俺は普通の高校生なので、

雨ノ千雨

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序章 俺は普通の高校生なので。

序章25 庭へは續かない道 ③

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 弥堂 優輝は焦っていた。


 事ここに至って彼はやはり一切の罪悪感も感じていないし、泣いている希咲に同情もしていない。

 だが、何故か彼女に対していつものように冷酷な対処が出来ない。そんな自分に起こっている原因不明の異常が大変に首の据わりを悪くした。

 その為、余計な一言を口走ってしまう。

「しかし俺がここに介入した時、キミは自分からスカートを捲って奴らにおぱんつを見せようと――」

 だが、半ば苦し紛れのその言葉は最期まで言えなかった。


 希咲は何も言ってはいない。発言の途中で彼女に口を挟まれ遮られたわけではない。

 ただ、彼女を見て――彼女のかたちを、彼女の表情かおを、彼女のを見て、その右の眼窩から大粒の涙が一雫だけ溢れ、瞼から漏れて頬を伝い零れ落ちたのが見えて、思わず言葉を止めてしまった。

 彼女が――希咲 七海が傷ついたと、自分が傷つけたと弥堂にすら解るほどに、弥堂の眼に写った彼女の表情は傷ついているように見えた。

 だが、弥堂が言葉を途中で切ったのは、言の葉のナイフのその切っ先を彼女の裡へと力づくで押し込むのを躊躇し踏み留まってしまったのは、なにも彼女を傷つけたことに罪悪感が生じたわけでもなければ、なにかしらの配慮をしたわけでもない。

 なんのことはない。

 ただの既視感からであった。


 記録を取り出し広げて再生するまでもなく、はっきりと記憶をしている過去の――既に通り過ぎたいつかの情景と重なって、或いは重ねてしまって、それを最後まで刺しこむことが憚れてしまったのだ。

 この既視感こそが先程から希咲に対して感じていた言い知れない遣り辛さの正体であることに気付き、そしてたかだかその程度のことで手を緩めた自分を強く恥じ、同時に激しく苛立った。

「チッ」と思わず舌を打つとそれに肩を跳ねさせて希咲が怯えたような仕草を見せる。それに益々苛立ちを募らせるが、それ以上にやはり遣り辛さが勝った。

 普段あれだけ強気で生意気な口をきく癖に、こうして急にしおらしい態度を見せたり、泣くと言動が幼くなったり、こういった部分を彼女と――かつての師であり最も自身に近しい女であったエルフィーネと重ねてしまい、弥堂は段々と投げやりな気分になっていく。


 この状態を彼はよく知っていた。

 彼の敬愛する上司である廻夜部長風に表現するのならば、『パターン入った』というやつだ。勿論『敗けパターン』である。

 なので彼は諦めた。


 諦めて彼女を――記憶の中のメイド女ではなく、目の前の希咲 七海を見る。

 じっと見つめられて、彼女はぐしぐしと鼻を鳴らしながら「なによぅ」と情けない声を出して上目を遣う。

 変わらず涙を目に溜めて眉を下げる彼女の表情を見て、弥堂は一度だけ物凄く嫌そうな顔をしてからわかりやすく溜め息を吐いた。

 そして希咲の顏に手を伸ばす。


 左手は変わらず希咲の足を拘束したままで、右手の開いた掌を見せながらゆっくりと顔に近づけてくる。
 またもこの迷惑男が突然脈絡のない行動を見せてきて、希咲は「えっ? えっ? なにっ?」と激しく混乱した。

 少し前の正門前での騒動の時に水無瀬に対して同じような行動をした際と同様、弥堂としては触れられるのが嫌なら勝手に避けろという意味を込め、拒絶する猶予を与えるためにわざとゆっくりと手を近づける。

 一応は頭のおかしい男なりに女性に対する配慮をしているつもりなのだが、やはりその意図は誰にも伝わらない。
 というか、避けろも何も希咲の足を拘束したままなので、例え彼女が逃げようとしてもそれは叶わないのだが、そういった細かいことはこの男にとってはどうでもよく、その配慮はやはりどこにも行き届かない。

 この時、希咲は首を絞められると思い咄嗟に身を捩るが、片腕でもがっちりロックされた足が外せなくて恐怖した。
 ついでに周りで二人の様子を見ていた法廷院たちにも、頭のおかしい風紀委員が突然同じ学園の女生徒の殺害に及んだようにしか見えなくて、彼らも目玉を剥いて驚愕した。


