55 / 657
序章 俺は普通の高校生なので。
序章34 その瞳の奥にいるもの ①
しおりを挟む
私立美景台学園放課後遅く、校舎東側の文科系クラブ部室棟から二年生校舎へ向けて二人の生徒が足早に歩いていく。
時間帯としては完全下校時刻をとうに過ぎているにも関わらず、空中渡り廊下には聞くからに剣呑な足音と不機嫌な話し声が響いていた。
「――見られたっ」
「…………」
「ねぇ、見られたっ!」
「…………チッ」
「みられたみられたみられたみられたみられたっ‼」
「うるせぇな。しつこいぞ」
先導して歩く弥堂の脇を歩く希咲が恨みがましい視線と声を絶え間なくぶつけてくる。
「しつこいってなによ!」
「もう終わったことだろうが。いつまで言ってんだ」
「だってあんた結局謝ってないじゃん。あたし誤魔化されないから」
「……わかった。俺が悪かった。もうこれでいいな? 話は終わりだ」
「なんなの、そのテキトーな謝りかたっ。終わるかどうか決めるのはあたしでしょっ。だいたいさ、ホントに悪いと思ってるわけ? どこが悪かったかわかってんの? ねぇ、なにが悪かったのか言ってみなさいよ」
「め、めんどくせぇな……なんなんだお前……」
希咲のあまりのしつこさに、デフォルト無表情の弥堂の鉄面皮が疲労感を滲ませたものに崩れる。
ピクピクと引き攣る彼の口の端を、横合いからチロっと見上げる形で瞳に映して、希咲は少しだけ愉快な気持ちになり何故か満足感を得た。
ずっと言い争いながら歩いていた二人だったが、どうやらこの闘争の軍配は希咲に上がりそうだ。
「てかさ。黙って歩けっていうけど結局どこ向ってんのよ? こっち行ったら教室じゃない」
「そうだが」
「あたし先にトイレ行きたいって言ったじゃん。あんた全然あたしの話聞いてないのね!」
「聞いている。聞いているし、憶えている。忘れないと言っただろうが。お前こそ聞いてんのかアホが」
「逆ギレすんじゃないわよ! じゃあ、なんでこっち連れてくわけ?」
「効率がいいからだ」
「はぁ?」
期待していた理解に足るような答えが返ってこずに希咲は眉根を寄せた。
「それにお前の話を聞くことと、お前の言うとおりにするかどうかはまた別の話だ」
「なにそれ。ほんとムカつく。効率がいいってどういう意味?」
「うむ、いいか? まず教室で荷物を回収する。次に昇降口棟へ繋がる渡り廊下手前の階段に向かう。階段を下りる前に便所があるだろ。そこを使え。その後1階に下りてから昇降口へ向えば、一本道上で全ての用を済ませることができる。つまり効率がいい」
「……わー…………うっざ…………。あんたってさ、旅行とか遊びとか全部きっちり予定立てて、当日それ通りに進まないとイライラしちゃう系のひと……? 絶対いっしょに遊びたくないんだけど」
「さぁな。旅行も遊びも行ったことがないからわからんな」
「んなわけないでしょ。てか、別に講堂のトイレ行ってからでもいいじゃん。大して変わんないじゃない」
「そんなことはない。少なくとも20秒はロスが出る」
「なによ20秒って。そんなの誤差じゃん。細かすぎてマジうざいんだけど」
「ふざけるな。お前は20秒便器に跨っていればいいだけだろうが、その誤差を待たされるのは俺だ。お前の排便に要するコストを俺に強いるな」
言いながら到着した自分たちの所属する2年B組の教室のドアを開ける。
「だからっ! 言い方っ! なんでいちいち変な言い方すんのよ!」
「意味が同じなら言い方なぞ何でもいいだろうが」
「よくねーっつーの! 女の子に汚い言い方すんなばかっ」
「うるさい。いいからさっさと荷物を回収しろ。すぐに出るぞ」
「女の子を急かすんじゃないわよ! もうっ」
「女の子とやらは随分といいご身分のようだな。急げよ」
「うっさいっ」
言い合いながら既に自分の荷物を回収していた弥堂は、教室のドアに背を預けながらこれ見よがしに爪先で床をトントンと叩き希咲を急かす。
