俺は普通の高校生なので、

雨ノ千雨

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序章 俺は普通の高校生なので。

序章12 梔子の花

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 やがて、ぽつぽつと居合わせた者たちもそれぞれの帰路へと着きだす。口々に別れの言葉を投げ合いながら、或いは連れ立って歩き出す。

 多くの者が水無瀬へと別れの言葉を告げていた。その殆どの者が山下君同様に「ありがとうございます」と礼を口にし、そしてさらにその中の何割かの人間は金を渡してきたが、水無瀬はその全てを固辞した。

「じゃあ代わりに水無瀬ちゃんにはこのアメちゃんをあげよう。舐めると甘いぞー」
「わぁ、ありがとうございますっ」
「んじゃ、またお姉ちゃんと遊ぼうねー、ばいばーい」
「あ、はい。さようならー……おねえちゃん?」

 終始何もわからずじまいな水無瀬は驚いたり、困惑したり、喜んだり、また首をかしげたりと忙しない。

 一方で、基本的に殆どの者に無視され避けられていた弥堂だったが、何人かの生徒からは「チョーシのんなよ?」「いずれ決着をつける」「てめぇも帰り道にはせいぜい気をつけな」などの温かいお言葉を頂いていた。そして彼はそんな言葉をかけてくれた気のいい生徒たち一人一人の顏を記憶の中にしっかりと記録をした。


「そういえば弥堂くん、結局木登りして何してたの? おさんぽ?」
「どんなルートだよ」

 うっかりらしくもなくツッコんでしまった自分を恥じるように弥堂は咳払いをすると答え直す。

「調査だ。仕事だ」

 全く答えになっていないのだが、水無瀬は特に疑問を持たず「そっかぁ、ちょーさかぁ」と納得をした。


 そう、調査と謂えばと、弥堂は先程タスクに加えたクラスメイトへの聴取への件で水無瀬に尋ねる。

「水無瀬、訊きたいことがある」

 問われた水無瀬はきょとんと目を丸くし、言われた内容を飲み込むとすぐにまた瞳をキラキラと嬉しそうに輝かせ、

「いいよ! 何でもきいてっ」

 握った両の手を顏の下に構え、ふんっふんっと鼻息荒く自らの意気込みを強調した。弥堂はそんな彼女から目は離さずにさりげない動作で、制服の胸ポケットに忍ばせたボイスレコーダーのスイッチを悟られぬように『ON』にし、録音を開始した。


「生命を狙われる覚えはあるか?」

「あるわけないよ⁉」

 確かに何でも聞いてとは言ったが想像だにしない方向性からの質問に、愛苗ちゃんはびっくり仰天し、おさげがみょーんっと跳ね上がった。

「そうか」

 それに弥堂は特にどうということもなく、そうとだけ返した。

「あ、あの……弥堂くん。調査って風紀委員のだよね? 風紀委員って殺人事件とかもお仕事なの?」

 さすがの水無瀬さんもあんまりな質問内容に怪訝に思い、弥堂に尋ねる。

「そうだ。必要があればな」

 そんなわけはないが、弥堂は即答した。殺人事件は紛れもなく警察のお仕事である。

「で、でも殺人って……えっ⁉ まさか学校でそんな事件あったの⁉」
「ない。今はまだな。だから、そうはならぬようこうして調査を行っている」

 自分が平和に過ごしている学園にまさかそんな危機が訪れようとしているとは、完全に想像の外だった水無瀬は茫然と「そ、そーなんだ……」と呟くと、すぐに気をとりなおし

「でっでもでも、普通の学校なのにそんな事件なんて……あっ!」
「む?」

「そんなことあるわけない」そう言おうとしていた水無瀬だが、何かに思い当たったのか、急にダラダラと汗を流し出し、キョロキョロと目を泳がせた。

 当然そんな彼女の仕草を学園の治安維持の業務に忠実な弥堂が見逃すことはない。

「おい。貴様何を思い当たった? 話せ。隠すと為にならんぞ」
「かっ隠してないもんっ知らないもんっ」

 ずいと詰め寄る弥堂に愛苗ちゃんはお顔を左右にぶんぶんっと振ることで潔白を訴えた。
 ぺしぺしと自分の胸を叩く彼女のおさげを鬱陶しそうに払うと尋ねる。

「嘘を吐くな。風紀の拷問部屋に連れて行かれたいか?」
「ごーもんっ⁉」

 もちろん健全な青少年を育成するべく設立された当学園にそのような不健全な施設は存在しないのだが、風紀委員にはいくつかある生徒指導室の内の1室を使用する権限が与えられており、たまに取り調べとも言えないような、簡単な生徒への聞き取りなどを行う際にそこを使用することがある。弥堂の中ではその部屋は拷問部屋ということになっているようで、割と頻繁にその部屋を彼は使用するのだが、その時そこで何が行われているかは……。

「早めに喋った方が楽だぞ」
「ほんとに! ほんとに知らないのっ! 信じてっ。ごーもんしないでっ!」

 わりと物騒な単語が飛んでいるが、彼女の口から出ると何処か緊迫感に欠けた。

「そうか。だがお前は俺にそれを信じさせる為に自らの潔白を証明しなければならない――そうだな?」
「そうですっ」
「何も知らない――であればこれから俺がする質問に答えることには何も問題はないはずだ。答えられるな?」
「られますっ」