 そのように勘違いをして首に意識が向いていた希咲は、とうとう弥堂の手に捉えられ、しかしその触れられた箇所が思っていた場所ではなかった為に今度は驚きで硬直する。

 開いた右手の親指と人差し指で頬を挟むように顎のラインから触れ、そのまま撫でるように上げていく。

 親指で先程彼女が流した涙の痕を拭うようになぞる。

 やがて彼女の下眼瞼へ辿り着くと今度は人差し指で、まだ涙が残ったままの左の瞼の下の縁をなぞりその雫を掬う。

 その作業が終わると一欠けら程の未練も見せずに彼女の顏から手を離した。


 暴挙とも云えるほどに好き勝手されている希咲だが、怒るでもなく只管に頭上に『⁉』を多数浮かべて混乱していた。

 そんな彼女にも興味を示さず、弥堂は人差し指の爪に載せた彼女の涙を見詰める。


 エルフィーネが自分に何と言っていたか。

 やはり記録を起こさずともはっきりと記憶している。


『敵でさえないのであれば基本的に女には優しくしなさい』

『男女問わずやはり敵でないのであれば年下には優しくしなさい』

 これだけではないが、弥堂に人間の皮を被せることに躍起になっていた彼女からは、特にこれらをうんざりするほど聞かされたように憶えている。

 彼女の台詞を彼女の声で浮かべながら、彼女ではない少女の顏を目に映す。

 腹いせに指を弾いて彼女の前で彼女の涙を放り捨ててやると、涙は虚空に溶けて『世界』の一部になった。

――ような気がした。


「おい、希咲」

「はっ、はいっ」

 唐突に声をかけられ希咲は何故か緊張したように強張った返事をするが、彼女の様子を気にも留めず彼は言いたいことだけを言う。

「お前は俺の敵か?」

「え?」

「まだ敵対する意志はあるのか、と訊いている」

 突然投げかけられた質問の意図が掴めない様子の彼女に重ねて問う。

「え、えっと……ない、もうしない。元々どうしてもケンカしたいくらいあんたのことキライってわけじゃないし……だからもうこれやめて? ホントに恥ずかしくてやなの」

「そうか」

 ひどいめに合わされて泣かされた挙句にわけのわからないことまでされて、ここで彼と会ってからこっち散々に振り回されている。そんな混乱の最中でも質問に対して先に答えを述べ、それから理由や自身の気持ちを伝えるという、極めて理性的で理知的な回答を希咲はする。

 にも関わらず、自己中心的な風紀委員の男は至極どうでもよさそうに相槌をした。

 弥堂にとっては質問に対しての返答が『YES』か『NO』のどちらなのかが重要であり、その答えに至った相手の経緯や心情などにはこれっぽっちも関心がないのだ。


 彼の質問は続く。

「次だ。お前は俺より年下だな?」

「……? なに言ってんの? 同じクラスじゃない。あんた留年でもしてるわけ?」

「していない。こんな所に4年も5年も通っていられるか」

「いみわかんない。あんたガッコきらいなの?」

「…………」

「……また無視するし。なんですぐ無視すんのよ……べつにいいけど……じゃあどういうことなのよ。タメなのに年下とかいみわかんないっ」

 自分は訊きたいことは好きに訊いてくるくせに、こっちの質問にはめんどくさそうにしてちゃんと答えない。
 そんな身勝手な男に眉根を寄せて「むー」と抗議の視線を送るが、答えを待っていても無駄そうなので合間に鼻をすんすん鳴らしながら、弥堂からの質問の意図を考える。

「……えっと、あんたの誕生日って次の日曜よね? あたしは7月3日だから、そういう意味なら一応年下? ってことになるかもだけど……そういうこと?」

「そうか」

 希咲からの答えに正解とも不正解とも告げず自分だけで納得をする。


 何故彼女が自分の誕生日を知っているのかという点は多少気にはなったものの、それはこちらも同じことで下手に藪を突きたくなかった為にこの場では聞かなかったことにした。

 そもそも質問という形をとったものの、実のところこれはただの確認作業であった。
 元々彼女が年下であることは知っていたが、無駄な抵抗のつもりで念のため本人に形式上訊いてみただけのことである。

 これから何をするかはもう既に決めているようなものではあるものの、弥堂はそれをやりたくないが為にこうして『それをするための理由』造りをしていた。


 弥堂 優輝という男は理由と必要性さえあればどんなことでもする男であるが、やりたくないことや必要のないことをする場合は、それをする必要があると自分を納得させる為にこのようにあれこれと牽強付会こじつけのような理由付けをして折り合いをつけるという、他人からすれば面倒くさくて厄介で傍迷惑な習性を持っていた。


「では、お前は敵ではない年下の女、ということだな?」

「そう、だけど……ねぇ、これ一体なんの――」

「――そうか。じゃあ、仕方ないな」

「――は?」

 どこまでも会話相手を置き去りに、情報の共有も感情の共感もないまま勝手に一人で話を進めて勝手に一人で納得をする。しようとした、が――

「――で、でも……」

「あ?」

「誕生日はそうかもしんないけど、絶対あたしの方がおねえさんなんだからっ……」

「…………」

 希咲にとっては弥堂の内心など知る由もないのだが、せっかく解放してやるための意味づけをしていたのにそんな負け惜しみを言ってくる。
 弥堂としては珍しく口を開けたまま彼女の顏を見た。

 負けず嫌いなのか何なのかは測れないが、綺麗な輪郭を描く瞼の縁に涙を溜めながらも弥堂を上目に見て、精一杯眉根を寄せて挑戦的に眦を上げてくる。

 反射的に口から出そうになった反論の言葉をどうにか溜め息でどこかへと流すことに成功したのは、自発的な自制や泣いている希咲への配慮ではなく、記憶の中の女にそれを強く咎められた気がしたからだ。

