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序章 俺は普通の高校生なので。

序章18 偽計に散る義侠の火花 ①

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――ぷち――ぷち――ぷち――ぷち――

「仇討ちか?」

「む?」

――ぷち――ぷち――

「俺への用件は空手部を解散させた仇討ちでいいのかと聞いている」

「あぁ、そのことか――いや、そうではない」

――ぷち――ぷち――ぷち――ぷち――

「だったら俺に何の用だ? お前の身の上話など俺は興味な――……ちょっと待ってろ――おい」

――ぷち――ぷち――


 高杉が空手部を辞めることとなった衝撃の真相を聞かされ、すっかり意気消沈してしゃがみこんでしまった希咲が黙ったので、高杉が元々言っていた弥堂に用があるというその真意について尋ねたのだが、弥堂はその問いかけを中断し自身の足元へと声をかけた。

「おい、希咲」
「ん? あ、おかまいなくー」

――ぷち――ぷち――

「お前……何をしている?」
「え?――ねぇ、あんたズボン脱いだあとちゃんとハンガーにかけてる? 毛玉になってるんだけど。ちゃんと制服大事に使わないとダメよー」

 弥堂が『はぁ』と溜め息をつき先程から自分のズボンにぷちぷちと何かをしている希咲を咎めたら、どうやら毛玉をとってくれているようだった。

「余計なお世話だ。鬱陶しいから今すぐやめろ」
「いいじゃん、気にせず続き聞いてなさいよ。あたしこういうの見つけたらすっごい気になるの」

 そう言ってまた親指と人差し指のキレイに伸ばされた爪を器用に使い弥堂の制服のスラックスについた毛玉を取り始める。もうすっかり目の前の連中の相手をするのに飽きているようだった。
 毛玉を殲滅しないと気が済まない様子の彼女に、弥堂はうんざりとした顔をすると高杉へと向き直る。どうやら作業をやめさせるのは諦めて、彼女の好きにさせておくことにしたようだ。


「拳を交える――とか言っていたな。何のために俺を狙う」

「ふむ。それは実はついでだ。それにどうあっても最終的にはやりあうことになるだろう?」

「それは貴様の態度次第だな」

「そうか。まぁ、こちらとしても仇討ちになるかどうかはお前の態度次第だな。空手部の襲撃と解散には思うことがないわけではないが、武を極めるための部活動だ。より強い者に敗北したことを恨むのは筋が違う。だが、腑に落ちない点もある」

――ぷち――ぷち――ぷち――ぷち――

「空手部の事実上の解散を俺が知ったのは校内新聞の記事を見たからだ。その記事は『空手部に喫煙の不祥事⁉ 他にも不正の疑いが――』といった見出しで、本文には確証のとれている事実なのかどうかわからない曖昧な憶測ばかりが書かれていた。俺はすぐに疑ったよ。先輩たちは生粋の武道家でありアスリートでもあった。喫煙などは皆が嫌っておりそんなことを許すほど顧問の箕輪先生も甘い管理をしていない。居ても立ってもいられなくなった俺は新聞部に押し掛けた。本当は空手部員本人たちに直接確認したかったが、俺は先輩たちに会わせる顔がないし、また彼らに接触してはならないという念書も書かされていた。歯がゆいことであったが記事を書いた者に確認することにしたのだ」

「…………」

――ぷち――ぷち――ぷち――ぷち――

 高杉の雰囲気は重く、何かを堪えるようにしながら努めて冷静に先を話す。

「結局新聞部の記者は核心に迫るようなことは何も知らなかった。奴が知っていたのは二つだけだった。一つはそういうタレコミが匿名でされたこと。そしてもう一つは、空手部の不祥事の現場に踏み込んだ者が風紀委員の弥堂 優輝という男であること――」

「そうか。こちらの捜査の守秘義務が一部守られていないようだな。その情報には感謝する」

「なぁ、弥堂――弥堂 優輝びとう ゆうき

「なんだ」

「何故、空手部に踏み込んだ。一体何の咎で空手部は風紀委員会の指導の対象となったのだ?」

「先程自分で言っていただろう。喫煙だ。現場には吸い殻が多数確認された」

「嘘を吐くな。道場で堂々と喫煙をする馬鹿がどこにいる。箕輪先生にも確認した。喫煙の事実は認められていない。もしもそうであるのならば部として受ける処分だけでなく、生徒個人ごとにも停学の処分が与えられているはずだ。部員たちは誰もそんな処分を受けてはいない。真実を話せ。何故空手部を襲った?」

