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神龍と銀狼
しおりを挟む万物を司り、最も崇高な存在と恐れられているのは、この世でたった一匹の神龍。
その神龍は高貴なる虹色の鱗を太陽の光に輝かせながら、雄々しい体を小さく屈め、一匹の子犬の前で途方に暮れていた。
すべてを切りさく神龍の爪先にじゃれついているのは、恐れ知らずな灰色の子犬。
神龍がため息をつけば、子犬はあっけなく吹き飛ばされていった。
「なんと軟弱な」
子犬はひゃんと哀れな声を出して、丸まりながら雪の斜面を転がっていく。神龍はため息を飲み込んで、雪だるまのようになった子犬をそっとつまみ上げた。
子犬は神龍の手のひらの上で、短い手足を懸命にぱたぱたと動かしているのだが、バランスの悪い体は一向に起き上がれない。
そのいとけない様子に、神龍はうっと息を詰まらせた。なんたる可愛さの暴力。
先ほど聞こえた銃声から察するに、このおチビさんの親は人間に狩られたのだろう。犬の群れの姿は、どこにも見あたらない。きっと妾がここで見捨てたら、この間抜けな子犬はすぐそこまで来た春を知ることなく、儚くなるに違いない。
神龍はそれが自然の摂理だと知りながら、とても許されない事のように思われた。
愚かで強欲な人間は、希少価値の高い毛皮を求めて狩りに精を出している。この森でも狼の姿を見かけなくなって久しい。もしかしたらこのおチビさんが、この森で最後の狼の子供かもしれないではないか。ふむ。これは由々しき事態である。
「春までじゃ。雪が溶けたら独り立ちだ。よいな。これはただの温情であって、この妾がお前の可愛さに屈したわけではないからの」
そう威丈高に話しかけたところで、灰色の子犬は小首を傾げて神龍を見上げ、しきりに尻尾を振っているのだった。
誇り高い神龍が自慢にしていた鋭い爪は、子犬を傷付けては一大事と、早々に丸く整えられた。
暖かな寝床をいくら整えてやっても、神龍の懐に潜りこむおチビさん。乳の代わりにと魔力を練って指先で与えれば、きゅうきゅうと鳴き、爪にしがみつきながら懸命に飲むおチビさん。
こうして神龍は、おチビさんを踏みつけないように気を付けながら、萌え転がる日々を過ごした。
長い時を生きてきた神龍にとって、初めて感じる幸せであった。
春が来て、夏を過ごし冬を越えて、あっという間に二年目の冬。
神龍の魔力と愛情を一身に浴びて、おチビさんは輝くばかりの銀狼へと変貌を遂げていた。
おチビさんを愛する神龍は、初めての夏の過ごし方を教えてやらねば、初めての秋を冬をと、ずるずる別れを引き延ばし、あげく今でも側を離れず養い子の初めての恋の季節を全力で応援していた。
妾の可愛いおチビさんの求愛を断る生き物などいるはずもないが、万が一にもおチビさんを悲しませたら生かしてはおかぬと、鼻息も荒い。とんでもない養い親である。
そんな神龍の上質な魔力をこれでもかと浴びて育った銀狼は、狼と呼べぬほど大きく育ち、その美しさは生きとし生けるものを惑わせ、さらに人語を操る叡智に溢れるという、もはや狼とも言えぬありさまであった。
人里では山神と恐れられているらしい。さもありなん。
しかし、妾の可愛いおチビさんが誰からも脅かされずにのびのびと暮らせるのであれば、すべて些末なことに過ぎないと、神龍は満足気なのである。
「おかえり、妾のおチビさん」
夜に獲物を探しに行った銀狼は、巨大な牡鹿を咥えて、明け方になってようやく巣に戻ってきた。
出迎える神龍の前に、息絶えた立派な牡鹿を横たえる。
「求愛の捧げ物にございます」
「なるほどなるほど。これは立派だ。さすが妾のおチビさん」
「これで私を大人の男と認めて下さいますか」
「ああ、間違いなく男の中の男だとも。お前の求愛を断る生き物など、この世に居るまい」
「ではどうか、どうか私の求愛を受け入れて下さいませ」
「……は?」
「ドラゴンへの求愛の作法は、森の賢者と呼ばれる梟も知らぬと答えました。ひとまず一般的な作法に則り捧げ物を狩ってまいりましたが、どのような求愛ダンスでも愛の歌でも仕草でも、神龍さまのお望みに応えてみせましょう」
「は?」
「ずっとお慕い申し上げておりました」
「は??」
「神龍さまが、たとえ森の蜘蛛のように交尾の後に雄を捕食するとしても、私はあなた様との一夜の契りのためにならば、喜んでこの命を捧げます」
「は???」
銀狼は、闇夜で光る薄い色彩の瞳に涙を浮かべ、悲しそうに上目遣いで神龍を見上げた。
「それとも、やはり私のような獣ごときが、高貴なる神龍さまへ恋情を抱くなど身の程知らずでございましょうか。この罪深き想い、今すぐこの命を絶ってお詫びを……」
「それはならぬぞ」
「ではわたくしの想いに、応えていただけますでしょうか」
神龍は、ある日突然自我が芽生えてから此の方、親兄弟を知らずに一人で生きてきた。
そんな神龍にとって、銀狼は生まれて初めての愛しい存在であった。もちろん銀狼から愛されているとも知っていた。だが、あくまで養い親としての関係であり、親愛であると信じて疑わなかった神龍は、混乱の極みである。
「たしかに愛してはおるが、お前は妾のかわいいおチビさんじゃ」
「つい先ほど、私を大人の男とお認めくださいましたのは、神龍さまでございます」
「わ、妾はドラゴンじゃ」
「はい。そして私は狼でございます。されど森の猿が、愛は種族の壁を超えうるものだと申しておりました」
「それは知らなんだ。思えば妾は、ずっと一人でおったからの」
「僭越ながらその愛を、私が神龍さまにお教えすることが出来るのならば、これ以上の幸せはございません。もとより私は、この愛を受け入れてもらえなかったら死ぬ覚悟でございますれば。どうぞ、神龍さまがお選びくださいませ。私の死か、愛か」
賢い銀狼は、心優しい神龍が断るすべを持たぬと知っていて、じりじりと涙ながらに追いすがる。
はたして初心な神龍は、羞恥に雄々しい体を震わせながらも、愛し子に囲い込まれたのであった。
銀狼から与えられる底抜けの愛に、常春のような甘く幸せな生活。
その類い稀なる力から、最も崇高な存在と恐れられた孤独なドラゴンは、こうして唯一無二の愛を知り、生を全うしたのだそうです。
二匹のそれからのお話は、またいつか。山を守るドラゴンと銀狼の冒険譚は、また今度。
さあさ、皆さま、おやすみなさい。
楽しい物語の続きは、きっとあなたの夢の中。
(神龍と銀狼 おしまい)
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