 変わらず挙動不審ではあるが、今はしっかりと弥堂の目を見て水無瀬は答える。

 弥堂はふんっと鼻を鳴らすと、水無瀬の両肩を掴み屈みこんで無遠慮に彼女の顏を下から覗き込むと尋問を開始した。

「もう一度同じ質問をしよう。水無瀬。お前は生命を狙われる覚えはあるか?」
「なななななっないもんっ」

 一瞬でまた彼女の目が泳いだ。

「…………」

 怪しすぎる。

 弥堂はY'sワイズから送られてきた例の画像を脳裏に浮かべる。

 希咲 七海きさき ななみが無様におぱんつを晒した写真。そしてその画像内には一緒に水無瀬 愛苗みなせ まなが――

――希咲の手前で無防備にカメラへと後頭部を晒した水無瀬 愛苗が一緒に写ってもいるのだ。


 胡乱な目で自分を見つめる弥堂の懐疑的な視線にハッと気が付くと、愛苗ちゃんはぎゅっとおめめを瞑って、お顔の前で両手を交差させてバッテンした。ないもんのポーズだ。

「…………」

 まぁ、いい。尋問はまだ始まったばかりだと弥堂は一旦流した。

「では、質問を変えよう。水無瀬、お前は誰かを殺害する予定はあるか?」
「私ようぎしゃ⁉」

 びっくりして目を見開いた愛苗ちゃんではあるが、すぐに「そんなのあるわけありません」とお顔をぶんぶん振って否定した。弥堂の頬をおさげがバシーンバシーンっと叩いた。

「……では、日頃から殺したいと常々思っている奴はいるか?」
「いるわけないですっ!」

 おさげが弥堂の頬を打った。

「…………水無瀬、お前自身に生命を狙われる覚えは?」
「ななななないもんっないもんないもんっ」

 愛苗ちゃんはおめめをぎゅっと瞑ってお顔をぶんぶんした。ぱしーんぱしーんぱしーんと三度肉を打つ音がした。

 弥堂は額に青筋を浮かべながらも、ぐっと色々なものを飲み込むことに成功した。

「……では水無瀬、お前は誰かを殺害する予定はあるか?」
「またおんなじしつもんっ⁉」

 チッと舌を打つと弥堂は一旦追及を止めた。
 このままYESと言うまで延々と同じ質問を繰り返すつもりだったが、また新たに下校の為に通りすがった生徒たちの注目を集め出している。

「ねぇ、あれ何やってんの? キスしてんの?」

「え? おっぱい? 胸に顔つっこんでない?」

 そんな声が聞こえてくる。このまま立ち止まられてはまた面倒が起きる。

 弥堂は水無瀬から顏を離した。しかし肩は掴んだままで決して逃がしはしない。


「では、違う質問をしようか。水無瀬、貴様ハッキング技術は堪能か?」
「たんのーじゃないよぅ」

 じーっと水無瀬を見つめる。

「ほんとだもんっ! 私スマホもあんまり上手く使えなくて、時々ななみちゃんにやってもらうこととかあるし……」

「ふん、いいだろう。では次だ。水無瀬よ、貴様女生徒のおぱんつに並々ならぬ関心はあるか?」
「おぱんつ⁉」

 愛苗ちゃんはびっくりの連続に若干息切れしてきた。

「ないよっ、あるわけないですっ!」
「それは本当か?」
「ほんとだもんっ」
「ならば男子生徒の下着には関心があるのか?」
「なんのしつもんなのっ⁉」

 矢継ぎ早に繰り出される自分の理解の及ばない質問の数々におめめがぐるぐるしてきた。

「ないっ。そんなのだめだもんっ」
「ほう。では神に誓えるか?」
「神さま⁉ ――ち、誓えます!」
「では誓え」
「えっ⁉ え、えっと……かみさまっ、私はぱんつにかんしんありませんっ!」
「いいだろう」

 弥堂は尋問対象が目を回し息切れをして疲弊してきている様子を確認して、頃合いかと少し踏み込んでみることを決めた。

 水無瀬の肩を放し手を後ろに組むと、代わりに彼女の周りをぐるぐると歩く。わざとらしく虚空を見上げながら質問をした。

「では、水無瀬。これは仮に、そうあくまで仮にの話だ。その対象が不特定多数の誰かではなく――特定の一個人……そうだな。例えば。あくまで例えばの話だぞ? その対象が希咲 七海きさき ななみだったとしたらどうだ?」
「なんでななみちゃん⁉」
「む? 貴様即答出来ないのか? 何かやましいことがあるのか? どうなんだ?」
「どうってどういうことなのぉ⁉」
「ほう。口答えをするか。随分と強気な態度だな」

 弥堂は水無瀬の正面に来たところで歩くのをやめた。

「もう一度訊くぞ水無瀬 愛苗みなせ まな。貴様は希咲 七海のおぱんつに並々ならぬ関心を寄せてはいないか?」
「ないよおおおっ‼」

 弥堂は彼女の目を視る。その言葉に嘘がないか判断する為に、彼女の様子に不審がないか一点の瑕疵すら見逃さぬよう注視する。
 水無瀬は目を回し、汗をダラダラ流し、手は忙しなく奇怪な踊りをするように動かし続けている。

 不審な点しかなく逆に判断を下し難かった。

 判断が難しかったので弥堂はとりあえず視線を強めて水無瀬を視た。困った時のゴリ押しだ。

 水無瀬はわたわた動かしていた手を顏の前で交差させるとバッテンした。ないもんのポーズだ。そして彼女なりに視線を強めて、無実を主張するつもりで、むむむっと弥堂を見返す。


