俺は普通の高校生なので、

雨ノ千雨

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序章 俺は普通の高校生なので。

序章37 夕魔暮れに滅ぶいくつかの幻想 ②

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「で?」

「うん……」


 そう返事をするが希咲から続く言葉は出てこない。


 弥堂には今彼女がどんな顔をしているかはわからないし、彼女の謂う『お願い』とやらがどんな内容のものなのかもわからない。

 だが、こうやって『お願い』を持ち掛けられることは半ば予想していた。


 少し前の、涙を流し謝罪をしてきた彼女。


 弥堂の螺子くれた人間関係の経験上、女がああやって脈絡もなくしおらしい態度をとってくる時は大抵の場合、こうして最終的に本命の要求を通しにくる為であると知っていたからだ。


 確証は持てないが弥堂の予想では十中八九、金が目的であろうと見当をつけていた。


「あのね……誰にも言わないで……」


 どうやら十の内の一を今回は引いたようだ。そういうこともあると弥堂は思考を修正する。


 弥堂はうんざりとし溜め息を吐く。


 予測を外したことに不機嫌になったわけではない。彼は予想や期待を外すことには慣れている。


「なんでため息つくのよ……」

「いや。色々と無駄にしたなと思っただけさ。気にするな」

「なにそれ」

「そんなことはいい。で? 要求はなんだ?」


 性急に話を進める。


「えっとね……今日のこと……とか」

「あぁ。なるほど。いいだろう」


 曖昧に過ぎる希咲の言葉に意外にも弥堂は納得をみせる。今日ここまで徹底的に察しの悪さを見せてきた彼なので、了承された希咲の方が戸惑うほどだ。


「んーと……わかってくれたの?」

「あぁ、問題ない。ちょうど少し前に部の研修で履修済みだ」


 対人スキルの向上の為にと、弥堂が所属する部活動の部長である廻夜朝次めぐりや あさつぐに命じられ、彼から渡されたゲームで学んだばかりのシチュエーションと本件がピタリと合致した。


「な、なんか一気に不安になったんだけど、あんたの部って……えっと、『おぱんつ部』だっけ?」

「引っ叩かれたいのか貴様。『サバイバル部』だ。正式には『災害対策方法並びにあまねく状況下での生存方法の研究模索及び実践する部活動』という」

「は? え? さいがい…………えぇと、なんて?」

「覚えなくていい。『サバイバル部』とだけ覚えておけ」


 聞き返してくる希咲に略称だけ覚えるように告げる。なにせ部長であり名付け親でもある廻夜部長ですら覚えていないのだ。


「まぁいっか。んと、とりあえず不安だからあたしの『おねがい』がなんだと思ってるのかいってみ?」

「うむ。要するにこれから一緒に帰ることを秘密にしておけばいいのだろう?」

「んん?」

「一緒に帰ったのがみんなにバレたら恥ずかしいのだろう?」

「全然ちがうしっ! いや絶妙に間違ってもないから否定しづらいけど! とにかくまったく別のことよっ!」

「そうなのか? ふむ。お前のように顔がよくて人気もあるという設定の女はそういうものだと学んだのだがな」

「設定ってゆーな。いったいなんの研修してるわけ? あんたの部活マジでヘン」


 わりと切実に深刻さを滲ませて切り出した希咲だったが、的外れにもほどがある弥堂の珍解答に脱力する。

 別にシリアスな心持ちに浸っていたいわけでは決してないが、何かを台無しにされた気分で何故だか無性に苛立ちを感じた。


 そんな複雑な心境に「もぅ……っ」と不服の声を希咲が漏らす裏側で、弥堂は『顏がいい』『人気がある』と評した部分を彼女が否定しなかったことに目を細める。

 希咲としてはツッコミどころが多すぎてメモリオーバーして拾いきれなかっただけなのだが、弥堂は彼女を『自分の美しさを自覚している女』であると認定し、脳内で希咲 七海に対する脅威度を2段階上昇させた。


