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1章 魔法少女とは出逢わない

1章41 侵された憐み ③

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 さて、と――


 戦闘用の論理ロジックで思考を動かす。


『必ず殺す』と粋がってみたはいいものの、現実問題そう簡単なことではない。


 目の前の敵を視る。


 いくつもの長い髪の束のそれぞれが別々の生き物のように蠢いている。


 悪の幹部であるボラフはこのゴミクズーをこう呼んだ。


 アイヴィ=ミザリィと――


(ネームド――ユニーク個体というやつか)


 先日ショッピングモールに現れた巨大なゴミクズーであるギロチン=リリィ。

 あれと同等の存在である可能性が高い。


 つまり、普通の人間にどうこう出来るようなモノではないということだ。


 見た目のサイズこそ普通の人間と変わらない大きさではあるものの、その戦闘能力までもがただの女子高生と変わらないということはまずあり得ないだろう。


 力をこめた眼でアイヴィ=ミザリィを視る。


 単純に質量が小さいというのは弥堂にとっては好材料ではあるが、やはりその存在の密度・強度はギロチン=リリィに近いものがあり、そしてネズミやネコ、カラスといったゴミクズーたちとは存在の格が違う。


 これまでに遭遇した中でネズミ・ネコ・カラスといった弱いゴミクズーが相手なら弥堂でも戦いにはなった。

 しかし、そういった劣等なゴミクズーでさえも、弥堂では殺すことまでは至れなかった。


 当然、このアイヴィ=ミザリィを弥堂が独力で殺しきるのは非常に困難だろう。


 となると――


「――戦わないのか?」


 やはり魔法少女の力を使うのが最善だと判断する。


「たた……かう……?」


 しかし、その魔法少女本人はそうは思っていないようで、未だに呆けている。


「やるってんならさっさと準備した方がいいぜ。今日はそのガキ無事に帰すつもりはねぇからな」


 敵であるはずのボラフにまで促されても尚――


「……たたかう……? わたしが、ひとと……?」


――戦意を奮い立たせるには至らない。


 弥堂はそのことに特に失望することもなく、それもそうかと腑に落ちる。


 これまでの彼女の戦いぶりや振舞いを見てきて、人型のゴミクズーが出てきたらどう対応しているのかと疑問に思っていたが、なんのことはない。今までは人型に遭遇したことがなかったようだ。


 それは出会わずに済んでいたのか、それとも出会わないようにされていたのか。


 弥堂はボラフを視る。


 今日はいつもとは違うといったようなことを口では言っているが、やはり奴の行動は不自然だと弥堂は思う。


 本気で戦うつもりなら弥堂などとっとと殺してしまえばいいし、魔法少女も変身する前に仕留めてしまえばいい。

 やはり、戦って勝つことが目的なのではなく、あくまで水無瀬を――正確には魔法少女を戦わせることが目的のように見える。


 しかしその先の到達点がわからない。


 環境を保護するだなどと言っていたが、それは意味がわからないし信用には値しないだろう。


 魔法少女を戦わせて、その結果何が生まれるのか。

 或いは何が死ぬのか。


 ボラフは『ウエに命令された』と言った。


 ボラフの上司といえば真っ先にアスが思い浮かぶ。

 そしてそのアスにもさらに上役がいるようだ。


 予想するに、その上役が全体の絵を描き方針を発し、アスはそれを意欲的に管理・運営し、そしてボラフは消極的にそれに従事している、そんなところだろう。


 恐らくこれはかなり大きな話だ。

 少なくとも一介の男子高校生の手には負えないくらいには。


 これまでなら弥堂自身の利害に大きく影響しさえしなければ、関係ないと目を背けることが出来た。


 だが、学園の生徒を守れと生徒会長から命令されたのならば話は変わる。


 きっと魔法少女が人類社会に害を齎す人外勢力を追っているのではなく、正しくは闇の秘密結社を名乗る人外どもが魔法少女を追っている。これはそういう話だ。


 眼球を動かして今度は顔を青くして震える少女を視る。


 水無瀬 愛苗という女生徒を守るのなら、このどれだけの範囲にどれだけの数がいるのか不明な、一対一で戦ったとしても自分より強い連中を皆殺しにしなければならない。


(なるほど。それなりにヘヴィな任務ミッションだな……)


