俺は普通の高校生なので、

雨ノ千雨

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序章 俺は普通の高校生なので。

序章23 掌球に刺さる牙 ①

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「あんた、絶対泣かすわ」

 そう言って自身の前に静かに立ち、敵意を向けてくるクラスメイトの少女――希咲 七海きさき ななみを弥堂は視た。

 目線は希咲に固定したまま意識だけを先程彼女の蹴りを受け止めた、未だ痺れの残る左腕へと向ける。

(完全に油断をしていたら折られていたかもな……)

 同年代の女子の平均よりは多少高い身長ではあるが、見るからに平均よりも細身な彼女から繰り出された、彼女の体重や細い脚からは考えられないような威力の打撃。
 それなり以上に鍛えていて戦闘経験のある自分でも、仮にノーガードでアレをもらったのならば、恐らく一撃で意識を刈り取られるであろう。

 彼女の体躯や体重に見合わない打撃の威力の不条理さや不自然さは気に掛かるところではあるが、現実として目の前で実践され、文字通りの意味で身を以て体感をしたのだ。今はその威力を実現する為の理屈を考える時ではない。

 そういう力を持った存在である――ただ、それだけを認識すればいい。


 それに最も注視せねばならないのはその威力ではなく――

(――あのスピード)

 通常、人が人の目に留まらない速度で動くこと、人の反射速度を完全に凌駕した速度で動くことは、『普通』は不可能だ。

 だが、先程の彼女がキルレンジへと踏み込んできた速度は、それに迫るほどのものがあった。

 まだ他に何か驚異的な戦闘能力や武器を隠し持っている可能性はあるが、現状まず最優先で警戒すべきはあのスピードであると認識をし、そして――

――そして、弥堂 優輝びとう ゆうきは希咲 七海を極めて危険度の高い敵性存在であると認定をした。


 意識を切り替え、改めて敵を視る。

 彼女は静かにそこに居た。


 先刻、高杉と対峙していた時の弥堂のように、左肩を前に出す半身の姿勢で。
 両腕は下げた状態で、重心は綺麗に伸ばされた右足に受け持たせ、前に出した左足は爪先が床に着くか着かないかの高さで踵を浮かす。

 弥堂にはそれが獲物を狙う獣が駆け出す前に地面を掻き均す仕草のように見えた。


 眼と目が合う。


 彼女もまた弥堂を見ている。

 猫科の獣のように瞳孔を縦長に収縮させ自分にピントを合わせている。

 獲物として。或いは――


――敵として。


 その瞳には静かに、だが明確に敵意が宿っていた。


 常日常のように、怒って感情のままに喚き散らすのではなく、敵の打倒を既に決意した鋭利な戦意を虹彩に燻らす。

 弥堂はその彼女の佇まいから、先程見せた攻撃の威力や速度と合わせて、そのメンタルの切り替えを評価した。評価し、そして――

――そして弥堂もまた敵を打倒すべく、己をただその為の装置とする。


 言葉はなかった。


 場には静かに重圧が圧し掛かり、二人の様子に固唾を飲む『弱者の剣ナイーヴ・ナーシング』の面々にも沈黙を強いた。


 ワンサイドアップで結われた希咲のサイドテールが僅かに揺らめいている。獲物を狙う猫の尾のように揺れて――瞬間、大きく跳ねた。


 跳ねた――と弥堂が視認した次の瞬間にはもう彼女はこちらの殺傷可能範囲に飛び込んでいた。
 先程同様に希咲の右足が振り上げられる。またも左側頭部狙いだ。

 弥堂もまた先と同様、しかし先よりも余裕をもって左腕でガードの姿勢を作る。ただし今回はそのガードに右手を添えて。
 最速での反撃よりもまず相手の攻撃を抑えることを優先したのだ。

 ガードに攻撃がヒットする。

 先程とは違い振り下ろすような軌道のその蹴りからは、やはり尋常ではない衝撃が伝わるが、その威力を抑え込むことに成功した。

 右のハイキックを放ったまま大きく足を開いた恰好の、その股間を蹴り上げようと重心を移そうとしたその時――

――パァンっと平手で打ったような乾いた音が響き、弥堂の視界が大きく揺らいだ。


 直感的に何をされたかを悟る。

 先刻の弥堂と高杉の立ち合いの際、弥堂自身が高杉へと放った攻撃だ。それと同様に希咲は弥堂の左腕のガードを支点として、足首の動きだけで以て爪先で弥堂の耳を打ったのだ。

(――ただ一度見ただけでコピーしたというのか)