 数秒そのまま視線を交わし合うと、ふんっと鼻を鳴らし弥堂の方から目線を切った。


「……では訊き方を変えようか……」
「ま、まだ続くのぉ……?」

 愛苗ちゃんは眉毛を情けなくふにゃっとさせて疲労を訴えた。ちょっとおめめがうるうるし始めた。


「なぁに、ほんの少しだ。キミがあとちょっと、ほんの少しだけ、協力的になってくれさえすればすぐに終わる。無事に解放すると約束しよう」
「私ちゃんと答えてるのにー……うぅ……」

 弥堂は被疑者の背中を優しく撫でてやることで、当方は人権というものに最大限のリスペクトを抱いているということを示唆した。

 そして彼女の背中から手を離し改めて訊く。

「では、水無瀬 愛苗。キミは先程、希咲 七海のおぱんつには関心がないと、そう言ったな? 間違いないか?」
「なっ、ないですっ」
「よろしい。毛ほども興味はないと?」
「けほどもきょーみないですっ……ん? あれ?」

 弥堂はじっと彼女を見つめながら続ける。

「では、そうだな。希咲のおぱんつを、例えば写真に収めたいと、そう思ったことは?」
「ななななないよ! そんなことしないもんっ」
「そうか。立派だな。では、そんなものには関心がないと? 希咲 七海のおぱんつには米つぶ一粒程度の価値も感じていないと、そう言う訳だな?」
「えっ? えっ? あれっ? なんかどう答えてもカドがたつ⁉」
「おい、どうなんだ?」
「だって…… でもっ、でもっ……価値がないとかそんなことないもんっ」

 弥堂はスッと表情を落とした。元々無表情なのだが表情を落としたつもりで一度間を空けた。

「ほう……ついにボロを出したな。水無瀬 愛苗」
「なんで⁉ でもでも! あのね? ななみちゃんいっつもね、すっごくかわいいパンツ穿いてるんだよ?」
「いつもだと? それは毎日という意味か? 貴様日常的に希咲のおぱんつを確認する習慣があるのか? どうなんだ?」
「えっと……必ず毎日じゃないけど……ほら、体育の着替えの時とか普通に目に入るし、あとね、一緒におトイレ行った時とかに下着のお話したりすることあって、その時にちょっとみせっこしたり……」

 話の内容がおかしな方角に向かい始めた。すでに周囲にちょっとした野次馬が先の弥堂の懸念通り集まっており、その中の男子生徒の幾人かは『みせっこ』のあたりで若干前かがみになった。

「……あとね、ななみちゃんスカート短いからちょっとした時に見えちゃったりするし……う~ん、あとはぁ……」
「それはこういうことか? おぱんつ自体は意匠が凝っていてそれなりに値が張るものではあるが、希咲が日常的に其処彼処で気安くおぱんつを見せて廻っているから、そんなものはわざわざ改まってありがたがるものではないと。見ようとしなくても勝手に見せてくるような安っぽいものに払う労力はないと。探さなくても道端にいくらでも生え散らかっている雑草のようなおぱんつであると。そういうことが言いたいのだな?」
「ちっ、ちがうよ! ななみちゃんそんなことしないもん! あと雑草じゃないもんっ」

 自分の会話能力が拙いせいで親友のイメージにあらぬ傷をつけてはいけないと、水無瀬は強く否定をした。

「ほう、矛盾をしたな。貴様のさっきの証言と食い違うぞ。どういうことだ? 言え」
「だ、だってねだってね。私ね、ななみちゃんにいつも『男の子に簡単にパンツとか見せちゃダメよ』って言われてるもんっ」
「ふん……続けろ」
「え、えっと、あとね? 『知らないおじさんにお金あげるからパンツ見せて、とか、着いてきてって言われても絶対言うこと聞いちゃダメよ』って言われてるもんっ。――あ、そうだ!」

 そう言って彼女は制服のポッケを探ると取り出したものを弥堂に見せた。

「……なんだこれは?」
「あのね、ネコさんブザーなの。ななみちゃんがくれたの。クリスマスにねプレゼント交換してね、私はお花のヘアピンあげたんだぁ、えへへ」

 それは防犯ブザーであり、やたらとファンシーなデザインだった。彼女の説明どおり猫を模したもので、デフォルメされた『シャーっ』してるネコさんの顏が描かれた、本当に犯罪を防ぐつもりがあるのか疑いたくなるようなデザインであった。

 しかし見た目とは裏腹に、これは持ち主である水無瀬も知らないことだが、この防犯ブザーは特注品でGPS機能と発信機能があり、ボタンを押した瞬間に本体が警報を鳴らすのは勿論のこと、さらにGPS機能から得た現在地情報を希咲のスマホに送信をしつつ、本体に隠された録音機能で現場の様子を記録し専用のサーバーに送り保管し続けるのだ。初回発信から以後5分毎にその位置を更新して送り続けるようになっている。メインの動力源となる通常の交換式電池とは別にソーラーバッテリーも搭載し、常に非常時用のエネルギーをストックし続け、初回発信から最低でも48時間は発信をし続けられるだけの性能を持った、希咲 七海が決して安くはない資金を投じて作らせた渾身の逸品である。

 過保護な親猫からのしつけはきっちり行われているようだったが、それだけではなく防犯への意識が完璧で、ちょっと引くくらい完璧すぎて愛が重かった。ボタン一つ掛け違えればただのストーカーである。



