるの……?」
「早く帰れ」
「私、魔法少女だから……、私が――」
「――無駄だ」
水無瀬の方へ顔を向ける。
「例え魔法という能力を持っていたとしても、使わないんなら意味がない」
「そんなこと――」
「――もう一度言うぞ。やるならやれ。やらないんなら消えろ。それすらも出来ないのならばお前はもうそこで死ね」
「――っ⁉」
「守れと言われたが、自分から生き抜こうという気がない奴のことは知らん」
「違うよっ! 私っ、魔法少女だから! 私が弥堂くんを守るのっ!」
「そうか。それは頼もしいな。で? お前は何をやっている?」
「…………っ」
冷たく蔑む弥堂の眼から眼を逸らす。
罪悪感から水無瀬は言い返せない。
「……弥堂くんは、どうしてそんなにできるの……?」
「何故戦うのか、という意味か?」
「うん。恐い思いも痛い思いも、いっぱいしてるのに……」
「関係ないな」
「えっ?」
戦いの最中で敵から眼を離すべきではない。
だが、弥堂は水無瀬を視る。
「さっきも言っただろ。戦うか戦わないかなど、戦場に来る前に決めておくことだ」
「せんじょう……」
「戦場はとてもシンプルだ。そしてクソッタレだ。ここに居るのはこれから死体になるクソッタレと、これから死体を作るクソッタレの二種類だけだ。自分や仲間が死体になるのが嫌なら敵を死体にするしかない。生き残った者だけしかここから帰れない」
「そんなの、こわい……」
「そうだ。だからここには来なければいい」
「でも、弥堂くんは来てくれたよ……?」
「やると決めたからな。戦えと命令をされ、守れと役目を与えられた。それをやると決めた。必要なのはどうやって殺すか考え実行するだけだ。他に考えるべきことなど何もない」
「…………」
「俺は風紀委員だ。生徒に道草をさせずに守れと言われればやる。対象がお前でなかったとしても一緒だ。それが希咲でも野崎さんでも早乙女だったとしても、鮫島でも須藤でも、結音や寝室でも別に構わない。俺が風紀委員でお前らが生徒なら、相手が不良だろうと警察だろうと、それこそ化け物だったとしても戦う」
「わたしは……」
「逆に風紀委員じゃなかったら、誰であろうと見捨てる。命令をきく必要がないからな。だが今回はそうじゃなかった。運がなかったのさ」
「でも、ケガしちゃうよ……? もしかしたら……」
「死ぬだろうな。だが、それがどうした? 駒は命令を果たすために存在する。出来ないのならば存在価値がない。命令を果たせずに死んでも、命令を果たさずに逃げても、それは同じことだ。どちらにせよ役に立たないのなら存在していなかったことになる」
「存在……」
「最期だ、水無瀬。お前は帰れ。魔法少女として役目を果たせないのなら、『道草をしない』という生徒としての役目を果たせ」
「わ、わたし……っ」
「じゃあな」
水無瀬の返事を待たずに弥堂は歩き出す。
川に浸かった足を引き摺りながら、彼にしては鈍重に進む。
水無瀬はこんがらがった思考に翻弄され、その彼の背中をまた見送ってしまう。
(――そんなのダメだっ!)
彼が言ってくれたことは多分半分も理解出来ていない。
戦いたくないと思っている。
恐いと感じている。
人の姿をしたモノと戦うことが“いいこと”なのか、それもまだわからない。
だけど、ひとつだけわかっていることはある。
「――弥堂くんっ!」
一歩踏み出して、背後から彼の袖を掴む。
弥堂は黙ったまま顔だけ振り返り水無瀬を見下ろした。
「邪魔をするな」
「ダメだもんっ!」
このまま行かせたら彼はきっと死んでしまう。死ぬまで戦ってしまう。
それだけは水無瀬にもわかった。
「駄目だ、嫌だと子供が駄々を捏ねても『世界』は何も変えられない」
彼の言うことは正しい。
ギュッと彼の手を握り水無瀬は俯く。
「……そうかもしれない。だけど――」
ここで、ようやく少しずつ他のことも、その先のこともわかってきた。
明確に言葉に出来る答えはまだないが、それでもそこへ向かって今自分が進みだしたと、そんな確信がこんがらがった頭の中に強い風を吹かせ、思考を一纏めにしていく。
「――確かに私には世界は変えられない……、でも……っ! 自分は変えられる……っ!」
ドクンと心臓が跳ねる音が弥堂にも水無瀬にも聴こえた。
「私っ……、魔法少女だから……っ! 変身は得意なの!」
自分に必要なものがなんなのか、水無瀬はそれをこの場で理解した。
「私、やっぱり戦いたいなんて願えないし、相手に死んで欲しいだなんて願えない……っ!」
「…………」
「でも、弥堂くんには死んで欲しくないって、傷ついて欲しくないって、それは願える……っ! だから、私は、友達を守りたいっ!」
弥堂の手を握る彼女の手。
それに絡められた魔法のペンダントが輝きだす。
アイヴィ=ミザリィが強い敵意を向けてきた。
「でも、ぼんやりとそうなったらいいなって思うだけじゃダメなんだ……! ちゃんとお願いをして、それを一生懸命叶えようと、私が頑張れるように変わらなきゃダメなんだっ……!」
「…………」
「そのために必要なもの……、私を変えるための魔法がなんなのか、やっと今わかったの……」
それは一つの言葉。
『世界』と自分を変えるためのたった一つの魔法。
それは手の中にある。
目の前に立っている男の子の手。
彼の名前と同じもの。
それは――
「――勇気っ!」
バッと水無瀬が顔を上げた。
真っ直ぐな瞳が――何一つ含みもない、直向きで純粋な瞳が弥堂を見る。
「……やれるのか?」
言ってから『とっくに見限ったのに何を』と自分で思った。
だが、思わずそう問いかけてしまう強さが、輝きが、水無瀬の目にはあった。
彼女の存在の強度が上がったと、弥堂にはそう視えた。
「出来るよ! だって私、魔法少女だから!」
これから戦いをする者とは思えない、そんな柔らかい笑顔を彼女はした。
「お願いっ! Blue Wish!」
光を放つペンダントがその喚び声に応えて輝きを増す。
その光を彼女は掲げた。
「Seedling the Starlet――Full Blooming!!」
水無瀬の身体から光の柱が立ち昇り、それは『世界』を塗り替えていく。
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