彼女はその態度にプリプリ怒りながら自身も手早く荷物をまとめていく。
机の上に置いて口を開いたスクールバッグに必要な物を乱暴に詰め込んでチャックを閉じる。引っ手繰るようにしてバッグを持つと教室の出口へと歩き出しながら持ち手に腕をとおして肩から提げる。
机と机に挟まれた白鍵の隙間を抜け出すと、出入口で待つ弥堂と目が合う。なんとなく足を止めて彼の顔を見遣った。
ドアに寄りかかりながら悠然と見下ろすように立っているその姿が非常に癪にさわる。
なので、彼の立つその脇を通り抜けざまにわざと肩でぶつかってやって、彼を押し遣り廊下に出た。
押しのけられた弥堂は特に文句は言わず、小さく嘆息をして希咲の後を追った。
だが、さっきの続きとばかりに今度は前方を歩く彼女から抗議が再開される。
「てか、これじゃ意味ないじゃんっ。あたし先にトイレ行きたかったのに」
「……しつこいな。そんなに漏れそうなのか?」
「んなわけないでしょ! だから別におしっこしたいわけじゃないって何回言わすのよ」
「じゃあ――」
「――だからって、別の方でもないから!」
「そうか」
前方から文句を言うために振り向きながら歩いていた希咲は、歩き辛かったのか歩調を少しゆるめて隣にくる。そこから睨みあげながら話を続ける。
「ブラ直したいだけって言ったでしょ! この状態であんたといっしょに居るのヤなのよ。だから先に済ませたかったの! わかれっ」
「わかるか。下にヌーおブラしてるから問題ないと言ってただろうが」
「問題ないわけないでしょ! お外なのにブラ外れたまんまなのよ⁉ あたし大ピンチなの! 男にはわかんないでしょうね、この危機感は!」
「なら、わかれと言うな」
「うっさい! だいたいさ、なによ『ヌーおブラ』って。いちいち『お』を付けるな、きもいっつーの」
「そう言われてもな。掟だから仕方ない。お前と上司。どちらに従うかなど言うまでもないだろう」
「何が掟よ。いみわかんない。…………でもさ、『お』を付ける場所ヘンくない?」
「あ?」
「その『あ?』って返事の仕方。それも女の子に嫌われるわよ――じゃなくてっ。『ヌーブラ』が商品名なのに、間に『お』を入れるのおかしくない?」
「じゃあどこに入れればいいんだ?」
「え? んーー…………?」
弥堂に問い返され、よく手入れされた綺麗な爪が当たらぬようにして、人差し指の腹でゆるく下唇を撫でながら考えると、
「……おヌーブラ?」
首を傾げて若干自信なさげに答えた。
「おヌー?」
「おヌーっ」
「卸したてなのか?」
「それはおニューでしょうがっ」
手の甲で軽くパンっと隣を歩く弥堂の胸を叩く。
「――って、なにやらせんのよ。あたしがスベったみたいじゃないっ」
「なんでやねん」
「なんでやねん⁉ ぷっ。なんでやねんだって。その顔でなんでやねんとか。マジ似合わないー。うけるんだけど」
「…………忘れろ」
あまりにゆるい会話内容に半オートモード状態にまで思考停止していため、思わず漏らしてしまった不用意な発言を弥堂は強く悔いた。
そのまま軽くツボに入ってしまったのか、彼女はクスクスと笑い続ける。
コロコロと転がるように感情が起伏する希咲に何かを言い返したくもなるが、先までのように恨み言を言い続けられるよりかはマシかと諦めた。
しかし――
「てかさー。あんたってさー、なんでそんなデリカシーないの?」
すぐにまた蒸し返される。
弥堂にとっての女の苦手な部分を寄せ集めたかのようなところばかり見せてくる、そんな隣を歩く少女に盛大に顏を顰めた。
「あによっ。イヤそうな顏すんじゃないわよ。デリカシーないし、頭おかしいことばっか言うし。そんなんで中学ん時とかどうしてたわけ? 普通に生活してたらそんなことになんないでしょ。なんなの、あんた」
「ほっとけ。生憎と育ちが悪いんだ。諦めろ」