 三半規管を揺らされ敵を目の前にしてその姿を見失う。

 ほんの0コンマ何秒かの自失から弥堂が回帰した時と、希咲の次の攻撃が放たれたのはほぼ同時であった。


 希咲は弥堂へと右足をヒットさせた後、その蹴り足を戻すのではなく振りぬいた。そしてその勢いのままその場で回り今度は左足で第二撃を放った。

 地に下ろした右足を支点に、まるでアッパーカットのような軌道で左の後ろ回し蹴りが、弥堂の顔面へと振り上げられる。

 弥堂は寸でのところでスウェーバックして回避した。

 顎先わずかに数ミリを鋭い蹴り足が過ぎる。その足が通り過ぎるのを目で追い右でカウンターをとりにいく。

 しかし、そのために重心を移そうとするよりも速く、希咲は足を振り上げた勢いのまま跳び上がっていた。速度の差で先手を取られ続ける。

 下から振り上げる縦の軌道の直後、今度は彼女は空中で回り、右足を振って横からの軌道で回し蹴りを繰り出す。

 まるでボクサーのパンチのように、その細長い脚で器用に様々な軌道の蹴りを、こちらがパンチを打つよりも遥かに速くコンビネーションさせてくる。

 恐るべき身体能力であった。

 だが――

(――それは悪手だ)

 弥堂は今度は回避ではなくガードを選択する。

(空中で掴まれればそれでもう詰みだ)

 蹴りをしっかりとガードで抑え、その抑えた蹴り足をとりにいく目論見だ。衝撃に備える。


「――――⁉」


 だが、驚愕に目を見開いたのは今度も弥堂だった。


 希咲は右の回し蹴りがヒットする直前で膝を折って弥堂のガードを空かした。

 そのまま空中でさらに身体を回転させる。

 希咲が身体を回す直前――自身の正面を彼女の顔が通り過ぎる瞬間に目が合った。

「あはっ――」

 狩りの最中の興奮状態に陥った獣のように、希咲 七海は獰猛に嗤った。


 その凄絶な美しさを魅た次の瞬間には、野生の獣の如く柔軟なバネで空中で姿勢を変えた彼女から、今度はストレートの軌道で放たれた左の後ろ回し蹴りが顔面へと迫る。

 弥堂は寸でで右腕を間に割り込ませ、どうにか防ぐことに成功した。

 次の行動の意思決定をするその前に、宙を舞う希咲と再度目が合う。

 その瞳に込められていたのは必殺の意志だ。

 彼女は弥堂の右腕に左足を押し付けたまま、空中でさらにもう一段身を捩った。

 空中に滞在したままでの快速の三連蹴り。

 そのフィニッシュとなるストレートの軌跡を、彼女の綺麗な右足が描く。

「ぶっ、とべ――っ‼」
「ぐっ、ぅ――‼」

 弥堂の胸に直撃した瞬間捩じったその右足は、178㎝、68㎏の弥堂 優輝を宙へと吹き飛ばした。


 胸を打たれ息が止まる。

 しかし、弥堂はパニックを起こすことなくリカバリーを図る。

 空中で彼もまた身を捩る。


 希咲の蹴りで吹き飛ばされた力を利用し、宙で何度も身体を横回転させながら、同時にその威力を殺す。そのまま姿勢を入れ替え床へと着地をした。

 すぐに顔を上げ敵を視界に入れようとする。

 しかし、弥堂の視界には希咲の姿は映らなかった。

「なんだと」

 ガッと床を蹴る音が聴こえる。

 しかし、その音が聴こえてきたのは上方向――天井からだ。

 素早く頭上へと視点を上げた弥堂の眼に飛び込んできたのは、先程スマホの画面の中で見た、青だか緑だかわからない――本人の自己申告によればミントブルーというらしい――色のパンツだった。


 希咲によって吹き飛ばされた弥堂も、吹き飛ばされた弥堂に気をとられた観戦者たちも彼女の姿を見失っていた。


 希咲は弥堂へと最後の蹴りを放った後すぐに宙を舞う彼を追って駆け出し、窓枠を蹴って跳び上がると空中で上下反転し天井を蹴り、着地直後の弥堂へと急襲をしかけていたのだ。

