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(そういえばミズシナって、あの繊維メーカーのミズシナだよね――)
ミズシナ株式会社は、一般的には総合繊維メーカーとして知られているが、医療機器の超精密部品メーカーとしても高いシェアを誇っている。また人工臓器の研究なども行われており、日本の先端医療発展の一端を担っている化学企業だ。
幸希が出向中のミズシナ・リサーチ&ディベロップメントは、ミズシナグループのシンクタンクである。
(――その社長の息子ということは、きっとお金持ちなんだよね。……まったくもう、お金持ちの遊びは私には理解出来ないっ)
やれやれ、と肩をすくめながら、花菜実は自宅に向かう。
大学を卒業してからずっと一人暮らしをしているアパートは、職場から自転車で五分ほどだ。築年数が比較的浅く、気に入っている。
実家は花菜実が住む桜浜市から電車で一時間ほどの東京都内だ。通おうと思えば自宅からも通えるのだが、大学卒業後、幼稚園の近くでアパートを借りて一人で暮らしている。
「……あ、あの人がどうして私のことを知ってるのか、聞くの忘れてた」
花菜実は幸希のことを運動会で初めて姿を見たけれど、ものの数秒の出来事だ。当然ながらそんな程度では知っている内に入るとは言えず、今日初めて会ったと言っていい。けれど彼はそんな花菜実の名前を知っていたのだ。一体どうやって情報を手に入れたのか……聞こうと思っていたのに、それからの予想外の展開のせいで、頭の中からすっかり抜け落ちていた。
そしてそんなことさえ、彼女の中ではプライオリティが特に高いわけではなく。
「……ま、どうでもいっか」
そう呟き、自転車を漕ぐ足に力を入れた。
部屋に着くと、すぐにバスタブに湯を張り始める。その間に着替えの準備、そして軽く夕飯の支度をした。
いつもはシャワーのみだけれど、週末には湯船につかることにしている。以前、友人と一緒にバスボム作りの教室に参加したことがあり、それ以来、度々自家製のバスボムを作っては入浴時に使っている。エッセンシャルオイルを入れているので、好きな香りが楽しめる。今日はベルガモットだ。アールグレイティの香りづけに使われることでも有名なそれは、ライムに似た色の柑橘類で。その爽やかで清々しい香気には、リフレッシュ効果があるそうだ。
「はぁ~、ごくらくごくらくぅ。日本人はやっぱり湯船に入らないとねぇ」
湯につかって開口一番がこれだ。何だかババ臭いかしら、と思いつつ、自然と口をついて出てしまったものは仕方がない、と、一人開き直った。
その時、湯船の外の椅子に置いてあったスマートフォンが、電話の着信を告げた。防水ケースに入れてあるので、花菜実は濡れたままの手でそれを取り上げる。
(あ、お母さんだ)
「――もしもし?」
母の敦子からの電話だった。
『かな? 元気にしてる?』
「うん、元気だよ。お父さんもお母さんも元気?」
『もちろん元気よ。お父さんが、最近かながこっちに帰って来てくれないから淋しがってちゃって。お盆の時も、ちょっと顔見せただけで帰っちゃったじゃない?』
父・健一は、花菜実が一人暮らしをしたいと言った時に、最後まで反対していた。末っ子の彼女をいつまでも子供扱いしており、可愛がっていたからだ。それでも実現出来たのは、母と兄の後押しがあったからで。
『盆暮れ正月、ゴールデンウィークには必ず帰って来なさい!』
泣きそうな父にそう念押しされ、苦笑いながら家を出た。
「あー……ごめんね。運動会の準備でずっと忙しかったし……」
帰省を躊躇する距離では決してないのだが、積極的に帰る気にもならず、両親からの要請も何だかんだと理由をつけてかわしてきた。
『――それでね、来月三連休あるじゃない? それに合わせて千里がまとまったお休み取れるらしくて。帰って来るって言ってるの』
「ちりちゃんが……?」
「そう。だから今回はかなも帰ってらっしゃいよ? 尚弥にも帰って来るように言ってあるから。久しぶりに家族みんなで美味しいものでも食べに行こう、ってお父さんと話してるのよ』
「う、うん……帰れたら、帰る……」
『帰れたらじゃないの、絶対帰って来てちょうだい。千里もかなに会いたがってるから』
「うん……分かった……」
それから少しだけ話をし、電話を切った。週末なのに、何故か【サザエさん症候群】のような憂鬱な気分に苛まれ始める花菜実。
「そっか……ちりちゃん、帰って来るんだ……」
姉の千里とは、実家を出てからほとんど会っていない。千里が海外で仕事をしているせいもあるが、姉とは以前いろいろあり、気まずくて顔を合わせづらいのだ。
(でもさすがに来月は……パスは出来ない……か)
大きなためいきを吐き出して。花菜実は湯船の中で顔をバシャバシャと洗った。
ミズシナ株式会社は、一般的には総合繊維メーカーとして知られているが、医療機器の超精密部品メーカーとしても高いシェアを誇っている。また人工臓器の研究なども行われており、日本の先端医療発展の一端を担っている化学企業だ。
幸希が出向中のミズシナ・リサーチ&ディベロップメントは、ミズシナグループのシンクタンクである。
(――その社長の息子ということは、きっとお金持ちなんだよね。……まったくもう、お金持ちの遊びは私には理解出来ないっ)
やれやれ、と肩をすくめながら、花菜実は自宅に向かう。
大学を卒業してからずっと一人暮らしをしているアパートは、職場から自転車で五分ほどだ。築年数が比較的浅く、気に入っている。
実家は花菜実が住む桜浜市から電車で一時間ほどの東京都内だ。通おうと思えば自宅からも通えるのだが、大学卒業後、幼稚園の近くでアパートを借りて一人で暮らしている。
「……あ、あの人がどうして私のことを知ってるのか、聞くの忘れてた」
花菜実は幸希のことを運動会で初めて姿を見たけれど、ものの数秒の出来事だ。当然ながらそんな程度では知っている内に入るとは言えず、今日初めて会ったと言っていい。けれど彼はそんな花菜実の名前を知っていたのだ。一体どうやって情報を手に入れたのか……聞こうと思っていたのに、それからの予想外の展開のせいで、頭の中からすっかり抜け落ちていた。
そしてそんなことさえ、彼女の中ではプライオリティが特に高いわけではなく。
「……ま、どうでもいっか」
そう呟き、自転車を漕ぐ足に力を入れた。
部屋に着くと、すぐにバスタブに湯を張り始める。その間に着替えの準備、そして軽く夕飯の支度をした。
いつもはシャワーのみだけれど、週末には湯船につかることにしている。以前、友人と一緒にバスボム作りの教室に参加したことがあり、それ以来、度々自家製のバスボムを作っては入浴時に使っている。エッセンシャルオイルを入れているので、好きな香りが楽しめる。今日はベルガモットだ。アールグレイティの香りづけに使われることでも有名なそれは、ライムに似た色の柑橘類で。その爽やかで清々しい香気には、リフレッシュ効果があるそうだ。
「はぁ~、ごくらくごくらくぅ。日本人はやっぱり湯船に入らないとねぇ」
湯につかって開口一番がこれだ。何だかババ臭いかしら、と思いつつ、自然と口をついて出てしまったものは仕方がない、と、一人開き直った。
その時、湯船の外の椅子に置いてあったスマートフォンが、電話の着信を告げた。防水ケースに入れてあるので、花菜実は濡れたままの手でそれを取り上げる。
(あ、お母さんだ)
「――もしもし?」
母の敦子からの電話だった。
『かな? 元気にしてる?』
「うん、元気だよ。お父さんもお母さんも元気?」
『もちろん元気よ。お父さんが、最近かながこっちに帰って来てくれないから淋しがってちゃって。お盆の時も、ちょっと顔見せただけで帰っちゃったじゃない?』
父・健一は、花菜実が一人暮らしをしたいと言った時に、最後まで反対していた。末っ子の彼女をいつまでも子供扱いしており、可愛がっていたからだ。それでも実現出来たのは、母と兄の後押しがあったからで。
『盆暮れ正月、ゴールデンウィークには必ず帰って来なさい!』
泣きそうな父にそう念押しされ、苦笑いながら家を出た。
「あー……ごめんね。運動会の準備でずっと忙しかったし……」
帰省を躊躇する距離では決してないのだが、積極的に帰る気にもならず、両親からの要請も何だかんだと理由をつけてかわしてきた。
『――それでね、来月三連休あるじゃない? それに合わせて千里がまとまったお休み取れるらしくて。帰って来るって言ってるの』
「ちりちゃんが……?」
「そう。だから今回はかなも帰ってらっしゃいよ? 尚弥にも帰って来るように言ってあるから。久しぶりに家族みんなで美味しいものでも食べに行こう、ってお父さんと話してるのよ』
「う、うん……帰れたら、帰る……」
『帰れたらじゃないの、絶対帰って来てちょうだい。千里もかなに会いたがってるから』
「うん……分かった……」
それから少しだけ話をし、電話を切った。週末なのに、何故か【サザエさん症候群】のような憂鬱な気分に苛まれ始める花菜実。
「そっか……ちりちゃん、帰って来るんだ……」
姉の千里とは、実家を出てからほとんど会っていない。千里が海外で仕事をしているせいもあるが、姉とは以前いろいろあり、気まずくて顔を合わせづらいのだ。
(でもさすがに来月は……パスは出来ない……か)
大きなためいきを吐き出して。花菜実は湯船の中で顔をバシャバシャと洗った。
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