「なによそれ。いい? トイレのことで女の子弄るとかガチでサイテーだからね。今回は特別に許したげるけど他の子にやったらフツーに嫌われるわよ?」
「大きなお世話だ」
人差し指を立てながら諭すように言ってくる少女にうんざりとしながら弥堂は答える。次の目的地であるトイレは近い。もう少しの我慢だと忍ぶ。
「別にあんたが嫌われようが関係ないけどさ、愛苗に迷惑かかるようなことはしないでよね」
「知ったことか」
「なにその態度。生意気っ。あんたそんなんでよく彼女できたわね?」
「あ?」
「あんたのカノジョさんって菩薩様かなんかなの? 普通の子じゃストレスで頭ヘンになっちゃいそう」
「なんの話だ」
適当に返事をしていたが、希咲の言う『あんたの彼女』というものに見当がつかなく、覚えのない会話に眉間が歪む。
「だから。あんたのカノジョさんよ。さっき言ってたじゃん」
「そんなこと言ってないぞ」
「なんでしらばっくれるのよ。恥ずかしいの? ほら、あんたのお師匠さん。メンヘラのメイドさん……? シスターさんだったっけ?」
「あぁ。エルフィーネのことか」
「エルフィーネ⁉ まさかの外人さん⁉」
「まぁ、日本人ではないな」
彼女がいるだけで『まさか』な男の口から出た名前に、グローバルな交際の気配を察し、驚き戦慄した希咲のサイドのしっぽがぴゃーっと跳ね上がった。
「……なんなの……外国の人と付き合ってるって聞いただけで感じるこの妙な敗北感…………」
「俺に言われてもな」
純日本人である希咲さんは、コミュニケーション能力が地獄だと認定していたクラスメイトの男子が、まさか自分よりもススんでいるのではと、何故か落ち込みそうになる。
「へーー。あんたがねぇ……。彼女いるってだけでもチョー意外なのに。素直にびっくりだわ。ねぇねぇどうやって出逢ったの? もう長いの?」
「さっきからお前は何の話をしてるんだ?」
「や。だからさ。あんたとその彼女のエルフィーネさん?の馴れ初めとか」
「彼女? エルフィが?」
「え? ちがうの?」
「…………その『彼女』というのは『恋人』という意味でいいんだよな?」
「当たり前じゃない。他にどんな意味があんのよ」
「ふむ」
そう頷いて顎に手を遣り、弥堂は立ち止まった。
希咲は隣を歩く彼が突然立ち止まったことで、「ぉととっ」と2歩ほどたたらを踏んでから遅れて歩みを止める。
「なに? どした?」
振り返って尋ねながらその時視界に入った周囲の風景を見れば、もう目的地であった階段前のトイレの少し手前であった。
ずっと隣の弥堂を見ながら文句を言っていたので進行具合に気付いていなかったようだ。
「なんだ、もう着いたのね。やっと安心できるわ」
心許無くなった胸元を抑えていた手でついでにその頼りない胸を撫でおろす。
意外な人物のコイバナには面白さはあれど、個人的に弥堂に興味があるわけではないので、あくまで親友の水無瀬のための情報収集を兼ねた世間話というつもりで彼に話を振っていた。
その話はまだ途中だったのだが、希咲にとっては自分の『お外でノーブラ』の状態異常を解除することの方が緊急性が高い。
だからここで話を一旦打ち切ろうとする。
しかし――
「んじゃ、あたしちょっと行ってくるからあんたは先に――「――そうだな」――え?」
その前に返事を返されてしまい、言葉が被ってしまったことで特に意味はなく彼の顔を見た。
見てしまった――
「――そうだな。そういうことなら、キミの言うとおりエルフィは俺の彼女なのだろう」
「あっそ」
軽く相槌をうちクルっと背中を向ける。
顔を見られないように。或いは見ないように。
「てか別にキョーミないしっ」
「そうか」
「あたしいってくるから、あんたは先に下駄箱行ってて。ここで待ってないでよ」
「わかってる。さっさと出すもん出してすぐに出て来いよ」
「だーかーらーっ! それやめろって言ってんでしょ! バカなんじゃないの⁉」
「うるさい。さっさとしろ」
(――ホント、バカなんじゃないの?)
