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第二章

第13話:番は異情共親者(湊視点)

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 陣川湊は決してロマンチストではない。むしろ日々現実を噛みしめて慎重に生きるタイプだった。
 しかし身の内に流れる人狼の血のせいだろうか。『つがい』を求める気持ちだけは、まるで血管と癒着しているかのように心の端っこに存在し続けていた。
 人狼でも『番』と出逢える確率はそれほど高くはない。何故ならば、人狼の番は大抵『人間』だからだ。それは番と結ばれれば結ばれるほど、人狼の血が薄まっていくことを意味している。
 だから純血主義の人狼たちは、番と出逢うことをよしとしない。
 異類はあくまでも世界の中ではマイノリティだ。その少ない血を絶やしたくない者にとって『番』は、ただただ忌々しい絆でしかなかった。

 しかし、満場一致で一族の長――アルファに選ばれた湊の父・光治は、人間の女性と恋に落ちた。人狼の長が人間の女性を『番』として見初めたのだ。
 一族は彼らの関係に初めは反対したものの、光治は粘り強く説得して、ようやく結婚し――姉と湊が生まれたのだった。
 姉と湊は二人とも、狼には変身しない体質だった。
 他の異類からは『半端者』などと言われたこともあるが、人間社会で生きていくのであれば、それはむしろ歓迎すべき体質だった。
 それに、昔は血統を重んじ維持するのが、異類の中では当然だったが、時代を経て多様性という言葉が広がるにつれ、人間や他の異類と結ばれる者が増えた。
 今では、全世界に数多くの『ハーフ』や『クオーター』が存在している。
 一部の純血主義者以外にとっては、ずいぶんと生きやすい世界になっているのだ。
 湊の知る限り、両親はほとんどケンカをすることなく、いつも仲良さそうに見えた。
 ……確かに、仲睦まじかったのだ。
 そんな両親に育てられた湊が『番』にほのかな憧れを持ったのは、ある意味当然と言える。
 だからあの満月の夜、嗅ぎ慣れない、けれど甘ったるい香りが湊の鼻腔を通り抜けた時、全身が総毛立つほど惹かれてしまったのだ。

 その時の湊は、人を探していた。どうしても見つけ出したくて、夜な夜な町を探索していた。
 とあるオフィス街の往来の中、偶然にも手がかりの匂いを捉えたのだが、それに紛れるようにあの香りがした。引き寄せられるように香りの元を辿ると、人混みから女性がつんのめって車道に倒れ込んだ。どう見ても誰かから突き飛ばされた形だ。
 どうやら足首を痛めたらしく、動けなさそうだ。湊は全速力で走り、彼女を担ぎ上げる。車の合間を縫って向こう側へ渡った後、路地裏から適当なビルの屋上に跳び乗った。
 人狼とのハーフである湊は、満月の夜でも狼に変化することはないが、身体能力は飛躍的に上がる。
 元々の見た目は焦げ茶の髪に琥珀色の瞳だが、満月時には銀髪と金眼に変わる。
 満月時でなければ、ビルの上に跳び乗ったり、屋上から屋上へ跳び移ったりなどできないが、今日はきれいな満月なためか、非常に調子がよかった。
 人間離れした跳躍力を見て、周囲の人間が驚かないのは、高い妖力を持つ異類特有である認識阻害能力のたまもの。おかげで、ためらうことなく女性を助けられたし、邪魔をされない場所へ連れてこられた。
 何故、人気のない屋上へ連れて来たのかというと、突き飛ばされてあんな目に遭ったのなら、彼女は誰かに狙われている、ということだから。
 肩から下ろすと、彼女は戸惑ったようにキョロキョロと辺りを見回す。

「――大丈夫か?」

 大ケガなどしていないか確認すれば、お礼の言葉が返って来た。

「は、はい……ありがとうございま――」

 湊の姿を見た彼女が固まった。こんななりなので、びっくりしているのだろう。
 一方、湊の方も言葉が出ずにいた。
 あの香りが、一層濃くなって身体をがんじがらめにしてくる。酩酊感に頭が揺れそうになるのを堪えて、彼女を見据えた。途端――

(番……)

 何故か真っ先に、その言葉が頭に浮かんだ。
 そこにいたのは、無垢な雰囲気を持った美人だった。美女と美少女の中間、とでも言おうか。大人っぽくはないが子どもっぽくもない、おそらく湊の二、三歳下だろう。
 ぱっちりとしたまん丸な瞳が、こちらをじっと見つめてくる。
 あまりにきれいな目なので、気恥ずかしくなって、思わず目を細めてしまった。
 十人中十人が『可愛い』と断言するだろう。
 しかし彼女の見た目より、何より。

(番だ……俺の、番)

 湊の心臓が掴まれたように、ぎゅっと痛くなる。
 父と母の姿を思い出した。子どもから見ても恥ずかしくなるくらいに仲がよく、姉や湊が独立した後も、二人であちこち旅行に出かけていた。その度に、二人で写った写真を送ってきたので、胸焼けするほどだった。
 二人の間には、誰にも裂くことのできない固い絆があったのだ。
 それと同じ『絆』の芽を……彼女の中に見つけてしまった。
 心臓の鼓動が、強くなっているのが分かる。息さえ荒くなりつつあるのを、懸命に抑える。こんなところで息を乱せば、明らかに怪しがられる。それに、いきなり番だのなんだのと言っても、怯えさせるだけだ。とりあえず、足を痛めた彼女を気遣ってあげたい。
 どこかふわふわとした様子の彼女に、誰かに狙われる心当たりがあるのかと尋ねれば、当然ながら「ない」という。
 なら偶然なのかと考えたが、次の瞬間、何故か探していた匂いが彼女からしてくるのに気づいた。思わず不躾にも、彼女の背中の匂いを嗅いでしまった。

(間違いない)

 この子――俺の番を狙ったヤツは、ひょっとしたら探している相手と通じているかもしれない――
 湊はなんとかして彼女と繋がりを持ちたいと、会社などを聞き出してみれば、明日から無職だというではないか。それならばと、湊は勤務先の『異類生活支援案内所』の名刺を彼女に渡してみた。名刺の名前だけでも読めれば、ある程度異類に対する親和性があるということだ。
 驚くことに、智恵は名前どころかそこに刻まれた文言すべてを読んだ。

「! その名刺の文字、全部読めるのか?」

 聞き方によっては失礼な反応をしてしまったが、そんなことにかまってはいられなかった。
 この子は、きっと、多分――
 案内所への就職を勧めつつ、捻挫の応急処置をし、バス停まで送った。
 彼女は『成宮智恵』と名乗った。さすがに住所までは聞き出せなかったものの、いざとなればすぐに居場所を突き止められるだろう。
 『この近くにある倒産した会社に勤務していた』『成宮智恵』というヒントと、リサーチ会社の調査能力があるからだ。
 でもそのカード・・・を使うまでもなかった。
 数日後、智恵は職を求めて異類生活支援案内所にやって来た。
 九尾の狐である珠緒の、全開の妖気にすら耐えられた智恵は、やはり異類との親和性が格別に高い人間――異情共親者だった。
 珠緒に是非にと請われた智恵は、さっそく翌日から勤務することになった。
 これで、番のそばにいられる――湊は嬉しくてたまらなかった。
 智恵はとても素直で一生懸命な女性だった。異類たちにすぐ好かれ、仕事もすぐ覚え、一週間も経てばすっかり馴染んでしまった。
 異類の本当の姿を見ても嫌な顔一つせず、変な悩みを聞かされても真面目にカウンセリングする――たとえ適正がそれほどなくても、好かれていただろう。
 湊も、何かにつけて智恵をかまった。仕事はスムーズにこなすくせに、からかわれたりかまわれたりすると、照れて挙動不審になる。そんな智恵が可愛くて仕方がなかったのだ。

(好意は持たれているよな……)

 少なくとも嫌われてはいない。自分と向き合う彼女の顔は、自然に綻んでいる。他のやつに見せる笑顔も可愛らしいが、自分だけのものにしたい、しかし早急に距離を縮める愚挙はしまい。
 すぐにでもすべて伝えて想いを吐き出して番いたい――そんなもどかしさと欲を、湊は理性で捻じ伏せ、心の奥に封印した。
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