「お前には知る資格がない」

「…………」

 その言葉を聞いて高杉は法廷院を乗せた車椅子を自身の後方少し離れた壁際にまで押して行くと法廷院に頭を下げ、自分一人で元の場所まで戻ってきた。法廷院は小声で「武運を」と呟きその背中を見送った。
 そして高杉は詰問を再開する。


「それで納得をすると思うのか?」

「お前の納得が必要と思うのか?」

 そこで口を閉ざし両者睨み合う。床にへたり込んでいた他の同志たちも二人の間で張り詰めていく空気を感じ取り、法廷院の元へと集まって状況を緊張の面持ちで見守る。

「ねぇねぇ見てよこれっ。こんなに毛玉ついてたわよ。全部取ってあげたんだから感謝しなさいよね」

「…………」

「ちょっと聞いてんのあんた? 今日からはちゃんと脱いだ制服はハンガーにかけときなさいよ。いつもクリーニング出してんの? ちゃんと定期的に出せてないでしょこれ。うちの制服は家用の洗濯機でも洗えるの知ってた? 大きめのネットに畳んで入れるんだけど、ファスナー締めて形は綺麗に伸ばしてから畳むのよ? なるべく小さく畳まないように2・3回折りくらいにして入れて、出来るだけ他の洗濯物とは一緒にしないように洗いなさい。ドライコースでおしゃれ着用の洗剤使うといいってお母さんに言ってみなさいね。制服って大事に使えばちゃんと3年間使えるように作られてるんだからもっと丁寧に――あ、こらなにすんのよ! 顏触んなっ!」

 まるで捕った獲物を見せびらかしにくる飼い猫のように掌に載せた毛玉をこちらの顏に近づけてきて、高杉との間に入って余計なお世話をくどくどと喋る希咲の顏を邪魔そうに手でどける。ギャルギャルした見かけによらず、近所の世話焼きおばさんみたいなことを言い出した彼女の発言内容自体は意外と役に立ちそうではあったが、今はやめて欲しかった。

「……弥堂、貴様は風紀委員会だけではなく『サバイバル部』とかいう部活に所属しているそうだな?」

「…………」
「あ、取り込み中だった? ごめん。てかなに? 『サバイバル部』って。あんた部活してたんだ、変な部活ー」
「…………」

「…………」


「ボクはね、こんな噂を聞いたことがあるんだぁ。乱立していた格闘技系の部活や他の運動部がさぁ、去年くらいから次々と廃部になっていってる。みぃんな何かしらの不祥事だって話だけど、空手部と同じようにその詳細は明らかにはぁならない。んでまぁ、部が減る。そうするとその潰れた部活に充てられていた予算が浮くよね? だけどね、今期各部活動に充てられた予算は去年と変わらず、むしろ減っている部活もあったそうだよ……たった一つの部活を除いてね。そのたった一つの部が『サバイバル部』だってそんな噂さ。これっておかしいよねぇ。だってそうだろぉ? 浮いた分の予算は全部活に均等に配られるべきだとボクなんかは思うんだけど。そうじゃないと『不公平』だろぉ? ねぇ狂犬クン?」

 もうすっかりオフモードの希咲さんを弥堂も高杉も無視をしたので、その後は法廷院が引き継いだ。

「みぃんな疑っているぜぇ? これはどんな仕組みでどんな手口なんだい? 説明責任あるんじゃないかなぁ? 」
「なぁ、弥堂。もしも本当に空手部に不正や不祥事があったのならばその処分はあって然るべきだ。そしてこれは俺個人の意見だが、例えそんなものがなかったとしても、単純にお前が闘争を求めて彼らと勝負をし、その結果彼らが心折れて武の道を閉ざしたのならば、それもまた勝負の世界の摂理だとも納得が出来る。しかし――」

 高杉は一度言葉を切るとその目に戦意を漲らせ、空手の型であろう――腰を落として構える。

「――しかし、もしも! お前が自らの部のため! 私利私欲のために空手部を! 他の部を襲って回っていると言うのならば――‼」

 弥堂は応えず黙って隣に居る希咲の襟首を左手で掴んだ。

「ん? あにすんのよっ。それやだって言ったでしょっ」

「答えろ! 弥堂 優輝っ‼」

 裂帛の気合を乗せた高杉の声が響く。
 それにも弥堂は表情を変えず答えた。

「同じことを何度も言わせるな。お前には知る資格がない」

「その意気やよしっ‼‼」

 その答えを予測していたのだろう。叫ぶと同時、高杉はダンっと大きな音を立てて床を蹴りこちらへ迫る。

「へ?」

 弥堂もそれを予測していたのだろう、特に焦ることもなく左手で掴んだ希咲を高杉との射線から引っ張って外し、右手で突き飛ばす。

 べちゃっ――「ふぎゃっ」という音と声が聞こえた時にはもう高杉は間合いに入っておりその長いリーチを使った右の正拳を突きこんでくるのが視えた。
 希咲を突き飛ばした右手を戻す動作から繋げて、高杉の右肘に外側から手を当てて内に流し、その動作のまま左肩を前に半身になる。

