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序章 俺は普通の高校生なので。

序章07 unfinished

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 体育館裏へと辿り着く。
  
 西側の部室棟の北に体育館がありそのさらに北部にはプール施設がある。学園の敷地全体を見下ろすと学園内の北西部にあたる位置だ。
 弥堂はそこまでは通り抜けずに体育館裏手の、学園の敷地と公道とを隔てる外壁との間にある清掃員が仕事に利用する焼却炉設備の付近へと来ていた。こちらへ来る生徒は少なく静かな場所であり、その為に弥堂は自身の『一人飯スポット』の一つとして利用していた。

 外壁側に設置された清掃員が使用する特殊な焼却炉の向かい側には水道が引かれており、その脇の地面に腰掛けるのにちょうどいい高さのコンクリートの段差がある。

 弥堂は体育館の壁に背を預け腰を下ろす。身体の脇に持っていた荷物――コンビニで購入した商品の入った買い物袋と水無瀬 愛苗から手渡された弁当袋を置く。

 ポリ袋から水のペットボトルを取り出し、目を細め未開封であることを確認してからボトルキャップを回す。水を二口飲みキャップを締めて脇に置いてから、スマホを取り出すとタスクアプリを起動する。


 本日は4月16日の木曜日。土日は休みとなるため明日の金曜日で今週の学園の日程は終了となる。なので今週中にやらねばならない仕事は、必然的に明日までに終わらせなければならないことになる。弥堂は自身に課されたタスクリストを手元の画面に目を向け確認していく。

 順に目で追う。いくつかの教科での課題。風紀委員の活動レポート。廻夜からの課題は――クリア。『バイト』の予定。そして、最後の一つで目が止まる。


『反省文の提出』

「ちぃっ」

 思わず舌を打つ。

 弥堂はとにかくこの反省文というものが嫌いだった。要は始末書だ。
 自身がミスをしたのならばそれを作成するのは仕方のないことではあると思うが、成果を出せなかったのならばともかく、『不適切』『不健全』だのと意味のわからない難癖を教員どもに付けられ、不要な時間的コストの消費を強いられる。非常に強いストレスを感じていた。

(――まさか)

 敵性部活動の者どもの息が教員の一部にかかっていて、それでこちらに妨害工作を……?

 証拠はない。ないが、その可能性は考慮しておくべきだと弥堂は判断した。そしてそれは的外れではないと、そう強い確信があった。
 でなければ説明がつかないことがある。

 この反省文の要求が毎週複数件あるのだ。このような意味のない作文をこれだけ大量に作成させられることが『普通』だとは考えづらい。
 それとも自分が知らないだけで、高校生とは意味もなく毎週多大な反省を強いられることが『普通』のことなのであろうか。
 でなければ、この学園に転入してから今までの期間、遅刻も欠席もなく真面目に通学をし、学園の治安維持に努める風紀委員としての職務を全うしている自分のような模範生が、このような憂き目にあうはずがないのだ。

 やはりこれは何らかの陰謀である。弥堂はそう結論づける。
 しかし公式な手順で以って作業として課された以上は、現状はそれに甘んじる他ない。今まで気づかなかった自分が間抜けだったのだ。今は大人しく従っておこう。

(今はな――)


 そのような思惑を巡らせつつ、弥堂は今回の反省文が一体何についての反省なのか、という部分に思いを馳せる。

 先日の『自己紹介』の件だ。
 
 自身の所属する部活動の先輩であり部長である廻夜 朝次めぐりや あさつぐには『一年間を諦めるしかないレベルのやらかし』、担任教師の木ノ下 遥香には『考えられないレベルの失言』と評された、およそ一週間ほど前の4月8日水曜日。

 二年生へと進学して、新しいクラスに新しいクラスメイト達と編成されて迎えた新しい学期が開始された日の、体育館で行われた新入生のための入学式兼在校生の始業式が終わり、それぞれの生徒が各クラスへと戻ってから行われた最初のHRでの出来事である。

 出席番号順に各生徒が教壇に立ち、クラスメイト達に向けて自身のプロフィールなどを喋る。ありふれた自己紹介だ。

 弥堂の順番が廻って来たので席を立ち教壇へと向かう時のことだった。その道中、以前の自分の保護者のような立場にいたルビア=レッドルーツ、記憶の中でも鮮烈に燃えるあの緋い女の言葉を思い出しそれを実行した。
 しかしそのルビアに教えられた通りの『自己紹介』がどうも拙かったらしい。
 