「ふむ……まぁ、いいだろう。では、先程雑草おぱんつがかわいいと言ったな? 何がどうかわいいんだ? 言ってみろ」

 弥堂は自身のスマホに収められた希咲のおぱんつ画像と水無瀬の証言に相違がないか、詳しく聴き取りをする。完全にアウトな聴取なのだが、お友達想いの愛苗ちゃんは自身の潔白の証明よりも、大切な親友のおぱんつの名誉の為にさらに爆弾を放り続ける。
 セクハラ以外の何物でもない弥堂の質問ではあるが野次馬の皆さんも、水無瀬 愛苗の口から彼女の言葉で語られる希咲 七海のおぱんつに並々ならぬ関心があるのか、誰一人として止めに入らずに様子を見守っていた。

 この私立美景台学園は、一般生徒と謂えどもその民度は割と最悪であった。


「あのねあのねっ、フリフリとかリボンとか付いてたり、お花とかもあったりするの! あとね……色とか柄とかもかわいかったり……あとぉ……たまにだけどちょっとだけえっちなのとか……とにかくいっぱいかわいいの! 女の子のパンツに雑草とか言っちゃダメだと思いますっ」
「そうか」

 いまいち要領を得ない解答だったが、しかし手持ちの希咲のおぱんつ情報と一致する部分もあったので弥堂はそれ以上関心を持たなかった。
 野次馬の皆さんは心の中で『いけ! いけ! もっと深堀りしろ!』と彼にエールを送っていたが、共感能力が著しく欠如した弥堂はそれには気が付かなかった。一般生徒からの弥堂に対する好感度がさらに落ちた。
 ちなみに『ちょっとだけえっちなの』の部分でさらに何人かの男子生徒が若干前かがみになった。

「私ね、お洋服とか下着とかどうやって選んでいいかわかんなくてね、でもななみちゃんすっごくセンスいいから、あのね、一緒にお買い物に行ってね、選んでもらったりするの。お休みの日とかお買い物行ったりして一緒に遊んでるんだー、えへへ」
「そうか」

 若干話がズレ始めて弥堂は特に興味がなかったので適当に流した。

「あと、ななみちゃんお洋服と下着もかわいいけど、ななみちゃん自身がすっごいキレイなの! あ、そうだ! お休みの日といえば! きいてきいて、あのね――」
「お、おい――」

『ななみちゃん大好き』な愛苗ちゃんは親友の自慢をし始めたら本来の目的を忘れたのか、自分が今『事情聴取』をされているという事実が完全に頭から飛び、聞いてもいない情報までぶちまけ始める。その勢いは学内で『風紀の狂犬』と恐れられる弥堂 優輝びとう ゆうきをもたじろがせるほどだ。


「――あのね、お休みにお泊り会とかするんだけど、あ、ななみちゃんのバイトのお休みと合えばね? でねでねっ、一緒にお風呂入るんだけど、ほら、ななみちゃんってすっごい細くてキレイじゃない? お洋服着ててもスラーってしてて足とかもキレイで。弥堂くんもそう思うよね?」

「あぁ」

「だよね! でね、お洋服脱いでもやっぱりキレイでね、痩せすぎとか全然そんなことなくて、それからお肌もすっごいキレイじゃない? ほっぺとかいつもつるつるで、私たまにニキビとかできちゃうんだけど、ななみちゃんいっつもつるつるでキレイだよね? 弥堂くんどう思う?」

「キミの言う通りだ」

「えへへ、やっぱそうだよね! あのね、ななみちゃんお顔も細いんだけどでもね、ほっぺ触るとやわかいのっ。今度弥堂くんもほっぺ触らせてもらうといいよ。でねー、おなかとかもやわらかいのにシュッとしててツルってしてるの! 私ちょっとぷにぷにしてるからななみちゃんのおなかいいなーって思ってて。でもね、ななみちゃんおなか擽ったいみたいであんまり触らせてくれないんだけどね、お風呂の時はいつも洗いっこするからその時触るとやっぱりお肌つるつるなの! 足も細くてキレイだけどね、腕も細くてスラーってしてて、ななみちゃんってモデルさんみたいじゃない? やっぱり男の子って細くてキレイな女の子が好きなのかな? 弥堂くんもななみちゃんみたいにキレイな子好き?」

「そうだな」

 弥堂はオートモードになっていた。彼の経験上、女が『きいてきいて』などと言い出したらとてつもなく話が長い上に内容がないということは身に染みて理解していたので、素早くオートに切り替えていた。彼は修練の末、女の話に自動で肯定の意を示す相槌をうつ業を身に付けていた。

 彼の師が勧めた技法の修練のいくつかは早々に見切りをつけて真面目に修行をしなかったが、このオートモードに関しては心血を注いで修練し、彼自身で開発したオリジナルの特技である。

 女が『どう思う?』などと聞いてきてもどうせ奴らは肯定以外は求めていないのだ。意見をしてやったとしてもどうせ最終的に言うことなど聞きはしないので、不興をかってまで反対するだけ時間の無駄だという、真相を女性が聞いたら不興をかう程度では済まされない、弥堂の偏った経験に基づいた偏った思想のもと設計・開発された業である。

