俺は普通の高校生なので、

雨ノ千雨

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1章 魔法少女とは出逢わない

1章03 Good Morning ①

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 2年B組の教室前に到着する。


 HRが開始する午前8時40分まではあと10分弱ある。思っていたよりも余裕をもって準備が出来そうだ。


 教室の前方側の引き戸に手を伸ばす。手が戸に触れる前に教室内から誰の者とも言えない一際大きな笑い声が聴こえてきた。

 昨日の朝よりも教室に到着した時間は僅かに早い。HR開始までの時間により猶予があるせいで生徒たちの談笑もより盛況なのだろう。

 喧しいだけで意味のないガキどもの喋り声など四分五裂に引き裂いてやりたくなるが法律上そうもいかない。
 より精神が成熟していて良識のある自分が耐えるしかないと弥堂は軽く息を吐いた。


 引き戸に手をかけ一気に開放する。


 いつも通り右から左へスッと視線を流し、異変がないかを確認する。

 弥堂がその作業を終える頃には教室内の生徒達も新たに教室に現れた者の正体に気付き、昨日同様、例によってフェードアウトするように教室中の話し声が萎んでいく。

 弥堂も例によってそれを特に気にせずに室内へ足を踏み入れた。


 引き戸を閉めて進行方向に顔を向けると、特に意識せずとも教室の出入り口近くに陣取った集団が目に入る。

 なにも教室を出入りする生徒の邪魔をする為に彼らはそこに屯っているわけではない。その集団の中心人物が出入口に最も近い座席を振り分けられている為に、また彼の周囲に集まる者たちが多い為に、必然的にこうなってしまっている。


 弥堂もそれが解っているため特に咎めるつもりもなく、スッと僅かに右に避けてその集団の脇を通行しようとする。

 その際に集団の中心人物である数名、彼らの顏を横目で順に見遣る。



 紅月ハーレム。


 自称ではなくあくまで他称だ。

 学生の集まりとしては極めて不健全かつ不適切なコミュニティの名称ではあるが、他にもっとわかりやすい表現の仕方を誰も思いつかなかったのだろう、教師たちですらその記号で認知している。


 まず目に付くのが教室の出入り口に最も近い座席に座る男子生徒――すなわちハーレムとやらの主である紅月 聖人あかつき まさと

 以前に彼の家系を調べたところ外国の血は入っていないはずだが、栗色に近い自然な明るい髪色で髪質も柔らかく、全体的に清潔感を感じさせる風貌をしている。

 同性の弥堂から見ても整った容姿をしていると評価が出来る。もしも彼の人間性が下劣なものであったのなら、将来的に膨らんだ腹を支えながら仕事を探して途方に暮れる女が一定数出るだろうなと思わせるような色男だ。

 幸いにも彼は品行方正で成績もよく人当たりもよく、欠点らしい欠点の見つからない人物のように今のところは思える。強いてそれをあげるのならば品行方正が過ぎる、そんなところだろうか。



 次に目を遣るのはその紅月 聖人の隣の座席の主で、現在は机を移動させてぴったりと彼の横にくっつくようにして座っている金髪の女――紅月 マリア=リィーゼ。

 日本国内にある日本人の通う学園内では、日本人らしくないという点で目立った風貌のように映るがそれも無理はない。彼女は外国からの留学生だ。そういう扱いになっている。

 紅月の姓を名乗ってはいるものの、聖人と血縁関係があるわけでもなく赤の他人だ。日本で生活する上で便宜上紅月の姓を名乗っているらしく、本当の名は別にある。

 名を明かすことの出来ない何処かの小国の王族であるというのが周知の事実なのだが、本人は本名を大して隠す気がないらしく何度かそれを名乗ったことがあるものの、一般的な日本の平民としては物語の中でしか聞いたことのないような長ったらしい名前のため、大半の者が記憶していない。

 本人は押し掛け女房気どりで普段は紅月を名乗っているが、以前に弥堂が勝手に調査をしたところ、自称ではなくどうやら本当に紅月の姓で日本国籍を持っているようだ。だが結婚をしているというわけでもない。そして彼女本来の母国の国籍に関する情報は調べても出てこなかった。明らかに不自然だ。

