俺は普通の高校生なので、

雨ノ千雨

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序章 俺は普通の高校生なので。

序章44 falso héroe ①

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 通話を切って手に持ったスマホを投げだすように離す。

 テーブル上を滑ったそれはノートPCにぶつかって止まった。


 あれからバイトの雇い主である女から道徳だの倫理だの常識だのと、何の役にも立たぬことについてクドクドと電話で説教をされ、ようやく通話を終了するまでに1時間ほどの時間を要した。


 自身の生活に必要な貴重な収入源だからと、弥堂も最初は我慢をして聞き流してやっていた。

 しかし、30分が経過したところで焦れてきて、苛々しながら次の10分を忍び、最終的には居直って「調子にのるなよ」と逆ギレして徹底的に詰め倒したら5分もたずに相手が泣き出してしまい、それでも容赦せずに10分ほど責め続けたら、『ごめんなさい』としか発言しなくなったので面倒になり、もういいかと勝手に通話を切ったのが数秒前のことだ。


 何故このような無駄なことにこんなにも時間をとられなければならないと、重く息を吐いて椅子の背もたれに体重を預けて天井を見上げる。


 そして、ハッと嘲笑うように鼻を鳴らす。


 効率よく必要最小限で用件を済ませ通話を熟したところで、別に他にすることなど何もない。

 無駄を省く必要すらない己という無価値な存在を自嘲する。


 今日のタスクは全て終了している。


 長い一日だった。


 この地に来てから、特に高校に通い出してからのこの一年間ほどは一日一日がやけに長く感じられる。

 当然、時間の進む速度が変わるわけはないので、あくまで自分の体感上での話にすぎない。


 今日生命が脅かされることもなければ、今晩雨風を凌ぐことを考えなくてもいいし、明日飢えることへの不安もない。

 危険はなく、安全な時間がゆったりと流れ、代わりに出来事は何もない。


 究極的な意味では、やれと言われたとしても必ずやらなければならないことなど本当は何一つとしてないし、自分自身を存命させる為にしなければならないこともない。


 こうした何もしない時間にそれは何故なのだろうと考えてみると、恐らく現在の自分はどんな陣営にも、どんな団体にも所属をしていないからなのだろうと何かしらの雑な仮説は立つ。


 現在の弥堂 優輝は私立美景台学園高等学校に所属をしていて、その中で『災害対策方法並びにあまねく状況下での生存方法の研究模索及び実践する部活動』――通称サバイバル部という部活動に所属をしていて、風紀委員会にも所属をしている。
 そして学校を出れば先程電話の向こうでいい年をこいて号泣していた女が経営する探偵事務所にもアルバイトとして所属をしていると謂える。


 だが、それは高校を卒業するか中退するかすれば失くなる仮初のものに過ぎない。

 だから究極的には自分はやはりどこにも所属をしていない。


 どこにも所属をしていないから自身を脅かされないし、また死なれたり殺されたりして困る他人もいない。


 サバイバル部の上司である廻夜部長が死んだとしても困らない。

 風紀委員会の役員や他の委員達が全員死んだとしても困らない。

 仕事の雇い主である所長が死んで社が潰れたとしても困らない。


 役割を仕事を生活をくれるそれらが失われても困らないのは、それらがすべて『現在いま』を埋める為だけの仮初のものだからに他ならない。


 時間が過ぎれば、例えば大学や就職先で別のもので代替されるし、例えば明日全てが失われたとしても別の物でやはり代替が出来る。


 自分の『未来』にどうしても必要なものではないからだろう。


 では、自分の『未来』に必要なものとは一体なんだろうか。


 弥堂は缶コーヒーを口にし、安価な不味さを味わう。


 こういった思考をするといつも必ずここで頓挫する。


 どうしても自分の『未来』といったものを想像・イメージすることが出来ないからだ。


 未来には希望も展望も絶望もなく、ただ生物として当たり前のように着いて回る『いずれ死ぬ』という事実を受け入れるだけだ。


 思い描く未来がなければ、それに必要なものを見出すことが出来ないのは当然のことだ。


 多くの他人に比べて自分が欠けているのはそういった部分なのだろう。

 ほとんどの者が未来に対して何かしらの絵を描く。

 具体的かどうかはともかく大小の差は在れど、何かしら希望や展望、或いは絶望を見る。


 希望があるから夢を見て、展望があるから努力をし、絶望があるから抗うことが出来る。

 それらは絵具のようなものだ。


 産まれた時に親からキャンバスを渡され、社会からは絵筆を渡され何かを描けと強要される。だが、それらを使って色を付け絵を描くための絵具は自身の裡から見出さなければならない。

