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1章 魔法少女とは出逢わない
1章29 4月20日 ③
しおりを挟む気が付いたら女が集まってきて目の前で群れ始め、弥堂は眉を歪める。
女が増えれば増えるほどに喧しくなるという物理法則についての見識があったので不愉快に思っていると、ふと自身の顏に向けられる視線を感じとった。
お膝の上に乗せた水無瀬さんがじーっと見つめてきている。
弥堂もとりあえずジッと彼女の顔を見返して、すぐに「あぁ、そういうことか」と察しがついた。
そういえば先程の『何故抱っこするのか』という彼女からの質問に答えていなかった。
了解の意をこめて彼女の目を視ながらコクリと一度頷いてやると、彼女も弥堂の眼を見ながら「うんうん」と頷いた。
このアイコンタクトは恐らく成立していないと判断した弥堂は一応確認することにした。
「何故こうするのか、という質問だったな?」
「え……? あっ、うん! そうだった!」
「…………」
やはり通じていなかった。彼女は一体何にあれほど力強く頷いたのだろうか。
「……まぁいい。何故かと訊かれれば、それは仕事だからだ」
「おしごと……?」
「JKを膝にのせる仕事ってなに……?」
「しっ! マホマホ静かにっ! それはきっとこれから演者さんによって語られるんだよ!」
「水無瀬 愛苗。俺は今日一日貴様を甘やかすよう、とある人物より依頼を受けている」
「えっ? えぇ……っ⁉ そうなの? い、いったい誰が……っ⁉」
「多分一人しかいないと思うけど……」
「しっ! 野暮なことはナシよ、真帆。そんなニブニブなところもカワイイわ。このまま様子を見ましょう」
「悪いが依頼人のことは話せない。契約時に特別口止めはされていないが、守秘義務というものがある。俺はプロフェッショナルだからな」
「そ、そうなんだ。大変なんだね」
「甘やかしてたんだこれ……。JKを甘やかすプロ……。どうしよう、すごくいかがわしく聞こえる……」
「そのへんは男優さんにインタビューしてみるしかないねっ! おーい、弥堂くぅーん!」
カメラマンに呼びかけられ男優はその無機質な眼をカメラへ向ける。
「なんだ」
「依頼人について話せないのはわかりました。ですが! もしかして高校生の教室に相応しくないイカガワシイことをしようとしているのではと疑惑がかかってます」
「なんだと?」
「周囲のご理解のため、依頼内容について詳しくお願いします!」
あらぬ誤解を解くために弥堂は早乙女の持つスマホカメラレンズへ鋭い眼差しを向ける。
「いかがわしいだと? そのような事実はない」
「と言いますと?」
「そのような事実はないからだ」
「……なるほど! では依頼内容についてお願いします! 何のためにまなぴーを甘やかすのですか?」
「知らん」
「はぇ?」
素っ頓狂な声を出す早乙女に対して、弥堂は何一つとしておかしなことはないと言わんばかり堂々とした態度を崩さない。
「理由や目的など知らんし、どうでもいい。『これをやれ』と依頼され、俺はそれを受けた。ならばそれを実行するだけだ。その結果何が起ころうと知ったことではない」
「なるほど! なに言ってんのか全然わかんないけど、なるほどだよっ!」
「なにがわからない? 簡単な話だろ」
「だいじょうぶっ! 弥堂くんが実はだいぶ面白い人だってのがわかって、ののかテンション上がってるからだいじょうぶだよっ!」
スマホ越しにバチコンっとウィンクをかましてくる早乙女を視て、弥堂は現代の学生の読解力の無さを嘆き軽蔑した。
そしてその早乙女の隣に立つ日下部さんはもじもじとする。
現在教室中の視線がこちらに集まっている。当然だが。
とっても常識的な女生徒である日下部さんは、このように悪目立ちすることには慣れておらず、ひどく居心地悪く感じていた。
「ではでは! 今回の意気込みのほどをお願いします!」