 輝くような金色の髪に翠玉色の瞳。一般的に日本人がヨーロッパ系の貴族に対して持つステレオタイプなイメージや、弥堂の自分で見聞きした実体験の記憶に照らしあわせてみても、如何にもお貴族様といった容姿をしている。

 さらには信じ難いことに「~ですわ」などと、現実ではちょっと聞いたことのないお嬢様口調を駆使して流暢に日本語を操るのだ。一体彼女の脳内では母国語と日本語との変換をどのように処理しているのかが多少気に掛かる。

 高校生のガキどもを相手に何かと自分は王族であるとアピールをしている恥知らずな女ではあるが、今の紅月にしな垂れかかるようにしている姿は場末の酒場で客を個室に誘う売女のようにしか見えない。



 その次に目に入ったのは、そのお姫様の背後の座席に座る女――天津 真刀錵あまつ まどか

 青みがかったような黒色の髪。その髪をポニーテールにして結っていて、他は基本的には一般的な日本人によく見られる特徴の容姿だ。
 ただ、涼やかな印象のその顔は整ってはいるものの眼光は鋭く、彼女の放つ雰囲気は一般的な女子高生のそれとはかけ離れている剣呑なものを周囲に感じさせる。

 その為、周囲からは若干怖がられているところがあり、彼女単独では他の生徒から声をかけられることは少ない。
 そういった点では弥堂と似た境遇と謂えなくもないが、一つ決定的に異なる点は、彼女は弥堂と違って別に嫌われているわけではないということだ。

 黙って座っていれば、物静かな和風美人といった印象なのだが、大方校則どおりに着用している制服の一点、靴下だけがやたらと長いルーズソックスをチョイスしているためにその点が違和感を発している。簡単に言うと似合っていない。

 天津自身は特に集団の会話に参加するわけでもなく、紅月 聖人の近くに控えるようにただそこに居る。鞘に納められ解き放たれるのを待つ日本刀のような鋭い印象が、彼女の美貌を損なっているとも謂えるし、逆により洗練させているとも謂える。どちらと評価するかは彼女を目に映した者の受け取り方次第だろう。

 家が古くからの古武術の道場をしているらしいが、それ以外に彼女に関する目立った情報は出てこなかった。



 四番目に視線を移したのが、天津の右隣に立ちながら前方に座る紅月 聖人の肩に手を乗せるこれまた黒髪の少女。聖人の実の妹であり、この中では唯一この2年B組に所属する生徒ではない――紅月 望莱あかつき みらいだ。

 天津 真刀錵よりも艶めいた濡れ羽色の髪。ツーサイドアップに括った両サイドの髪がふんわりとした印象を与え、全体的に高級感を感じさせる生粋の和製お嬢様といった風体だ。

 優れた腕を持つ職人に造らせた極上の日本人形のように整った容姿で、それでも天津と違って怜悧な印象を持たせないのは、綺麗に切り揃えられた前髪の下の大きな目を覆う皮を柔らかな曲線の形状に保っているからだろう。

 今年入学した新一年生で、彼女個人に関する細かな情報はまだ調べられていないが、今のような朝のHR開始前の時間や休み時間などに自らのクラスそっちのけでこうして兄のもとにやって来てはべったりとしている下級生だ。

 ほぼ規定通りに着用しているように見えて、僅かに短くしているスカート下から伸びる両足は黒い艶めいたストッキングに包まれている。

 彼女自身と直接会話をしたことはないが、今のような時間に漏れ聴こえてくる話し声から判断をすると、礼儀正しく丁寧な言葉を使う大人しい少女のように思える。

 ただ一点粗を見つけ出すのなら、戸籍上間違いなく聖人とは血がつながっているはずなのに、その実の兄を愛していると公言して憚らないところだ。

 弥堂の知る近親相姦者は、基本的には忍ぶものであり声を大にして表明することではないと言っていた。ここの社会でも基本的にはタブーとされているはずなので、それを対外的にアピールするのは社会に反旗を翻しているつもりなのか、それとも何も考えていないのか。どちらにせよ、おおっぴらに発言することにメリットは何もないはずなので、大人しそうな見た目によらず頭がおかしいのかもしれない。



