俺は普通の高校生なので、

雨ノ千雨

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序章 俺は普通の高校生なので。

序章36 この瞳に映せないもの ③

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 弥堂はシューズロッカーに抑えつけるようにして捕まえた腕の中の少女の顔を、冷酷な眼差しで見下ろす。


「他人に訊いてもわからない時にどうするか。簡単だ。自分の目で確かめろ」

「え――?」


 彼に言われたことの意味がわからず、混乱の最中でも考えを巡らせようとするも希咲にはそれすらも許されない。

 次いで認知した感触に思考が飛ばされる。


 今度は内ももだ。


 ちょうどスカートの裾が肌と布地との境界線となっている高さあたりで、腿の内側に感じたのは他人の皮膚と骨と体温だ。


「――――っ⁉」


 息を呑むようにして慌てて下に向けた目線の先に写ったのは、自身のスカートの裾をちょうど股間の下あたりで掴んだ弥堂の手だった。


「――えっ? えっ? やっ――――っ!」


 反射的に彼の手を両手で上から抑えつけ、こちらに登ってこないように押し返そうとするが、力の強さの差を理解させられただけだった。


「あの時お前のスカートがどうなっていたか今ここで再現してやる。それを見てあとは自分で判断をしろ」

「再現って――ちょっと待って! やだやだっ。ね? やめよ……? ホントにムリだから……っ!」

「安心しろ。俺の記録は間違わない。ミリ単位で合わせてやる」

「うそやだ――待って! やめてっ!」


 スカートを握る彼の手に僅かに力がこめられたのが何故か感じとれ、希咲は慌てて弥堂の行動を止めようとする。


 しかし、精いっぱいに力をこめて抑えつけようとしたが、逆にそれ以上の力で以て押し返されたのがわかった。


 恐怖と焦燥から希咲はギュッと目を瞑る。


「これであの時と同じだ。さっさと目視しろ」

「うそうそうそうそうそ――っ! なんで……っ⁉」

「なんで? お前がいつまでもグズグズと言ってるからだろうが」

「やだやだ、やめてってば!」

「いいからさっさと目を開けろ。手間をかけさせるな」

「むりっ……むりだから……っ!」

「無理なことがあるか。見るだけだろうが」

「むりぃ……むりぃ……っ。見れないぃっ」

「うるさい。つべこべ言うな。オラ、下向け。今どうなってるか自分で見てみろ」


 駄々をこねるようにグズっていた希咲だったが、弥堂に強めに言われるとビクっと肩を揺らし、おずおずと目を開けてから恐る恐る視線を下に向ける。


 グスグスと鼻を鳴らしながら問題となっている局部を確認すると、弥堂の顏を見上げて滂沱のごとくダーっと涙を流す。その様子が弥堂にはどこかコミカルな風に見えた。


「み、みえてなかったぁ」

「そうか。よかったな」


 弥堂は然して興味もなさそうに短く返すと彼女への拘束を解いてやった。


「なんかもうあたし感情メチャクチャで、なにに対しての安心かわかんないんだけど! あんたマジでなんなのっ」

「なんでもねーよ」


 用は済んだとばかりに弥堂は靴を履き替えるべく自身に割り当てられたシューズロッカーの扉に手を伸ばす。


「ちょっと! とんでもないセクハラかましといて勝手に終わった感出すなっ!」

「おい、そこに立つな。危険だ、離れていろ」


 取り縋ってくる希咲の立つ位置がちょうどロッカーを開いた際に内部に直面する位置だったので弥堂は避難を命じた。

 形上、言葉で警告はしたが弥堂は相手の了承を待たず、希咲の肩を掴んで強引に位置を変えさせる。
 不躾で乱暴な態度に腹を立てた希咲はせめてもの仕返しにと、彼の手に爪を立ててやった。


「なにが危険だってのよ。あんたまたそうやって誤魔化そうと――」


 慎重な動作で自分の靴箱を開ける弥堂に懐疑的な視線を向けながら、そうぶつぶつと文句を溢していると、開いた扉の中からドサドサっと何かが零れ落ちてきて希咲は驚いて言葉を止めた。


