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序章 俺は普通の高校生なので。

序章35 その瞳の泉に映るもの ①

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 スマホを操作する。


弥堂 優輝びとう ゆうきは昇降口棟2年B組用の下駄箱前で、この後に放課後の帰路の供にする手はずとなっているクラスメイトの希咲 七海きさき ななみを待つ時間を利用して、本日の風紀委員としての業務の報告に関する作業を行っていた。


 同委員会に報告をする情報と、しない情報とを仕分けする事前準備を終えて、現在作成しているものは自身が所属する部活動である『サバイバル部』の情報統制担当であるY'sワイズへのメール文書だ。

 彼――もしくは彼女から昼休みに与えられた情報の中にあった、正体不明の新勢力である『弱者の剣ナイーヴ・ナーシング』。
 その連中と遭遇をし対処をしたので、その件に対する報告と奴らへの評価だ。


 手早く簡潔に文字を打ち込み文章を完結させる。


 じっと液晶画面を見詰め、上から下へ内容を流し見て瑕疵を確認しすぐに送信をする。


 間髪入れずに次のメールを新規で作成にかかる。


 送り先は同じくY’s。用件は問合せ。同時に催促でもある。


 件の昼休みに送られてきたのは『弱者の剣ナイーヴ・ナーシング』の情報だけではなかった。

 もう一つの重要だと思われる案件について弥堂は何度も詳細説明を求めているのだが、意図的なのかどうかは不明だが、その件への回答だけが為されない。


 その重要案件とは――『希咲 七海おぱんつ撮影事件』である。


 先程に実物を目視もした、希咲の無駄にカラフルで装飾過多なおぱんつが露わになった場面を写真画像に切り取ったものが弥堂のスマホにY’sから送られてきたのだが、その件の詳細説明をもう3度程求めているのにも関わらず、依然奴からの言及はない。


(――俺を、ナメているのか?)


 初回の問い合わせ以降も奴とは何度か連絡を交わしている。催促もその度にしている。なのに無視でもしているかのように、その件についてだけは何も答えない。


 優秀な奴ではあるのだろう。


 だが、絶対に替えが利かない人材というわけでもなく、また絶対になくてはならない役割というわけでもない。仮に奴が居なくなったとしても、必要なのであらば、弥堂の上司である部長の廻夜朝次めぐりや あさつぐが後任を用意するだろう。


 ならば――


(――その後任への見せしめも兼ねて、始末するか……?)


 弥堂は脳裡でタイムリミットを1日と定め、それを過ぎても奴の態度が変わらないのであればY’sを処分することを決めた。


 そして求めた情報が貰えないのならば、自分で調べればいいと切り替える。


 水無瀬に対して行ったように本人に直接聴取を行う。ちょうどその本人と待ち合わせているのだ。このまま希咲を待つ。


 続いて、反省文を代筆するようにとの要請を脅迫文を添えてY’sに送ろうとしていると――


「――おまたせ」


 その本人の声で呼びかけられて弥堂は目を細める。


 声を掛けられるまで近づかれていることにすら気付くことが出来なかった。


 物語などに登場する達人の様に何かしらの超常的な力のようなもので、対象の正体を特定した上で完璧に気配を察知することなどは弥堂には出来ないが、それでも様々な情報からそれを感じ取ることは可能だ。


 音、匂い、空気の揺らぎ、足から伝わる地面の振動、など。


 そういった周辺環境の変化や異常から何者かの存在を察知することは出来る。


 しかし、彼女はそれらの一切を感じさせずにここまで接近してきた。


 弥堂は目を細めて、希咲を視た。


「……あんたさ、人をそういう眼で見るんじゃないわよ」
「声を掛けてきた相手を見る。普通のことだろう?」

「だってさ、なんかすんごいヤな感じで見てくんじゃん? 実験動物の経過観察、みたいな?」
「気のせいだ」

「なーんかなー、失礼というか不躾というか…………やらしい感じじゃあないんだけど、絶対にヘン。それさ、女の子は絶対気が付くしイヤがると思うからやめなさいよ?」
「俺にはよくわからんが、善処しよう」


