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1章 魔法少女とは出逢わない

1章37 reverse empathy ①

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 正確に記録された記憶を参照する。


 新しい出来事を体験すると、それは脳の中の海馬と呼ばれる部位に一時的に保存され、時間が経つと大脳皮質に方に溜められていくそうだ。

 肉体の方でそうなっているということはそれはつまり、魂の設計図にも情報が蓄積されているということになる。


 思い出すという作業はその蓄積されたものの中から捜し出し、それをただ読み上げるだけの作業となる。


 弥堂 優輝びとう ゆうきは決してその作業を間違わない。




 まず、2年生になってこのクラスがスタートした時点では全員が水無瀬のことを、『水無瀬さん』と呼んでいた。

 次に、希咲が4月17日に彼女たちに依頼をする直前では、野崎さんは『水無瀬さん』、舞鶴は『愛苗ちゃん』、早乙女は『愛苗っち』、日下部さんは『水無瀬さん』と呼んでいた。

 それが依頼後から昨日までは、全員が下の名前で呼ぶようになり、早乙女が呼ぶ渾名は『まなぴー』に変わった。


 ここまでは問題がない。

 日常で触れ合うことで関係が蓄積され友好的になっただけのことだ。


 問題は昨日――土日の休みを挟んだ後の4月20日からだ。


 朝の段階では舞鶴と日下部さんは金曜と同様に名前で呼んでいた。野崎さんは朝の段階では水無瀬との会話がなかった。変化があったのは早乙女だ。
 彼女の呼ぶ水無瀬の渾名が『愛苗っち』に戻っていた。

 その時点では、いい加減そうな性格の彼女ならそういうこともあるだろうと特に弥堂も気にしていなかった。


 そして本日。勘違いや気のせいでは済まない程の変化が起きた。


 朝のHR前の一幕。

 早乙女はまた『愛苗っち』、日下部さんは『水無瀬さん』と希咲から頼まれごとをする前の呼び名に戻っていた。

 さらに不可解なのは野崎さんと舞鶴はそのままだった点だ。


 そのことを弥堂が訝しんでいる間に、その朝のHR前の時間から現在の3時限目の休み時間の間までに、さらに理解の及ばない状況になる。


 現在は、野崎さんは『水無瀬さん』、舞鶴は『愛苗ちゃん』、早乙女は『愛苗っち』、日下部さんは『水無瀬さん』と呼んでいる。

 つまり、希咲が彼女たちに水無瀬の件で頼みごとをする前の状態に戻っている。


 それが何故なのかはわからない。

 だからそれを――そうなってもおかしくはない、それらしい理由を考えてみる。



 弥堂に思いつくのは二つだ。


 一つは、誰かが何かをした、だ。


 教室の後方へ眼を遣り、結音 樹里ゆいねじゅり寝室 香奈ねむろかなを視る。


 一番手っ取り早い理由付けとしては、彼女達が何かをしたというものだ。


 例えば、懇意にしている不良生徒たちを使って、野崎さんたち4人、もしくはクラスメイト全員に水無瀬と仲良くするなと、そう脅しをかけた――というのはどうだろうか。


 何の面白みもないチープな発想ではあるが、安易で見慣れ聞き慣れしているということは、それだけ現実で起こっている件数が多い現象だとも謂える。


 教室後方で談笑をする彼女ら二人にそんな素振りは見られないが、弥堂はほぼこれで間違いがないだろうなと算段をつけていた。


 犯人自らわかりやすく自分が犯人だとわかるようなヒントをばら撒いてくれるわけがない。

 それに犯人かどうかは捕らえて拷問をしてみればわかる。もしも違ったら不祥事だが、その時は秘密裏に処分してしまえば問題ではなくなる。


 ただ、このケースで考えた場合に説明を付けるのが難しいのが、野崎さんたち4人の態度だ。


 友好の度合いが違えども彼女らは水無瀬とも普通に話すし、何より不可解なのはやはり呼び名だ。これが変わったり戻ったりする理屈がわからない。

 もしも脅されているのならその時点から水無瀬とは距離を置くだろうし、もしも無理矢理理屈を付けるのならば、脅しに抵抗しながら水無瀬に接しそれでも罪悪感を感じながら徐々に疎遠になろうとしているだが――


(――少々苦しいか)