 反省文を作成するにあたっては一体何が悪かったのか、その情報は必須となる。
 廻夜は多くを語らなかったし、自分を呼び出し説教を行った担任教師の木ノ下に至っては、興奮しすぎていてその言動は支離滅裂であった。教職に就いて二年目のまだまだ新任教師といえる彼女だが、いい歳をした大人の女性があれほど顔を赤くして怒り狂う理由とは一体どんな……


 弥堂は自らの所業を思い出すべく記憶から記録を取り出す。







――4月8日水曜日 9時20分頃 場所:2年B組教室 


 席を立つ。俺の順番だ。席を離れる際に隣の座席の水無瀬 愛苗みなせ まなが「がんばってねっ」と言った。前に立って自分のプロフィールを読み上げるだけだ。何を頑張ると言うのだ。
 まるで小さな子供を送り出す若い母親のように不安を滲ませた顔で、励ます声音でそう言った。ナメているのか。子供はお前だろう。と俺は考えた。

 数歩進んだところでルビアの教えを思い出した。こういう場面での作法だったはずだ。当時のルビア=レッドルーツとの会話の記録を取り出す。不完全な記録。何も出来ない甘ったれのガキの思い出を幾年か後に記録としたもの。正確性は疑わしい。彼女は笑っていた。恐らくこんな顔で笑っていた。そして彼女はこう言った。恐らくこんな声で言った。彼女の言いそうなことではあるし、実際に教わった通りに何度か振舞ったこともある。記録は不完全だが大体このような感じだろう。問題はない。と俺は考えた。

 大雑把でいい加減な女だったが、あの女の教えが俺を生かした。彼女がそうしろと言うのならばそれでいいのだろう。と俺は考えた。

 教壇に立つ。左から順にクラスメイト達を見渡す。大体は覚えのある顔だ。数名ほど警戒が必要な対象はいるが問題はない。敵性存在も現状いない。どうにでも出来る。と俺は考えた。

『まずは見下ろせ。んで睨みつけろ』ルビアの言葉だ。不完全な記録。了解。と俺は考えた。

 ネクタイを緩めシャツのボタンを2つ外す。以前にクソの役にも立たない消耗品のチンピラ崩れどもを相手に、よくそうしてやっていたように見下ろす。どいつもこいつも平和ボケした腑抜けた顔だ。ルビアの世話になっていた時の自分のようだ。と俺は考えた。

 教室全体を睥睨するように無言で見下ろす。気の短い者ならもうここで仕掛けてくるはずだ。それを待つ。教壇の脇に立った女が「び、弥堂君……あの……?」と遠慮がちに声をかけてくる。木ノ下 遥香。この新しいクラスの担任教師だ。教師2年目で担任を任されたという情報だが、一目でわかる。使えない女だ。この女に教わることなど何かあるのだろうか。と俺は考えた。

 15秒待ったが反応はない。戸惑う者、怯える者、嫌悪する者、わずかに敵意を放つ者。慌ただしく挙動不審な水無瀬。次の段階へ進もう。と俺は考えた。

『ハッタリでもなんでもいいから一発カマしてやんな』『テメェはこう言ってやんな……』 ルビアの言葉だ。その先の言葉も憶えている。不完全な記録。了解。と俺は考えた。

 左手を握る。破壊はしない程度に、だが出来るだけ大きな音が鳴るように、教卓へとこの手を叩きつける。俺は実行した。

 そのまま教室を黙って見渡す。怯える者、嫌悪する者、臨戦態勢に入った者、慌ただしく挙動不審な水無瀬。だが動く者はいない。次の段階へ進もう。と俺は考えた。

 名を名乗る。「俺の名前は弥堂 優輝だ。俺は――」一度言葉を切り目に力を込める。動く者はいない。ルビアの次の指示。不完全な記録。了解。次の段階へ進もう。と俺は考えた。

 ゆっくりと間を作ってから言葉を発する。俺は実行した。




「――俺は、抜かずに三発出せる」と俺は言った。






 記録を切る――

(この後は俺は発言をしていない。恐らくここまでの中での行動のどれかが問題だったのだろう)

 弥堂は胸中でそうつぶやく。



 実際、問題どころではなかった。

『俺は、抜かずに三発出せる』

 この発言で教室は静まり返った。当然だ。生徒さん達は白目を剥いた。当然だ。木ノ下先生も白目を剥いた。当然だ。水無瀬 愛苗みなせ まなだけは意味がわからなかったのだろう首を傾げていた。

