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結の星痕
予期せぬ再会
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城に向かい、巡礼を行う旨を伝えたアウラは、そのまま巡礼地であるカフ火山へと入山した。
火の帝国の巡礼内容は一時間、カフ火山内部にある聖なる祠に留まる事。
それ以上詳しい内容は語られなかったが、近年入山した巡礼者は、誰一人として祠の中から出てきていないらしい。
「あの祠には、絶望が待っている」
巡礼について説明してくれた兵士は半ば怯えるようにそう呟いていた。
それを真に受けたルクバット、シェアト、フォーマルハウトらは、祠の扉の前でアウラが無事に出てくるよう固唾を呑んで見守る事にした。
逆にグラフィアスとベイドはどうしたかというと、街でそれぞれ自由行動を取っていた。
グラフィアスは元よりそうするつもりだったが、ベイドも離れるとは少し驚きだ。
だが、彼の今までの行動を見る限りでは、別段不思議では無いかもしれない。
ただグラフィアス自身が、ベイドにそこまで興味を抱いていなかっただけだろう。
それにしても……。
グラフィアスは改めて都をぐるりと見渡す。
「しばらく見ないうちに、随分と変わったな」
元々この帝都フォボスの出身ではあるが、何しろ十年ぶりの帰郷だ。
昔の自分が幼かったというのもあるが、記憶に残る建物があまり見られない。
自分がいたころは赤レンガを主とした石造りの家が建ち並んでいたはずだが、現在は鉄筋を使った建物がそこかしこから顔を覗かせている。
暗くなった時に街路を照らす灯りが、松明と街路灯の箇所とにはっきりと分かれてもいる。
風の王国 が滅び、同盟国が雷の帝国 のみとなった影響だろうか。
随分と文明的だ。
城を背にして大通りを真っ直ぐに歩いて行くと、昼間から酒の香りを外にまで漂わせている酒場が見えた。
「ここは、あの時のままだな」
店の前で立ち止まり、少し錆びた鉄製の看板を見上げる。
あの日、養成所で訓練をしていた時、兵士に呼ばれ、ここで父の死を告げられた。
思えばグラフィアスの旅は、この酒場から始まったと言える。
「……」
吸い込まれるように中へと入り、そのまま正面のカウンターへと腰掛ける。
店に入った時からこちらを認め、待ち構えていた店のマスターが快活に笑いながら話し掛けてきた。
「いらっしゃい!兄ちゃん、初めて見る顔だな。何にする?」
「そうだな……。一番上手い物を」
あの時はジュースだったが、今では酒も窘める年齢だ。
「マスター。私にも~」
グラフィアスの注文に被せるように、女の声が割入ってきた。
そして、他にも席は空いているというのに、隣の席にその声の主が雪崩れ込むように腰掛ける。
「……っ!?」
酔っ払いか、と横目でその女性を見た瞬間、グラフィアスの身体が硬直する。
深紅の袖無し上衣の胸元には、大小様々な宝石が散りばめられたネックレス。
黄金色に輝くアームレットにも細やかな模様が刻まれ、そこから垂れ下がる絹もかなり上質そうだ。
見たところ娼婦にも見えるが、放たれる雰囲気からして恐らく貴族。
何よりグラフィアスが驚いたのは、その女性の顔が、母にとてもよく似ていたのだ。
落ち着け……。他人の空似だ。母さんは、酒は飲めなかった。
心を落ち着けようと組んでいた両手にぐっと力を籠めるが、ため息にも似たマスターの愚痴が、トドメを刺した。