 右足を引き左肩を前に出す動作のままカウンターの左拳で高杉の空いた肝臓を狙う。高杉もそれを察知しており左手を伸ばして上から弥堂の左手首を抑えることでこちらの拳を止めた。

 それにより高杉の左のガードの空いた顔面に弥堂は右を突き込もうと腰と肩を回すが、先程流した高杉の右が裏拳で側頭部を狙っていることを肌で感じる。右のストレートはキャンセルし、膝を抜いて頭を下げ、振り回された裏拳を潜りながら高杉の懐へと踏み込む。

 タックルを嫌った高杉は入ってくる弥堂の顔面にカウンターの膝を当てにいく。しかしそれを読んでいた弥堂はその膝の出を抑え両手でガードする動作とともに、相手の膝を流して肩を高杉の胸に押し当てて、足先から腰までを捻る回転の力のみで吹き飛ばす。

 鳩尾を狙ったのだが、打点は外されたようで高杉にもダメージはない。鳩尾に入って相手の息がつまっていればそのまま仕留めにいくつもりだったのだが、距離が空いたことにより両者ダメージのないまま仕切り直しとなった。


 弥堂によって突き飛ばされた希咲が壁に貼り付き顔面を打ち付け、「あいたー」と鼻を抑えて振り返るまでの間の出来事である。


「あんた女の子の顏に何してくれてんのよ!」

「やるではないか弥堂。ただの喧嘩自慢ではなさそうだな」

 弥堂はどちらの言葉にも答えずに半身のまま腕を下げ高杉を見据える。


「クククク――いいぞ。滾ってきた。風紀の狂犬。お前は素敵だ」

 ニタァと凄惨な笑みを浮かべ高杉は目を爛々とギラつかせる。

「俺に怒りをぶつけるのではなかったのか?」

「野暮なことを言うな。闘争の口火を切ったのならばもはや怨恨は不要。弥堂、勝負だ。俺が勝ったら俺の知りたいことを話せ。お前が勝ったのならばお前の知りたい情報を全てくれてやる」

「口約束など必要ない。先に言った通りだ、お前らがどうしようと必ず全て吐き出させる」

「上等っ! ならば俺が勝った暁には――」

 言葉の途中で高杉は再度踏み込んでくる。

「――お前を抱くっ‼」

 先程同様右の正拳を放ってきた。しかし、先の交戦でも巨体の割には速いと感じた高杉のその踏み込みと突き入れの速度は、先程を大きく上回った。


「ぬんっ」

 ベタ足で床を踏みしめ腰を回し、脇の下で引き絞った右の拳を、前に突き出していた左手を引き寄せる動作と連動し射出する。よく修練された型から放たれるその空手の基本となる攻撃技は、暴風を伴ったような錯覚を起こす速度と威力で弥堂の顔面に迫る。

 弥堂は迫るその拳をよく視て、首を右に少し傾けるだけで空かし相手のリーチの内へと潜ろうとする。

 その弥堂に対して高杉は、今度は左の正拳で迎え撃とうとする。弥堂はその第二撃が放たれる直前に、右の掌で高杉の左手を下からカチ上げた。

「なに⁉」

 力により強引に打ち上げるのはなく、相手の攻撃の始点をずらし相手自身の攻撃に使った力を利用して崩し身体を開かせる。左腕を跳ね上げられたことによりガードの空いた顔面を右の掌でそのまま狙う。高杉は右腕を顔面のガードに戻すが弥堂はそのガードを打つのではなく、右手で触れ高杉の視界を塞ぐように彼の腕を押し込んだ。

(フェイントかっ、無様っ!)

 一瞬とはいえ立ち合いの中で視界を塞がれればそれは充分な隙となる。高杉は次に来るであろう大技に備えて覚悟を決める。たとえガードが間に合わなかったとしてもくるのがわかっていれば一撃くらいは余裕で耐えてみせる。彼は自分のタフネスに自信を持っていた。

 弥堂は高杉の腕を押した右腕を戻しながら右足を振り上げた。

 最小限の動きで跳ね上がった弥堂の右足が高杉の側頭部を狙う。高杉が視界の端にそれをどうにか捉えた時にはもう目前まで迫っていた。

(右ハイ――速いっ!)