 弥堂としては面白くない話題なので特に強くは反論をせずに穏便に応答を済ませる。

 そして今自分が知りたいことを訊くために切り出す。


「そんなことよりも希咲。お前に訊きたいことが――」


 しかし切り出そうとしてすぐに弥堂は言葉を止めた。


 対話相手である希咲の様子がどこかおかしいと気に掛かったからだ。


 つい数秒前に注意されたばかりにも関わらず、またも希咲をじっと視る。


「だーから。それやめろっつーの」


 希咲の抗議を無視して考える。



 つい今まで俯瞰するように視ていた感じでは、彼女と別れる前と特に何も変わったところはない。先程までと同じように叩いている軽口の調子も同様だ。


 だが、何故だか彼女がどこか気落ちしているような塞いでいるような――そんな風に見えた気がして。質問をする為に目を合わせた希咲の、形のよい瞼に縁取られた眼窩の中心に浮かんだ、その瞳の奥にナニカを見たようなそんな錯覚を覚えたのだ。


 そしてその錯覚から弥堂が感じ取ったのは『危険』だった。


 特に物理的な証拠や、明確にそれを示すような根拠があるわけではない。


 だが――


(――間違いない)


 弥堂は己の本能、或いは経験、そういったものが強く自身に伝えてきているその警鐘を信じた。


「……訊きたいことが、あったんだが、日を改めよう」


 そして出した札を引っ込める。


 弥堂は自身に共感・共有と謂われるようなそういった類の能力・機能が欠落していることを自覚している。元々生まれつきそうだったわけではなく、これまで生きてきた過程で、気が付いたらどこかに落っことしてきていたのだ。

 それが出来ていた時期もあった。だからこそ今それが出来ないことを自分で理解出来る。


 故に、そんな自分がこんな風に相手の気持ちの変化などに気付くことが出来たと感じた時は、相手がそう仕向けているからである。そのように考えている。


 弥堂のこれまでの破綻した人間関係の経験上、女がこうしてそれとは見せずに落ち込んでいるアピールをしてきている時は、それに触れろというサインなのだと知っていた。

 しかし、それで訊いてやったとしても奴らは必ずこう云うのだ。


「なんでもない」と。


 そしてそう言われたとしても一回で納得をしてはいけない。何回か同じ質問をして気にかけてやっているという姿勢を見せる必要がある。だが訊き過ぎてもよくない。今度は「しつこい」「ほっといて」などと怒られるのだ。


 バランスと塩梅が非常に繊細で、とてつもなく難易度が高いのだ。


 弥堂はここにきて前触れもなく自分が窮地に立たされようとしていることに気が付いた。


(なんて面倒な女なんだ)


 弥堂は脳内で希咲 七海の評価を6段階ほど下方修正し、そしてこの女とは手を切るべきか考慮し始める。


 この状態の最善手は気付かないフリをすることだ。必勝法はない。あくまでも最善だ。

 一度こちらが気付いたことを気取られればもう逃げ場はない。決して気付いたことに気付かれてはならない。


「ん? あによ? 言いかけといて途中でやめられるとか、そういうのあたしすんごい気になっちゃう人なんだけど」

「なに、大した問題ではない。とても小さなことだ。キミがわざわざ気にするようなことではない」

「……特に相手があんただと、またロクでもないこと考えてんじゃって思っちゃう」

「それは誤解だ。そんなことよりも今日はもう疲れただろう? 酷い体験もしたしな。もしも辛いのであればタクシーを呼ぼう。心配するな。料金はこちらで払う」

「ほらあやしい」


 希咲さんは見事なジト目になった。


「今朝さ。あんたに『もっと愛想よくしろ』って言ったじゃん? あれ取り消すわ。今日絡んだ経験上、あんたがそうやって優しいっぽい感じのコト言うとすんっごい不安になるようになったの」

