ある日突然タイムリープしてしまった社畜、自分の書いた物語が現実となった過去をやり直す。

智恵 理陀

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029 ラトタタ・再戦

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「変な音、聞こえない?」
「お、おい、やめてよ凛ちゃん。教徒はもういなくなったじゃん……。あれか? 俺をビビらせようってのかい?」
「ちがう。羽音、のような、音」
「羽音? まさか……」
「異能?」
「……そうかも」

 今度は奥から微かに聞こえてくる羽音。
 外のほうでも騒がしくなってきているあたりから、ラトタタの攻撃が始まったのだろう。
 外の連中を追い払うのと、侵入してきた俺達への攻撃――とはいえ後者は攻撃よりも誘導のほうが目的であろう。
 羽音はするがしかし、虫がこちらには来る気配はない。操作性が鈍いあたりからして彼女はやや距離のあるところで異能を発動していると思われる。
 俺達の正確な位置は把握していないと見ていいだろう。
 近くには階段が見えている、であれば先ずは……。

「二階に行こう」
「ミスタースミス、出したままにする」
「ああ、頼むよ」

 ミスタースミスが先行してくれているおかげで罠に掛かる心配はない。
 立ち位置はやや俺へ寄せてくれている、俺に何か危険が迫ればすぐに対応できる気遣いがあってこそだ。
 ミスタースミスは二階の奥へと続く廊下を軽く歩いていくが、数歩ほどで足を止めた。

「……いないっぽい」
「ミスタースミス、本当に便利だな」
「べんり」

 三階へ行くと薄暗さと、羽音や何かがカサカサと這う音が増していく。
 そんでもって心臓に悪いのが、物陰でじっとこちらを見ている教徒が何人か目に留まる事だ。
 何かするわけでもなく、こちらも視線を送り返すとそっと物陰へと逃げていく。

「……なんなんだよ」
「こわい」

 正直あまり足を踏み入れたくはないがここは終盤の舞台、進まなければ物語も動かない。
 しかしながら、本来の展開とは大きく違った形になったものだな。
 本来は主人公が――俺が委員長に刺されてここに連れてこられるはずだったんだ。原稿という要素が絡んだせいで展開が大きく変わってしまっている。
 とはいえ委員長に刺されるのは嫌だったのでこれはこれで悪くはないんだがね。

「む……行き止まりが多いな」
「上に、行く?」
「そうしよう」

 三階は廊下がいくつか塞がれて奥には行けないようになっており、四階へと向かおうかと階段を数段上がったところで――

「ん……?」
「……げんこう?」
「そうだ、美耶子さんから聞いた? 原稿を使った異能者がいるって」
「きいた」

 折り返し階段の中間スペースに、拾ってくださいと言わんばかりに、原稿が落ちていた。
 罠の可能性もある。
 周辺を隈なく見回してみて、安全を確認してから俺は拾い上げた。
 委員長の仕業であれば罠の一つくらい設置しているであろうが、そうでない場合は……先輩が置いたものだろう。
「早速読んでみるか」


 --------------------

 文弥達は治世を助けるために上の階を目指していく。
 彼女達が篭城の手を取るならば最上階、そこで彼を待ち構えて拘束し、あわよくば特異を利用して混乱を引き起こして脱出という手を取るかもしれないと文弥は考えていた。
 その考えは正しい、望月月子は何より特異そのものへの興味が大きい。
 状況はよろしくはない。
 先ほどから聞こえる羽音は、ラトタタの異能によるものだ。
 次の階あたりに彼女はもういるかもしれない。戦闘も間近に控えているとなれば、彼の心臓の鼓動は少しずつ高鳴っていく。
 敵が待っている上に不気味さ漂う空間が続くとなると、臆病な文弥にとっては一歩踏み込む事でさえ勇気が必要だ。
 勇気を振り絞って四階へと到着し、廊下を見やるや奥にいる人影に目が留まった。
 薄暗い中に、一人立っているその光景は不気味さを増幅させる。
「待ってたぜぇ」
 溶け入りかけていた暗闇から抜け出る彼女は、不敵な笑みを見せていた。
 荒れた廊下は彼女が足を進める度に石やガラス片等の摩擦音を生じさせ、その音に虫達の生じる音も混ざっていく。
「ラトタタ……」
 逃れられるかどうかではない。
 後か先かくらいなのだ、ラトタタとの戦闘は。

 --------------------


「避けられるなら避けたいところなんだけどなあ」
「行くしかない」
「だよねえ」

 耳を澄ませば微かに羽音が聞こえてくる。
 ラトタタの気配が伝わってくる。
 彼女も彼女で隠す気がないのだ、むしろ自分はここにいると、そういったアピールをしている。早く戦いたいその好戦的な性格があってこそであろう。
 ゲームでいう中ボスが奥に控えてるのが分かってて、近づけばイベントが始まるみたいな状態だ。
 きっと他の道は閉ざされていて彼女との接触は避けられないだろう。
 快活な足取りの彼についていき、四階へ。
 原稿通り、廊下の奥には人影があった。