 以上の面子で構成される紅月ハーレムのメンバーを順繰りに見遣りながら彼らの前を通る。

 他にも賑やかしのように周りを取り巻く者たちがいるが、こいつらは特に視る価値のない女どもだ。


 擦れ違い様――


 こちらの顔を見て何やら言いたいことでもあるのか、隣のマリア=リィーゼの顔色を伺いつつ、だが結局気まずそうに口を噤んだ紅月 聖人。

 その隣で紅月の制服の袖を握りながら、敵意を込めて睨みつけてくるマリア=リィーゼ。

 一瞥だけをして特に一切の関心を示さない天津 真刀錵。

 何か珍しい生き物でも発見したかのように目を丸くした紅月 望莱。


 視線でその四つの顏をなぞり、そしてその後に一点で止まる。


 その視線の先に居るのは、紅月妹が立っている側とは反対側の天津の隣に立つ希咲 七海きさき ななみだ。


 何故か自然と除外して考えていたが、そういえばこいつもハーレムの構成員の一人だったなと不機嫌そうな彼女の顏を視る。

 本人は自分は違うと主張していたが、世間では『大奥』『むしろ正妻』といった噂が実しやかに囁かれているらしい。
 自分にとってはどうでもいいことだと、弥堂はふと浮かんだそれらの噂を脳内から切り捨てる。


 一瞬――弥堂と視線を合わせた希咲は何かしらの意図をその瞳にこめる。


――わかってんでしょうね?

――わかっているさ


 お互いのその心中の声がお互いに聴こえたはずはないが、すぐに希咲はプイっと顏ごと視線を彼の方から逸らした。

 弥堂も彼女の大きく揺れ動いたピンクゴールドが煌めくサイドテールを目で追って、次にその髪を括る白い生地に黒の水玉模様の入ったシュシュを見て、それから彼女の方を見るのは止め進行方向を向く。


 彼女とは昨日の放課後に、偶然成り行きの上で数時間ほど時間を共にすることになり、その際にある取り引きを交わしていた。


『4/16の放課後に希咲 七海に関連した全ての出来事を生涯誰にも伝えない』


 それが彼女とした取り引き内容であり、弥堂が果たすべきことだ。


 代わりに彼女には、金と性欲を持て余した間抜けどもから大金を巻き上げるために釣り役をやってもらうことになっている。

 その内容を彼女には一切伝えてはおらず、何ら了承を得てはいないが、今度自分の仕事を手伝うという言質は録った。物的証拠がある以上は何があっても履行してもらう。


 そう心中で決定事項を確認し弥堂は自席へと歩いていく。




 自分たちを不躾に一瞥だけしてそのまま淀みのない歩調で通り過ぎていった長身の男の背を、興味深げに紅月 望莱あかつき みらいは見ていた。

 すると傍らの天津から声をかけられる。


「どうした、みらい? 何か気になるのか?」

「んー?」


 その言葉にコテンと首を傾げる。


 イケメン野郎の後ろの席に配置されたせいで、意図せずとも美少女たちが頻繁に周囲に訪れるという加護を得た出席番号3番の小野寺君が、彼女のその仕草を見上げハフハフとした。