 その絵具がないのであれば、絵筆を握りしめたまま色のないキャンバスの前で立ち尽くすことしか出来ない。


 きっと、水無瀬 愛苗みなせ まなには希望があり、廻夜朝次めぐりや あさつぐには展望があり、法廷院 擁護ほうていいん まもるには絶望がある。

 だから彼らや彼女は何かしらの絵になった未来を現実のものにしようと生きられるのだろう。


 以前は自分にもそれらが在ったように思える。


 まだ中学生になったばかりの頃、漠然とした曖昧な希望があり、展望と呼べるほどのものではないにしろ打ち込めるものがあり、そして自分にはそれらを叶えられるだけの才能がないのではないかという絶望があった。


 しかし突然、不運にも絵筆を奪われてしまい、キャンバスに何も描きこめないでいる内に、幻想は斬り捨てられ希望は消え展望は変更され絶望だけが膨らんだ。

 その絶望に抗おうにも絵筆がなければ何も描けない。


 空の手を見つめ茫然とする自分に代わりに与えられたのはナイフだった。

 そして弥堂 優輝が残った絶望すらも捨て去り、その後に選んだのは自分が全ての他人にとっての絶望となることだった。

 そうして数年ほどの時間を過ごした後に、結末と呼べるようなものに辿り着くこともなくただ追いやられ、現在の地である日本の東京近郊にあるこの美景市へと流されてきた。

 今はただ、刃引きのされたナイフを握りしめ、こうして無為に天井を見上げるだけの日々を送っている。


 築年数それなりの1DKの安アパートの薄汚れた天井。


 これが自分のキャンバスだ。


 何も描かれることのないまま時間だけが過ぎ、縮んで伸びて擦り切れて。真っ白なままでもいられず、黄ばみ黒ずみ所々には点々と返り血がついている。

 それらは色ではなくただの汚れだ。


 やはりこのまま何かが描かれることはこの先もないのだろう。

 今と変わらず、これまでと変わらず、これからも変わらず。


 ここで思考が詰まる。

 いつもと同じ考えに至り、いつも通りにこの先の答えがでない。


 それもそうだろう。

 未来に何かを見出すことが出来なければ、変わるはずがない。

 理屈は所詮いつも後付けだ。先に牽強付会こじつけけようとも現象には至らない。


 だからこの先には何も待ってはいない。


 希望も展望も絶望もなければ未来は描けず、未来がなければ自分に必要なものなど何も――



――違うわ。『約束』よ。



 思考が進む。

 今までよりも一歩進んで止まる。


 薄汚れたキャンバスに記憶が浮かび上がった。



――そうね。卒業っ。卒業の時にしましょ。

――知りたかったら、『約束』。守ってみせなさいよね。


(先に、ある、いつかの、未来……)


――だから、よろしくっ。


 記憶の中に記録された、自分へ向けて小指を差し出す少女の強気な瞳に魅入られる。

 途切れ途切れに浮かぶ単語が自分をどこかへと繋いでいくような錯覚を覚えた。


 しかしすぐに馬鹿馬鹿しいとかぶりを振る。


 果たされることのない『約束』。果たす気のない『約束』。

 恐らく彼女――希咲 七海きさき ななみもそのつもりだろう。

 先にそう答えを出したはずだ。


 それに――


 結局、自分の指と彼女の指が繋がれることはなかった。


 だから――


(――契約は不成立だ。約束など、して、いない……)