 完全に全員の度肝を抜いて、満足げに自席へと引き返していく弥堂にクラスメイト達は戦慄していた。弥堂が教卓へと拳を叩きつけたことによって、臨戦態勢をとっていた数名の生徒も思考停止をしていた。
 弥堂が席に座るとようやく教室は騒めき始める。水無瀬とは逆側の隣の席の女生徒は弥堂が席に着く際に「ひっ」と悲鳴を上げていた。

 女子生徒達の殆どは顔を赤らめるか青褪めるかして怯えている者が多かった。男子生徒は敵愾心を剥き出しにする者もいたが、大半は雄としての敗北感に心を折られていた。悔しさに顔を歪める者、絶望的な戦力差に涙を流す者もいた。
 以上に該当しない生徒達は男女問わず弥堂の常識外れな言動を軽蔑していた。


 水無瀬さんだけはよくわかっていないのだろう、戻ってきた弥堂に笑顔で声をかけた。

「おかえり弥堂くんっ、おつかれさま! ……ねえねえ、抜かずに三発出せるってどういう意味? 何が三発出るの?」

 再び教室に激震が走る。

 普段は水無瀬を邪険にしてロクに受け答えをしない弥堂だが、こういう時に限って律儀に反応をする。

 他にも意味がわかっていない者もいるかもしれない。ここで上下をはっきりさせる、廻夜流に言うのならば『マウントをとる』為にはしっかりと『わからせて』やった方がいいだろう。そう考え水無瀬の方を向く。

 教室後方でガタッと大きく椅子を蹴倒す音が聞こえた。弥堂の蛮行を止めるべく、大好きな親友の愛苗ちゃんに汚い言葉を聞かせない為に希咲 七海きさき  ななみが慌てて立ち上がったのだ。

 弥堂が口を開く。
 
 しかし、弥堂 優輝びとう ゆうきが言葉を発する前に、希咲 七海が不埒者にドロップキックを叩きこむその前に、それよりも先に動く者があった。

「びっびびびびびとおくんっ‼ あっ、あとで指導室まで来なさああぁぁぁぁいっ‼」

 この学校に勤務してまだ1年、というか教職に就いてまだ1年だが、生徒達からは優しい、穏やかで大人っぽいと評判だった木ノ下先生は、今までの人生でも一度も出したことのないような声量で、無事に弥堂の発言を止めることに成功した。このクラスに就任して最初の重要な仕事であった。本人にとっては甚だ不本意なことであろうが。

 その後生徒指導室へと呼び出した弥堂との間でまた一悶着あったのだがそれは今は別の話。



 時は戻り体育館裏。

 弥堂は脇に置いたポリ袋からコンビニで購入した昼食を取り出す。手に持っているのはブロック状のバランス栄養食だ。

Energy Biteエナジーバイト

 人間が生きる上で必要なありとあらゆる栄養素を親の仇の様に詰め込んで圧縮した商品である。
 弥堂が嗜食している一品で何か特別必要性に駆られて外食をするわけでもない限りは、ほぼ三食全てこのEnergy Biteで食事を済ませていた。

 先程教室で水無瀬に『変なの』呼ばわりをされ、その流れで希咲に『あんた一体何食べてるわけ?』と問われこの商品を紹介したのだが、二人掛かりでクソミソに貶された一品である。と言っても好き放題に罵ってくれたのは9割が希咲であったが。

(ふん、素人どもが)

 道理を解さぬ愚か者どもへの嘲りが甦り、先程奴らに説明してやったこの商品の素晴らしい点を頭の中で羅列しようとした瞬間――


 “ヴヴヴっ” と手の中の端末が短く震える。着信を知らせる通知音だ。液晶画面の上部を見ればE-MAILの着信を示すアイコンが表示されている。
 サバイバル部や風紀委員会との連絡は、最もユーザー数の多いと言われている『edge』というメッセンジャーアプリを使用している。電子メールの方で連絡が来るのは主に『バイト先』からと――

 弥堂は受信メール一覧を開いて、その最上段に表示された未読の新着メール、それの差出人を見て目を細める。予想通りの相手からであった。メールを送信してきた相手の名前を示す欄に記載されていたのは――

――差出人不明――

(……Y'sか)


