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1章 魔法少女とは出逢わない

1章17 狭間の夜 ③

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 部屋に戻るとすぐに床に脱ぎ捨てられている制服の上着を見つける。


 そういえばズボンはゴミ袋に詰めたが上着の方を忘れていたな。

 もう一度小沼さんを出勤させることも出来るが、これを捨てるのは別に次のゴミの日でもいいか。

 雑巾代わりに使うことも出来るだろうし、適当に床に転がしておこう。


 ポケットの中身だけは全て取り出しておこうと、上着を拾い上げてからテーブルに着く。


 テーブルと謂っても、昨夜希咲のせいでこのダイニングテーブルは真っ二つになってしまったので、現在はガムテープで無理矢理繋ぎ合わせて辛うじてテーブルの形状を保っている有様だ。


 上着から取り出した物を置くスペースを空けるために、テーブル上の物を適当に腕で避けると、カコンっと空虚な音が鳴る。

 テーブルの上に倒れたのは缶コーヒーの空き缶だ。


 中身を飲み終えた後に水道で内部を濯ぎ、その後何故かテーブルの上に置いていたのだった。

 平衡不具の天板の上をカラカラと空き缶が転がる。


 そういえばこれも捨ててなかったな。

 あとで捨てようと思ってテーブルに置いたまま忘れてしまっていたのだろうか。


 空き缶は椅子に座る俺の方へ向かって転がってくる。


 中身の失くなった缶コーヒー。


 それはつまりゴミだ。


 空き缶はまもなく天板の端に辿り着き床にその身を投げることとなるだろう。

 桜の花は地に落ちてその身を穢せばゴミになるが、缶コーヒーは中身が失くなればもうその時点でゴミだ。


 そんなことを考えながらゆっくりと転がる缶コーヒーの空き缶を見ていると、それはテーブルと宙との境界を越えた。


 天板を飛び出してから落下する動きを目で追い、無意識に身を屈めその軌道の下に掌を置いてそれを掬う。



 昨日とは違う重み。



 中身が入っている時はコーヒーなのに、そうでなくなれば缶に為る。

 これはもう別のモノだ。


 手の中の缶を見て、ゴミが床に落ちるだけのことなのに何故わざわざ受け止めにいったのだろうと考える。


「…………」


 大きな音を立てるとまた小沼さんがゴミ捨て場に駆け出してしまうからな。今日はもう十分に躾はした。これ以上は不要だろう。

 そういうことだ。


 空き缶をテーブル上に立てて戻し、作業に移る。


 爆竹、ライター、煙草、ボイスレコーダー、封筒、朱肉、結束バンド……など。

 手に馴染んだ仕事道具を制服ブレザーのポケットから取り出してテーブルに並べていく。


 左の内ポケットから紙幣の束を取り出したところで、そういえばスラックスのポケットに小銭入れを残したまま捨てちまったなと思い出し舌を打つ。

 何か足がつくような物はなかったかと記憶の中から記録を取り出そうとすると手の方に馴染みのない感触がし、そちらに意識を引っ張られる。


 細い棒状のそれを取り出して目に映すと、ヘアゴムがリボンのように括りつけられたボールペンだった。


 僅かに眉間が歪んだことを自覚した。


 何故か希咲から押し付けられた、100均ショップで複数本セットで売られている商品だと思われる。

 何時間か前に、その希咲の親友である水無瀬の非常にデリケートな部位に危うく突き刺さりそうになるという出来事があったが、運よくそのような不幸な事故は起きずに済んだ。


 結局希咲の意図はわからないまま流れでつい済し崩しに受け取ってしまったが、どう扱うべきか。

 何日か後に、その理由がわかるかもしれないといった風なことを彼女が言っていたが、特にそれを解き明かしたいといった関心も湧かないし、知っておかねばならないといった必要性も感じない。