希咲は振り向かないままで進み、ドアに手を掛ける。
「マジしんじらんないっ。んじゃまたあとで!」
「あぁ」
勢いをつけてドアを押し開け、中に入る。
今度こそ確実に話を打ち切るように、自分と彼がいる空間とを隔てるために後ろ手でドアを閉める。開けた時に比べ静かに力なくそれは閉ざされた。
微かなパタリという音を聴くと、閉めたばかりのドアが動かぬようにそっと背を預けた。
緩く目を閉じ外の気配を探る。
足音が聴こえたりはしないが、人が一人遠ざかっていくのがわかった。
意図せずに溜め息が漏れた。
(……ばかっ。デリカシーなし…………)
その溜め息は安堵からであり、後悔からでもあった。
(――あたしの……ばか……っ)
時間帯としては完全下校時刻をとうに過ぎているにも関わらず、空中渡り廊下には聞くからに剣呑な足音と不機嫌な話し声が響いていた。
「――見られたっ」
「…………」
「ねぇ、見られたっ!」
「…………チッ」
「みられたみられたみられたみられたみられたっ‼」
「うるせぇな。しつこいぞ」
先導して歩く弥堂の脇を歩く希咲が恨みがましい視線と声を絶え間なくぶつけてくる。
「しつこいってなによ!」
「もう終わったことだろうが。いつまで言ってんだ」
「だってあんた結局謝ってないじゃん。あたし誤魔化されないから」
「……わかった。俺が悪かった。もうこれでいいな? 話は終わりだ」
「なんなの、そのテキトーな謝りかたっ。終わるかどうか決めるのはあたしでしょっ。だいたいさ、ホントに悪いと思ってるわけ? どこが悪かったかわかってんの? ねぇ、なにが悪かったのか言ってみなさいよ」
「め、めんどくせぇな……なんなんだお前……」
希咲のあまりのしつこさに、デフォルト無表情の弥堂の鉄面皮が疲労感を滲ませたものに崩れる。
ピクピクと引き攣る彼の口の端を、横合いからチロっと見上げる形で瞳に映して、希咲は少しだけ愉快な気持ちになり何故か満足感を得た。
ずっと言い争いながら歩いていた二人だったが、どうやらこの闘争の軍配は希咲に上がりそうだ。
「てかさ。黙って歩けっていうけど結局どこ向ってんのよ? こっち行ったら教室じゃない」
「そうだが」
「あたし先にトイレ行きたいって言ったじゃん。あんた全然あたしの話聞いてないのね!」
「聞いている。聞いているし、憶えている。忘れないと言っただろうが。お前こそ聞いてんのかアホが」
「逆ギレすんじゃないわよ! じゃあ、なんでこっち連れてくわけ?」
「効率がいいからだ」
「はぁ?」
期待していた理解に足るような答えが返ってこずに希咲は眉根を寄せた。
「それにお前の話を聞くことと、お前の言うとおりにするかどうかはまた別の話だ」
「なにそれ。ほんとムカつく。効率がいいってどういう意味?」
「うむ、いいか? まず教室で荷物を回収する。次に昇降口棟へ繋がる渡り廊下手前の階段に向かう。階段を下りる前に便所があるだろ。そこを使え。その後1階に下りてから昇降口へ向えば、一本道上で全ての用を済ませることができる。つまり効率がいい」
「……わー…………うっざ…………。あんたってさ、旅行とか遊びとか全部きっちり予定立てて、当日それ通りに進まないとイライラしちゃう系のひと……? 絶対いっしょに遊びたくないんだけど」
「さぁな。旅行も遊びも行ったことがないからわからんな」
「んなわけないでしょ。てか、別に講堂のトイレ行ってからでもいいじゃん。大して変わんないじゃない」
「そんなことはない。少なくとも20秒はロスが出る」
「なによ20秒って。そんなの誤差じゃん。細かすぎてマジうざいんだけど」
「ふざけるな。お前は20秒便器に跨っていればいいだけだろうが、その誤差を待たされるのは俺だ。お前の排便に要するコストを俺に強いるな」
言いながら到着した自分たちの所属する2年B組の教室のドアを開ける。
「だからっ! 言い方っ! なんでいちいち変な言い方すんのよ!」
「意味が同じなら言い方なぞ何でもいいだろうが」
「よくねーっつーの! 女の子に汚い言い方すんなばかっ」