 Y'sワイズ

 弥堂 優輝びとう ゆうきが所属する部活動である通称『サバイバル部』、そして正式名称『災害対策方法並びに遍く状況下での生存方法の研究模索及び実践する部活動』。これに所属する廻夜・山田君・弥堂に次ぐ第4のメンバーで、恐らく情報収集及び管理統制に特化している、と思われる部員である。

 山田君以上に謎に包まれた部員で顔を見せたことがないどころか、学園に提出している部員の登録名簿にもその名前は記載されていない正体不明の生徒だ。Y'sというのは仮称であり偽名もしくはコードネームのようなものなのだろう。彼、もしくは彼女から送られてくる様々な情報文書のその文末に『Y's』と、署名のように必ずそう記されており、もしかしたら名前ですらないのかもしれないが、そこから弥堂は『ワイズ』と、便宜上そう呼称していた。

 このY'sからはこうやってEメールや紙の文書でこちらが必要とする情報、これから必要となるかもしれない情報、各種テストの極めて精度の高い出題予想から近所のスーパーの耳寄りなお得情報に加え、お住いの地域のゴミ収集の日のお知らせまで、ありとあらゆるお役立ち情報を網羅してこちらに提供してくる。
 
 反省文について詰めようとしていたが、緊急性の高い案件の可能性もある。弥堂は瞬時に頭を切り替えてメール本文を画面に表示させる。『無題』、『差出人不明』のそのメール本文には――






『愛してる愛してる愛してる好き愛してる愛してる愛してる愛してるいつも見てる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる好き愛してる愛してる死にたい愛してる愛してる愛してる愛してる産みたい愛してる好き愛してる愛してる愛してる好き愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる気付いて愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる好き愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる欲しい愛してる愛してる愛してる愛してる見て愛してる愛してる愛してる愛してる私を見て愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる何でもします愛してる愛してる愛してる愛してる下さい愛してる愛してる欲しい愛してる愛してる欲しい愛してる愛してる愛してる愛してる爪が欲しい愛してる愛してる愛してる愛してる髪の毛が欲しい愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる唾液が欲しい愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる血が欲しい愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる全部欲しい愛してる愛してる愛してる愛してる死にたい愛してる好き好き愛してる愛してる愛してる殴って愛してる愛してる首を絞めて愛してる愛してる愛してる踏みつけて愛してる愛してる愛してる愛…………』




「ふむ」

 Energy Biteを一口齧る。
 
 咀嚼をしながら文字の流れに沿って画面上で目を滑らせていく。いつも通りの文面だ。このまま読んでいくと『愛してる』の連呼が『見て』の連呼に変わり、それが文章が終わりに近い合図となる。そして文末に本来の用件と『Y's』の署名で締められる。

 一見すると狂っているようにしか見えないこの文面に今でこそ慣れたものだが、初めてこのメールを読んだ時には弥堂としても眉を顰めざるを得なかった。

 暗号が酷いからだ。『愛してる』だのなんだのと意味のわからない単語の羅列は暗号に違いないと弥堂は考えていた。
 
 問題はその暗号をこちらが解読できないことなのだが、一度『意味がわからん。暗号を変えろ』と返信した際に、こちらの言い分には応えずに弥堂の返信に対して、弥堂の自宅住所と学園で行われた身体測定で計測された弥堂の身体情報だけを送り返してきた。
 これは恐らく『余計な口をきくな』『いつでもお前を狙える』という脅迫であろう。自分の方が立場は上なのだと主張しているのだ。強気な奴だ。

 しかし、暗号が解読不能では意味がないので一度、自身の所属する組織の上司である『サバイバル部』部長の廻夜にこれを見せて相談をしたところ、彼は意味深に笑うばかりで何も語らなかった。
『お前が知る必要のないこと』、そういうことなのだろう。心なしか廻夜の顔色が青褪めているようにも見えたが、彼は大きなサングラスを掛けていてその顔色は窺い難い。恐らくこちらの気のせいだったのだろう。
 

 現状の活動においては読める範囲の情報で不足はないと弥堂は割り切っていた。機密性に関しては完全とはとても言い難いが、万が一他人の手にこの端末が渡ってパスワードを突破されたとしてもまぁ、この狂気的な文章を最後まで読んでいく暇人もそうはいまい。それに、読まれたとしてもこちらにとって致命的な情報はここにはない。自分が内容確認後すぐに破棄をすればそれでほぼ問題はないであろう。