 心中で誰かにそう言い、テーブルへ手を伸ばし缶コーヒーを一口飲む。


 天井はもう視ていない。





 コーヒーのアルミ缶をテーブルに置いて代わりにスマホを拾い上げる。
 リモコンアプリを操作しテレビを起動させた。


 画面に映ったのはローカル局のニュースバラエティだ。

 多様な番組を作る予算がないらしく代わりに番組の形態だけを変えて多様なニュース番組ばかりをあらゆる時間帯で放映している。

 今流れているのはそのうちのバラエティ形態のものだ。


 本当は夕方にやっている普通のニュース番組を視聴したかったのだが、無駄に色々と時間をとられこんな時間になってしまったので、これで我慢するしかない。


 今は先日美景市内の小学校で大量の縦笛を盗んで検挙された男から薬物の反応が検出されたというニュースについて茶化しているようだ。

 耳障りな芸人のバカ笑いを背景に、長い一日だったと息を吐く。


 テレビへは意識を向けず、今日の自身の出来事を振り返る。



 始業前に部活の朝練があり。


 午前の授業を受け。


 昼休みに水無瀬に弁当を押し付けられ。


 午後の授業を消化して。


 放課後に委員会の仕事を熟して。


 成り行きで希咲と一緒に帰り。


 帰宅後にバイトを熟す。



 箇条書きにすればこんなところだろう。

 出来事と呼べるほどのものもないような一日で、普通の高校生の普通の一日の範疇に収まると謂えるだろう。


 あえてどこかを特筆するのであれば、放課後に出来事が集中していたように感じる。


 水無瀬 愛苗みなせ まなに絡まれ騒ぎが起き、希咲 七海きさき ななみが絡まれていた騒ぎに介入し、法廷院 擁護ほうていいん まもる率いる『弱者の剣ナイーヴ・ナーシング』に絡んで脅しつけ騒ぎを収める。


 ハイライトとしてフォーカスするのならばそのあたりだろうが、あの程度のことなら然程珍しくもない。これも普通のことであろう。


 普通の高校生として過ごす普通の一日がやけに長く感じられる。

 もしかしたら、そう感じることも普通のことなのかもしれない。


 平穏で安全でどうでもいいことばかりが起こる。或いは、どうでもいいということは実際は何も起こっていなく、故に平穏で安全。そう言い換えることも出来るかもしれない。


 どうでもよく意味がないから、起こった出来事には結末がなく、ただ時間だけが消費され、また同じような日が繰り返される。


 それが普通のことであり、普通の高校生である自分としてはそれでいいはずだ。


 なのに何故、それに空虚さを感じるのだろう。


 希望も展望も絶望もない日々ということなら、ここに来る前もここに来た後も、その点に於いては変わらないはずだ。


 それなのに以前はなかった空虚さを今ここに来てから感じるようになったのにはどんな原因があるのだろうかと考えれば、すぐに答えに行き着く。


 以前はあって、今はないもの。


 それは『敵』だ。


 希望も展望も絶望もなくとも、敵さえいれば日々はそれなりに充実する。


 ここに来てから世の中を知る為にニュースやSNSなどをたまに見るようになり、その結果それは自分だけでなく多くの人間がそうなのだと気が付いた。


 敵を見つけ、敵を作り、敵に為る。


 何の役にも立たない、誰にも必要とされない。

 だけど、時間だけは有能な者たちと同じだけ与えられている。

 だから、その自分で使いきれない、誰にも使われない無為な時間を敵対することで埋めるのだろう。


 なにか『悪』のようなものを見つけ出し仕立て上げ、それに立ち向かっているつもりの偽物のヒーロー。

 そうして無為を誤魔化し日々を過ごす。


 だが、当然無駄なことをしているのには代わりはないので、結局どんな結末にも辿り着くことなくどこかへ追いやられ、そしていずれ死ぬのだろう。


 それはまるで弥堂 優輝という人間そのものではないかと心中で嘲る。


 ならば、ここでも同様に何かに敵対をしてみようかと考えてみても、現在どこにも属していない自分には目的がない。目的がなければ利害がぶつからず敵対をすることが出来ない。

 自身で目的を見出そうにも、それを考えると先程のように薄汚れたキャンバスに行き止まる。


 では、世間に蔓延る彼らや彼女らのように、敵対する相手を選ばずに、取って付けた正義感で自身の怒りや不満に正当性を後付けすることが出来れば、それは可能になるのだろうか。