 ロッカーからまろび出て床に拡がったのはいくつかの紙切れなどの雑多な物だった。


「わ。びっくりした。なにこれ……?」


 弥堂は彼女からの問いには応えず、まるで検分でもするかのようにジーっと床に拡がる物品の数々へと視線を向ける。


「また無視するし。てかさ、あんた子供じゃないんだから靴箱にこんなに物詰めるんじゃないわよ。神経質っぽいのにだらしないのね」

「……俺が詰めたわけではない」

「はぁ? あんたの靴箱でしょ? 他に誰が――って、あれ? これ手紙?」


 またお得意の責任転嫁かと胡乱な瞳になりながら弥堂に言い募ろうとした希咲だったが、言葉の途中で床に落ちた紙束やゴミのような物の中に、封筒のような物がいくつか紛れているのに気が付く。


「えっ、マジ? これもしかしてラブレターとか? あんたに? 嘘でしょ?」

「さぁな。中身を見ていないからなんともな」

「なにその余裕の態度。なまいきっ……もしかして、あんたって意外とモテるの? うそよね? ありえないんだけど」

「どうだろうな。意外と熱心なファンがいるのかもしれんぞ」

「なにそれ。なんかムカつく」


 まるで他人事のように意地悪く嘯いた弥堂を訝しむ希咲だったが、彼女も彼女でなかなかに失礼なことを言っている。


「あ、でも、それならさ。これちゃんと拾わなきゃ。床に放ってちゃダメじゃない」


 そう提案するが、弥堂は尚も床に落ちた物からは目を離さないまま、それには応えなかった。


 希咲はそんな彼に対して「むーっ」と眉根を寄せてみせてから、諦めたかのように大袈裟に溜め息を吐く。


「もーーっ、しょうがないわね。手伝ったげるから手早く拾っちゃいましょ」


 そう言って身体の向きを変え、弥堂の前に背中を向けて立ち、足を揃えてその場にしゃがみこむ。一度見せてしまったからといっても、簡単には男の子にパンツを見せないという乙女としての表明だ。


「なぁーんかいっぱいあるわねぇ。ゴミみたいなのもあるし。なんなのこれ」

「あ、おい、迂闊に触るな」


 件の封筒には手を触れないように、紙束の方に手を伸ばす希咲に弥堂が制止の声をかける。


「ん? なんなのよ? これこのまんまにして帰れないでしょ。二人で片付けた方が早いじゃない」

「危険だぞ」

「はぁ? 危険って、どういう…………ひっ――⁉」


 意味のわからない警告を発してくる弥堂に視線を向けながら、床に落ちた紙きれを拾い集めていた希咲だったが、ふと自身の手にする物を見て短く悲鳴をあげた。


 パラパラと、思わず拾った物を取り落としながら、驚いた彼女はバランスを崩し背後へ倒れかける。


 希咲の後ろに居た弥堂は僅かに立ち位置を修正すると、自身の足に彼女を寄りかからせるようにして支えてやった。


「な、なにこれ――――⁉」


 弥堂の足の甲にストンと尻もちをついた希咲は、驚愕に目を見開きながら改めて床に拡がった物に視線を向ける。


 そこにあったのは変わらずゴミに紛れたいくつかの紙きれだったが、問題は――彼女が問題視したのはその紙に書かれていたものだった。


『呪』『殺』『死』……など、わかりやすく悪意を伝える文字がそれぞれの紙に一文字ずつ書かれている。中には『産』とか『辱』などと意味のわからないものもあったが、彼女の脳がこれ以上の情報量を受け入れることを拒否したためにそれらはなかったことにされた。