「うるさい。いいからさっさと荷物を回収しろ。すぐに出るぞ」
「女の子を急かすんじゃないわよ! もうっ」
「女の子とやらは随分といいご身分のようだな。急げよ」
「うっさいっ」
言い合いながら既に自分の荷物を回収していた弥堂は、教室のドアに背を預けながらこれ見よがしに爪先で床をトントンと叩き希咲を急かす。
彼女はその態度にプリプリ怒りながら自身も手早く荷物をまとめていく。
机の上に置いて口を開いたスクールバッグに必要な物を乱暴に詰め込んでチャックを閉じる。引っ手繰るようにしてバッグを持つと教室の出口へと歩き出しながら持ち手に腕をとおして肩から提げる。
机と机に挟まれた白鍵の隙間を抜け出すと、出入口で待つ弥堂と目が合う。なんとなく足を止めて彼の顔を見遣った。
ドアに寄りかかりながら悠然と見下ろすように立っているその姿が非常に癪にさわる。
なので、彼の立つその脇を通り抜けざまにわざと肩でぶつかってやって、彼を押し遣り廊下に出た。
押しのけられた弥堂は特に文句は言わず、小さく嘆息をして希咲の後を追った。
だが、さっきの続きとばかりに今度は前方を歩く彼女から抗議が再開される。
「てか、これじゃ意味ないじゃんっ。あたし先にトイレ行きたかったのに」
「……しつこいな。そんなに漏れそうなのか?」
「んなわけないでしょ! だから別におしっこしたいわけじゃないって何回言わすのよ」
「じゃあ――」
「――だからって、別の方でもないから!」
「そうか」
前方から文句を言うために振り向きながら歩いていた希咲は、歩き辛かったのか歩調を少しゆるめて隣にくる。そこから睨みあげながら話を続ける。
「ブラ直したいだけって言ったでしょ! この状態であんたといっしょに居るのヤなのよ。だから先に済ませたかったの! わかれっ」
「わかるか。下にヌーおブラしてるから問題ないと言ってただろうが」
「問題ないわけないでしょ! お外なのにブラ外れたまんまなのよ⁉ あたし大ピンチなの! 男にはわかんないでしょうね、この危機感は!」
「なら、わかれと言うな」
「うっさい! だいたいさ、なによ『ヌーおブラ』って。いちいち『お』を付けるな、きもいっつーの」
「そう言われてもな。掟だから仕方ない。お前と上司。どちらに従うかなど言うまでもないだろう」
「何が掟よ。いみわかんない。…………でもさ、『お』を付ける場所ヘンくない?」
「あ?」
「その『あ?』って返事の仕方。それも女の子に嫌われるわよ――じゃなくてっ。『ヌーブラ』が商品名なのに、間に『お』を入れるのおかしくない?」
「じゃあどこに入れればいいんだ?」
「え? んーー…………?」
弥堂に問い返され、よく手入れされた綺麗な爪が当たらぬようにして、人差し指の腹でゆるく下唇を撫でながら考えると、
「……おヌーブラ?」
首を傾げて若干自信なさげに答えた。
「おヌー?」
「おヌーっ」
「卸したてなのか?」
「それはおニューでしょうがっ」
手の甲で軽くパンっと隣を歩く弥堂の胸を叩く。
「――って、なにやらせんのよ。あたしがスベったみたいじゃないっ」
「なんでやねん」
「なんでやねん⁉ ぷっ。なんでやねんだって。その顔でなんでやねんとか。マジ似合わないー。うけるんだけど」
「…………忘れろ」
あまりにゆるい会話内容に半オートモード状態にまで思考停止していため、思わず漏らしてしまった不用意な発言を弥堂は強く悔いた。
そのまま軽くツボに入ってしまったのか、彼女はクスクスと笑い続ける。
コロコロと転がるように感情が起伏する希咲に何かを言い返したくもなるが、先までのように恨み言を言い続けられるよりかはマシかと諦めた。
しかし――
「てかさー。あんたってさー、なんでそんなデリカシーないの?」
すぐにまた蒸し返される。
弥堂にとっての女の苦手な部分を寄せ集めたかのようなところばかり見せてくる、そんな隣を歩く少女に盛大に顏を顰めた。
「あによっ。イヤそうな顏すんじゃないわよ。デリカシーないし、頭おかしいことばっか言うし。そんなんで中学ん時とかどうしてたわけ? 普通に生活してたらそんなことになんないでしょ。なんなの、あんた」