「やっぱりそうなんだー、えへへ、ななみちゃんかわいいよねっ。それでね、お胸がね、形キレイでね、こうツンって感じで上向いててかわいいの! あとね、背中も洗ってあげるんだけど背中もキレイでつるつるだよ! おしりもこうキュってしてて小さくてかわいいし、やっぱりキレイでつるつるだし! つんってするとぷるんってするの! あとあと! いつもはカラコンしててお化粧してて少し大人っぽい感じなんだけどね、お風呂入る時はお化粧落とすじゃない? そうするとねちょっと幼い感じになってね? それもすっごくかわいいの! それでねそれでね? ななみちゃん髪長いからお風呂浸かる時にこうやって髪をまとめるんだけど、そうするとねすっごいお顔もちいさくてかわいいの! ななみちゃんのお顔すっごいかわいいよね! 弥堂くんもかわいいと思うよね? ななみちゃんのお顔好き?」

「キミは素晴らしいな」

「え? 違うよ。私じゃなくて、ななみちゃんのお顔好きだよね? かわいいと思う?」

「あぁ」

「えへへーそうだよねー、それでね、お風呂出たら一緒にベッドで寝るんだけどね、ななみちゃんがいつもぎゅってしてくれて、私もぎゅってするんだけど、ななみちゃん細いのにやわらかいの! あとねとってもいい匂いがするの。一緒にお風呂入ったからおんなじボディソープ使ったのにね、なんか私とちょっと違う感じでなんだかいい匂いするの。普段もいい匂いするけど、あ、今日弥堂くんななみちゃんとお顔近づいたけどその時いい匂いしたよね? 思わずクンクンしちゃうよね?」

「キミの言う通りだ」

「やっぱそうだよねー。えへへ、私だけじゃないんだ。弥堂くんもななみちゃんの匂い好き?」

「そうだな」

「そうだよねー。わかってくれてうれしいっ。あとねあとね、ななみちゃん髪の毛もねいい匂いして、それでねすっごいサラサラで手触りもいいの。ちゃんとセットしてるからグチャグチャってしたら怒ると思うけど、髪型崩さないように優しくなでなでするだけなら大丈夫だと思うの。弥堂くんにもなでなでさせてあげてってお願いしてあげるね」

「キミは素晴らしいな」

「えへへ、まかせてー。明日一緒にななみちゃんなでなでしようねっ」

「あぁ」

 弥堂は己の心血を注いだ業により順調に地獄の入り口へと向かっていた。

「それでそれであとね――ほぇ?」

 大好きな親友のななみちゃんと弥堂がなかよしになれるかもしれないと、愛苗ちゃんはとっても張り切ってさらに畳みかけようとするが、そこでふと周囲に目が行き、いつの間にか人だかりが出来ていることに気が付いた。何故だか男子生徒たちは皆不自然に地面に体育座りで座り込んでいた。

 最初はただ人だかりに驚き、そしてややあって、今自分が長々と何を口走っていたか思い出し、ハッとした水無瀬はバババッと周囲の野次馬を見回した。
 野次馬の皆さんはまるで訓練されたかのように統制された動きで全員が視線を逸らした。

「あ、あのっ……みなさん今の話聞こえてました⁉」

(聞こえてないわけがないだろう)

 オートモードから回帰した弥堂はそう心中で指摘したが、


「ん? 水無瀬さんか。気付かなかったよ。やぁ、今帰りかい?」
「話? すまないな。俺今来たとこでさ、お前ら何かわかるか?」
「ごめんな。今ちょっとこいつらと話しこんでてさ、聞いてなかったんだ、なぁ?」
「あぁ、ちょっとそのさ、あの、政治についてな。このままじゃダメだなって」
「そう、俺らも日本の将来について真剣に考えなきゃなって、ほら、その、ダメだなって」
「なんだ、誰も聞いてなかったのかよ。すまない水無瀬さん、ご覧のとおりで申し訳ない」
「何か重要な話だったのかい? よかったら聞くぜ」
「あぁ、面倒じゃなければもう一回話してくれるかい?」

 不自然に体育座りで座り込んだ男子生徒たちはまるで訓練でもされたかのように統制された連携ですっとぼけた。よく聞かなくても薄っぺらいことしか言っていないのだが、水無瀬相手にはそれでも十分であった。

「い、いえ――いいんですっ」

 水無瀬がそう固辞すると男子生徒たちは白々しく「必要だったらいつでも相談してくれな」などと言いながら、不自然に地面に体育座りで座り込んだままでそれぞれの雑談に戻ったフリをする。

 その様子を女子生徒たちは冷めた目で見ていたのだが、この場に居合わせておきながら止めもせずに、並々ならぬ関心でしっかり水無瀬の話に聞き入っていた彼女らも大概同罪である。

 その彼女らは、水無瀬が自分たちをじぃーっと見ていることに気が付くと、

「あ、水無瀬ちゃんじゃない。やっほ、今帰りー?」
「ごめんねー、うちらもちょっと話しこんじゃっててさー」
「えぇ、そうなの。ちょっとその……社会について、ね?」
「え? う、うん、そう……あのあれ、女性の立場についてね、ほら?」
「は? えっと、そうそう。これからはあたし達もほらさ、社会でもっと活躍しなきゃなーって、“きかい” が “びょーどー” にね……」
「だよねー。えっとあの“きぎょー”をね…… “とーし”して」
「やばいよね? “とーし”……あははー、水無瀬ちゃんはどう? 最近してる? “とーし”」