 弥堂も改めてそれらを見て、しかし特に何も思わずにただ足の爪先を軽く持ち上げた。


 すると――


「――ゃんっ⁉」


 茫然と目の前の光景に自失していた希咲が慌てて立ち上がる。


 そしてクルっと身体を回して弥堂の方へ向き直り、彼から守るように隠すようにお尻に手をあてたまま「むーーっ」と咎めるように睨みつける。

 しかし、顏が照れて紅潮していたために迫力には欠けた。


 実質足の指でお尻を突かれたようなもので、それに対しては盛大に文句を言いたい。

 しかし、転びそうになったのを助けてもらった恩もあり、その後も彼の足にお尻を乗せたままという失礼もしてしまっていたので、堂々とは文句も言い辛く、七海ちゃんはお口をもにょもにょとさせる。

 やがて、「もうっ!」とひとつ床を踏み鳴らし気分を切り替えた。


 そして改めて今ほど自分が取り落とした物たちを視界に収めると、紅潮していた顔を一転してサーっと青褪めさせる。


「ね、ねぇ? これって……」

「なかなかに熱烈なファンレターだろ?」

「ファンレターって、あんた……」

 弥堂らしからず冗談めかしたような台詞だったが、言葉を失う希咲はそんなことに気が回らない。目の前の凄惨な光景から連想させられることで思考の容量が埋められる。


 こんな物をどう考えてもロッカーの持ち主である弥堂が自分で用意して入れるわけがない。嫌がらせだと断定してもいい。このような行為から導き出される答えなどそう多くはない。