 ようやく自分が送り込まれた戦場の風景が見えた。


(閣下の言った『災い』とは海外マフィアではなくバケモノどものことか……)


 そして、恐らくこの為に弥堂が真に所属していると謂えるサバイバル部の長である廻夜めぐりや部長も、事前に弥堂へ魔法少女の知識を刷り込んでいたのだろう。


 部長と生徒会長閣下が敵視している組織。

 であるならば、弥堂が今ここに立っていることは非常に必然であると云える。


 人為らざる人に仇成すモノども。

 表舞台には露見しないこの不可思議な連中の存在も、廻夜部長や郭宮会長ならばその存在を把握していたとしても不思議はない。


 今になってみれば、二人ともに弥堂に水無瀬を守らせようと仕向けているようにも思える。

 そこでもう一人思い浮かぶのが希咲 七海きさき ななみだ。


 イジメっ子から水無瀬を守れくらいのニュアンスに聞こえるように頼みごとをされたが、こうなるとあの女もこの事態を掴んでいたのではと疑いたくなる。


 あのギャル女を浮かべた途端、何もかも放棄して全員を裏切ってやりたい気分になったがそうもいかない。

 例えどんなに困難でも、どんなに気乗りがしなくても、一度命令を下されれば最早やるしかない。


 失敗すれば死ぬことになるが、命令を熟せなかった場合は生きている価値がないのでそれは死んでいるのも同然だ。

 どちらにしても死ぬのなら一体でも多く敵を道連れにした方が、弥堂 優輝という消耗される一つのリソースに対してのコストパフォーマンスに優れる。


(そういえば……)


 ふと思いつく。


 会長閣下は『生徒や住人を守れ』と命令をしてきたが、実際どの程度守ればいいのかを確認していなかったことに気が付いた。


『守れ』とは完全完璧に一人たりとも死なせるなという意味なのか、それとも多少死んだとしても8割くらい生き残っていれば守れたと判定してもらえるのか。

 その確認を失念していた。


 弥堂の以前の雇い主であれば少しのミスも許しはしないが、寛容で大らかな郭宮会長なら一人二人死んだくらいなら多めに見てくれるかもしれない。なんなら10人くらいまでなら死なせても大丈夫かもしれない。


(しまったな)