 こちらも流れるように薄っぺらい言葉を吐いた。

「チッ、クズどもが」

 弥堂は彼ら彼女ら全員を軽蔑した。

 皆さんは『お前にだけは言われたくない』とツッコミたかったが、話の追及を逃れたかったので、目立たぬよう怒りを飲み込み弥堂へと怨嗟の視線を送るに留めた。

 水無瀬は“とーし”? と首を傾げたがやがて、

「よ、よかったぁ……誰にも聞かれてなかったぁ」
 
 と、安堵した。野次馬のみなさんも安堵した。

(んなわけねぇだろ)

 弥堂はそう思ったが、彼としてもこれ以上の脱線は御免なので口を噤んだ。

「あ、あの、弥堂くんもごめんね、さっきのお話忘れてくれるとうれしいな。おねがいします」

 ぺこりとおじぎをして謝罪をする彼女から目を離さず、さりげない動作でボイスレコーダーの録音を一時停止した。

「あぁ。わかった。俺は何も聞かなかった。」
「うん。ありがとう。ごめんね、へんなことしゃべっちゃって……ななみちゃんに謝らなきゃ……」

 弥堂は彼女から目を離さずさりげない動作でボイスレコーダーの録音を再開した。


「でも、みんなすごいね。私難しいこととか全然わかんないから……政治とか社会とかいっぱい考えててえらいねっ」

 私もいっぱいお勉強しなきゃーと言いながら、集まった彼ら彼女らに羨望の眼差しを向ける。汚れなきおめめがキラキラと輝いた。

 周囲の皆さんは疎らな動きで目を逸らした。顔向けできなかったのだ。心が痛んで。その程度の良心はまだ彼ら彼女らにも残されているようだった。


「そんなことはどうでもいい。貴様らは聴取の邪魔だ。さっさと解散しろ」

 と、一欠けらほどの良心も残されていない男が人々に解散を命じた。

 業腹ではあるが、後ろめたい気持ちいっぱいでちょっと早めに一人になりたい気分だった野次馬たちは、大人しく指示に従い水無瀬に別れを告げて帰っていく。
 やはりその内の決して少なくない人数の者が水無瀬に「ありがとうございました」と礼を告げ金を渡そうとしてきていたが、彼女はその全てを固辞した。その反省の色が見えない人々を見て、弥堂はやはり『世界』は変わりはしないのだと深く失望をした。


 再び水無瀬への尋問を行おうとした弥堂だったが、何人かの男子生徒が不自然に体育座りで地面に座り込んだままで動こうとしないことに気付いた。彼らは無暗に公言することは難しい諸事情により、すぐには立ち上がることが出来なかったのだ。
 そんな彼らに速やかに帰宅するようにと命じたが、「後生だからしばらく放っておいてくれ」「絶対に問題は起こさない、邪魔もしない、約束する」と、とても必死な様子で口々に嘆願してきた。面倒になった弥堂がそれを許可すると、彼らは不自然に体育座りで座り込んだまま凪いだ目で空を眺めていた。

 ようやく尋問を再開するも愛苗ちゃんはすっかり何のお話をしていたのか忘れてしまっており、また最初から似たような話を言って聞かせるが、凪いだ目で空を見つめていた男たちが一人一人それぞれのタイミングで何かしらの折り合いがつくと、尋問中の水無瀬に礼を告げ金を渡してこようとする。
 その度に何度も何度も中断をされ、いい加減業を煮やした弥堂によって一人一人蹴り飛ばされ追い払われた。

 さすがの弥堂もこれ以上の追及は断念せざるを得なかった。




「――いいか、 今日のところはここまでにしておいてやるが、まだ貴様の容疑は完全に晴れたわけじゃない。我々はいつでもどこでも貴様を監視しているぞ」
「えぇ……まだ信じてくれないのぉ……」

 困った時のゴリ押しでとりあえず強気な姿勢だけ見せて警告してくる弥堂に、水無瀬は情けなくふにゃっと眉を下げた。だが、すぐに表情を改めると弥堂の手をとりぎゅっと握る。

 彼の顔を見上げ彼の目をまっすぐに見つめて言う。

「あのね、びっくりしてなんかちょっと変な態度しちゃったけど、私はほんとに悪いことはしてないし、他の人に狙われてたりもしてない、だいじょうぶだよ。ほんとにほんとだから。ね? 信じて?」

 弥堂はそう言った彼女を見つめる。

 目線は揺れず、発汗も認められず、妙な仕草もない。


「いいだろう。とりあえずは信じておいてやる。自分の言葉が真実となるかどうかは今後の貴様の心がけ次第だということを忘れるなよ」 
「もーー、がんこだなぁ」

 そう言って水無瀬は苦笑いをした。


「ではお前はもう用済みだ。行っていいぞ。さっさと帰れ」
「ひどいっ‼」

 やんわりと水無瀬の手を解きつつ人間味のかけらもない言葉をかけてくる弥堂にショックを受ける。しかしそんなことを言われても、どんなことをされても、彼女は何も変わらない。

「捜査への協力は感謝してやる。ご苦労だったな」
「うん。えへへ。だいじょうぶだよ。弥堂くんといっぱいお話出来て楽しかったし」

 変わらず楽しそうに笑う。

「ほう、それはこの程度の尋問などお遊びのようなものだと、そういう意味か?」
「ちがうよっ! 弥堂くんのこといっぱい知れてうれしかったの!」

『じんもんはもうやだよぅ』と眉をふにゃっとさせる彼女を見て、先程自分が思考していたことを反芻する。


 水無瀬  愛苗を視て、彼女の奥底を覗いて、彼女を――その根源を知る。
 それは弥堂には出来なかった。視えなかったし、何もわからなかった。ただ、彼女が他の何とも違うモノだと、ただそれだけがわかった。