「待ってたぜぇ」

 その台詞もまた、原稿通り。
 俺も一応原稿通りに台詞を述べよう。

「ラトタタ……」

 彼女の手にも原稿が握られていた。
 大方ここで待ち伏せしていれば俺がやってくるといった内容が書いているのだろう。

「そいつも異能者か? まあいいさ、あたしの異能で二人まとめて倒せばいいだけの話だ。その黒いのを出す程度の能力だろうしな」
「出すだけじゃ、ない」
「楽しませるくらいはしてくれよな!」
「ミスター、スミス」

 凛ちゃんはミスタースミスを飛び出させた。
 ラトタタは様子見も兼ねてか、一歩後退して両手を広げる。
 彼女の後方から、両脇を通って飛び出してくるのは黒い塊。
 それもまた影のように見えて、よく見れば虫の集団だ。うねりながらミスタースミスへ向かっていく。

「キモい」
「キモい言うな! 可愛いだろうがあたしの虫達は!」
「スミス、食べちゃ駄目。おなか壊す」
「お腹壊すの?」
「そんな気がする」

 よかった、そういう設定を付けたんだっけって一瞬思考を巡らせてたよ。
 見やる前方の攻防。
 ミスタースミスが俺達へ向かってくる虫達を払いのけてくれている、その両手は剣のようになっており、体の形状は自由に変えられる。
 攻防は互角、少しずつではあるが何とか前進できている程度。
 遠回りはできるだろうか。他の廊下は椅子やテーブルに棚と乱雑に積み重ねられて障害物となっているが通り抜けられるスペースは一応ある。
 ただこの階の構造を把握できていないために、どうにか抜けても行き止まりといった可能性も十分にありうる。
 近くの部屋も扉の窓から覗いてみたが廊下よりも障害物が多い。
 その上、扉は開けられないよう内側から板か何かで固定されてしまっていて通り抜けようものなら力ずく、となればこれではすぐに感づかれて対策されてしまう。
 ではやはり正面からの強行突破?

「ハエ叩き作ったほうが、いいかな」
「それはいいかもねっ」

 ラトタタは後方から様々な虫達を出現させて攻撃の手は緩めない。
 互いの異能がぶつかり合う度に床、壁、天井が損傷していく。そんな中で、こっそり遠回りで抜けようとすればどうなるかは予想がつく。

「ひっひっ、そんなもんであたしの虫がやられると思うなよ! そらそら! 油断してると噛むぜ刺すぜ這いずるぜえ!」
「や、やばいなこれは!」

 俺は只管に自分の周りへ殺虫剤を噴射する。
 ほぼ無限に湧き出る虫相手には時間稼ぎにしかならない、ラトタタも異能を全力で発動しているのだ。ここもそうだが、外もきっと大変な状況になっている。
 殺虫剤が無くなったらどうしようか。

「何かいい手は?」
「ちょっと待って、考えるから!」

 戦力にならない分、今自分に出来る事は――と、俺は周辺へと意識を向けた。
 何か突破口が用意されているかもしれない、ここで主人公がただただ虫に飲み込まれるといった理不尽な展開を先輩が書くわけがないのだ。

「埒が明かない。一旦引き返す?」
「おいおい人質がどうなってもいいのかぁ? ほうらこっちに来い来い、来ないと人質が痛めつけられちゃうぜえ?」
「くそっ……!」

 凛ちゃんは一度廊下にミスタースミスの腕を変形させて壁を作る。
 だが廊下以外からも虫達もやってくるだろう、数秒の時間稼ぎにしかならない。

「どうする?」
「うぅん……」

 床の亀裂から虫が湧いてきている、咄嗟に殺虫剤で対処するが噴射力も弱まってきていた。
 焦燥感に駆られ、思考が乱される。
 落ち着け、落ち着くんだ俺……。

「待てよ……床の、亀裂?」
 よく見ればこのあたりは老朽化が激しい。
 床は所々が亀裂や、穴が開いて下の階が見えている部分さえある。うまくいけば虫を一掃できるかもしれない。
 何よりも、何か起こすなら大きく――だ。

「凛ちゃん、ミスタースミスの両手を変形させて床を作れる?」
「作れる」
「よし。他には、球体を作れるかな?」
「作れる。本体から離れると数秒で崩れるけど」
「充分だ。バスケットボールサイズで中が空洞の球体を作ってくれ!」
「了解」

 ミスタースミスが左手を差し出すと、手の平に球体が浮き出てくる。その中に俺はすかさず殺虫剤を全て注ぎ込んだ。

「対ラトタタ用のちょっとした武器の出来上がりだ」
「なるほど」

 効果はさほど高くはないが、虚を突くには充分であろう。
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