「はぁ……あのね? 今日のことってのは文化講堂でのことよ」

「……あぁ」

「生返事。これだけじゃわかんないか……」


 コミュニケーションが成立した手応えのない弥堂のリアクションに、希咲は諦めたように話し出す。


「えっとね、これから一緒に帰ることもそうなんだけど。あたしのパンツ見たこととか……あたしが泣いたこととか……絶対誰にも言わないで……。特に愛苗には……」

「…………」

「……あとっ…………あたしが……その、あいつらに、自分から……スカート…………」


 言葉尻が萎んでいき最後まで明確には語られない。

 言葉を曖昧に濁されるのを嫌う弥堂がそれを咎めなかったのは、彼女の声音にまた泣き出してしまいそうな調子が見られたからだ。


「ねぇ……だめ? おねがいだから……」


 無言のままの弥堂に不安を煽られたのか、希咲から再度請われる。


 弥堂はそれに対しわざと大袈裟に肩を落として盛大に溜息を吐いてやった。


「なっ、なによぅ……」


 その態度に希咲から涙声が漏れる。


「バカめ」

「な――っ⁉」


 背中に置かれる彼女の手に力を感じなくなったので弥堂は言いながら強引に振り返った。


「お前は一体何を聞いていたんだ」

「こ、こっちむいちゃダメって――」


 呆れたような弥堂の言葉に希咲から非難の声があがるが弥堂は取り合わない。


「――おい、希咲 七海。取り引きだ」

「え?」


 弥堂の背中に当てていた彼女の手は、彼が振り返ったことで今は彼の胸元に置かれている。希咲はそれには気が回らず、弥堂はつまらなさそうに彼女の手を一瞥すると捨て置いて続ける。


「同じ話を繰り返すのは嫌いなんだ。だから取引だ。俺はお前の望みを一つ叶える。だからお前も俺の要求を一つ呑め」

「とり、ひき……?」

「俺は今日の放課後にお前に関連した全ての出来事を生涯誰にも伝えない。じゃあ、お前は代わりに何をしてくれる?」

「――あっ。メリット!」


 そこで希咲もようやく先程弥堂に指摘されたことを自分が繰り返そうとしていたことに思い至る。


「そうだ、メリットだ。初回サービスだ。今回は俺の方からお前に俺のメリットを提案してやる。二回目はないぞ?」

「……うん」

「……そうだな。今度。近いうちに俺の仕事を手伝え。それでチャラだ」

「仕事……って、風紀委員の……?」

「まぁ、おおむねそんな感じだ」

「……うんっ! わかった……っ!」


 矢継ぎ早に状況を進めて纏めていく弥堂の提案に希咲はその表情を輝かせた。


「たったこれだけの話だ。簡単だろう?」

「ふふっ……そうね。カンタンねっ」


 無表情のままわずかに口の端を持ち上げてそう嘯いてみせる弥堂に、彼女は灼然たる笑顔を返す。


 しかし、落ち込んで泣きそうになっているところに急な話の転換で気持ちを揺さぶられ、ピンとくる容易な理解へ誘導されて安心を与えられたが、彼からの要求内容には一切の具体的かつ詳細な説明がなかったことに、やっぱり今日一番の不憫な子である七海ちゃんは気が付いていなかった。

 そのため、後日にまた不憫な目にあわされることになるのであった。


 ここで彼女はようやく彼の胸元に置いたままの自分の手に気が付く。


 普段ならそのまま恥ずかしがって離してしまうところだが、ここまでずっと噛み合わせの悪さを感じていた彼と何かしら意思や意図が通じあったような気がして、それによりシンパシーのようなものを感じてしまい、プロフェッショナルなJKである希咲さんはテンションが上がってしまっていた。