 俺としては少々納まりが悪く、処遇を決めかねる。


 非常に面倒だ。


『ぺぽ~ん』


 ボールペンを睨んでいるとそんな間抜けな音が鳴る。


 音源はテーブル上のスマホだ。


 気のせいだと無視することが難しいほどの既視感が沸々と。


 それを抑え込みながら作業を続けようとすると、画面が暗転する前に更なる通知が連続で叩き込まれてくる。


『ぺぽぺぽぺぺぽぺぽ~ん』


 俺はコメカミに引き攣りを感じながらも観念することにしてスマホを手に取った。


 画面上部にポップアップされた通知が報せる送り主は予想していたとおり『@_nanamin_o^._.^o_773nnさん』だ。


 立て続けに6回か。


 どんな長文が送られてきたのだと憂鬱な心持ちでアプリを起動する。


「……?」


 先程よりも強く眉間を歪める。


『@_nanamin_o^._.^o_773nnさん』との個人チャットルームに追加された新着のメッセージは意味のある文章などではなく、イラストで描かれた猫のスタンプが団子のように縦に並んでいた。


 その猫の顏は全て同じもので表情は怒りを表していると思われる。


 何故それがわかるかというと、猫の頭の上に『ふしゃ~!!』と文字で書かれているからだ。


 このような夜更けに唐突に人を威嚇してくるとは、何て礼儀のなってない女なんだ。

 さらに夜分に突然怒りが湧きあがってきて、それを制御できずに関係のない人間に躊躇なくぶつけてくるとは唾棄すべき人間性だ。


(――いや、待てよ)


 ふと、考える。


 脈絡のない怒りでない可能性もある。


(――まさか)


 手の中のボールペンにチラリと視線を遣る。


 まさか、このボールペンを水無瀬の肛門にぶっ刺そうとしたことがバレたのか?

 そうであるなら希咲が怒りを漲らせている必然性にも正当性にも理解が及ぶ。


 俺はまず凶器を手離そうと考え、とりあえず目に付いたテーブルの上の空き缶の飲み口にボールペンを挿した。


 水無瀬め。


 自分から内緒にしてくれなどと申し出てきておいて、すぐさま保護者にチクリを入れるとは。

 おのれ魔法少女……。


 俺が正義の魔法少女への憎しみを燻らせていると、さらに新規メッセージが下に積まれる。


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ありがと』


……どういう意味だ?


 てっきり殺害予告でもくるものだと思っていたら、感謝だと?


 これは何に対する感謝なんだ。

『水瀬のケツ穴を狙ってくれてありがとう』、そういう意味か?


 いや、それはないだろう。意味がわからなすぎる。

 ということは、『水無瀬のケツ穴を見逃してくれてありがとう』ということだろうか。


 それも違うか。

 確かにこれなら意味は通じるが、そんなことで律義に礼を言うような殊勝な女ではない。


 恐らく、罠だ。


 感謝をしたフリをして油断をさせておいて、次に会った時にでもまた唐突に襲い掛かってくるのだろう。なんて攻撃性の高い女なんだ。


 このような稚拙な罠で俺を殺れると考えているとは、ナメられたものだな。


 そちらがそのつもりならばいっそこちらから――と奇襲計画を練り始めると、またメッセージが増えていく。

 スタンプの連打とは違って、不定のリズムで僅かに間を空けながら吹き出しが積まれる。



『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ありがと』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:今日』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:いろいろ』



 なんのことだ? いろいろ?


 これはもしかして水無瀬のケツの話ではないのではないか。

 そんなひとつの可能性を思いつく。

 そして俺の疑問は次のメッセージで解消された。



『@_nanamin_o^._.^o_773nn:やくそく』


 あぁ、そういうことか。


 放課後に学園の正門前で交わした3つの約束。

 それに対する礼か。


 それにしても――



『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ありがと』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:今日』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:いろいろ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:やくそく』



 なんでいちいち単語で小分けにして送ってくるんだ。

 しかも追記しているはずなのに余計に意味がわかりづらい。

 普通に『約束を忘れるな。裏切ったら殺す』とでも言えば効率よく一回の送信で終わるものを。


 なんてめんどくせぇ女なんだ、あいつは。


 意外と律義で殊勝なようではあるが、これは俺に対する見縊りだ。


 やると決めたらやるし、やらないと決めたらやらない。

 希咲に感謝をされようがされなかろうが、そんなことは関係ないのだ。


 単純に約束を履行するよう釘を刺しているのか、しおらしい素振りをしてみせて俺のモチベーションを上げようとしているかは知らんが、どちらにせよナメやがって。


 さらにメッセージが送られてくる。


 今度は文章でも単語でもなく、最初と同じスタンプの連打だ。

 先程の文字とは違って小気味よいリズムで積み重なっていく。

 だが、積まれたのはまた威嚇顏の猫だ。


「なんだよ」


 口に出してから、俺はスマホに向かって話しかけてしまったことを強く恥じた。


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:チョーシのんな!』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ちゃんとやってよね!』