 どこまでも突き詰めたとしても恒久的に完璧な機密保持などは不可能だ。情報はいずれどこかで必ず漏れる。ならばそれに注力しすぎるのは効率が悪い。弥堂はそう考えていた。


 端末を持った左手の親指を画面上で幾度も上に滑らせていくと、ようやく目当ての箇所に辿りつく。そこには――

『あなたの誕生日・体重・靴のサイズを教えてください』

 という文章があり、その次にURLが記載されておりハイパーリンクが設定されていた。弥堂は迷わずリンクを踏む。

 自動的にブラウザアプリが起動し飛ばされた先のサイト情報が読み込まれる。すぐにパスワードを要求される。弥堂は考えもせずにそれを入力していく。

『4196827』

 誕生日4月19日、体重68㎏、靴のサイズ27㎝。先程の文章で質問された答えだ。このパスワードは毎回違う内容で、弥堂のパーソナルな情報を問われる。


 パスワードが認証されるとページが表示される。装飾の一切ない、白い背景に黒いテキストで文章が表示されているだけだ。

『あなたの名前・部屋番号・出席番号を教えてください』という文章が一番上に表示されており、その下にファイルのダウンロードリンクが2つ並んでいた。一番上のファイルをタップすると再度パスワードを要求される。

『yb30221』と入力するとダウンロードが開始されすぐにテキストファイルが開かれる。弥堂は慣れた様子でそれに目を通していく。

 一つ目のファイルに書かれているのは、仮想敵対部活動の弱みとなるような醜聞が殆どだ。
 それは噂レベルのものから信憑性の高いもの、時には確定した事実までをも情報の確度にちなんでランク付けをしてリスト化されている。こちらから攻撃をしかける先の候補リストだ。

 二つ目のファイルには逆にこちらに害を及ぼす可能性のある相手のリストが載っている。
 他の生徒や他校のグループに狙われていると情報が掴めた時や、職員会議や生徒会の議題で『サバイバル部』や『弥堂 優輝びとう ゆうき』個人が問題視された場合に、その計画や注意喚起等の報告がここに記される。


 一つ目のファイルには特に目ぼしいものはなかった。すぐに攻勢に出られるような目標はない。〇〇部の誰かが喫煙をしているかもしれない程度の優先度の低い情報だけであった。
 続けて二つ目のファイルに目を移す。こちらも緊急性の高い情報は特にはなかったが――

「正体不明の新勢力だと?」 

 見ると詳細は現状不明で、部活動や同好会などのように学園に正式に登録をされたコミュニティではなく、非正規の集団のようだ。

 放課後に一人で居る生徒を複数人で取り囲み迷惑行為を働いているらしい。

 現状被害報告は数件程度で、暴力行為を行っているわけではないが、被害者には女子生徒が多く何やら意味不明なことを主張してくるらしい。被害にあった男子生徒は仲間になるよう勧誘をされたようだ。彼らは自分たちを『弱者の剣ナイーヴ・ナーシング』であると名乗っているらしい。

(弱者の剣……慈善家気取りのテロリストか……?) 

 Y'sの評価では、楽観視はするべきではなく早期解決推奨。来週初めの風紀委員会の会議で議題に上がると予想。対応LEVELは3。

(レベルは3か……だが……)

 対応LEVELとは緊急性の目安のランクで1~5まであり、5が最も緊急性の高い案件となる。

 だが、レベル5までいってしまえばそれはもう手遅れということであり、場合によっては総力戦も辞さない、そういったケースを想定している。実質的にレベル3はすぐに対応にあたらねばならないような案件なのだが、弥堂としてはこの案件にあまり興味が湧かなかった。


『非正規集団』なのだ。

 つまり、学園から予算を割り振られ活動しているわけではないので、こいつらを潰したところで『サバイバル部』には何のメリットもないのだ。『風紀委員』としての立場で考えるのであればそうもいかないのだが、自分はあくまでスパイである。自ら積極的に関わる必要はないと判断をした。
 もしも来週の風紀委員会の会議でこの件の対応を命じられれば、それから対応をすればいいだろう。


(とは言え……)

 スマホの画面から一度目を離し思索する。

 このところなにやらキナくさい。

 『弱者の剣』といい、先程の山田君の件といい、事件が増えている気がする。山田君の場合は彼自身がそうなるように仕向けたのではあるが、それを抜きにしても事件が、と言うよりはそれを起こす者、所謂『不良生徒』が増加傾向にあるようだ。
 去年、弥堂がこの学校に転入してきた時よりも校内にガラの悪い者の姿が増え、それに伴い事件や騒ぎが明らかに増えている気がするのだ。