 彼の上着をギュッと両手で強く握り、グリンっと勢いよく彼の身体ごと回して180度向きを変えさせる。


「――っ。おい、なにすんだ」

「こっちむいちゃダメって言ったじゃーん! どーーんっ!」


 非難の声をあげる彼を無視して、声をあげてからその背中を強く押す。

 二、三歩前にたたらを踏む彼を軽快に追いかけてすぐにまたその背中を両手で抑える。


 今度は笑顔を見られないように。


「よしゃっ! 帰るぞぉーーっ!」

「お、おい――」


 弥堂がまた文句を言い出す前に、希咲は彼の背中を押して走り出した。


「お前、なにして――」

「――いいからっ! ほらっ、じゃーーんっぷっ!」


 昇降口棟を出るとすぐに正門へ繋がる並木道へと降りるための数段ほどの階段がある。


 希咲に押されるままそこに辿り着いてしまった弥堂は、彼女の声に促されてしまい反射的に地を蹴った。


 実際には一秒にも満たないだろう。しかし地に降りるまでのその滞空時間がやけに長く体感できた。


 学園の建物から飛び出し跳び上がって『世界』に跳びこむ。


 ゆっくりと広がり、ゆっくりと落ちる。

 眼に映った世界。


 一緒に飛び出し、跳び上がったのだろう希咲の手が両肩に置かれている。


 弥堂の眼にしたその『世界』は耳元で響く彼女の笑い声だけで満ちていた。



 時速にして約3kmほどの飛行のような落下の後に、二人共に無事に着地をすると希咲はパッと身体を離した。


 弥堂は何故か彼女へ文句を言わなければならないという義務感に駆られ、その姿を視界に収めようと身体を回す。


 しかし――


「おい。お前――」

「――あっ!」


 しかし、すぐに何か別の気に掛かる物を見つけたのか、気まぐれな猫のように、希咲は振り返り昇降口棟の入り口へと引き返していく。


 子供染みた行動に呆気にとられた弥堂は彼女の揺らすサイドテールをぽかんと目で追い、それから無意識に後を追って歩き出した。



「ねぇっ! これっ――」

「――お前、危ないだろうが」


 自分が追い付いてきたことを気配で察したのか、ちょうどタイミングよく振り向きながら嬉し気に何かを指差す彼女の言葉を無視して、先ほどの危険行為に対する注意をする。

 こうして追ってきたのはその為だと己に言い訳をしたのかもしれない。


「ん? 別にあんたならあれくらいヨユーでしょ?」

「……そういう問題ではない」

「そんなことよりさ。ほらっ」


 どこ吹く風な様子であくまで自身の興味の対象をアピールしてくる希咲に、弥堂もそれ以上は追及しなかった。


 彼女の指し示す物に目を向ける。


「自販機だな」

「自販機よっ」


 それがどうしたと怪訝な眼を向ける弥堂に、希咲は「んっ」と自販機を差した指をフリフリして強調する。


「なんだ?」

「あとでジュース買ってくれるってゆった!」

「…………」

「ゆった!」


 力の抜けるようなことを言い出した彼女に対して言い表わしがたい心境になり言葉を失う。すると、彼女は繰り返し約束したことをアピールしてきた。


 弥堂は溜息を吐きズボンの後ろポケットから小銭入れを取り出す。


「あ、小銭入れは持ってんだ」


 目敏くそれを指摘してくる彼女を無視して弥堂は小銭入れの中から十円玉のみをピックアップしていく。しかし目的の枚数に満たなかったのか、今度はズボンの両サイドのポケットに手を突っ込む。中を弄る動きに合わせてジャラジャラと小銭が擦れあう音が鳴り、それを聞き咎めた希咲が胡乱な瞳になる。