「意気込み?」
「はい!」
「特別意気込みなどない。やると決めたらやる。俺はその為の装置だ。モチベーションなど必要ないし、そんなものに仕事の出来が左右されるのは二流以下だけだ」
「そこをなんとか! カメラの向こうの七海ちゃんに向けて、一言だけでも!」
「希咲だと?」
ふむ、と弥堂は顎に手を遣る。
「……いいだろう」
そういうことであるならと、ネクタイを弄って気持ち居住まいを正し、カメラのレンズへ向かって己の意志を発する。
「お望み通りこいつを甘やかしてやる。徹底的にな……」
「お望み通りって言っちゃった」
「しっ! マホマホ、声が入っちゃうから……っ!」
「お前が呑気にバカンスをしている間にこいつはすっかりと変わり果ててしまうことだろう。お前がアホ面さげて帰って来た頃にはもはや別人だ。だが、これがお前が望んだことの結果だ。その時になって後悔しようと手遅れだ……」
「女の子を甘やかそうって人の台詞じゃない……」
「ちょうど今読んでる小説がこんな感じね。悪魔に騙されて契約しちゃって酷い目にあう人の話よ」
「……弥堂君は真面目だから……」
「委員長の目の焦点が合ってないんだよっ⁉ ……珍しいからこれも撮っとこ……」
野崎さんの方へ向けてグリンっと動いたカメラが戻ってくるのを待って、弥堂は続きを口にする。
「……明日にはこいつはもうお前のことを思い出しもしなくなる。沼に深く沈めるようにして甘やかしてやる。今更止めようとしても無駄だ。もう止まらない。お前が何をしようと俺は必ず水無瀬を甘やかす。そのための手段は問わない」
「はい、ありがとうございましたーっ!」
いい絵が撮れたとホクホクの満足顔で早乙女はペコリと頭を下げる。そして彼女はさらに調子にのった。
「ですが、弥堂くん! こんなものなんですか⁉」
「……なんだと?」
ジロリと眼を向ける。
何ひとつふざけてなどいないそのマジな眼をスマホの画面越しに見た早乙女は、内心で『こいつヤベェな』と思っていたが、このままテンションに身を委ねることにした。
「先程の決意表明では、それはもうズブズブに甘やかすように仰っていましたが、でも今のところまなぴーを膝にのせてるだけだよね? それでズプズプと言えるのでしょうか⁉」
「ふん、早合点をするな。俺の甘やかしはこれで終わりではない」
「では、ズプズプだと?」
「うん? あぁ、ズブズブだ」
「ノノノノノッ。ズプズプ?」
「……あぁ、ズプズプだ」
「イエス! ズプズプッ!」
「お前は俺に何を言わせたいんだ?」
バチッとサムズアップしてくるクラスメイトの女子に弥堂は胡乱な瞳を向けた。
「では、カメラの向こうに見せつけちゃってください! さぁ!」
「……いいだろう」
何故かセクハラを受けたような気がして釈然としなかったが、弥堂は仕事を優先させる。
机の上に出しておいたコンビニのビニール袋から用意してきた物を取り出す。
「これは……っ⁉」
「プリン……?」
なんだかんだノリのいい日下部さんや舞鶴のリアクションを無視してペリペリとプリンを開封する。
そしてレジでもらったプラスティックのスプーンで一掬いし、水無瀬の口元へ慎重に近付ける。
「あむっ」
水無瀬さんは考えるよりも先にパクついた。
何故か見学している女子たちから「おぉ~っ」と歓声と拍手があがる。
あむあむゴクンとプリンを飲み込んでようやく水無瀬さんは首を傾げた。
「なんでプリンくれたの?」
「先に聞こうよ……、愛苗ちゃん……」
若干疲労を滲ませたツッコミが日下部さんから入るが、弥堂は淀みのない動作でさらにプリンを掬って水無瀬に与える。
「あぁ……、カワイイ……。私もやりたいわ……」
「び、弥堂くん……っ⁉ これはもしかして、甘やかしているのですか⁉」
「そうだ。すごい甘やかしている」
「ププッ……っ! プリンって……!」
「……甘やかそうと思ってプリン買ってくるって……、意外と可愛い発想するんだ……」