「はぁ~。ミセス・ライジェル。いい加減にしたらどうだ?毎日毎日、飲みすぎだぞ」
ライ、ジェル……?母さんの名前だ。
衝撃的な事実に愕然とする中、母はこちらに全く気づいていない様子でマスターをきっと睨み付けて喰ってかかる。
「ミセスとは何ですか、無礼な!私は、アンタレス家のライジェルですよ?言葉を慎みなさい!」
「いやしかし、あんたの旦那はもう……」
「マスター。良いからこの人にも同じものを。金は俺が出す」
そう話に割って入ると、マスターはバツの悪そうに「すまねえな」と断りを入れてから酒を作り始めた。
おかげで母の興味はこちらに移ったようで、先ほどまでとは打って変わって上機嫌で話し掛けてくる。
「あら、奢ってくださるの?ありがとう、ボウヤ」
やはり、母は今会話をしている相手が自分の息子だと気付いていない。
グラフィアスは何も言わず、マスターから受け取った酒を母に手渡す。
「さっき、アンタレス家って言ってたけど、あのタウケティ・アンタレス?」
「……あら、興味があるの?でもそうね。ボウヤくらいの年齢だったら、彼は英雄ですものね」
母は嬉しそうに言うが、どこからか鼻で笑う声が漏れ聞こえた。
「出たぜ、リジー婦人の旦那英雄伝。実際は、バスターにもなれなかった腰抜け野郎」
「あれだろ?蒼龍のガキを捕まえたのもレグルスさんで、あいつはただ見てただけで何もしなかったんだろ?」
「おお、そのレグルスさんだけどよ知ってるか?なんでも協会から逃げてるって話だぜ?」
「本当かよ?一体なにやらかしたんだ、あの人は」
そのまま彼らの興味はレグルスの話題へと移行していく。
グラフィアスはその連中をしばらく睨み付けていたが「気にしないで」と母に止められた。
「英雄にもなれない、ただの小物の嫉妬よ」
と歯牙にも掛けない様子で酒を煽る。
「ねえ君。もしかして主人に憧れてる?」
「え?」
「その武器よ。身の丈程の大剣といい、あの人にそっくり」
確かに、グラフィアスの武器は、父の物を模して作っている。
「……あの人は、俺の目標だったから」
「そう。息子と同じね」
ずき、と胸が痛む。
「私の息子もね、小さい時から木刀を振り回して、父さんみたいに強くなるんだーって張り切っていたの。……でも主人は戦いに敗れ、しばらくして息子もいなくなってしまった。父親の仇を取りに行ったと聞いているけれど、この十年、全く音沙汰無し」
喉の奥がヒリヒリする。
母に心配を掛けている事は重々承知の上だったが、自分の小さな意地が、ここまで母を弱らせてしまったのかと思うと嗚咽が漏れそうになる。
それを飲み込むかのように、残っていた酒を一気に飲み干す。
「ごめんなさい。つまらない話だったわね?アナタが息子に似ている気がしたから、つい……」
そんなグラフィアスの行動が不愉快なように見えたのか、母はそう謝る。
グラフィアスは「いや」と口元を手の甲で拭いながら答えるのが精一杯だった。
「あの子が聞いたら怒り出すかもしれないけど、敵討ちなんてどうでもいい。あの子が無事に帰ってきてくれれば、貴族の称号も、名誉も、何もいらないわ」
「……」
今はまだ、自分が息子である事は告げられない。
少しの沈黙の後、グラスに入っている氷が溶けて、カラン、と音を立てた。
「……大丈夫さ」
グラフィアスはカウンターに二人分の代金を起き、立ち上がりながら言う。