「なんで小銭入れ持ってんのにポッケにもいっぱい詰めてんのよ」

「別にいいだろ。不意に逃走をする際に投げつけたり、不意に先制で殴る時に握り込んだり等、色々と使い道がある」

「だから世界観っ! 他人の不意をつくことを念頭に生活しないでっ!」

「うるせぇな。戦闘を前提としていないのならば、何故あれだけの戦闘能力を持っている? お前の方が異常だろう」

「うっさいわねっ。乙女の嗜みよ!」


 決して多くはないが、弥堂の持つ知識の中では乙女というものは決してそのようなものではないはずだったが、面倒なのでそれ以上は言い返さなかった。


 代わりに彼女へ左手を差し出す。


「おい、手を出せ。両手だ。ちゃんと受け取れよ」

「え? なに?」


 戸惑いながらも希咲は弥堂の手から零れてくる物を両手を合わせて上手に受け止める。
 そして自分の掌にジャラジャラと流れてくる大量の十円玉をジト目で見遣った。


「あんた絶対イヤがらせで十円玉だけ集めたでしょ?」

「そんなことはない」

「なんでこんなくだんないことすんの?」

「うるさい。目的の物が買えれば何でも同じだろうが」


 口の減らない男の言い訳を無視して希咲は「んーー?」と宙に視線を流すと――


「――手ぇだして」

「あ?」

「両手ね。はいっ」


 今しがた渡されたばかりの小銭のちょっとした山をジャラジャラと弥堂の手に返す。


「なんだ? いらんのか?」

「あんたが買って」

「は?」


 彼女からの要請が理解し難く眉を顰める。


「は? じゃないでしょ。あたしジュースもらうって約束したの。ジュース買うお金ちょうだいなんて言ってないわ」

「……どっちでも、一緒だろうが……」

「一緒じゃない。大事なことなのっ。ほらほら――小銭投入よーーいっ!」


 問答無用とばかりに弥堂の尻を叩いて自販機前への移動を急かしてくる希咲に弥堂は抵抗を諦めた。

 せめてもの反撃に舌打ちをしてみたが彼女には無視をされる。


 小銭を全て片手に収めなおし空いた方の手で手早く十円玉を連続で投入口に入れていく。


「わ。あんた手おっきぃのね。やっぱ背ぇ高いから? あたし半分くらいしか片手でもてない。なんかむかつくー」

「知るか」


 コインを投げ入れるこちらの手元を脇から覗き、そう茶々を入れてくる彼女を冷たくあしらう。希咲はそんな弥堂の言動はもはや気にもならない。


「おら。意地汚く貧しい卑しくて惨めなお前に飲料を恵んでやろう。とっとと好きなボタンに指を伸ばせ。浅ましい乞食のようにな」

「いっちいちそういうこと言わないと死んじゃうわけ? 無口キャラどした?」

「うるさい黙れ」

「はいはい」


 どうにかマウントをとろうと罵倒してくる弥堂を軽くあしらい、希咲は人差し指を唇にあてながら、商品ウィンドウを「んーー?」と流し見た。そうは時間をかけずに「これっ」とその指でボタンを押す。


 ガシャコンと指定の商品が受け取り口に落ちてきた気配を横にしながら、希咲はジッと弥堂の顏を見上げる。


「? なんだ? とらないのか?」

「とって」

「あ?」

「あんたが取って、あたしに渡して」

「……め、めんどくせぇな…………マジでなんなんだお前……」


 次から次へとよくわからない要求をしてくるクラスメイトの女子に弥堂は戦慄をした。


 やはり一度でもメンヘラの要求を受け入れることは、その後も際限なく求められ続けることになる地獄への片道切符なのだと再認識する。


 甘さなどみせるべきではなかった、もっと徹底するべきだったと心中で自省をしている間に、どうも無意識に彼女に云われるがまま受け取り口から取り出していたらしいパックジュースが己の手の内にあることに気が付いた。

 弥堂は自らへの憤りを舌打ちで表現した。


「…………おらよ」

「ん。ありがと」


 不機嫌そうに左手に持ったジュースを手渡す弥堂から、希咲は目を細めて右手でそれを受け取った。
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