俺は普通の高校生なので、

雨ノ千雨

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序章 俺は普通の高校生なので。

序章18 偽計に散る義侠の火花 ②

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(思った通り高杉の奴もけっこう『やる』けど、弥堂――あいつただの乱暴者ってわけじゃないのね)

 両腕の袖口と胸元をポンポンと払う弥堂を見ながら、離れた場所で希咲 七海きさき ななみは目を細めた。

(高杉の空手は多分あと1・2回見れば真似できそう。だけど弥堂のはなんか変。よくわかんなくて多分真似できない)

 手慰みに指先で唇を撫でながら思考する。

(でも、あのハイキックは覚えた。あんな蹴り方もあるんだ。ちょっといいもの見たわ)

 クスリと笑みを漏らす。

(このままやったら弥堂が勝つ。格闘技のことはわかんないけど、弥堂の方が戦うのが上手い。多分人を攻撃したり、人に攻撃されたりするのにすごい慣れてる。普通じゃないくらいに……あいつ、どういう奴なんだろう)

 おそらくこの時が、希咲 七海が自信の親友である水無瀬 愛苗みなせ まなとの関連性以外で、初めて弥堂 優輝びとう ゆうきという個人に対して関心を持った時であった。

(興奮してるように見えるけど、高杉は息を整える時間稼ぎで喋ってる。弥堂も多分それがわかってて付き合ってる。なんで? 正々堂々とか本気の勝負をとかそういうタイプじゃないわよね。そういえば師匠さん? メイドさん? メンヘラの――その人が彼女ってことなのかな? てことは年上? さっきの話と合わせるとそういうこと、でいいのかしら……)

 思考が少しずつズレていく。

(てか、制服の汚れとか気にするんだ。ズボンの毛玉は無視したくせにっ。でも喧嘩中にそんなのに気を取られるようなデリカシーなさそうだけど、変なの。あっ、てかてか、普段から聞いたことまともに答えないくせに、そのメイド彼女さんのことだけは答えてる気がする。気のせい? ないと思うけど、もしも彼女さん大好きでつい余計にその話題だけ喋っちゃうとかだったら――) 

 揃えて伸ばした手の指先で口元を隠す。

(――ちょっとかわいいかも――なぁんて)

 もはや戦況の考察でもなんでもなく、弥堂が聞いたら怒りそうな想像に発展し、手で隠した唇で緩やかな弧を描きニンマリとした笑みを浮かべ、弥堂の後頭部に生温い視線を向ける。


 高杉もまた息を整えながら弥堂 優輝について考察していた。

(先輩たちを倒したというのが事実ならば俺よりも強い可能性は想定していたが……まさかここまで技術に差があるとはな。これは参った)

 頬に垂れてきた汗を腕で拭う。

(稚拙、などと言っていたが素晴らしい技術と立ち回りの完成度だ。道場などで習う種類のものではない、おそらく膨大な実戦経験を積んでいる。あの年齢で、どうやって?)

 視線の先の弥堂は息も乱さず表情も乱さず、ここに現れてからずっと変わらず同じ調子だ。

(このまま同じように挑んでは技術で圧倒されるだけであろう、だが――)

 コオォォォォと下腹から息を吐き出し、呼吸を整える。

(――だが、パワーとタフネスならば俺に分があると見た。先程のハイキック。速度と精度は見事だが、しかしあれならば耐えられる。相打ちに持ち込んで強引に叩き込む……先手の一撃はくれてやる。だが、その一撃で俺を仕留められなければ俺の勝ちだ、弥堂っ)