「ポエニーキスの男は頑固だからな。自分が決めた事は、最後までやり通さないと気が済まないんだろう。だから、あんたの息子もまだ帰れないだけで、必ず帰ってくるさ。一緒に飲めて楽しかった。ありがとう」
そのままグラフィアスは、相手の返事も待たず、一度も振り返る事なく店を出た。
†
カフ火山内部にある、火の帝国の聖なる祠。
その扉の前で、シェアト、ルクバット、フォーマルハウトの三人は、アウラの巡礼が終わるのを静かに待っていた。
城からここまで案内してくれた兵士も一緒にいるが「ここで待っているだけ体力の無駄だ」というだけで、何も語ろうとしない。
巡礼時間は、たったの一時間。
それだけの短い時間で、一体何が起きているのか。
時間単位で言えば水の王国の方が断然長いが、巡礼を終えられた者が極端に少ないのがどうにも気になる。
扉の外からでは、中で何が行われているのか、何の気配も伝わってこない。
「この向こうで、何が行われているんだろう?」
ぽつりと、呟くようにルクバットが問いかける。
しかし、シェアトはその答えを持っておらず、首を左右に振る。
「分からない。けど、ここの巡礼が一番難しいってのは本当だよ」
「理由として考えられるのは、火山地域による高温下での体力、気力の消耗。それに伴って正気を失い自滅する、でしょうか」
フォーマルハウトがそう思案するが、環境の厳しさで言えば水の王国でも似たようなものだ。
しかしアウラはそれを難なくパスしているし、他にも巡礼を終えた者は今までにごまんといる。
兵士の諦めにも似た言葉からは、他とは決定的に違う何かがあるのだ。
それが何か分からず、ただ不安だけが募っていく。
「……時間だ」
扉の横に設置されている巨大な砂時計の砂が、完全に落ちきったのを確認した兵士が、巡礼終了を告げる。
「これにて、バスターボレアリスによる巡礼を終了する。さあ、あなた達も、もう帰りなさい」
「え、何言ってるんですか?早くここを開けて下さい」
扉を開けず、シェアト達を帰そうとする兵士に驚きの声をあげると、その兵士は重いため息をもらす。
「……彼女はもう、存在していない。ここを開けるだけ無駄だ」
「どういう、意味ですか……?」
何を言われているのか、理解出来なかった。
アウラが存在していない?……風の王国の人間だから、わざと時間を延ばしているの?それとも……。
嫌な予感がする。
シェアトの脳裏に、ある歴史が浮かび上がる。
ポエニーキス特有の能力。
操獣の技による、グルミウム国民邪竜化事件。
まさか、ありえない。あれは、人に使う事は禁止されたはずだけど……。
「扉を開けましょう!」
どうやらフォーマルハウトも同じ事を考えていたようで、ルクバットと一緒に扉に手をかける。
シェアトは扉の正面に立ち、徐々に広がる隙間からアウラを探す。
……いた!
アウラは扉の正面数メートル先で、こちらに背を向けて佇んでいた。
「アリス!」
一目散に火山の中へ入る途中、兵士の制止が聞こえるが、そんなものに構っていられない。
火山の中は想像以上に暑く、ほんの少し走っただけで汗が噴き出してくる。
「良かった、無事で。巡礼は終わったよ。お疲れ様」
近寄りそう声をかけるが、アウラからの反応は無く、微動だにしない。
「アリス?」
再び声をかけ、肩に手を置こうとしたその瞬間、
「危ない!」
「きゃ!?」
ルクバットに突き飛ばされるのと同時に、自分が立っていた場所を、地面が抉れる程強烈な風が吹き抜けていった。
……え?