 何より彼女たちにそんな素振りは見られない。

 脅しに怯える様子も、罪悪感に葛藤する様子も全くない。


 この線で確定するには材料が足りないが、それでもこんなところだろうなと思えてしまうのは、何かが起こった時には必ず誰かの悪意が影響していると弥堂が考えているからだ。

 それはある意味『そうであって欲しい』とすら思っているとも謂える。

 そんなバイアスが掛かっていることを自覚しているので、このケースで考えるのは一旦ここまでにする。


 ヒトの意思と関係なくそうなってしまうようなことがあった場合は、『世界』がそうしているからだ。

 その場合は最早解決しようとしても無駄なので、考える必要自体なくなる。


 なので、他の可能性を考える。



 もう一つの可能性はシンプルで、水無瀬が彼女らに嫌われた、というものだ。


 だが、それはないだろうとも考えている。


 先のケースを否定する理由と同じで、野崎さんたちにそんな素振りが見られないからだ。


 他人から嫌われるというのは、要するに多くの人間が弥堂にするような対応や、弥堂に向けるような目を向けられることだと理解している。

 野崎さんたちはそんな態度を水無瀬にとっていない。

 それを上手く隠すことも出来るだろうが、人から嫌われることに一家言を持つプロフェッショナルの弥堂の見立てでは、これは違うと確信が持てる。


 第一、弥堂が把握している範囲ではあるが、水無瀬が彼女たちに嫌われるような、そんな出来事は何もなかった。

 弥堂のいない場所で何かがあって、ということならばお手上げだが、それならば彼女たち4人はともかく、すぐ態度に出る水無瀬の様子でわかるだろう。そんな兆候はない。


 では、水無瀬 愛苗という人物が自覚なく悪気もなく、他人から嫌われてしまう性質の人間かどうかを考える。


 それに関しては、なくはないなと弥堂は考えた。

 水無瀬自身には何も悪意や故意はないが、彼女のようなトロくさい人間を嫌う者は一定数いるだろう。弥堂がそうであるように。


 ならば、野崎さんたちに、そんな弥堂と同じような性質があるかどうかだが、それはないように思える。

 弥堂は彼女たちの為人を正確に理解していないが、もしもそうであるのならば、その辺りに目端の利く希咲が彼女たちを水無瀬のお守り役に選ぶはずがない。


 それに、野崎さんたちからは水無瀬に対する、『嫌う』『憎む』『疎む』といった悪感情の類は感じられない。

 嫌うというよりは――


 そこで一度言語化に詰まり、しかしすぐに閃くものがあった。


(そうか。これは――)


 弥堂はこの現象に見覚えがあった。


 しかし、それは現実の世界で見聞きしたものではなく、サバイバル部の部長である廻夜朝次めぐりや あさつぐから履修するようにと渡されたゲームの中で見たことがあったものだ。


 そのゲームは恋愛シミュレーションというジャンルのもので、ビジュアルノベルという形式のものだった。

 弥堂にはあまり馴染みの薄い、漫画ほどではないが絵の付いた小説のようなもので、主人公視点で綴られる物語を読み進めていくゲームだ。


 弥堂がプレイさせられたものは、登場人物たちの中に『好感度』といったパラメーターが設定された女性キャラクターが何人か存在しているタイプのものだ。

 その一部の女どもにちょっかいをかけて、会話やイベントを熟しているうちにその好感度が上昇し、それが一定数まで達するとその女を抱けるようになりその後エンディングを迎えるようになる。

 つまり、ゲームの目的としては女を抱くことにある。


 部の必修項目ということで仕方なく弥堂は命令に従い、抱ける女は根こそぎ抱いたのだが、その工程の中で現在のこの状況に極めて近いものを目撃していた。


 ケースは大まかに二つ。


 一つは、女の機嫌取りに失敗した時だ。


 ゲームを進める過程で好感度の上昇に伴い段階的に女の反応がこちらに媚びたものに変わっていくのだが、例えばその段階をレベルで表した時に、レベル1から2に上昇した後に選択を誤り好感度が下がるとレベル1に戻ることもあった。

 その際に『ユウキくん』と変わったばかりの主人公への呼び方が、『ビトウくん』とレベルが上がる前のものに戻ったのだ。


 そして二つ目は、ゲームを一度クリアした後の周回プレイ時のことだ。

 原則として一度のプレイで抱ける女は一人だけという非効率極まりないゲーム性のルールだったので、廻夜から全ての女を抱くよう命じられていた弥堂は抱ける女の数だけそのゲームを周回することになった。

 そして、ゲームを最初からやり直した際にその現象は起きた。


 好感度を適切に上昇させて無事に女を抱いてクリアし、その女はもう用済みなので次は別の女にちょっかいをかけるかとゲームを最初からプレイすると、当然のことだが前回抱いた女の好感度はリセットされ関係性も知り合う前の他人から再スタートとなる。

 それはつまり全てが無かったこととなる。


 それを時間が戻ってやり直しているのか、それとも別の世界線の出来事として処理するのかは、どっちでもいいのだろう。

 だが、数分前までは語尾にいちいち『♡』を付けて豚のような鳴き声をあげていた女が、そのことを全て忘れてしまったかのように振舞う姿には薄ら寒いものがあった。


 弥堂はその時のことを思い出し、今でも憤りが沸き上がり拳を握る。


 最終的に『ユウキきゅんのために何でもしてあげる』と言って、マイホームに車を買ってくれ、弥堂の為に会社まで設立してくれたシオリお姉さんが何も買ってくれなくなったのだ。