 首を固め歯を食いしばり、もらう覚悟は決めながらもどうにか戻した左腕を相手の蹴り足との間に割り込ませるのに成功した。

(速いが軽い)

 急所となる顎とコメカミを守るように入れたガードから伝わる衝撃は思ったよりも軽かった。しかし。

 パァンと、平手で頬を張ったような音が耳を撃った。

「ぐっ」

 弥堂はガードの上から強引に蹴るのではなく、ガードポイントを支点にしならせた爪先で高杉の耳を叩いた。揺れる三半規管。高杉はまた一瞬敵を見失う。牽制のために当てずっぽうで右を打つがそれも弥堂に躱される。しかしその時にはもう高杉は正常を取り戻しており自身の左側へとズレて右拳を躱した弥堂の、右肩を狙い左の打ち下ろしを放つ。

 弥堂はその打ち下ろしも難なく外に流して捌く。

(かかった!)

 これまで攻撃を捌いて内に入るポジションを維持し続けていた弥堂への罠であった。右肩を狙った攻撃を外に捌いてまた内へと移動する弥堂を右のローキックで迎え撃つ。これまでパンチしか見せていなかった高杉の戦闘プランであった。

「おぉぉおおぉぉぉぉっ‼‼」

 裂帛の意気とともに、細かいステップを踏んで内に潜った弥堂をめがけて、繰り返した修練通りの体捌きでローキックを繰り出す。着地をして重心の乗っている弥堂の左ひざを圧し折るつもりで、打ち下ろすような軌道の蹴りを放った。

 だが、初見のはずのその蹴りの射程を知っていたかのように、弥堂は軽いバックステップでローを空かした。

「――⁉」

 驚愕に目を見開くが、高杉は空かされたローキックの勢いは止めずにそのまま身体を回す。回転の勢いを乗せたバックハンドブローでこの後飛び込んでくるはずの弥堂を迎撃しようとするが、それも読み切っていたかのように弥堂は動かなかった。

 裏拳が過ぎたタイミングで弥堂は飛び込んでいく。

「うおおぉぉぉっ‼」

 高杉は流れる体を強引に止めて保ち、自分を仕留めにくる相手に前蹴りを放った。
 胸を狙ってその巨体から放たれる前蹴りは、正中線を捉えられ弥堂も躱すことはできずに蹴り足との間に両腕を挟み込みガードする。高杉の攻撃が初めて弥堂を捉えた。

 前蹴りにより吹き飛ばし強引に距離を作り出し、再度仕切り直しとなる。



(派手に飛んだように見えたが手応えが軽い。自分で飛んだか)

 荒く息を吐き出しながら高杉は相手へのダメージを考察する。弥堂は半身になるだけで構えのようなものは相変わらず見せない。そしてその呼吸には一切の乱れはないように見える。

 劣勢なのは高杉だ。しかしその戦況の中で高杉は哂った。


「いいぞ、弥堂。ここまでの業、どうやって身に付けた」

「さぁな」

「色々混ざっているな。立ち姿はアウトボクサーのようだが外には回らず内に立ち続ける、蹴り方はムエイタイかブラジリアンか? タックルのような動きも見せたな? 総合か? ……いや、違うな。中国拳法も混ざっているように思える。我流で色々齧ったのか? それともそういう流派があるのか? 師がいるのか? ケチケチするな。教えろ」

「流派など知らん。何かしらの源流はあるようなことを、俺にこれを仕込んだ女は言っていたがな」

「やはり師がいるのか。女性だと? なるほど。確かに力で押すのではなく力をうまく流していたな。そうか女性か。納得だ」

「お前は『業』と言ったが、あの女に言わせれば俺程度の『デキ』では稚拙すぎてとても『業』などとは言えんそうだぞ」

「おほっ。それは凄いな。お前のそれよりも遥かな頂があるのか。燃えるではないか。どんな方なのだ、その師は」

「さっき言っただろう。メイドかシスターの格好をした地雷女だ」

 興奮したように問い詰めてくる高杉に、弥堂は先程前蹴りをガードした時に制服に付いた汚れを払いながら彼にしては珍しく素直に会話に応じる。


 そんな様子を離れた場所で希咲は訝し気に探っていた。
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