驚きと同時にアウラの顔を見ると、彼女はこちらを見てすらいなかった。
体中に返り血をべったりと浴びたアウラの瞳は、光を湛えておらず、ただ虚ろな顔をしている。
「いきなり何するんだよ!危ないじゃんか」
ルクバットがそう叫ぶが、アウラには声が届かないようで再び風が襲いかかる。
ルクバットがそれを防ぎ、フォーマルハウトがアウラを抑えるが、アウラの風は止まない。
なんで?こんな……。
「やめて……」
シェアトの呟きなど当然届かず、風は勢いを増していく。
「アウラ!」
咄嗟に、ルクバットが本名を叫ぶと、アウラの攻撃がようやく止んだ。
「……ぅ」
「アウラ!」
そのまま崩れ落ちそうになるのをルクバットが支え、すかさずシェアトも駆け寄る。
「アウラ、大丈夫?」
「……あ?ルクバット……しぇ、あと?」
弱々しくではあるが、アウラは二人の顔を見てそう口にする。
「良かった。正気に戻ったのね」
「もう巡礼は終わったんだよ。早くここを出よう」
ルクバットとシェアトの二人でアウラを抱えゆっくりと歩き出す。
「……に、げろ」
程なくして、アウラが絞り出すように言う。
「早く、逃げろ。お前達まで、守れる、自信は無い……」
「どうしたのアウラ?一体何が……」
尋ねるよりも早く、蒼い炎が忽然と現れシェアト達を取り囲む。
「え……?」
『目覚メヨ。真ナル姿ヲ我ニ示セ』
直接脳内に語り掛けてくるような不思議な声がした瞬間、世界が暗転した。
すぐ隣でアウラが「止めろ!」と叫んでいるはずだが、ひどく遠くからに聞こえる。
内側から何ともいえない恐怖が込み上げて来て、自分は今、息をしているのかすらも分からない。
『真ナル姿ヲ』
再び声がした時、内なる波が一気に押し寄せてきた。
駄目だ、呑まれる……。
「止めろっ!」
諦めかけた時、アウラの声がはっきりと聞こえ、一陣の春風がシェアトを包む……。
それからどうしたのか。
シェアト達はいつの間にか祠の外にいて、何故かアウラが兵士につかみかかっていた。
「あいつは一体何を考えているんだ!何処まで人を馬鹿にする気だ!」
「落ち着いて下さい!この件は本国に連絡し、然るべき処罰を受けてもらいますから」
そうフォーマルハウトが宥めると、怒りが収まらないアウラは悔しそうにその場に崩れ落ちた。
何が起きたんだろう?あの時聞こえた、あの声は一体……。
ぼんやりとした頭で考えていると、隣にルクバットが眠っているのに気付く。
そして、何となく手元に目をやると……。
「……っ!?」
自分はまだ、まどろみの中にいるのだろうか?
自分の手に、鱗のような模様がうっすらと浮かんでいて、悲鳴を挙げる暇も無く、それは泡のように消えていった。
恐る恐る触ってみえも、いつもの自分の手だ。
しかし、その光景は目に焼き付いてしまい、身体の震えがなかなか止まらなかった。
火の帝国の巡礼内容は一時間、カフ火山内部にある聖なる祠に留まる事。
それ以上詳しい内容は語られなかったが、近年入山した巡礼者は、誰一人として祠の中から出てきていないらしい。
「あの祠には、絶望が待っている」
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それを真に受けたルクバット、シェアト、フォーマルハウトらは、祠の扉の前でアウラが無事に出てくるよう固唾を呑んで見守る事にした。
逆にグラフィアスとベイドはどうしたかというと、街でそれぞれ自由行動を取っていた。
グラフィアスは元よりそうするつもりだったが、ベイドも離れるとは少し驚きだ。
だが、彼の今までの行動を見る限りでは、別段不思議では無いかもしれない。
ただグラフィアス自身が、ベイドにそこまで興味を抱いていなかっただけだろう。
それにしても……。
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「しばらく見ないうちに、随分と変わったな」
元々この帝都フォボスの出身ではあるが、何しろ十年ぶりの帰郷だ。
昔の自分が幼かったというのもあるが、記憶に残る建物があまり見られない。