 それは校内に限った話だけではない。そういった素行の悪い生徒達は学園外で放課後や休日にも一般市民や他校の生徒と揉め事を起こし、各所からの苦情が学園に上げられているという話も聞いたことがある。時には警察沙汰になることもあり、学園の治安は明らかに悪化を辿っている。

(一度調べてみるべきか……)

 物事に変化がある時、それには必ず『理由』がある。
 衰退するにしても発展するにしても、そこには必ず誰かの意志と仕掛けがある。偶然そうなるなどという可能性は極めて低く、またそれを期待をするべきではない。

 このまま彼らの行動を放っておけば他校や街の半グレどもの不興を買い、大きな揉め事に発展する可能性もある。そうなってしまえば『サバイバル部』が無関係でいられる保証もない。調査の結果次第ではこの件はレベル4として対応に当たらなければならないだろう。出来れば風紀委員会の方で本格的に問題視されるよりも先に。

 風紀委員としてこれを『仕事』として割り振られてしまえば、その対応をする際にはどうしても採れる手段に制約が付く。いざと為れば手段を選ぶつもりはないが、事後のことも考慮すればそれは弥堂としても面白くはないことになるだろう。難しい案件だ。だが――

(これは俺向きの『仕事』だ)

 弥堂は一旦メールアプリへ戻り『Y's』への返信メールを作成する。
 内容は『学園内の不良生徒のここ一年間での増加数とその傾向及び学園内の不良生徒の現在数』と『校内校外での我が校の生徒の関与した事件数とその詳細内容及び学園へのクレーム数とその内容』、これらを可能な限り詳細に調べ上げて報告をするように、という要請だ。

 簡潔に指示だけを入力して一度内容を確認してから送信ボタンを押す。

 そしてファイルの残りの内容を確認するためにブラウザアプリへ戻ろうと――したところで手に持ったスマホが振動する。画面上部にはメールの受信を知らせるアイコンだ。

「…………」

 弥堂は無言でメールを開封する。そのメールには

『唾液をください。』

 それだけ記されていた。

「…………」

 弥堂は数秒文章を認証した。

 念のため確認したが差出人は不明で相手のアドレスは先程の未登録の恐らく捨てアドレスと思われるものからであった。

 つまり、Y'sからだ。


 返信が異常に速すぎることも気になるが、それよりも内容だ。

『唾液をください。』

 もう一度確認したが見間違いではなさそうだ。

 いつもの怪文の中に確かに唾液だの髪の毛だの爪だのといった、体組織を寄こせという文言はあったが、まさか暗号ではなく本気だったのかと訝しむ。

 とりあえず返信をする。

『ダメだ。』

『爪をください。』

 間髪入れずにまた返信が飛んでくる。

『ダメだ。』

『足の爪でいいので‼』

「そういう問題じゃねえんだよ」

 思わずメールの文章に声を出してツッコんでしまったことを弥堂は悔いた。そして疲労感が沸き上がる。

『黙れさっさとやれ』

 弥堂は投げやりに返した。すると、

『じゃあ靴下で! 使用済みの靴下で‼』

 弥堂は目を閉じて、他人の使用済みの靴下を入手することの意味とそれから得られる成果とそれにより自分が失う可能性のあるものは何かという、人類の殆どが無縁なままその人生を終えるであろう疑問に思いを馳せた。

 10秒だろうか20秒だろうかその場で瞑目し、それから目を開けると、

『いいだろう。その代わり仕事は色をつけてやれ。』

 弥堂はもう面倒になってY'sの要求を飲むことにした。

『よろこんでええぇぇぇぇ‼‼』

 歓喜の返信が届き、その数秒後にもう一通メールが届く。最後のメールにはまたいつもの『愛してる』連呼の長文が書かれていた。正直もう見たくなかったが、いつもの形態をとっている以上これは『仕事』の情報かもしれない。疲労を滲ませながらも本文の最下部まで辿り着くと、そこには画像リンクと『Y's』の署名だけがあった。

 いつものパスワードなどはない。これは初めてのことだった。先のやりとりで弥堂は大分うんざりとしつつあったので特に気にせずにその画像を開いた。


「――――⁉」


 一瞬目を見開き、そしてすぐにそれは細められる。


 手に持った端末のディスプレイに映ったのは弥堂の想像だにしないもので――
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