「ほっとけ。生憎と育ちが悪いんだ。諦めろ」
「なによそれ。いい? トイレのことで女の子弄るとかガチでサイテーだからね。今回は特別に許したげるけど他の子にやったらフツーに嫌われるわよ?」
「大きなお世話だ」
人差し指を立てながら諭すように言ってくる少女にうんざりとしながら弥堂は答える。次の目的地であるトイレは近い。もう少しの我慢だと忍ぶ。
「別にあんたが嫌われようが関係ないけどさ、愛苗に迷惑かかるようなことはしないでよね」
「知ったことか」
「なにその態度。生意気っ。あんたそんなんでよく彼女できたわね?」
「あ?」
「あんたのカノジョさんって菩薩様かなんかなの? 普通の子じゃストレスで頭ヘンになっちゃいそう」
「なんの話だ」
適当に返事をしていたが、希咲の言う『あんたの彼女』というものに見当がつかなく、覚えのない会話に眉間が歪む。
「だから。あんたのカノジョさんよ。さっき言ってたじゃん」
「そんなこと言ってないぞ」
「なんでしらばっくれるのよ。恥ずかしいの? ほら、あんたのお師匠さん。メンヘラのメイドさん……? シスターさんだったっけ?」
「あぁ。エルフィーネのことか」
「エルフィーネ⁉ まさかの外人さん⁉」
「まぁ、日本人ではないな」
彼女がいるだけで『まさか』な男の口から出た名前に、グローバルな交際の気配を察し、驚き戦慄した希咲のサイドのしっぽがぴゃーっと跳ね上がった。
「……なんなの……外国の人と付き合ってるって聞いただけで感じるこの妙な敗北感…………」
「俺に言われてもな」
純日本人である希咲さんは、コミュニケーション能力が地獄だと認定していたクラスメイトの男子が、まさか自分よりもススんでいるのではと、何故か落ち込みそうになる。
「へーー。あんたがねぇ……。彼女いるってだけでもチョー意外なのに。素直にびっくりだわ。ねぇねぇどうやって出逢ったの? もう長いの?」
「さっきからお前は何の話をしてるんだ?」
「や。だからさ。あんたとその彼女のエルフィーネさん?の馴れ初めとか」
「彼女? エルフィが?」
「え? ちがうの?」
「…………その『彼女』というのは『恋人』という意味でいいんだよな?」
「当たり前じゃない。他にどんな意味があんのよ」
「ふむ」
そう頷いて顎に手を遣り、弥堂は立ち止まった。
希咲は隣を歩く彼が突然立ち止まったことで、「ぉととっ」と2歩ほどたたらを踏んでから遅れて歩みを止める。
「なに? どした?」
振り返って尋ねながらその時視界に入った周囲の風景を見れば、もう目的地であった階段前のトイレの少し手前であった。
ずっと隣の弥堂を見ながら文句を言っていたので進行具合に気付いていなかったようだ。
「なんだ、もう着いたのね。やっと安心できるわ」
心許無くなった胸元を抑えていた手でついでにその頼りない胸を撫でおろす。
意外な人物のコイバナには面白さはあれど、個人的に弥堂に興味があるわけではないので、あくまで親友の水無瀬のための情報収集を兼ねた世間話というつもりで彼に話を振っていた。
その話はまだ途中だったのだが、希咲にとっては自分の『お外でノーブラ』の状態異常を解除することの方が緊急性が高い。
だからここで話を一旦打ち切ろうとする。
しかし――
「んじゃ、あたしちょっと行ってくるからあんたは先に――「――そうだな」――え?」
その前に返事を返されてしまい、言葉が被ってしまったことで特に意味はなく彼の顔を見た。
見てしまった――
「――そうだな。そういうことなら、キミの言うとおりエルフィは俺の彼女なのだろう」
「あっそ」
軽く相槌をうちクルっと背中を向ける。
顔を見られないように。或いは見ないように。
「てか別にキョーミないしっ」
「そうか」
「あたしいってくるから、あんたは先に下駄箱行ってて。ここで待ってないでよ」
「わかってる。さっさと出すもん出してすぐに出て来いよ」
「だーかーらーっ! それやめろって言ってんでしょ! バカなんじゃないの⁉」
「うるさい。さっさとしろ」
(――ホント、バカなんじゃないの?)