 そして弥堂が彼女を目に映しているのなら、その時は同時に彼女も弥堂を目に映す。
 自分には彼女はわからなかった。だが彼女は弥堂を見て弥堂がわかったのだろうか。知ったと言った。

 当然、弥堂の思考など知る由もない水無瀬が同じ意味で言っているわけがないのだが、そんなことはわかりきっていることで、聞くまでも考えるまでもないことなのだが、弥堂は彼にしては珍しいことに戯れに聞いてみたくなった。

「何を知った?」
「え?」

 端的すぎる質問に水無瀬は一瞬きょとんとするが、すぐに嬉しそうに目を輝かせる。

「えっとね。お仕事にまじめなとこと。あとはぁ……ちょっといじわるなとこっ」

 胸の高さまで上げた手で、指を二本折り、そう言って彼女は笑った。

「そうか……」

 全くを以て弥堂が知りたかった答えでも期待したようなものでもなかったが、

(――だが、)

「――正解だ。よくわかったじゃないか」

「えへへー。でしょー? 私すぅぱぁーー! ……ん? スーパーってなんだっけ……?」

 弥堂は笑わなかった。だが、特に不快にもならなかった。


「それじゃ弥堂くんまたねっ、さようなら」

 ぺこりとおじぎをして水無瀬は正門へと歩き出した。弥堂は先と同様、自らの職務を遂行する為に彼女の背中へと声をかける。

「水無瀬、帰り道には気を付けることだな」

 きょとんと目を丸くしたまま振り返った彼女はすぐに満面の笑みを浮かべ

「うんっ、弥堂くんも委員会がんばってね。ばいばいっ」

 手を振って嬉しそうに瞳を輝かせまた笑った。

 また一段と彼女の存在が、存在する力が増したような気がした。そう視えた。


 不器用なスキップでもするようなそんな足取りで帰っていく彼女の背中をそれ以上はもう視るのをやめた。

 弥堂は振り返り校舎へと歩いていく。


 歩きながら、考える。

 水無瀬 愛苗について――

 彼女の証言内容について考える。

『生命を狙われる覚えはあるか?』

 この質問に対してあからさまに怪しい態度。しかし先程の彼女の言葉。

『あのね、びっくりしてなんかちょっと変な態度しちゃったけど、私はほんとに悪いことはしてないし、他の人に狙われてたりもしてない、だいじょうぶだよ。ほんとにほんとだから。ね? 信じて?』

 これは、おそらく本当だろう。真実を語った。と、思う。
 彼女は嘘を吐かない。まだ嘘を覚えてはいない。騙ってはいない。


 普通に考えて。

 この平和な日本のどこにでもあるような普通の学校の普通の女子高校生が狙われることなどあるか。そんな理由があるか。

 まぁ、ないだろう。

 ゼロではないだろうが、もっと突発的で衝動的な性犯罪などであればいくらでもあるだろうが、専門的な知識・技術が必要となる学園の警備ドローンのハック。或いは特殊な入手ルートが必要になるような狙撃銃もしくは高額な高性能望遠カメラ。または、現在の弥堂には見当もついていないようなもっと別の他の方法。
 いずれにしても簡単に思いつきで用意できる手段で撮影されたような写真画像ではない。

 無数にいる普通の女子高校生の中から、そんなものを用意してまで狙われるような特定の一個人に当選する確率とはどれほどのものだろう。

 故に――普通に考えて、普通の学校の普通の女子高校生がそんなものに狙われることはない。絶対にゼロではなくとも、そう考える必要などない。弥堂もそう考える。

 ならば――水無瀬 愛苗が語った言葉は真実だ。弥堂もそう考えている。

 だから――ただの女子高校生である水無瀬 愛苗が狙われているなどということはありえない。そんな理由などどこにも存在しない。


 しかしそれに関しては、弥堂  優輝はまったくそうとは考えていなかった。



 校舎へと歩く。人通りの疎らになった桜並木を、下校する生徒たちの流れとは逆に歩いていく。すれ違い続けながら進む、或いは戻る。

 無機質な建造物に無数に取り付けられた窓が、そんな彼らをずっと見つめていた。


 果たして、どちらが窓の内側で、どちらが外側なのだろうか。
 


 歩きながら思考を切り替える。

 現在の手持ちの情報ではこれ以上はこの事件について考えても今は無駄であろう。次の職務へととりかかる。
 
 この並木道に歩いている生徒たちの疎らになった数から鑑みて、部活動や委員会などに所属していない、放課後に活動予定のない生徒達の大部分はもう帰路についたことだろう。ここからは用もないのに校舎に残っているグズどもを見つけ出し、叩き出してとっとと帰宅させるのが風紀委員である弥堂の仕事だ。

 
『風紀の狂犬』

 美景台学園高校で多くの者に恐れられる風紀委員 弥堂 優輝びとう ゆうきの通称だ。弥堂自身もそう呼ばれていることは知っている。誉れのある名ではなく、悪感情をふんだんに込められた蔑称であることも知っている。それについては特にどうでもいいと思っているが、ただ一点。