「堕、ち、ろ、――っ!」

 天井を蹴った勢いのまま右の踵がギロチンの刃のように落とされた。


 弥堂はそれを両腕でガードする。

 今まで以上の衝撃を伴った希咲の蹴りを受け止め、弥堂の膝が落ちる。

 しかし、威力に負けたのではない。


 弥堂とてやられっ放しではいられない。


 恐らくこの蹴りは先程までガードしてきたもの以上の威力であろうと見当をつけていた弥堂は、両腕でガードすると同時に自ら膝を折り、その衝撃を受け流しにかかる。

 膝を曲げ身を捩り、両腕に載った希咲の蹴り足を身体の脇へと流し、先程彼女が放ったそれのように、受け流す動作のまま回転し右で後ろ回し蹴りを放つ。


 だが、その蹴り足は何者をも捉えることは叶わなかった。


 希咲は、弥堂が直線軌道で最速で放ったその右足の遥か間合いの外、かなりの距離を空けた場所にすでに退避していた。

「…………」

 弥堂は彼女へと視線を向けたまま、無言で足を降ろすと半身になる。

 希咲もまた、この立ち合いが始まる前と同じ姿勢で、片足の踵を軽く浮かせた状態で弥堂を見ていた。


 再び場に静かな重圧が満ちる。


 緊張と目の前の光景に耐えかねて、西野と本田が法廷院に取り縋った。
 
「だ、代表っ! 何かいきなり本格的を通り越した超人バトルが始まって困惑どころじゃないんですけど!」

「まずいですよ! 希咲さんめちゃくちゃ強いじゃないですか! あの弥堂が吹っ飛んでましたよ! てか、人間って飛べるんですね! リアル空中コンボですよ!」

「僕ら希咲さんにとんでもないことしてますけど、大丈夫なんですか⁉ あんな蹴りくらったら普通に死にますよ⁉」

「あははー……やだなぁ二人とも、落ち着きなよぉ。死ぬだなんて大袈裟な。だってそうだろぉ? ねぇ、白井さん?」

「…………」

 白井さんは青褪めた表情でプルプルと震えていた。無理もない。希咲さんに一番とんでもないことをしでかしたのは、考えるまでもなく彼女だからである。

 たった今、希咲が目の前で見せた――見せたというか、白井を含めた彼らの動体視力では先程の高杉と弥堂の戦闘以上に、何が何だかわからないほどの――女子高生離れどころか人間離れをした戦闘能力に、これまでのように軽口を叩いて惚けるような余裕を失くしてしまっていた。
 つまり白井さんは完全にビビリ倒していた。

「……解説の高杉クン、これはどんな感じかな?」

 法廷院はそんな白井の様子は見なかったことにして高杉へと問いかける。しかしその頬には一筋の冷や汗が流れた。彼もまたようやく危機感を感じ始めていた。

「…………圧巻、ですね」

 問われた高杉は少し言葉を探してから端的に答えた。

「ほ、ほう? ……あの、もしかして希咲さんってキミより強かったりする? そこまではないよね? ね?」

「……もしも自分が弥堂の立場でしたら、すでに床に沈んでいるでしょう……」

 不安気に尋ねられた問いに高杉は正直に、しかし悔し気に事実を言った。

「なんてこった」

 法廷院は諦めたように顔を覆い天を仰いだ。

「あの、代表? これって弥堂が敗けたら次は僕らが蹴られるんでしょうか?」

「で、でもさ、西野くん。弥堂にやられるよりはマシじゃないかな? 希咲さんなら本気で謝れば許してくれるかも……で、ですよね? 代表」

 西野と本田が不安気に問いかける。

「うーーん……ボクも希咲さんに一票かなぁ……どうかな、高杉クン?」

「はい。一応は見たとおり希咲が現状優勢でしょう。しかし弥堂もほぼ完璧に近い形で凌いでいます。素晴らしい技術です。ですが、彼女のスピードは圧倒的です。弥堂が勝つには彼女を摑まえるしかないですが、追って捉えられるとは思えません。持久戦に活路を見出す他ないでしょう。希咲の体力が尽きるまで凌げば弥堂の勝ち、それまでに仕留められれば希咲の勝ち。恐らくそういう勝負になります」

「なるほどー。まぁ、どっちが勝つにせよ、終わったらみんなで希咲さんに土下座だね、あははー」

「もしも弥堂が介入してこなかったら僕ら彼女にボコボコにされてたかもしれないですね、ハハハ」

「敵とはいえ、風紀委員さまさまですねー」

 元空手部の高杉が詳しく解説してくれたが、素人であり特に運動を普段からするわけでもない法廷院たちにはよく理解できなかったので、とりあえず彼らは朗らかに笑った。
 彼らは後輩の女子にボコボコにされるかもしれないという現実から逃避したのだ。
 謝ったところで到底許されないレベルで希咲にケンカを売った白井さんはガタガタと震えている。


 弥堂と希咲もまた、今の立ち合いの戦果から互いを考察する。


(以前から、身体能力は高いとは見ていたが……ここまでとはな)

 弥堂もまた希咲 七海きさき ななみの戦闘能力を高く評価していた。元々運動神経の優れた少女だとは思っていたが、想定していたよりもはるかに彼女のクオリティは高かった。

 ナメていたわけでは勿論ないが、まさか同じ学校の同じクラスに身体能力のみで己を圧倒する者がいるとは想定していなかった。

 そう――


――身体能力『のみ』である。

 弥堂は彼女に強く不自然さを感じていた。


(立ち姿は綺麗だが、格闘技や戦闘術を学んだ者のそれではない……だが、闘いにはそれなりに慣れている雰囲気はある。よくわからん女だ)

 立ち姿、歩き方、振舞い。

 そこに戦闘を生業にする者の匂いは感じられない。あれほどの猛威を奮った後の今現在でさえ、こうして弥堂の目の前に立つ彼女の姿からもそれは同様だ。

 しかし、攻撃に移る瞬間からそれが変わる。


 人間が人間を打倒する技を行使するのに最適な身体の使い方をする。攻撃を実行しているその時だけ。

(意図的か? だが、ここに至ってはそんな擬態はもう意味を為さない)

 不自然な動き、不自然な身体能力、不自然な攻撃力。


(だが、問題はない)

 敵である以上倒してしまえばそれで済む。弥堂は自分が勝てないなどとは少しも考えていなかった。
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