 さらに、せっかく何でも買ってくれる資産家の娘を手に入れたのにそれを無かったことにして、派手な見た目をしている割に二言目には『病む』だの『ダルい』だのと愚痴を溢すギャル女の為にバイトに明け暮れる日々を送らなければならなかったのは非常に業腹だった。


 そんな女の相手など弥堂はしたくなかったのだが、上司であるところの廻夜からの命令は『全ての女を抱け』だ。

 そして部下であるところの弥堂としては、全てと言われれば本当に全てを熟さなければならない。


 それはつまり、一度専用ルートに入ってしまえば、週ごとに一定額を貢がなければすぐに知らないおじさんにパンツや身体を売ったりした挙句にAVデビューしてバッドエンドに向かうあのバカ女の面倒を見なければならないことを意味する。


 毎週毎週空き時間は全てバイトにあて、それで稼いだ金を渡し、おまけにデートにも連れていかないとすぐに浮気をする。そんなゴミ女に媚び諂うのは弥堂にとっても酷い屈辱だった。

 最も納得がいかなかったことは、好感度が上がるに連れて何故かあの女に払わなければならない金の額も増えることである。ふつうは逆ではないのかと思わずメーカーに抗議にお手紙を送った。


 最終的にはファッションデザイナーとして一山当てた彼女が何でも買ってくれるようにはなったので結果オーライではあるのだが、呼吸をして左クリックさえしていれば他には特に何もしなくても勝手に何でも買ってくれるシオリお姉さんに比べれば非常にコスパの悪い女だと言わざるを得ない。


 弥堂はこれまでの経験上メンヘラはクソだとよく知っていたし、廻夜部長はギャルはダメだと仰った。

 その二つが合わさったキャラクターを弥堂が嫌うようになるのは必然だった。


(おのれ……っ! サキめ……っ!)


 弥堂は心中で自身を57回のゲームオーバーに追い込んだ女に怨嗟の念を唱える。


 そしてハッとなると、頭を振る。


 メンヘラギャルへの憎しみを思い出すために記憶を呼び出していたわけではなかったと自身を戒める。

 そんなつもりはなかったのだが、よほど強烈に弥堂の大脳皮質に記憶されていたようだ。


 シナリオをエンディングまで読み進めれば必ずそうなるので仕方ないことでもあるが、それでも結局はメンヘラギャルのサキちゃんを散々抱いたクズ男はそのことをなかったこととし、思考を元に戻す。



 この二つ目のケースで重要なのは尻軽なギャルのことではなく、確かに蓄積された数値がなかったことになったシオリお姉さんの反応だ。


 特に早乙女や日下部さんにその傾向が見られた。


 一度話したはずの内容の会話をまるで初めて聞いたことのようにもう一度して、そしてそれをすると少し好感度が上がったのか、また親し気になったりもする。

 これが弥堂がプレイしたゲームと類似した現象のように思えたのだ。


 この好感度のリセットのような現象が現実に起こっていて、そしてそのペースが早まっている。

 そのように感じる。


 昨日の朝には少なくとも早乙女にはこのリセットが起こっていて、そしてそれはすぐに直った。

 それが今朝になると早乙女と日下部さんの二人にリセットがされていて、二人とも元には戻らないまま、さらに3時限目が終わった現在では恐らく野崎さんと舞鶴にもリセットがかかった。


 これがゲームと関連付けることで弥堂が整理することが出来た現状である。


 しかし、関連付けることは出来たとしても、説明を付けることは出来ない。


 ゲームであればデータを弄ることで簡単に再現することが出来ても、現実の世界でどうやってその現象を起こすのかということは全くを以て説明が付かない。

 それこそ、『世界』がそれを誰かに許しでもしない限りは。


 通常はなにも劇的な出来事などなくとも、頻繁に顔を合わせ言葉を交わしていれば、少なからず関係は深まり蓄積されていくものである。


 それは弥堂のような、他者との関わりを作ったり深めたりすることを嫌う人間であってもそうだ。

 いや、そうであるからこそ、他者とまともに関わらないようにしているとも謂える。


 回数を重ねれば関係は深まり、ほんの小さな数値でも蓄積されてしまうのだ。


 昨夜寝る前に見た『HAPPY BIRTHDAY』のスタンプがまず浮かび、次に夕陽に照らされ輝くピンクゴールドのシッポのような毛束が思い浮かぶ。


 弥堂は苦々しい気持ちになり、そのイメージを意識して断ち切ろうとして、止まる。


(いや――待て。そうか……希咲か……)


 水無瀬がこのような扱いを受けるに足るもう一つの可能性を見出した。

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