 拳を握りしめる高杉の背後で彼の守るべき『弱者の剣ナイーヴ・ナーシング』の仲間たちが不安そうに戦況を見守る。

「だ、代表。なんか思ってたよりずっと本格的なバトルが始まって困惑してるんですけど、これ大丈夫なんですか?」

「どっちが勝っても酷いことになりませんかこれ? 傷害事件の臭いしかしないんですけど! やばいですよ!」

「くっ……暴力を止めることの出来ない弱いボクを許してくれ、同志たちよ。こうなったら仲間を……高杉君を信じようじゃあないか。ねぇ、白井さん」

「えっ? あの、なんで私の名前知ってるんですか? 初対面ですよね? 気持ち悪いです…… 」

「キミのクズっぷりは清々しいねぇ……それもまた弱さかぁ……はぁ……」


 仲間たちの熱い応援の気持ちを背中に受け高杉は覚悟を決めた。

高杉 源正たかすぎ もとまさだ。この名を憶えておくがいい、弥堂 優輝っ!」

「いいだろう。レポートに書いておいてやる。取るに足らないクズだったとな」

「連れないではないか。嫌いではないぞ。その胸に俺の名をしっかりと刻ませてやる。次で決着をつけるぞ!」

 気炎を上げる高杉に弥堂はもう答えず、しかしここで初めて構えを見せた。


 先程同様に左肩を前に出す半身のまま右足に重心を置き腰を落とす。先程までは腕を垂らしガードは下げっぱなしであった左腕を上げて、拳は握らず指は緩く開けたまま手の甲を高杉へと向ける。そして右手は腰の裏に回し相手からは見えないように隠した。
 先程までのアウトボクサーの様に後ろ足に重心を置いて、素早く回避をすることを重視した立ち方ではなく、その場にずっしりと根を下ろすような構えだ。

 その姿に高杉は相手にも必殺の意志を見た。

(形意拳……? 中国拳法は詳しくはないがそのあたりと似ている気はする、が、後ろに隠した右手はなんだ? 暗器でも使う気か? ……ふん、ナイフでもなんでも好きに使うがいい。こちらのやることは変わらんっ)

 脇の下で手の甲を下に向けて引き絞るように構えた右の拳を堅く握る。左手は大きく前に突き出し開いた掌を弥堂へと向ける。開いた両足でしっかりと大地を踏みしめ、コオオォォォと息吹を行う。

(こちらから仕掛けて右のハイキックを誘う。その蹴りかもしくは隠し武器の攻撃をもらいながら強引に捕まえて手刀をくれてやる。20枚の瓦を叩き割る俺の手刀に耐えられるはずがない。一撃耐えれば俺の勝ち――仕留め切れればお前の勝ちだ弥堂っ)
 
 息を吐ききり、意を決め、筋肉はリラックスし集中は高まった。後は実行するのみ。


『征くぞっ‼』


 そう宣言しようとしてしかし、それは叶わなかった。


 まるで高杉の意志が決まる瞬間を知っていたかのように、高杉が攻勢に出ようとする瞬間を読み切っていたかのように。
 高杉が声を発しようとして口を開きかけたその時にはもう弥堂は懐に入っていた。


(――縮地だとでもいうのか‼⁉)

 驚愕に目を見開き反射で対応をしようとする。しかし、己の身体に攻撃命令を出して身体が動き出すまでのその間隙を突かれたかのように先手をとられたことで、それに対する最適な行動を選択し、意志決定をする処理に齟齬が起きた。僅かな僅かな硬直。

「ぐうううっ」

 それでもどうにか相手の姿だけはしっかりと目に映す。急激な緊張状態に固まってしまった筋繊維に強制命令を出す。姿勢を下げて沈み込むように入り込んできた弥堂は、伸び上がるように左の肘を突き入れてくる。狙いはボディだ。無理やりに腕を動かす。

 攻撃をする動きはキャンセルされてしまった。先に決めたプラン通りに先手をとり間合いの内の弥堂を迎撃するのはもう間に合わない。
 では、この攻撃をもらって摑まえるか?――それも無理だ。もらう覚悟を決めて準備をしていなければさすがに耐えられないだろう。それに、この男は先程100㎏近い体重の本田を片腕で持ち上げていた。決して非力などではない。今の硬直した身体の状態で急所に直撃をもらえば確実にこちらが沈む。

 横隔膜を貫こうと迫る弥堂の肘を無理矢理動かした右腕でガードした。

(その技は知っているぞ! 裏拳だろう!)