希咲は振り向かないままで進み、ドアに手を掛ける。
「マジしんじらんないっ。んじゃまたあとで!」
「あぁ」
勢いをつけてドアを押し開け、中に入る。
今度こそ確実に話を打ち切るように、自分と彼がいる空間とを隔てるために後ろ手でドアを閉める。開けた時に比べ静かに力なくそれは閉ざされた。
微かなパタリという音を聴くと、閉めたばかりのドアが動かぬようにそっと背を預けた。
緩く目を閉じ外の気配を探る。
足音が聴こえたりはしないが、人が一人遠ざかっていくのがわかった。
意図せずに溜め息が漏れた。
(……ばかっ。デリカシーなし…………)
その溜め息は安堵からであり、後悔からでもあった。
(――あたしの……ばか……っ)
0
お気に入りに追加
55
あなたにおすすめの小説

日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
月が導く異世界道中
あずみ 圭
ファンタジー
月読尊とある女神の手によって癖のある異世界に送られた高校生、深澄真。
真は商売をしながら少しずつ世界を見聞していく。
彼の他に召喚された二人の勇者、竜や亜人、そしてヒューマンと魔族の戦争、次々に真は事件に関わっていく。
これはそんな真と、彼を慕う(基本人外の)者達の異世界道中物語。
漫遊編始めました。
外伝的何かとして「月が導く異世界道中extra」も投稿しています。

Hしてレベルアップ ~可愛い女の子とHして強くなれるなんて、この世は最高じゃないか~
トモ治太郎
ファンタジー
孤児院で育った少年ユキャール、この孤児院では15歳になると1人立ちしなければいけない。
旅立ちの朝に初めて夢精したユキャール。それが原因なのか『異性性交』と言うスキルを得る。『相手に精子を与えることでより多くの経験値を得る。』女性経験のないユキャールはまだこのスキルのすごさを知らなかった。
この日の為に準備してきたユキャール。しかし旅立つ直前、一緒に育った少女スピカが一緒にいくと言い出す。本来ならおいしい場面だが、スピカは何も準備していないので俺の負担は最初から2倍増だ。
こんな感じで2人で旅立ち、共に戦い、時にはHして強くなっていくお話しです。

美人四天王の妹とシテいるけど、僕は学校を卒業するまでモブに徹する、はずだった
ぐうのすけ
恋愛
【カクヨムでラブコメ週間2位】ありがとうございます!
僕【山田集】は高校3年生のモブとして何事もなく高校を卒業するはずだった。でも、義理の妹である【山田芽以】とシテいる現場をお母さんに目撃され、家族会議が開かれた。家族会議の結果隠蔽し、何事も無く高校を卒業する事が決まる。ある時学校の美人四天王の一角である【夏空日葵】に僕と芽以がベッドでシテいる所を目撃されたところからドタバタが始まる。僕の完璧なモブメッキは剥がれ、ヒマリに観察され、他の美人四天王にもメッキを剥され、何かを嗅ぎつけられていく。僕は、平穏無事に学校を卒業できるのだろうか?
『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

家の庭にレアドロップダンジョンが生えた~神話級のアイテムを使って普通のダンジョンで無双します~
芦屋貴緒
ファンタジー
売れないイラストレーターである里見司(さとみつかさ)の家にダンジョンが生えた。
駆除業者も呼ぶことができない金欠ぶりに「ダンジョンで手に入れたものを売ればいいのでは?」と考え潜り始める。
だがそのダンジョンで手に入るアイテムは全て他人に譲渡できないものだったのだ。
彼が財宝を鑑定すると驚愕の事実が判明する。
経験値も金にもならないこのダンジョン。
しかし手に入るものは全て高ランクのダンジョンでも入手困難なレアアイテムばかり。
――じゃあ、アイテムの力で強くなって普通のダンジョンで稼げばよくない?
少年神官系勇者―異世界から帰還する―
mono-zo
ファンタジー
幼くして異世界に消えた主人公、帰ってきたがそこは日本、家なし・金なし・免許なし・職歴なし・常識なし・そもそも未成年、無い無い尽くしでどう生きる?
別サイトにて無名から投稿開始して100日以内に100万PV達成感謝✨
この作品は「カクヨム」にも掲載しています。(先行)
この作品は「小説家になろう」にも掲載しています。
この作品は「ノベルアップ+」にも掲載しています。
この作品は「エブリスタ」にも掲載しています。
この作品は「pixiv」にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる