私じゃなきゃダメみたい

沢渡奈々子

文字の大きさ
3 / 17

3話

しおりを挟む
 その日の仕事を終えた未央は会社を出ると、駅ビルにあるCDショップに立ち寄った。目的はCDではなく、ブルーレイだ。コーナーへ行くと好きな映画のパッケージを探し始めた。
「あ、あった」
 新作の棚にあったそれを未央は一つ取り上げた。予約をし忘れていたので、手に入れることが出来てホッとする。そしてレジへ向かおうと振り返ると、そこにいた誰かにぶつかった。
「すみません! ……あ」
 謝った相手は崎本だった。彼は一瞬目を丸くし、そして少し心配そうに尋ねる。
「ごめん、西村大丈夫?」
「はい。……あ、崎本さんも【インセイン・アテンプト】買うんですね?」
 崎本の手にあった同じタイトルを見て、未央は驚いた。
「うん。俺これ好きなんだ。西村も?」
 手にしたブルーレイを軽く振りながら、崎本が答える。
「私、こういうサスペンス大好きなんです」
 目元口元を少しだけ緩ませながら、ブルーレイを握りしめる未央。
 それはアメリカで有名な作家のベストセラー作品を映像化したものであった。観る側の心理が右往左往させられる展開、そしてどんでん返しを含んだ意外な結末が受け、スマッシュヒットした一作だ。続編も製作されているという。
「こういうの、女の子が好きって珍しいね。西村、これの原作読んだことある?」
「あ、買おうかどうか迷ってたんですけど。面白いですか?」
「原作、映画とちょっと展開違うんだよ。原作読んだ後に映画観ると、またちょっと違う感想になる」
「へぇ~、そうなんですか」
「俺持ってるから、読む?」
「はい! 貸してください!」
「こういうのが好みだということは【歪んだ視線】とか【崑崙獅子こんろんじしの雫】も好きだったりする?」
「好きです!」
 未央は目を輝かせて頷く。
「それじゃあそれの原作も一緒に持ってく」
「あ、じゃあ崎本さんは【燐火の残像】って読んだことありますか?」
「タイトルは聞いたことあるけど、読んだことはないよ」
「それは私が貸します! 多分崎本さん好きだと思います」
 その時、崎本がフッと笑った。未央が首を傾げる。
「西村がそんな風に楽しそうに話すの初めて見た。よっぽど好きなんだね、ミステリー」
「え、そんなに楽しそうでした?」
 自分的にはそれほど興奮していたつもりはなかったのだが、崎本にそう指摘され、少々気恥ずかしくなる。
「それにしても西村と趣味が合うなんて、ちょっと意外だった。これってきっと運命だよね。やっぱり西村は俺のモノになるべき」
「っ、またそれを言う……!」
 これがなければいい人なのに! と、未央はつくづく思う。
 崎本がこんな風に未央に対して色めいた言葉を放つようになったのは、いつからだっただろう。確か未央が配属された時は普通に接してきていたはずだ。その頃は職場の先輩後輩としての事務的な会話しか交わしていなかった。その内徐々に軽口が交じるようになり、そして、
『西村って彼氏いるの?』
 から始まり、
『好きな人は?』
『いないなら俺とデートしよ』
『もういいかげん俺に抱かれてみる?』
 受け取り方によっては容易くセクハラにもなるその言動を、困りこそすれ不快に思ったことがないのは、崎本のスペックが奏功しているのもあるが、彼自身が一線を超えるような接触をしてこないからだ。頭を掻き撫でられたり、頬に触れられたりはするが、その手が胸や腰や尻周りに伸びたことは一度たりともない。
 それに崎本ほどの男が自分に本気で言い寄るとも思えないので、今まで何を言われてもずっと「はいはい」と軽く受け流してきた――この間の残業の日までは。
 あの日以来、未央の中で崎本に対する気持ちが少し変わった。からかわれたにすぎないと分かってはいても、いつもと違う球を投げられれば、それを平然と受け止められないのも仕方のないことで。
 崎本が本当は心の底で何を考えているのだろうか、と気になり始めた。
「それはそうと、西村は【午前零時の殺人者】っていう映画は観たことある? そんなに有名じゃないけど、【インセイン・アテンプト】と監督が一緒なんだよ」
 崎本の言葉に我に返った未央は、目を瞬かせ、
「み、観たことないです」
 と、かぶりを振った。
「結構面白いよ。今度うちで観よう? おうちデートしよ」
「えー……」
「何だよその顔ー」
 訝しげに目を細める未央を笑う崎本。
「だって……」
「……ま、いっか。あ、西村、俺さ【インセイン・アテンプト】じゃなくて【震えて見つめて】を買うからさ、観たらお互い貸し合いしない?」
 そう言って崎本は持っていたブルーレイを元の場所に戻し、その隣にあった別のミステリー映画のディスクを手にした。
「いいんですか?」
「うん。その方が効率もいいし、観てみて欲しくなったら改めて買うし」
「じゃあそうしましょう」
 二人は連れ立ってレジへ向かった。

「どうして私、こんなところでシャワー浴びてるのかな……」
 未央は熱い飛沫しぶきを顔に受けながら呟いた。身体の表面は心地良い熱に包まれているが、その一方で皮膚の裏側ではびっしりと脂汗をかいているような感覚に囚われていた。
 本当なら今頃、自分の部屋で映画鑑賞しているはずだったのだ。それなのに、実際にはこうして他人の部屋の浴室でシャワーを浴びている。これは一体どういうことなのか、どうにも解せない。
「西村、姉貴の服でよければ、ここに置いておくから。下着も新品が何種類かあるから、自分のに近いサイズ選んで」
 その声にビクリと肩が反応する。ガラス戸一枚隔てた向こう側から響く低い声が、身体の内側をザラリと撫でていく。
「あ、はい! ありがとうございます」
 気配がなくなったことを確認して、未央ははぁ、と大きく息をついた。
 考えてみれば、今日はずっと崎本のペースに巻き込まれっぱなしだった。久しぶりに残業のない夜を過ごすことになった未央は、早々に帰宅して崎本が貸してくれたブルーレイを観ようと思っていた。借りてからしばらくは残業で手をつけられずにいたので、ようやく観られるとわくわくしながら帰宅の支度をしていたのだ。しかし帰り際に崎本が、
「西村~、ベイサイドコンフォートの食事券もらったんだけど、一緒にどう?」
と、弾んだ声をかけてきた。
「え……」
「あ、今変なこと想像した? やらしー西村ってば」
 ベイサイドコンフォートとは、正式名称を【ホテル桜浜ベイサイドコンフォート】という。数年前、二人の会社からほど近い場所に出来たラグジュアリーホテルのことだ。そこでの食事に誘われ、思わず躊躇の表情を見せた未央に、崎本はすかさず顎をつんと上げてニヤリと笑んだ。
「ち、違います! ……その、珍しいな、と思って。崎本さんから普通に食事に誘われるなんて」
「あは、そうだっけ?」
「そうですよ、いつも変なことばかり言うんですもん」
 つい最近組織変更による席替えがあり、二人の席はますます離れたのだが、相も変わらず崎本は未央の元へ訪れては、本気か冗談か分からない誘いをかけてくる。
「『俺のモノになれ』とか『抱かせろ』とか?」
「だから! そういうことを会社で言わないでくださいよ!」
 未央が小さい声で必死に抗議する。どこまで本気なのか分からないから困惑してしまう。
「あら、会社じゃなければいいのね? 今からでも部屋の予約間に合うかしら? ベイサイドコンフォート」
 携帯電話を取り出し、かける振りをする崎本。何を言っても暖簾に腕押し、マイペースを貫くこの男には敵いっこないと悟った未央は、
「っ、分かりました! 食事、行きますから!」
 と、早々に白旗を掲げた。
「じゃ、エレベータ前で待ってるね」
 軽い足取りできびすを返す崎本の楽しそうな背中を見て、未央ははぁ、とため息をもらした。
「ここの麻婆豆腐、すごい美味いんだよ」
 そう言われて入ったのは、ホテル内の高級中華料理店だった。未央が支度をしている間に予約を入れておいたようで、待たされることもなく席に通された。豪奢な中国風の内装が施された店内の、四人用の席に向かい合って座っている。
「ん~、美味い。俺、これも好きなんだよね」
 酸辣湯サンラータンを嬉しそうに食す崎本を見て、未央はクスリと笑った。
「ん? どうした?」
 ナプキンで口元を拭いながら、崎本が首を傾げる。
「崎本さんって、美味しそうに食べますよね」
「だって美味いよね? これ」
「美味しいです……って、本当に美味しいですね、これ。くせになりそう」
 辛味と酸味が絶妙にマッチしたとろみのあるスープを口にしながら、未央が目を見張る。
「だよね? 俺これ【世界三大スープ】に入れてもいいと思うんだ」
 にこやかに言う顔を見て、未央は思わず、
「美味しそうに食事する人っていいな、って思います」
 と、図らずも心で思っていることをそのまま呟いてしまった。慌てた未央は、目を泳がせながら近くにあった湯のみを取り上げ、ジャスミンティを飲み干した。きっと崎本は「それは遂に俺のものになる決意の表れってことでオーケー?」などとからかってくるに違いない。そう予想して心の中で身構えてしまう。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

初恋だったお兄様から好きだと言われ失恋した私の出会いがあるまでの日

クロユキ
恋愛
隣に住む私より一つ年上のお兄さんは、優しくて肩まで伸ばした金色の髪の毛を結ぶその姿は王子様のようで私には初恋の人でもあった。 いつも学園が休みの日には、お茶をしてお喋りをして…勉強を教えてくれるお兄さんから好きだと言われて信じられない私は泣きながら喜んだ…でもその好きは恋人の好きではなかった…… 誤字脱字がありますが、読んでもらえたら嬉しいです。 更新が不定期ですが、よろしくお願いします。

ヤンデレにデレてみた

果桃しろくろ
恋愛
母が、ヤンデレな義父と再婚した。 もれなく、ヤンデレな義弟がついてきた。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います

こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

処理中です...