 推測通り、ガードされた反動で跳ね上がった左の裏拳が顔面に迫る。高杉は戻した左腕で顎を守った。

「ぐぬっぅっ」

 しかし、先の交戦時のハイキック同様に弥堂は高杉のガードに拳ではなく手首を当て、そこを支点に手首を返して伸ばした指で高杉の目を打った。左の眼球を打たれ視界が滲む。

 どうにか右目は守れたものの戦いの最中で突如として半分塞がれた視界にパニックを起こしそうになる。反射的に閉じそうになる無事だった右目を、高杉は意志の力で無理矢理見開き続けた。
 状況としては先程と同じだ。視界を塞いだのなら次は死角からフィニッシュを叩き込んでくる。図らずとも高杉が想定していた通りの展開となった。

(来いっっ! 右ハイを撃ってこい! 必ず耐える‼ 武器を使うなら使え。意地でも道連れにしてやるっっ‼‼)

 意志を固め、首の筋肉も固める。しかし――



――来ない。

 先程の弥堂の蹴り足の速度に合わせて備えていたが、あの速度でなら2・3発叩き込んでもお釣りが出るほどの時が経っても攻撃が来ない。

――カチッ、シュボ…………パチパチパチ……

 来るはずの攻撃が来なく視界の外から異音が鳴る。何かが弾けるような音が。


(なんだ? 一体なにをして――)
「――おい、目を離していてもいいのか?」

 右目で捉え続けている視界の中、弥堂はそう口を動かした。

(目を離す……? なにを――まさか⁉)


 勘に任せて大きく振り返る。敵を目の前にして、その敵に背を向けるようにして背後を見る。

 己の守るべき仲間と主の居る方向を。


 車椅子に座る法廷院とその周りに集まった『弱者の剣ナイーヴ・ナーシング』の仲間たち。特に変わった様子はない、しかし、その彼らの方へ向かって空中を、『何か』が放物線を描くように落ちていく。

 その『何か』は、車椅子に座った、高杉が主と仰ぐ法廷院の、深く座り踏ん反り返るようにして開いたその右と左の足の付け根の間に、落ちた。
 不思議そうにゆっくりと視線を下ろす法廷院と、焦燥し大きく見開いた高杉の右目に、その『何か』の正体が映る。それは――


「――へ? 爆竹っ?」
「代表おおぉぉぉぉっ‼‼」

 呆けたような声を出す法廷院の元へ、高杉は足の筋肉の全てを爆発させるような勢いで床を蹴り突っ込んだ。先程まで見せていた以上の踏み込みの速さで車椅子へ腕を伸ばし飛び込む。


「ぐっぐうぅぅぅぅっ」

 座席部分に落ちた導火線に火花を散らす爆竹を無理矢理握り潰す。間一髪火薬に引火する前に消し留めることが出来た。


「代表!――ご無事ですか⁉」

 高杉は己の主の安否を確認しようと見上げるが、その座席上に法廷院の姿はなく、首を振ってその姿を探すと、彼は車椅子の脇、高杉から見て右手側に立っていた。

「よかった、お怪我は――」
「――目を離していいのか、と言ったぞ」

 安堵しそうになったその瞬間に聞こえた弥堂の声で気付く。自身の前に立つ法廷院のその向こう側で、蹴りを放とうとしている弥堂 優輝の姿に。その蹴りの軌道上にいるのは法廷院だ。

「キサマアアァァァァっっ‼‼」

 怒りの声と同時に限界以上の力で以て足で床を蹴る。法廷院を庇うために。
 
 弥堂の蹴りは先程よりも遅く見えた。わざと遅くしているのだろう、高杉が法廷院を必ず庇いにくることを知って、わざと受けさせるために。高杉はギリギリ間に合った。下から伸びてくる弥堂の蹴りを両腕でガードしようとする。

(ここでは相打ちには持ちこめんっ。代表を巻き添えにしてしまう )

 しかし、先程は余裕をもって受け止められた弥堂の蹴りは、先よりも速度がないにも関わらず、先とは比べ物にならない威力で以て高杉の両腕のガードを弾き飛ばし開かせた。

「――なんだとっ⁉」

 弥堂はすぐさま踏み込み左手で高杉の肩を押し壁に叩きつける。

「がっ!」

 背中から叩きつけられ息が詰まるが、高杉は状況を脱しようと、反射的に掴まれている肩で弥堂を押し返そうとした。

 しかし、その瞬間には弥堂の手は外されており、高杉は体勢を完全に崩し前につんのめる。

(すべて、計算ずくだとでもいうのかっ)

 高杉はせめて敵の姿を捉えようと目線を向けるが、その無事なままの右目の視界に映ったのは己を見下ろす冷酷な瞳のみ。先程の目潰しで塞がれた左側の死角から迫る、己を沈めるその拳を見ることは叶わなかった。

「――見事っ」

 せめてもと挙げた己を倒す男へのその称賛の言葉の直後、鈍い音をたてて弥堂の打ち下ろしの右が前のめりに体勢を崩した高杉の顎をカウンターで捉えた。
 バチンと大きな火花が散ったように視界は白く弾け、その一撃で高杉はぐりんと目玉を裏返し、巨体は横倒しに床へと沈んだ。



 高杉 源正たかすぎ もとまさの身体が床に沈んでいくのが、希咲 七海きさき ななみの目にはやたらとゆっくりと映ったような気がした。クリーンヒットという見方ならば、たった一撃で斬って落としてみせ、特に何を成したという風もなく立つ弥堂 優輝びとう ゆうきの姿を呆けたように見つめていた。

 今その心の内を占める想いは――



(――卑怯すぎるっ‼)

 決着をと対峙してから実際に決着が着くまでのほんの少しの時間の間に弥堂が見せた、様々な動き、手段、手練手管。そのあまりの悪辣さと手際のよさに茫然としてしまっていた。

(一対一で勝負してたかと思ったら突然戦えないような人たちを人質にするみたいに……最初からこれ狙ってたっていうの? 人数多い方が不利になるって……あいつらもあいつらで卑怯な連中だけど、でも、だからっていくらなんでも車椅子の人に――って!)


「ちょっと弥堂っ‼」

 そこで我を取り戻したように弥堂に詰め寄る。
 弥堂は高杉のKOシーンを目撃して自失したように立ち尽くす『弱者の剣ナイーヴ・ナーシング』のメンバー達の様子にチャンスと見たか、手近にいた西野に向ってパンチを叩き込むため肩を回そうとしたタイミングで大声をかけられ、チッと舌打ちをして希咲に目を向けた。

「あんた、いくらなんでもひどいわよっ! 車椅子の人に爆竹投げるとか何考え……て……ん……んん?」

 弥堂を糾弾しながら法廷院の安否を確認しようと彼に目を向けた希咲は、上げていた眦が段々下がっていき胡乱な眼つきになる。

 その懐疑的な視線の先には、別段負傷はないように思える法廷院が居た。先程まで座っていた車椅子のその脇に『立って』居た。

「なんてこった。あぁ、高杉君。なんて『ひどい』んだ。友人が目の前で失神KOされるとか初めて見たよ。衝撃映像すぎてボクの心は痛く傷ついた。怒りに震えて涙が止まらないよぉ」

「ちょっと」

「だってそうだろぉ? この平和な日本でこんな凄惨なシーンに出会うことなんて普通ないからね。この学園だと一日一回くらいはそのへんに倒れてる人見るけれども」

「ちょっと法廷院」

「だからってこんな暴挙が許されていいはずがない! ボクは断固として――ん? なんだい希咲さん。ボクのことは苗字で呼ばないでくれよ」

 倒れた高杉へと悲痛そうな面持ちを向け、大仰に嘆いていた法廷院はようやく希咲の呼びかけに気が付く。


「なんだい、じゃねぇわよ。ねぇ――あんたさ。足大丈夫なわけ?」

「足? 足がなんだって? 御覧の通り何ともないよ? 真ん中にある第三の足はさっき危機一髪だったけどね」

「しねっ――じゃなくて、えっと……あんたって普通に歩けるの?」

「おいおい、これはバカにされたもんだねぇ。ナメないでくれよ? いくらボクが『弱い』からって歩くことくらいはできるさっ! だってそうだろぉ? ボクの足は健康健常そのものだからね」

「は? じゃあ、あんたなんだって車椅子なんか使ってるわけ?」

 己の健脚を見せつけるように法廷院は軽快にタップを踏んで見せる。ただし、踵の硬い革靴ではなくゴム底の室内シューズなので、キュキュキュキュッと床を擦る不快な音が鳴った。
 その元気な様子に、半眼になっていた希咲の目はさらに険しくなっていく。

「いいところに着目したね。ボクはあることに気が付いたんだよ。車椅子に座ってるとね、特になんともないのに勝手にみんな足が悪いって勘違いして少しだけ優しくしてくれるんだぁ。割と無茶言っても通りやすくなるし。あと高杉君が押して運んでくれるから疲れない」

「サイッテー……」

 希咲は心の底から目の前の上級生を軽蔑した。


「ん。てことは、あんたはこいつの車椅子が嘘だってわかってたの?」

 もうこれ以上は法廷院を追及する気も起きず、足の不具を偽装していたのを見抜いていたのかと弥堂へと尋ねる。

「知らん」

「は?」

 しかし、弥堂からの返答は期待したようなものではなかった。

「そいつの足の具合など知ったことか。実際にどうであれ戦場でそんなものに乗っていれば狙ってくれと言っているようなものだ。敵の弱点をつくことなど当たり前のことだろう」

「……んじゃ、あんたは本当に足が悪いかもしれないってのに爆竹なんか投げつけたわけ?」

「それがどうした?」

「サイッテー……」

 希咲は心の底から目の前のクラスメイトを軽蔑した。


「あんた何考えてんのよ。一歩間違えたら大怪我よ。さすがにそれはやっちゃダメよ」

「怪我をしたくないのならばノコノコと出てこなければいい。自ら争いを起こしておいて怪我をしたくないだと? 戯言は死んでから云え。ここはもう――戦場だ」

「何が戦場よ! ここは学校よ! バッカじゃないのっ!」

「さっきからいちいち煩いぞ。勘違いをしているようだが、お前の批評や理解など必要ない。黙ってろ」

「真面目に言ってんのよ! あんたそんなんじゃそのうち事件起こしちゃうわよっ」

 真剣に訴えかける希咲に対して、弥堂は変わらずにべもない。希咲はヒートアップしていき段々と二人の間の空気も剣呑なものとなっていく。


「それこそ余計なお世話だ――世話をするなら一番大事なものだけにしておけ。とりこぼしてから後悔しても知らんぞ」

「……なにそれ……どういうイミ……?」

「知るか。少しは自分で考えろ。お前が――お前らがどうなろうと俺の知ったことではない」

「あんたなんで……なんで、そんなんなの⁉」

「お前には関係ない」

 熱くなっていくのは希咲ばかりで弥堂はまともに取り合わず口調にも表情にも一切変化がない。言葉や態度どおりに、本当に関係なく、本当に興味がないようで。希咲は何故かそれが無性に癇に障った。


「弥堂っ‼」

 何か言い返したい、何かを伝えたい。だが、目の前のこの男に何を言っていいかわからない。それは、この男の――弥堂 優輝のことを何も知らないから。

 だから希咲は彼の、その名前だけを大きな声で叫んだ。

「もういい黙れ。言いたいことがあれば後で聞いてやるからこれ以上邪魔をするな。こいつらを終わらせるのが先だ」

 しかし、希咲本人にすらあやふやなその想いなのか、気持ちなのか、その何だかわからないものは彼には伝わらなかった。


 それも当然だ。

 弥堂には彼女がどういうつもりなのか全くわかっていなかった。邪魔だ、としか思っていなかった。
 何が言いたいのかわからない、何を伝えたいのか――どころか、何かを伝えようとしていることすらわかっていなかった。弥堂もまた、彼女の――希咲 七海という少女のことを何も知らず、知ろうという気すら持ち合わせていないから。


 弥堂は希咲から目線を切り、その無機質な瞳を敵へと――『弱者の剣ナイーヴ・ナーシング』達へと向けた。


「さて、もう抵抗出来る戦力はあるまい。大人しく情報を吐き出すか、それとも――その男のように無様に床にキスをするか」

 高杉を介抱しようと傍らに座り込んでいた本田と西野の怯えが強くなったのが見えた。白井も顔を青褪めさせ震えている。

「さっきも言ったが俺はどっちでもいいぞ。お前らがどうしようが結果は変わらんからな」

 仲間たちが動けない中で、冷酷な眼で見下ろす弥堂の前に彼らの王が立ち塞がる。守るように。

 しかし、玉座から降り立った彼らのやせ細った王はその狂犬の前ではあまりに頼りなかった。それでも粘着いた視線を弥堂へと絡みつけ、そのギラギラした目は不敵なままだ。


 両者の間で高まる緊張に希咲ももう弥堂への追及は出来ずに息を飲んだ。


 決着の時は近い。
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