ヒソヒソと話しながら笑いを堪える早乙女と日下部さんへジロリと視線を向ける。
「脳の働きを効率化して頭の回転を早くするのには糖分が必要だという」
「はぁ……」
「だからこいつには糖分を与えるべきだ」
「……それは暗に愛苗ちゃんの頭の回転が遅いって言ってるのでは?」
「それはキミの受け取り方次第だ」
日下部さんと話しながらも、弥堂はその間も絶えず水無瀬に餌を与え続けている。
そこへフラフラと近づいてくる者があった。
「あぁ……、私も……、どうか、私にも……っ!」
愛苗ちゃんガチ勢の舞鶴さんだ。
熱に浮かされたように手を伸ばしてくる彼女の方へ、弥堂も手を伸ばし掌を上へ向けた。
「100円だ」
「えっ……?」
「1口100円だ」
「な、なんですって……っ⁉」
有料サービスであることを告げると舞鶴さんは激情に身を震わせた。
「バカにしないでちょうだい……っ!」
彼女はバッと身を翻すと自席へ戻っていってしまう。
「さ、小夜子……? 怒ったの?」
日下部さんが案じて声をかけるが彼女は振り向きもせずガサガサと机をあさる。
そして勢いよく振り返りズカズカと歩いて戻ってきた。
「これでお願いしますっ!」
バンっと弥堂の手に叩きつけたのは千円札だ。
弥堂はそれをジッと視て、
「いいだろう」
鷹揚な仕草で舞鶴さんにプリンとスプーンを貸し与えた。
「ふふふ……、じゃあ続きはお姉ちゃんが食べさせてあげるわね……」
「わぁ、ありがとうっ! 小夜子ちゃんっ!」
「お姉ちゃんって……! お姉ちゃんって呼んで……っ!」
「おねえちゃん……?」
「あぁ……っ! ありがとうございます……っ!」
涙ながらにプリンがのったスプーンを差し出すその姿に日下部さんはドン引きだ。
「の、野崎さん……っ。これそろそろ止めないと収拾が……っ!」
「……弥堂君は真面目だから……」
普段は頼れる学級委員の野崎さんはまだお目覚めではないようだった。
ややすると悲愴な声があがる。
「あぁ……っ⁉ そんな……っ!」
プリンが空になってしまった為に舞鶴さんからあがった絶望の声だ。
「ごちそうさまでした」
「うぅ……、お粗末さまでした……」
「小夜子が用意した物じゃないでしょ……」
「えぇーっ! もうおわりぃーっ⁉」
撮れ高にまだ満足していないカメラマンからも不満の声が出る。
その要望に応えるべく――ではないが、弥堂は袋からもう一つプリンを取り出しペリペリっと蓋を開けた。
「も、もう一個⁉」
朝登校してくるなり多量のカロリーを摂取させられている愛苗ちゃんがびっくり仰天して、チャームポイントのおさげがみょーんっと跳ね上がった。
「あ、あのね弥堂くん? 私もうお腹いっぱいだし……、それにこんなにいっぱい貰うのは悪いよっ!」
「なに、遠慮するな。キミはもっと糖分を摂った方がいい」
「やっぱり愛苗ちゃんのことバカにしてるよね?」
「で、でもでもっ。教室でお菓子食べるのはよくないし……」
「問題ない。風紀委員の俺がやっているから特別に許されるんだ」
「それは問題なのでは?」
水無瀬さんは消極的だが、段々弥堂に慣れてきたのか日下部さんのツッコミが代わりに遠慮が無くなってきた。
「あっ、そうだ。貸してー?」
何かを思いついて両手を差し出す水無瀬にプリンをとられる。
「今度は私が食べさせてあげるね? あーん……」
そうは言いつつ、弥堂の口がきちんと開くよりも先にスプーンを唇の隙間に挿しこんだ。
「…………甘い」
むぐむぐと咀嚼して弥堂は露骨に顔を顰める。
「そりゃプリンだし……」
「おぉぉぉぉっ⁉ 撮れてる! いい絵が撮れてるよ!」
「弥堂くん、甘いのキライ?」
「好きではないな」
「代わって……っ! それなら代わってぇ……っ!」
「……弥堂君は真面目だから……」
場の混沌は加速していき、日下部さんの懸念通り収拾が難しくなってきた。
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