 それも難しい。


 そもそも自分は怒りが希薄だ。

 自分自身への不満なら多少はあるが、身の内で燻る燃え尽きぬ怨嗟が焼くのは己自身だけだ。他者へは向かわない。


 だから、やはり無為なままでいるしかない。


 無為なまま。


 在るがまま、無いがまま、時が流れるままにその時を待つ。



 だが、それが普通のことだ。


 目的と呼べるものではないかもしれないが、現在自分は普通の高校生に為るということをしている。


 それなら、これでいいはずだ。


 箇条で連ねれば十行にも満たないような一日を送り、それを繰り返していく。

 一つ一つの出来事には意味もなく理由もなく、だから結末がなく決着もつかない。

 それに関して自分がどこか他者よりも劣っている部分があるのならば、その意味のない箇条で済む出来事に過剰に感動することが出来ないことだろう。

 だから時間が長く感じる。


 意味のない理由のない出来事に一々疑ったり備えたりするから徒労になる。もっと今以上に見て見ぬフリをしてしまえばいいのだ。

 それが出来ないのは性分なのか性質なのか、或いは経験から造られた人格そのもののせいなのかもしれない。


 今日のことにしてもそうだ。


 一つ一つがくだらなく意味も理由もなく起こったようなどうでもいい出来事ばかりだ。

 しかし、不可解であやふやで、曖昧なまま決着のついていない疑問もいくつか残っている。


 生命を狙われていないかという問いに反応した水無瀬 愛苗の怪しい態度。

 人間という生物の上限値すら超えているような希咲 七海の戦闘能力。

 去り際に見せた、何かこちらが知り得ないことを含ませた法廷院 擁護の態度。


 ざっと並べてもこれだけある。


 以前の自分であれば彼らや彼女らをあのまま帰らせることなど決してしなかった。どんな手段を使ってでも徹底的に情報を絞り出したはずだ。

 それをしないのは、ここに来てからの約一年、以前と同じように疑い警戒し徹底した対処をしてみても、大した事件など何も起こらなかったからだ。

 自身の持つ常識では見過ごしていいはずのないことも、ここではそれを警戒する自分の方が異物になる。そして実際に徒労に終わる。


 だが、それが普通のことなのだ。


 今日のような小競り合いならいくらでもあれど、本格的に誰かと何かと敵対をしたり、誰かに何かに自分や周囲の者が生命を狙われたり、そんなことは起きない。事件などない。


 それが普通であり、自分は普通の高校生なので、それでいいはずだ。



 何かが起きた時には取り返しがつかないので、例え徒労に終わろうともどんな小さなことすら見逃さず疑い警戒し備える。


 どうせ何も起きず徒労になるので、一々小さなことに反応をせず、仮に何かが起きたのならその時に対応した方が効率がいい。


 どちらの考え方でも正解になる可能性があり、間違いになる可能性もある。結果が出るまでは正解などはっきりしない。どちらに転ぶかは最終的には運なのだろう。

 自分で考え、自分で決めたことなど現実の事象には何の影響も及ぼせない。少なくとも弥堂 優輝という存在にはそんな権限は与えられていない。許可をされていない。


 こういった思考すらが無駄なものなので、それならばいっそ自分にとって一番ストレスがないように振舞えばいいのではないかという考えに行き着く。


 しかし、そうするとどこまで出来るのかという問題が浮かび上がる。

 完全なストレスレスを目指すと警察や国家といった存在が邪魔になってくる。

 だが、特に目的もなく国中や世界中の人間と殺し合いをするくらいなら、自分一人を殺してしまった方が効率がいい。たった一回の殺害作業で決着が着く。


 しかし、弥堂は自分自身に自殺を許していない。死には慣れているので恐れはないが、そのような安易な幕引きは許されていないと考えている。


 では、他と衝突を起こさない範囲で自分のストレスを減らす方法を考える。衡り均して兼ね合わせる。

 じゃあ、自分のストレスになっているものは何かと考えたところで思考を止める。


 ハッと、再び鼻を鳴らす。


(よくも飽きもせず繰り返すものだ)


 他人事のように嘲る。

 これ以上考えたところでどうせ答えなど出ない。


 テレビから流れてくる話し声に意識が移る。

 話題が変わったようで、今度行われるサッカーの国際親善試合のメンバーが決まった件について何やら言い合っているようだ。
 メンバーの選考基準がどうとか、予想スタメンがどうだとか、いい大人が声を荒げて罵り合っている。


 フンと、今度はつまらなそうに鼻を鳴らす。


(結局何も変わりはしない)


 思考を中断したまま耳から聴こえてくる音からも意識を離し、ただ無感情に視線だけモニターに向けておく。


 カッカッカッと――時計の秒針が刻む音が脳内に響く。正確に一秒ずつ過ぎていく。

 この部屋に時計はない。

 脳内で行っている秒数のカウントが時計の針が動く音を幻聴させる。


 そのままの姿勢で、何もせずにただ時が過ぎる音を聴く。
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