 そんな背後の変態には全く気付いていないといった風に、望莱は天津へ言葉を返す。


「ねぇ真刀錵ちゃん。あのひとが噂の狂犬さんですよね?」

「む? まぁ、そうだな。そのように呼ばれているようだ」

「へぇー。ということはお強いんですよね? 我がハーレムの狂犬担当の真刀錵ちゃんとしては襲い掛かったりしないんですか?」

「む? そうだな……」


 さらっとにこやかな表情で狂犬呼ばわりされた天津だが、特に気分を害する様子もなく少し思案する。


「……なにか奴に興味を持ったようだから釘を刺しておくが。関わらん方がいいぞ」

「あら」


 警告をするような天津の言葉に望莱は意外そうに目を丸くする。


「真刀錵ちゃんにしては慎重なお言葉ですね。珍しいこともあるものです」

「お前は私を何だと思っているのだ」


 望莱から帰ってきた言葉に今度は不快感を顕にし眉を寄せる。


「だってだって、真刀錵ちゃんは戦闘狂キャラじゃないですかぁ? いつも『オラわくわくしてきたぞ』とか言っては、人々に襲い掛かってるじゃないですか」

「そんなことをしたことは一度もない」


「えー?」とまたも首を傾げる後輩に天津は呆れたような目を向ける。


「私が戦いを挑むのは強い者だけだ」

「へー。強い者だけ、ですか」

「……何か含みがある言い方だな」

「いーえ。そんなことありませーん」


 幼馴染とはいえ自らの先輩にあたる人物に鋭い視線を向けられてもまるで物怖じせず、望莱は完璧に造られた笑顔でクスクスと清楚に笑う。


「でもでも、あのひとお強いんですよね? だったらマッチング成立じゃないんですか?」

「いかがわしい言い方をするな。だが、そうだな……」


 言葉を探しながら返答をする。


「……確かに奴にはある程度以上の実力があるだろう。だが、恐らく奴の強さは種類が違う」

「種類、ですか?」

「あぁ。実際確かめたわけではないから明確には説明できんが、後腐れなく手合わせを、なんてことは奴とは成立しないだろう。一度攻撃を仕掛けるか仕掛けられるかしたら、その後は完全に敵対することになる」

「えーと……つまり?」

「やるなら完全に潰すつもりでやるしかないということだ」


 剣呑な色を潜ませた眼光を向けられ望莱は「んー?」と唇に人差し指を当て、今度は逆サイドへ首を傾げる。

 はらりと髪が重力で垂れさがり、左目の目尻下の泣きぼくろが露わになる。


「それってぇ、確実に潰せる自信がないってことですよねぇ……?」


 黒曜石のような瞳の奥に種火のようなワインレッドが揺らめいたのを見て、天津はうんざりとしたように息を吐く。


「……潰すという意味合いの深さが違う」

「えー?」

「まず、それをするなら大義名分が必要になる。そして今私が言っている潰すとは……」

「とはとはぁ……?」

「…………」

「…………」


 二人ともに目線を合わせたまま沈黙する。


「……もしかして喋るの飽きちゃいました?」

「あぁ。もういい」

「んもぅ。真刀錵ちゃんのいけずぅ」


 少し緊張感の漂ったような二人の雰囲気だったが、すぐに張り詰めたような空気は霧散した。


「私の話はいい。で、お前はあの男の何に興味を持ったんだ? 余計なことはするなよ?」

「んー。あのひとにっていうかぁ……わたしがあれぇー?って思ったのは七海ちゃんなんですけどぉ……」

「七海だと?」


 二人同時に天津の左隣に立つ希咲へと顔を向ける。


「ねぇねぇ、七海ちゃん。七海ちゃんってばさっきあのひとと目と目で…………おやぁ?」


 まるで途轍もなく面白いものでも発見したかのように瞳を輝かせて希咲に話しかけた望莱だが、その相手である希咲の様子を見て途中で言葉を止める。


 希咲は眉根を寄せて不機嫌そうに表情を歪めながら唇を波立たせている。


「どうした、七海?」

「あれは言いたいことあるけど言い辛くて、どうしようか優柔不断してる時の顏ですねぇ」


 怪訝そうに希咲へ声をかけた天津に答えを齎したのは本人ではなく、とても楽しそうな笑顔で人差し指を立てて解説する望莱だ。


 そして希咲は自らのすぐ横でそんなやりとりをしている二人には気付かず、しばらくすると「あぁ、もぅっ!」と苛立たしげに床を一度踏み、その勢いのまま歩き出した。


 そんな彼女の剣幕に天津だけでなく、二人で談笑していた紅月やマリア=リィーゼも不思議に思い視線で希咲の背を追う。

 ただ一人、望莱だけが実に楽しげな笑顔のまま口元に手を当て、「あはぁ」と愉悦の笑みを漏らす蕩けた唇の形を隠した。


 グングンと机と机の隙間を縫って進み、希咲が踊り出たのは今まさに自席へとたどり着こうとしていた弥堂の前だ。

 彼の進行を妨げるように希咲は不機嫌そうな顔で立ち塞がった。


 疎らに戻ってきていた教室中の談笑の声がピタリと止んだ。

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