「それは穿ちすぎだ。俺は職務に忠実で優秀な風紀委員だ。自らが守る学園に所属する生徒全員の幸せを願っている。特にキミはクラスメイトだ」

「生徒などいくらでも替えがきくとか言ってなかったっけ?」

「うるさい黙れ。口答えをするな。いいから言う通りにしろ」

「弥堂 優輝くん説明書そのいちっ。答えに困ると逆ギレしてゴリ押ししてくる」

 ピシっと指差して的確に急所をついてくる。


「…………」
「ん?」

 そして『言い返せるものならどうぞ?』とばかりに、コテンと首をかしげてこちらの顔を見上げてくる。


「……さて、だいぶ遅くなったな。そろそろ帰ろうか」
「説明書そのにっ。意地でもYESと言いたくない時は強引にシカトする」

 今度は指を二本立てて弥堂の顏前に突き出してくる。


「…………」
「ん?」

 そしてその手を裏返し逆ピースのようにして自分の顎先に添えると、腰を折って下から顔を覗き込んでくる。悪戯げな仕草で指をチョキチョキと動かすと――


「んふふー」


 そう満足げな笑顔を見せた。


「ぷっ。ごめんて。怒った?」


 そんな希咲の顔をなんとなく見ていると、こちらが気分を害したのかと勘違いしたのか機嫌を窺ってくる。


「いや。問題ない」

「そ? なら『そのさん』と『そのよん』も聞く?」

「……それは勘弁してくれ」

「やりぃー。あたしの勝ちぃー」


 弥堂が大人しく白旗を上げると、希咲は勝鬨をあげ楽し気にクスクスと笑った。


(生意気な女だ)


 弥堂は心中でそう毒づいたが、何故だかそうは悪い気分にはなっていなかった。

 そのことを少し不思議に思ったが、すぐにどうでもいいことだと切り捨てる。


「満足したようでなによりだ。では帰るぞ」
「はいはーい」

 靴箱へ向かう自分の隣に、軽い返事をしながら並んだ彼女を横目で見遣る。


 彼女は白くて細いその長い脚を前に伸ばすようにして大袈裟に一歩を踏み出す。

 わざと子供っぽく見えるような仕草をしていても、彼女がやるとそんな所作も何故だか綺麗に映る。


 そのことも少し不思議に思ったが、またもどうでもいいことだと切り捨てる。


 そんなことよりも、どうやら先程の追及を忘れてくれたようだと、どうにか上手く誤魔化せたようだと、そのことに弥堂は一定の満足感を得た。



「あーーすっきりした! あんたには随分と好き放題言われたしやられたしだから、ちょっとはやり返せて気分いいわ」
「なんのことだ」

「はぁ? まだそんなこと言ってんの? 変なことばっか言うし、あちこち触ったし、それに見たでしょ!」
「お前こそまだそんなこと言ってるのか。いい加減しつこいぞ。どうという程のことでもないだろうが。大体減るものでも…………ふむ……」

 シューズロッカーに片手を付けて支えにし、立ったまま靴を履き替えつつ抗議をしてくる希咲に反論をしようとしたが、途中で言葉を切って顎に手を遣り思考をする。


「なによ? やっと自分が悪いってわかったの?」
「――そうか。減ったのか」

「はぁ?」
「いいだろう」


 制服のローファーに踵を通そうと右足をぴょこんと上げた体勢のまま、希咲が訝しげな視線と声を投げかけてくる。

 弥堂はそれには構わずに自分だけで勝手に納得を済ませて、上着の内ポケットに手を突っ込みながら希咲に近寄る。



 胸元から取り出したのは紙幣だ。二つ折りにしてポケットに直接突っ込んでいたその紙幣を開き、その内から一万円札を三枚ほどピックアップして残りはポケットに戻す。そして手に持った紙幣三枚を伸ばしたままの状態で縦にぐしゃっと握り潰した。