 きちんと確認をしておくべきだった。


 何人までなら死なせてもいいのかを。


 もしも何人か死んでも構わないのなら水無瀬を見捨ててしまえば今後この連中の相手をしなくても済むので、その後の任務を熟すのに非常に効率がいい。


 だが、現場に出てから確認不足を嘆いても手遅れだ。

 この場では水無瀬を死なせない方向で動いた方が無難だろう。


 そのために必要なことは――


「――もう一度言う。水無瀬。変身して戦え」


――魔法少女を使い物になる状態にすることだ。


 水無瀬は悲壮感に溢れた表情を弥堂へ向ける。


「だって……、でも……、ひとだよ……?」

「見た目はな」

「えっ……?」

「これはお前の戦意を削ぐ為の擬態だ。見た目が人間に見えるだけでただの化け物だ。こいつはゴミクズーだぞ」

「そう、なの……?」


 その言葉を確認するためか、水無瀬がゴミクズーの方へ目線を動かした瞬間――


 折れ曲がったまま頭部をぶら下げていたアイヴィ=ミザリィの首がボコっと膨んだ。


 異様な姿に思わず息を呑むと、声が聴こえる――



「――ウソツキ……」


 アイヴィ=ミザリィの口が蛙のようにガパっと縦に大きく開く。


「……バケモノジャナイ……」


 裂けて捲れたように裏返った口腔内、その奥から声が伝わってくる。


「……カエシテ」「……イッタノニ」「……ズットイッショ」「……ズットスキダッテ」


 その声は段々と近づき、それに連れて音量が大きくなる。

 やがて喉奥から何かが飛び出す。


 不自然なほどに鮮やかなピンク色。

 肉の塊にも見えるそれはアメーバ状になって変色した水のようだった。


 蛙の舌のような形状で先端が膨らんでいる。

 その膨らんだ先端がさらに膨張し変形した。


「――ヒッ⁉」


 か細く短い水無瀬の悲鳴。追ってメロのものだろう、嘔吐くような声が聴こえた。


 あべこべに制服を着た女子高生。

 酷い火傷を負った顔。

 その口から飛び出した肉塊のような舌。

 その舌の先端に現れたのも顔だった。

 女の顔。

 若い女生徒。

 もしも火傷がなかったらこんな顔なのだろうなと直感させる容貌だった。


 その顔がこちらを向く。

 こちらはしっかりと瞼に包まれた眼球が見ている。


「……ウソツキ」「……ヤケド」「……イッタノニ」「……カワラナイ」「……ウラギッタ」


 複数人で喋っているように声が重なりながら次々と怨嗟の念を吐き出してくる。


「テメェ、適当なフカシこいてんじゃあねえよ。そいつはニンゲンだぜ? “元”だがな」


 ボラフが弥堂を睨みつける。


 水無瀬を化け物にけしかける為に確かに適当に言いくるめようとしていた。

 敵の方から真実を告げられた形になるが、弥堂にとっては幸いなことに、水無瀬にはもう聴こえていないようだった。

 この場で最も恐ろしく見える存在に意識が集中しているようだ。


 それをいいことに弥堂はボラフに言葉を返す。


「適当なことを言っているのはお前だろう」

「ア?」

「正確には元々人間であった者が人間でなくなり、消えることが出来なかった為にそれから別のモノに為った。そうだろう?」

「……テメェやっぱりそっち側だろ? 京都、ロンドン、ローマ、それともアメリカか? どこだ?」

「……さぁな。お前が言った中にはないかもな」

「ア? てことはちゅうご――」
 

 バチャっと水を叩く音がボラフの言葉を遮った。


 腰を抜かした水無瀬が再び川の中にへたりこんでしまった。



 恐怖に自失する水無瀬へと、わななきながら髪の束がいくつも近づいてくる。


 ゆっくりと近づいてくるそれに水無瀬は震えるだけで何も出来ない。


 自分の横を通り過ぎていく異髪を弥堂はつまらなさそうに見送る。


 それらが水無瀬の身体に絡みついていく段になっても特に何もしなかった。


「あっ……? あぁ……、ぃや……っ!」


 頼りない悲鳴を漏らすばかりで碌に抵抗も出来ないまま水無瀬は動きを封じられる。


 腕に、腰に、足に絡まるそれらをただ恐ろしいとだけ思った。


「……カエシテ」

「――っ⁉」


 体中に絡まる髪の毛に気を取られているとすぐ間近で声がする。


 反射的に顔をあげると自分を覗き込む顔がそこにあった。

 咄嗟に顔を背けたくなるが頬に伸びてきた髪がガッチリと水無瀬の顔を固定しそれを許さない。



「……アノヒト」「……アイシテル」「……カエシテ」「……ズットイッショ」「……ワタシノ」「……カエシテ」「……ヤケド」「……カワラナイ」「……イッタノニ」「……バケモノジャナイ」


 ゴミクズーの身体は先ほどの位置のまま、伸びてきた舌の先端から出てきた顔が、水無瀬の顔に触れそうなくらいに近くで、憎しみの目と言葉を水無瀬へと向けていた。


 恐怖の臨界を超えてしまった水無瀬はもう悲鳴すら出せない。

 気を失わなかったのが奇跡と謂えるかもしれない。


 だが、完全に放心してしまって、拘束されたことで強張っていた身体からも完全に力が抜けてしまった。


 弥堂は彼女の膝元の川の水の色が僅かに変色する様子を視て――


――見限った。



「おい、化け物ブス



 その声を発した瞬間、舌の顔がグルンっとこちらを向く。


 血走った狂気の瞳が自分の姿を捉えるよりも速く、弥堂は右手の人差し指と薬指をその両の眼窩に突っ込んだ。
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