 犬ではあるが狂ってなどいない。
 やれと言われたことをやる。職務に忠実な犬だ。正常で優秀な犬である。

 弥堂はそんな自分を誇りに思うことなどはないが、しかし自分をそう呼ぶ者を負け犬だと嘲っていた。

 そして校舎へと足を踏み入れる。負け犬狩りに狂犬が放たれた。



 弥堂 優輝が『職務』を行うと、世間一般から『ちょっとだけ』ズレた彼が『仕事』をすると、大抵誰かしらが酷い目にあう。本日の放課後だけで見ても――

 先程とそして今から彼に蹴り飛ばされ帰宅を促される誰でもない一般生徒さんのように。
 彼に脅迫され怯え切っていた山下君のように。
 彼にわけのわからない『じんもん』をされた水無瀬 愛苗みなせ まなのように。

 しかし、本日一番ひどい目にあったのは、その内の誰でもなく、下着を写真画像に残された挙句に、自らの与り知らぬ時に与り知らぬ場所で、映像情報はないにせよ、水無瀬の拙い言葉からではあるが、下着の詳細どころか裸体の詳細までをも、弥堂を含めた不特定多数の誰かもわからない男の子たちに知られてしまった、希咲 七海きさき ななみであろう。

 彼女がぶっちぎりで本日の被害者No.1である。


 しかし、そんな彼女の――希咲 七海の本日最大の受難はこれで終わりではない。


 ――これから始まるのだ。
 







「なんなわけ? あんたたち」

 希咲 七海は行く手を遮るように立つ複数の人間と対峙していた。


「何? 今、『何』と聞いたのかい? まったくキミは無知だなぁ」

「はぁ?」

 集団の中の一人の男――車椅子に座った男がまるで揶揄するように口を開くと、それに合わせて周囲の者たちがクスクスと笑い出した。

 希咲は苛立ちを隠そうともせずその視線に載せる険を強める。

「まぁいいさ、無知は罪じゃないし恥でもない。なぜなら無知は弱さだからね。弱さは許されなきゃならない、守られなきゃならない。弱いキミを守れない社会が悪いのさ。そうだろぉ?」

「あのさあんた、あたしの言ったこと聞いてた? 答える気ないってこと?」

「まさか! まさかまさかまさか――そんなわけがぁないじゃあないか。ボクはキミの味方だよ? ボクは全ての弱者の味方なんだ。無知で弱いキミにモノを教えてあげて救ってあげる。ボクは人格者だからね、そのために来たんだあ」

 希咲は正面に立ちふさがる者たちに注意は向けたまま、周囲の他の通路に目を配る。するとスッ、スッと背後や脇の道を塞ぐように別の者が現れる。完全に包囲されているようだ。

「ハハハッ――キミは注意力が足りないね。危機感も足りない。でもね、キミはぁ悪くないよ? それも全て弱さだからね。弱いか弱いかわいそぉぉなキミは許されるのさ。許されなきゃぁいけない。救われなきゃいけない。だってそうだろぉ? 弱いのが悪いだなんてそんなの――『ひどいこと』じゃあないか」

「何が言いたいのかよくわかんないんだけど、つまりケンカ売ってるってことでいいのかしら?」

 希咲は壁側に背を向けるようにしてなるべく広く視界を作りながら再び車椅子の男に目を向けた。

「ケンカ? おいおいおいおいやめてくれよ野蛮だなぁ。暴力なんて最低だよ。だってそうだろぉ? 力の強い者だけが勝てるだなんて、我を通せるだなんてそんなの、『不公平』じゃあないか」

 周囲の者から同調するように声が上がる。希咲は眉を顰めた。

「まぁいい。まぁいいよ。まぁいいさ。口が滑ってしまうことは誰にでもある。ボクは寛容だからね。こんなことでキミが『差別主義者』だぁなんて、そんなことはまったくこれっぽっちも思わないさ、ボクはね? だってそうだろぉ? 気が短いのも、言葉を選べないのも、それもまた全部弱さだからね。ボクはキミを許そうじゃあないか」

 じりっと、意図せず希咲の足が後方へ僅かに下がる。

「さぁて。ボク達が『何』か。だったね。答えようじゃあないか。親切にも教えて差し上げようじゃあないか。御覧のとおりここに居るのはみぃんなボクの『同志たち』――仲間さ。この場に於いてキミだけがボクたちが『何』なのかを知らない。同じ知識を与えられていない。そんなの『平等』じゃあない。そうだろぉ?」

 クスクス……クスクス……という哂い声に混じり『平等』『公平』『差別』そういった言葉が聞こえてくる。希咲はいつの間にか自分がこの場の雰囲気に、彼らに呑まれていることに気付いた。今度は自らの意志で後退った。


「平等はボクが最も愛するものの一つだからね。だから一人だけ知らない、一人だけ無知なキミに教えて差しあげてこの世界を均すのさ。平等に公平に差別なく均等に、ね。その為に総ての弱きを許して優遇しよう。総ての強きから搾取して配当しよう。キミの無知も迂闊も短慮も、全てのキミの弱さは許されなきゃあならない。ボクの弱さも許されなきゃあならない。だってそうだろぉ?――」

 その男は希咲を見てニヤァっと哂った。

「――弱さは免罪符だからね」

 下がる希咲の足が壁に当たった。圧倒されていた、気圧されていた。
 この場の雰囲気の異様に。この男の威容に。

「それでは遅れ馳せながら名乗らせて戴こう。こんにちは。初めまして。ご機嫌如何かなぁ、同志よ。ボクたちは――」

 その男は、車椅子に座ったその男は名乗った。

「――ボクたちは『弱者の剣ナイーヴ・ナーシング』だ――」

 玉座に君臨する王の様に、そう高らかに名を告げた。

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