(うるせぇな、わかってるよエル……)

 心中でここには居ない彼女に悪態をつく。

 今目の前でベソをかく希咲と、過去に自分の中で大きな存在であった女とを重ねて見てしまって、弥堂は現在このような無様を晒してしまっている。
 しかし、半分以上泣きながらもこのような子供染みた口ごたえをしてくる希咲の姿に、エルフィーネなら一度泣いたら絶対にこんな態度をとってくることはないなと、ブレながらも重なっていた輪郭の逕庭けいていが拡がったことに何故か安堵を得た。

 奇しくもそのことで弥堂の中では折り合いがついた。


「ねぇ、お願いだからもう放してよっ」

「いいだろう」

「へ?」

 会話が成立している手応えがまったくない上に、自身が置かれている現状も相まって多少強めに嘆願をしたものの、まさか承諾されるとは考えていなかった希咲は目を丸くした。

「お前を解放してやると言ったんだ」

「そう……なの? なんで……?」

「お前が放せと言ったんだろうが」

「いや、そう、なんだけど……あ、いや、いいや。とりあえず先に放して」

 彼が翻意した理由は気になるものの、またわけのわからない話をされてこのままの体勢を維持されては敵わないと、聡明な彼女は身柄の解放を優先させた。
 ただ、彼が譲歩する姿勢を見せた理由をもしも希咲が知れば、それはそれで怒り狂うことになるであろうが。

 勝手に昔の女と重ねられるなどトップオブトップに失礼な行いである。
 幸か不幸か今の希咲には弥堂の心中など知る術がなかった為、彼女自身が認知している本日の放課後にあったひどい目の一つとしてはカウントされなかった。

 まぁ、知ったところでこの男と付き合っているわけでもなんでもないので、『うざっ』『きもっ』以外の感想などないのだが。

 しかし、彼が何を想いこのような行動に出たのか知らないのにも関わらず、希咲は超常的な女の勘で自分を何故か物凄く嫌そうな顏をして見つめてくる男にとてつもなく不愉快さを感じた。

 かなり切実に解放を望んではいるものの、この男の人間性に一切の信用がないので正当な要求をしたところでそれを呑んでもらえる望みは薄いと思っており、だからこそこんなにも絶望感に苛まれていたのだ。
 希咲としてはこの好機を逃すわけにはいかない。故に、大変に不愉快で業腹ではあるものの、ここはとても慎重な対応が求められる。


「解放はする。だが、その前に最終確認だ」

「むー、なによぅっ。早くしてよぉ」

 さっさとしろと怒鳴り散らしたい気分だが、今はこの卑劣なセクハラ男の機嫌を損ねるわけにはいかない。

「お前が身柄の解放を望むのは、あくまでもおぱんつを見られて恥ずかしいからであり、騙し討ちをする為ではないということだな? 嘘はないな?」

「うそじゃないっ! ホントにはずかしいし、やなの!」

「そうか。では神に誓えるか?」

「神っ⁉ なんでっ⁉」

「む、貴様誓えんのか? なにかやましいことがあるのか?」

「ないっ! ちかうっ! ちかえるからっ!」

「では誓え」

「えっ⁉ …………え、えっと……かっ、神様っ、あたしはパンツ見られてはずかしいですっ!」

「俺の言うこともきけるな?」

「きくっ! きくからっ! だからもうはなしてっ‼」

「よし、いいだろう」


 早く解放されたい焦燥感とようやく解放された安堵感から、どさくさに紛れて不穏な約束までさせられたことには気付かず、一体何の神に何を誓わされたのかもわからないままではあったが、希咲は拘束されていた右足を解放される。

「もう……なんなのよぉ……」

 言いながらへなへなと腰から脱力し、またも床にぺたんとお尻をつけて座り込んでしまった。

 少しの間、ぐしぐしと目元を擦り鼻を啜っていたが、割とあっさり調子を取り戻すと、

「あんた、絶対許さないからねっ」

 すぐにキッと恨みがましい視線を向けてそう言ってくる。
 そんな彼女に、弥堂は『ほれみろ、やっぱり嘘じゃねぇか』と思ったが、面倒なので口に出すことはしなかった。


 一応はこれで彼女との争いは解決したと弥堂は認識したのだが、今の彼女のコンディションを考慮するとこの場ですぐに、アホを騙して金を巻き上げる美人局のキャストをやれなどと言っても話をスムーズに進めることは難しいであろうと判断をする。

 馴染みの売人を聞き出す作業についても時間がかかるであろうし、出来れば場所は密室が望ましい。色々とツールも使うことになるかもしれないし、いずれにせよ準備が必要となる。

 とりあえず今日のところは『なんでも言うことをきく』という言質を録っただけでも、充分に成果を得たということにしておこう。そう考えた。
 もちろんそこまでのことを希咲は一言も言ってはいないのだが、弥堂の中ではすでに拡大解釈されていた。

 もうじき完全下校時間を知らせる時計塔の鐘も鳴る頃であろうし、この現場ももう潮時だ。

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