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第二章

第7話:稀人は平安美人

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「へぇ……明子あきこさん、ピザが好きなんですねぇ」

 イタリアンファミレスのボックス席。
 口元から伸びたチーズと格闘している美女を眺めて、智恵が笑う。

「だって、美味しいじゃない。……は一度だけ食べたことがあったけれど、私はあまり好きではなかったわ」

 智恵はボロネーゼパスタをフォークでクルクルと巻き取り、口に運ぶ。うん、美味しい。

「蘇って、確か大昔のチーズの一種ですよね。美味しくなかったんですか?」
「チーズというよりは、固いバターみたいな感じかしら。当然、チーズの方が美味しいわよ」

(この美人ひとが平安時代の貴族だったなんてねぇ……未だに信じられない)

 ペーパーで口元を拭う仕草は、とても上品に見える。
 智恵は彼女の所作にうっとりと見入った後、ハッと気づいたように自分の食事を進めた。
 智恵が明子に出逢ったのは、案内所に就職して三日目のことだ。

『――西森にしもり明子と申します。よろしくお願いしますね、智恵さん』

(わぁ……おしとやか美人だ)

 おっとりとした雰囲気を持つ明子は、艶々とした黒髪を背中まで伸ばした日本美人だ。どことなく品があり、高貴な雰囲気を持っている。
 彼女はなんと、元々は平安時代を生きてきた女性なんだとか。しかも貴族。
 そして驚くことに、かの在原業平の元カノだったという。
 業平と破局し絶望した明子が、刃物で喉を突いたところ、気がつけば現代にいたそうだ。
 それを聞いた智恵は、不躾にも明子の喉元に目を向けてしまったが、そこには傷一つなかった。聞けば、刺した痕はタイムスリップをしたことでなかったことになったようだ。逆に言えば、命に関わるほどの衝撃がないと、時を超えることなどできないというわけだ。

(ほんと、不思議……)

 実は異類の中で一番扱いが難しいのが、この過去から来た稀人だ。
 妖怪や幻獣は少なからず幼い頃から現代を生きてきているので、文化や言語、習慣などが身についている。
 つまりは、この世界で基本的な生活を営むことができる。
 しかし稀人は、身体構造こそ同じ人間ではあっても、生きてきた時代が昔であればあるほど、現代とのギャップに混乱する。
 文明、生活、法律……何もかもが違いすぎるのだ。言葉すらあまり通じないことも。
 そういう点では、妖怪や幽霊よりもタチの悪い存在といえる。
 だから明子がタイムスリップしてきた時には、とにかく現代社会に適応させるのに苦労したそうだ。
 千年オーバーのギャップを埋めるのは、それはそれは大変だったろうと、智恵は彼らの苦労を想像して遠い目になった。
 しかも明子は「失恋を苦に死を選んだ」という精神状態でのタイムスリップだ。来た当初は無気力で、誰の言葉も耳に入れなかった。
 それをスタッフたちが全力で支えた。中でも一番の功労者は、日本三大怪談に登場する女幽霊たち、お露、お岩、お菊の三人娘だった。
 智恵が彼女たちと初めて会った時、すでに怪談のような怨念じみた雰囲気はまとっていなかったので、拍子抜けした。
 今を生きる人間たちよりもよほど明るく、好奇心旺盛で、現代生活をこの上なく満喫している娘たち。だから智恵は、恐怖を感じるよりも「有名人に会えた!」という感動を覚えてしまったのだ。
 しかし彼女たちが、智恵の想像を遙かに超える騒々しい熟女たちだとは思わなかったのだけれど。
 それでもその明るさで明子を励まし続けてくれていたというのだから、すごいと思う。

『分かるわぁ……つらいわよねぇ』
『でもね、男なんて星の数ほどいるのよ』
『おあきちゃんは生身の人間だし、美人なんだから、これからいくらでもいい男が見つかるわよぉ』

 特にお露とお岩は明子同様に悲恋を経験しているためか、自分のことのように親身になってくれたのだとか。
 幽霊は『案内所』の中に限り、実体として行動することができる。足がないのはいかんともし難いのだが。
 だから彼女たちは明子を抱きしめたり、いいこいいこしたり、現代の美味しいお菓子を手ずから食べさせたりと、ありとあらゆるで、明子を励まし続けた。
 そのお陰か、明子は徐々に明るくなり、今では大学で日本文学を専攻しているそうだ。もちろん、古文の成績は優秀だ。
 駆け出しの『在原業平研究家』としても有名で、一年前、『業平という男』というタイトルで書籍を出版した。明子からしてみれば暴露本・・・だ。
 それが、古文と現代文をいい塩梅で組み合わせた筆致の随筆として、なかなかの売上を誇っているというのは、なんとも皮肉なことである。
 奇しくもこの頃、世間ではちょっとした業平ブームが来ており、本人と会ったことのある明子がタイムスリップしたのも、何かの縁だったのかもしれない。
 智恵が研修で明子と会ったのは、稀人との相性を見るためだ。
 湊曰く、稀人は同じ人間であっても、感受性がやや特殊だ。何故か彼ら独自の波長オーラというものがあり、合わない者には貝のように心を閉ざして決して開かない。
 現代に来て五年経った今でも、明子が気を許している相手はそうはいない。案内所では珠緒と幽霊三人娘くらいだ。そんな彼女たちですら、心を開いてもらうまで時間がかかっている。
 しかし智恵は、ここでも『異情共親者』としての才能を発揮した。
 面接試験さながらの顔合わせをして、相性を試されたのだが、智恵は稀人との親和性もばっちりだった。

『あなたと話していると、ホッとするわ』

 明子ににっこり笑ってそう言われた瞬間、周囲の人たちが驚きの声を上げた。

『明子さんが初見で懐いてるぞ!』
『あっこちゃんの笑顔、初めて見た!』
『智恵ちゃん……すげぇな……』

 遠巻きに感嘆の声が上がり、なんだか心がむずがゆくなった。

『やっぱり智恵は「異情共親者」だったな。妖怪・幽霊・稀人すべてに適性がある人間は、本当に貴重なんだ』
『本当にいい人材が見つかってよかったわぁ』

 湊と珠緒も喜んでくれたので、ここに転職してよかったと嬉しくなったのだった。
 明子とは、今では時折お茶や食事をする仲だ。さすがに在原業平について突っ込んで聞くことはできないものの、平安時代の暮らしについての話を聞くたびに「結構しんどい生活してる……」と、苦笑いしてしまう。
 今日もたまたま用事があって案内所に来ていた明子と、ランチをしている。こうして彼女と気軽に食事ができる相手はそんなにいないという。
 明子は美人なので、周囲の男性から日々アプローチを受けているそうなのだが「当分、男性とのおつきあいは考えられないわ。しんどいもの」と、本人は言っている。そして彼女の『当分』は早五年にも及んでおり、今日まで彼女を陥落おとせた者は一人もいない状況である。
 そんな明子を早々に陥落した(?)智恵は、彼女や蘇芳を初めとする、様々な異類と接するようになった。時には妖怪・幻獣の形を取ったまま接する日もあったが、智恵は案外すんなりと受け入れることができた。外見や悩みの内容はともかくとして、彼ら自身の内面は人間とそう変わらないからだ。
 そんな智恵の気持ちが伝わったのか、異類たちは人間である智恵を信頼し、受け入れてくれたのだった。
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