自分がいたころは赤レンガを主とした石造りの家が建ち並んでいたはずだが、現在は鉄筋を使った建物がそこかしこから顔を覗かせている。
暗くなった時に街路を照らす灯りが、松明と街路灯の箇所とにはっきりと分かれてもいる。
風の王国 が滅び、同盟国が雷の帝国 のみとなった影響だろうか。
随分と文明的だ。
城を背にして大通りを真っ直ぐに歩いて行くと、昼間から酒の香りを外にまで漂わせている酒場が見えた。
「ここは、あの時のままだな」
店の前で立ち止まり、少し錆びた鉄製の看板を見上げる。
あの日、養成所で訓練をしていた時、兵士に呼ばれ、ここで父の死を告げられた。
思えばグラフィアスの旅は、この酒場から始まったと言える。
「……」
吸い込まれるように中へと入り、そのまま正面のカウンターへと腰掛ける。
店に入った時からこちらを認め、待ち構えていた店のマスターが快活に笑いながら話し掛けてきた。
「いらっしゃい!兄ちゃん、初めて見る顔だな。何にする?」
「そうだな……。一番上手い物を」
あの時はジュースだったが、今では酒も窘める年齢だ。
「マスター。私にも~」
グラフィアスの注文に被せるように、女の声が割入ってきた。
そして、他にも席は空いているというのに、隣の席にその声の主が雪崩れ込むように腰掛ける。
「……っ!?」
酔っ払いか、と横目でその女性を見た瞬間、グラフィアスの身体が硬直する。
深紅の袖無し上衣の胸元には、大小様々な宝石が散りばめられたネックレス。
黄金色に輝くアームレットにも細やかな模様が刻まれ、そこから垂れ下がる絹もかなり上質そうだ。
見たところ娼婦にも見えるが、放たれる雰囲気からして恐らく貴族。
何よりグラフィアスが驚いたのは、その女性の顔が、母にとてもよく似ていたのだ。
落ち着け……。他人の空似だ。母さんは、酒は飲めなかった。
心を落ち着けようと組んでいた両手にぐっと力を籠めるが、ため息にも似たマスターの愚痴が、トドメを刺した。
「はぁ~。ミセス・ライジェル。いい加減にしたらどうだ?毎日毎日、飲みすぎだぞ」
ライ、ジェル……?母さんの名前だ。
衝撃的な事実に愕然とする中、母はこちらに全く気づいていない様子でマスターをきっと睨み付けて喰ってかかる。
「ミセスとは何ですか、無礼な!私は、アンタレス家のライジェルですよ?言葉を慎みなさい!」
「いやしかし、あんたの旦那はもう……」
「マスター。良いからこの人にも同じものを。金は俺が出す」
そう話に割って入ると、マスターはバツの悪そうに「すまねえな」と断りを入れてから酒を作り始めた。
おかげで母の興味はこちらに移ったようで、先ほどまでとは打って変わって上機嫌で話し掛けてくる。
「あら、奢ってくださるの?ありがとう、ボウヤ」
やはり、母は今会話をしている相手が自分の息子だと気付いていない。
グラフィアスは何も言わず、マスターから受け取った酒を母に手渡す。
「さっき、アンタレス家って言ってたけど、あのタウケティ・アンタレス?」
「……あら、興味があるの?でもそうね。ボウヤくらいの年齢だったら、彼は英雄ですものね」
母は嬉しそうに言うが、どこからか鼻で笑う声が漏れ聞こえた。
「出たぜ、リジー婦人の旦那英雄伝。実際は、バスターにもなれなかった腰抜け野郎」
「あれだろ?蒼龍のガキを捕まえたのもレグルスさんで、あいつはただ見てただけで何もしなかったんだろ?」
「おお、そのレグルスさんだけどよ知ってるか?なんでも協会から逃げてるって話だぜ?」
「本当かよ?一体なにやらかしたんだ、あの人は」
そのまま彼らの興味はレグルスの話題へと移行していく。
グラフィアスはその連中をしばらく睨み付けていたが「気にしないで」と母に止められた。
「英雄にもなれない、ただの小物の嫉妬よ」
と歯牙にも掛けない様子で酒を煽る。
「ねえ君。もしかして主人に憧れてる?」
「え?」
「その武器よ。身の丈程の大剣といい、あの人にそっくり」
確かに、グラフィアスの武器は、父の物を模して作っている。
「……あの人は、俺の目標だったから」
「そう。息子と同じね」
ずき、と胸が痛む。
「私の息子もね、小さい時から木刀を振り回して、父さんみたいに強くなるんだーって張り切っていたの。……でも主人は戦いに敗れ、しばらくして息子もいなくなってしまった。父親の仇を取りに行ったと聞いているけれど、この十年、全く音沙汰無し」
喉の奥がヒリヒリする。
母に心配を掛けている事は重々承知の上だったが、自分の小さな意地が、ここまで母を弱らせてしまったのかと思うと嗚咽が漏れそうになる。
それを飲み込むかのように、残っていた酒を一気に飲み干す。
「ごめんなさい。つまらない話だったわね?アナタが息子に似ている気がしたから、つい……」
そんなグラフィアスの行動が不愉快なように見えたのか、母はそう謝る。
グラフィアスは「いや」と口元を手の甲で拭いながら答えるのが精一杯だった。
「あの子が聞いたら怒り出すかもしれないけど、敵討ちなんてどうでもいい。あの子が無事に帰ってきてくれれば、貴族の称号も、名誉も、何もいらないわ」
「……」
今はまだ、自分が息子である事は告げられない。
少しの沈黙の後、グラスに入っている氷が溶けて、カラン、と音を立てた。
「……大丈夫さ」
グラフィアスはカウンターに二人分の代金を起き、立ち上がりながら言う。
「ポエニーキスの男は頑固だからな。自分が決めた事は、最後までやり通さないと気が済まないんだろう。だから、あんたの息子もまだ帰れないだけで、必ず帰ってくるさ。一緒に飲めて楽しかった。ありがとう」
そのままグラフィアスは、相手の返事も待たず、一度も振り返る事なく店を出た。
†
カフ火山内部にある、火の帝国の聖なる祠。
その扉の前で、シェアト、ルクバット、フォーマルハウトの三人は、アウラの巡礼が終わるのを静かに待っていた。
城からここまで案内してくれた兵士も一緒にいるが「ここで待っているだけ体力の無駄だ」というだけで、何も語ろうとしない。
巡礼時間は、たったの一時間。
それだけの短い時間で、一体何が起きているのか。
時間単位で言えば水の王国の方が断然長いが、巡礼を終えられた者が極端に少ないのがどうにも気になる。
扉の外からでは、中で何が行われているのか、何の気配も伝わってこない。
「この向こうで、何が行われているんだろう?」
ぽつりと、呟くようにルクバットが問いかける。
しかし、シェアトはその答えを持っておらず、首を左右に振る。
「分からない。けど、ここの巡礼が一番難しいってのは本当だよ」
「理由として考えられるのは、火山地域による高温下での体力、気力の消耗。それに伴って正気を失い自滅する、でしょうか」
フォーマルハウトがそう思案するが、環境の厳しさで言えば水の王国でも似たようなものだ。
しかしアウラはそれを難なくパスしているし、他にも巡礼を終えた者は今までにごまんといる。
兵士の諦めにも似た言葉からは、他とは決定的に違う何かがあるのだ。
それが何か分からず、ただ不安だけが募っていく。
「……時間だ」
扉の横に設置されている巨大な砂時計の砂が、完全に落ちきったのを確認した兵士が、巡礼終了を告げる。
「これにて、バスターボレアリスによる巡礼を終了する。さあ、あなた達も、もう帰りなさい」
「え、何言ってるんですか?早くここを開けて下さい」
扉を開けず、シェアト達を帰そうとする兵士に驚きの声をあげると、その兵士は重いため息をもらす。
「……彼女はもう、存在していない。ここを開けるだけ無駄だ」
「どういう、意味ですか……?」
何を言われているのか、理解出来なかった。
アウラが存在していない?……風の王国の人間だから、わざと時間を延ばしているの?それとも……。
嫌な予感がする。
シェアトの脳裏に、ある歴史が浮かび上がる。
ポエニーキス特有の能力。
操獣の技による、グルミウム国民邪竜化事件。
まさか、ありえない。あれは、人に使う事は禁止されたはずだけど……。
「扉を開けましょう!」
どうやらフォーマルハウトも同じ事を考えていたようで、ルクバットと一緒に扉に手をかける。
シェアトは扉の正面に立ち、徐々に広がる隙間からアウラを探す。
……いた!
アウラは扉の正面数メートル先で、こちらに背を向けて佇んでいた。
「アリス!」
一目散に火山の中へ入る途中、兵士の制止が聞こえるが、そんなものに構っていられない。
火山の中は想像以上に暑く、ほんの少し走っただけで汗が噴き出してくる。
「良かった、無事で。巡礼は終わったよ。お疲れ様」
近寄りそう声をかけるが、アウラからの反応は無く、微動だにしない。
「アリス?」
再び声をかけ、肩に手を置こうとしたその瞬間、
「危ない!」
「きゃ!?」
ルクバットに突き飛ばされるのと同時に、自分が立っていた場所を、地面が抉れる程強烈な風が吹き抜けていった。
……え?
驚きと同時にアウラの顔を見ると、彼女はこちらを見てすらいなかった。
体中に返り血をべったりと浴びたアウラの瞳は、光を湛えておらず、ただ虚ろな顔をしている。
「いきなり何するんだよ!危ないじゃんか」
ルクバットがそう叫ぶが、アウラには声が届かないようで再び風が襲いかかる。
ルクバットがそれを防ぎ、フォーマルハウトがアウラを抑えるが、アウラの風は止まない。
なんで?こんな……。
「やめて……」
シェアトの呟きなど当然届かず、風は勢いを増していく。
「アウラ!」
咄嗟に、ルクバットが本名を叫ぶと、アウラの攻撃がようやく止んだ。
「……ぅ」
「アウラ!」
そのまま崩れ落ちそうになるのをルクバットが支え、すかさずシェアトも駆け寄る。
「アウラ、大丈夫?」
「……あ?ルクバット……しぇ、あと?」
弱々しくではあるが、アウラは二人の顔を見てそう口にする。
「良かった。正気に戻ったのね」
「もう巡礼は終わったんだよ。早くここを出よう」
ルクバットとシェアトの二人でアウラを抱えゆっくりと歩き出す。
「……に、げろ」
程なくして、アウラが絞り出すように言う。
「早く、逃げろ。お前達まで、守れる、自信は無い……」
「どうしたのアウラ?一体何が……」
尋ねるよりも早く、蒼い炎が忽然と現れシェアト達を取り囲む。
「え……?」
『目覚メヨ。真ナル姿ヲ我ニ示セ』
直接脳内に語り掛けてくるような不思議な声がした瞬間、世界が暗転した。
すぐ隣でアウラが「止めろ!」と叫んでいるはずだが、ひどく遠くからに聞こえる。
内側から何ともいえない恐怖が込み上げて来て、自分は今、息をしているのかすらも分からない。
『真ナル姿ヲ』
再び声がした時、内なる波が一気に押し寄せてきた。
駄目だ、呑まれる……。
「止めろっ!」
諦めかけた時、アウラの声がはっきりと聞こえ、一陣の春風がシェアトを包む……。
それからどうしたのか。
シェアト達はいつの間にか祠の外にいて、何故かアウラが兵士につかみかかっていた。
「あいつは一体何を考えているんだ!何処まで人を馬鹿にする気だ!」
「落ち着いて下さい!この件は本国に連絡し、然るべき処罰を受けてもらいますから」
そうフォーマルハウトが宥めると、怒りが収まらないアウラは悔しそうにその場に崩れ落ちた。
何が起きたんだろう?あの時聞こえた、あの声は一体……。
ぼんやりとした頭で考えていると、隣にルクバットが眠っているのに気付く。
そして、何となく手元に目をやると……。
「……っ!?」
自分はまだ、まどろみの中にいるのだろうか?
自分の手に、鱗のような模様がうっすらと浮かんでいて、悲鳴を挙げる暇も無く、それは泡のように消えていった。
恐る恐る触ってみえも、いつもの自分の手だ。
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