 数瞬、逡巡に瞳を揺らしてから躊躇しつつ掛けるべき言葉を脳裡より収集する。


「ね、ねぇ……? もしかしてだけど。あんた、イジメられ…………てるわけないか……」

「なんだ、その目は」


 決心するように切り出すも束の間、一息の中で自身の推測を否定し自己解決しながら弥堂に胡乱な瞳を向けた。


「どう考えてもあんたイジメる側よね」

「そんな無駄なことに割く労力はない」

「てことは、方々で恨みかいまくって、でも直接仕返しするのは怖いから陰湿な報復……って感じかしら?」

「まぁ、概ねそんなとこだろうな」


 見事な推理に正解のマルを付けられたが、希咲は少しも喜びを感じることなく、呆れたように溜め息を吐いた。


「ふつーならさ、『なんてひどいことするの!』って怒るとこだけど、相手があんただとどうリアクションしていいか難しいわね」

「別にこんなものどうということでもないだろう」

「えー? あたしだったらこんなの一週間も続いたら泣いちゃうわね」

「大したことではない。動物の死体とか突っ込まれてたらさすがに処理が面倒だがな」

「……グロいこと言わないでよ…………えっ? まさかそんなことまで――」

「今の所はないな。根性の足りん奴らだ」

「嫌がらせしてくる相手にもっとヒドイことしろってダメ出ししてどうすんのよ……」


 飄々としながら見当違いな所感を述べる弥堂に、何やら頭痛を感じた希咲は眉間を揉み解す。


「なぁーんかあたしわかっちゃったのよねぇ。あんたさ、どうせ今日みたいなこといっつもあちこちでやってんでしょ?」

「まぁ、概ねそんなとこだな」

「ほどほどにしときなさいよね。ホントに今日みたいなこと毎回やってるなら、出会う人全員と敵対しちゃうわよ」

「ほっとけ」

「ホントはこんなの絶対ダメなことだけどさ。あんたが相手だとこんくらいはしてもいいんじゃないかって思っちゃう。や、絶対ダメだけど」

「どっちだよ」

「今日だけであたしの価値観めちゃくちゃよ。どーしてくれんの」

「知るか」


 面倒そうに短い言葉しか口にしなくなった弥堂を「さて」と置いて、希咲はカーディガンの袖を捲る。


「なにしてんだ、お前」

「ん? なにって、片付けるんでしょ?」

「あぁ、大丈夫だ。ほっとけ」

「どうせ一緒に帰んなきゃなんないんだから二人でやった方が効率いいでしょーが。ヘンなとこで遠慮すんじゃないわよ」

「そういう意味じゃない。片付けはしなくていい。このまま放置していく」

「そんなわけいかないでしょ? ダダこねないでよ。メンドくさいわねっ」


 無責任にも大量のゴミ同然の物を散らかしたまま帰宅をしようと申し出てきた風紀委員の男子を希咲は咎めるように睨みあげた。


「問題ない。いつもこのまま放置しているが、夜が明けると次の日には何故か綺麗さっぱり消え去っているんだ。不思議なこともあるものだな」

「お前ぜったい確信犯だろっ。そんなの清掃員さんが片付けてるに決まってんじゃない! 妖精の仕業みたいにゆうなっ!」

「ちっ、めんどくせぇんだよ」

「あっさり本音だしたわね。いい加減にしなさいよあんた。何の予備情報もなしに通りすがりにこんなもの発見させられる人の気持ち考えなさいよ。ホラーすぎるでしょうがっ」


 知れば知るほどに公共性の欠如を垣間見せてくるクラスメイトの男子に、希咲は軽蔑の眼差しを向けた。


「だいたい何故妖精の仕業でないと言い切れる? 妖精は存在しないと証明できるのか?」

「うっさい。へりくつゆーな。じゃあ、あんたは見たことあんのかっ」

「あるぞ」

「へー。じゃあ、言ってみなさいよ。妖精さんはどんな感じよ?」

「そうだな。冷血で無口で掃除好きだ。あとすぐ泣く」

「はいはい」


 適当すぎる妖精の目撃情報を提供してくる弥堂に、希咲も呆れて適当な返事をしてとりあわない。


「もーっ。しょうがないわね。こういうのはモタモタしてると余計めんどくなっちゃうんだから、ちゃっちゃとやっちゃいましょ」


「ほらっ」と促すように弥堂の尻を叩いて、これ以上は減らず口に構ってあげないとばかりに希咲は作業にとりかかった。


 目の前でしゃがみこんで、情けない顏で「うぅっ」と情けない声を漏らし、嫌いな虫でも掴むように目線を逸らしながら、恐る恐る『怨』と血文字風に書かれた紙切れを指で摘まみあげる。

 そんな彼女の姿を数秒ほど無感情に見てから、やがて観念したように溜め息を漏らし弥堂も作業に入った。


 やるならさっさと終わらせようと希咲の対面に周り、反対側から拾い集めていこうとしゃがもうとする。


 しかし――


「ちょっと!」


 希咲から咎めるように制止の声がかかる。


「なんだ?」

「そっちに座んないでよ」

「あ?」

「そっちでしゃがまれたらまたパンツ見えちゃうでしょっ」

「……どうでもいいだろうが」

「いいわけないでしょ!」

「端と端から拾っていった方が効率がいいだろうが」

「覚えときなさい。この世界はね、効率よりも乙女の事情が優先されるのよ」


 ピシっと指差しながらこの世の真理かのように断言をしてくる。


 その手の小指と薬指に摑まれている紙切れに書かれた『H』の血文字がゆらりと揺れる。


 弥堂はもはや反論する気力が湧かず、黙って希咲の隣に移動するとその場にしゃがんだ。


 明らかに効率が悪い。


 そのことを考えないようにしながら弥堂は無言で作業を始めた。


 しかし、考えないようにしても思考は勝手に回る。

 考えないようにしている間は、考えないようにすることを考えているからだ。


 思えば、今日この希咲 七海という少女と関わってからこんなことばかりだ。


 つまらないことばかりギャーギャーと言われ、くだらないことばかり起こって、ちっとも時間が進まない。


 いや、時間は正確に等しく過ぎている。


 時間は過ぎていくのに、どうでもいい出来事ばかり積み重なって、少しも状況が進まない。


 明らかに効率が悪い。


 そういったことを嫌うはずの自分が特段苛立ってもいないのは、疲労からパフォーマンスが低下しているせいだろうと目を背ける。


 チラリと、すぐ隣で自分と同じようにしゃがみこんで、効率の悪い提案をしてくるわりにやたらと手際よく作業を進めていく彼女の横顔を見遣る。


 綺麗な手で、地に落ちたゴミを掴み、拾い上げていく。


 そんな彼女の時折り瞬く長い睫毛の毛先を見つめ、今度こそ思考を放棄し、自分自身を作業を熟す為だけの装置とした。
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