 なんでまたお前がキレんだよ。意味わかんねえよ。


 というか、気安く無駄なメッセージを送ってくるなと言ったはずだろうが。

 メッセージ1件につき指を1本折ることになっていたが…………15本か。

 片手か片足か。

 どちらか一つしか無事に残せんぞ。


 それはともかく。


 このまま放っておいたらまたわけのわからない怪文が送られてくるかもしれないので、何か適当に了承の意だけでも返信しておくべきだろう。

 なんなんだ、この屈辱感は。

 クソ女め。


 文字を入力しようと画面に親指を触れかけて、止まる。


 そういえば――


 希咲との約束で水無瀬に異常があったら教えるというものがあったな。


 魔法少女だなどと異常以外のなにものでもない。


 ここは報せておくべきだろうか。


 しかし――


 水無瀬との約束で魔法少女のことは誰にも言わないことになっている。

 これは面倒なことになったな。


 どちらかの約束を守れば、もう片方との約束に反することになる。


 顎に手で触れる。


「ふむ……」


 俺は少し考え、そしてチャットアプリを閉じた。


 別に水無瀬の方に肩入れをしたわけではない。


 希咲とした約束は厳密には『希咲から水無瀬の様子を聞かれたら答える』というものだ。

 聞かれもしていないのに、気付いたことを逐一報告するなどという約束はしていない。


 よって、これでどちらの少女との約束もまだ破っていない、そういうことになる。


 上手い解決法を見いだせたことに俺が一定の満足感を得ていると、例の間抜けな音とともに再度スマホの画面に光が灯る。


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:おい!』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ムシすんな!』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:既読ついてんぞ ばか』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:あんたみたいなヤツがこんな早い時間に寝るわけないでしょ』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ちゃんとわかってんだから』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:へんじしろ ばか』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ばかばかばかばかばかばか』


 俺は画面から目を離し、一度だけ深く息を吐き出す。

 それから指を動かす。


『うるせーぞ。ななみん』


 それを送信すると間髪入れず奴のアカウント名の下に『入力中・・・』の表示が出る。


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:それやめてって言ったでしょ!』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:おなじこと何回もいわすな』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:てか、やっぱ見てんじゃねーか』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:さっさと返事しろ』


 怒涛の返信が積み重なってくる。


『夕方にその話をしたばかりだろうが。何故同じ話を繰り返すんだ。無駄なことをさせるなくそ女』


 負けじと俺も応戦のメッセージを送信する。


 何故あの女が怒っているのかわからないし、なんなら何故俺も苛立っているのかもわからなかったが、とりあえず相手を自分よりも嫌な気持ちにさせてやろうと次弾の装填を開始する。


 しかし――


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:は?』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:なにそれ』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:うざ』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:わりとゴーインにお願いしちゃったから』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ちょっとだけ悪かったなーって思って』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:だから気つかってありがとーしたんじゃん』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:むかつく』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:なまいき』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ばか』


 猛烈な反撃を受ける。そこには圧倒的な火力の差があった。


 このままでは一気に押し切られると俺は危機感を抱き、戦況の打開を図るが、


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:うざい』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:きもい』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ばかじゃん』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:しね』


 こちらが一手返す間に4手5手と打たれる。


 これがプロのJKの実力だとでもいうのか。


 そういえば廻夜部長が、ことスマホの操作技術に関してはJKの力は侮れないといった風なことを言っていたな。

 これがIT技術というやつか。


 さらに、これからはIT技術で遅れる国は生き残れないとも部長は言っていた。


 俺はここでようやく自分の失策を悟った。


 彼我の実力差も鑑みずに怒りのままに戦いを仕掛けるなど、このようなミスをしたのは何年ぶりだろうか。


 しかし、一度口火を切った以上退く道はない。


 画面左側の奴の陣営には高く『@_nanamin_o^._.^o_773nnさん』の発言の山が聳え立つ。

 右側の俺の発言はとっくにどこかへ追いやられてしまっている。


 バックライトが照らしだす戦場の中に生還への道筋を見出そうとしていると、ムカつく顔をした猫のスタンプが連打される。


 視線を逸らすことを許さない圧倒的な兵力に俺は歯ぎしりをした。
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