 唐突に懐から裸の万札を取り出したクラスメイトの行動に希咲はギョッとしていたが、お金を粗末に扱ってはいけないという一般的な価値観から「あ、こらっ」と彼を咎める。

 弥堂はそれには構わずに、彼女の制服ブラウスの襟を胸倉を掴む様にして左手で持った。


「――へ?」


 余りに突然のことで、左手は身体を支えるためにロッカーに置き、右手は靴を右足に嵌めるために塞がっていてと、運が悪く間も悪く無防備な状態だった希咲はまたもや彼の蛮行を許すことになってしまった。


 上から3つほどボタンを外し少しだけ襟を開いている彼女の胸元に、掴んだブラウスを無造作にグイとひっぱってさらに隙間を作り出す。

 そして、先程安全ベルトが不意に外れるという不幸な事故により一度はお亡くなりになってしまったが、事件後の希咲の懸命な努力により立派に生まれ直していたその胸の谷間(偽造)にくしゃくしゃの金を捻じ込む。


「んな――――っ⁉」


 あんまりにもあんまりな弥堂の無礼な行いに、というか現代を生きる日本人とはとても考えられない頭のおかしい所業に、びっくり仰天した七海ちゃんは髪のしっぽを逆立ててフリーズした。


 野蛮な下手人は丹精込めて造られた胸の谷間よりも、ぴゃーと跳ね上がった髪の毛の方が気になったらしく、口を半開きにしてその動きを目で追ったあと、気にしないことにしたのか希咲の顏に視線を戻してくる。


「これでいいだろ?」


 まるで自らの負うべき責任と義務は果たしたと謂わんばかりの態度と、希咲からはまるでドヤ顏のように見えるその顔に、頭の中でぷちんっと音が弾ける。


「――――いっ……」

「い?」

「――いいわけあるかああぁぁぁぁっ! ぼけえぇぇぇぇぇぇっ‼‼」


 文化講堂での一幕の焼き増しの様に電光石火の右ストレートが煌めく。

 だが――


「おっと」

 弥堂は左に重心を落としながら弥堂は首を傾けその攻撃を簡単に掻い潜った。


「こんのぉっ――」

 その下がった弥堂の頭部を迎え撃つように希咲の右足が跳ね上がる。

「ふん」

 弥堂は顔面に迫りくる快速の蹴り足をつまらなそうに視て、充分に誘い込んでからその足の踵に掌を添えて上手く力の方向を変えることで軌道を上に逸らした。


 鞭が振られたような音を出しながら弥堂の頭の上を蹴り足が通り過ぎていき、履きかけだった右足のローファーが宙を舞う。


 希咲はその空ぶった勢いのままクルっと軽やかに一回転して体勢を戻すが、右足を靴下のまま床に着けることを躊躇い、仕方なく追撃を断念し口撃に討って出る。

 弥堂は落ちてきたローファーをキャッチしながら、目の前の攻撃性の高い女子に冷めた目を向けた。


「なんで避けんのよっ! てか、なんでこれ避けられんのよ! おかしいんじゃないの⁉」

「それは普通じゃ避けられないような攻撃を他人に向けて放った、ということだな? おかしいのはお前じゃないのか?」

「あんたのくせに正論言うんじゃないわよっ!」

「正しい、ということは認めるんだな?」

「うっさい! へりくつゆうな!」


 ヒートアップする希咲に極めて冷静に返しながら、弥堂はローファーを彼女に返してやる。


 フーッ、フーッと怒りを堪えきれないといった風に、荒い息を吐きながらそれをふんだくった希咲だったが、やがて強く目を瞑り、無理矢理気分を切り替えるように一際長く息を吐き出す。


 そして半分だけ目を開け、その細めた瞼の隙間から覗く瞳で冷たい視線を弥堂へと射かけた。
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