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結の星痕
涙雨
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昔、どこかの学者が言ったと云う。
『涙雨』という言葉があるように、雨は、世界が流す涙なのではないか。
世界ですら定期的に、時には長期に渡って涙するのだから、我々人類も、もっと素直に涙を流すべきではないのか、と。
雷鳴は既に遠ざかっているものの、未だに涙雨が続く中、シェアトとアウラは外を歩いていた。
変わらずアウラが先を歩いているのだが、今度は何処へ向かおうとしているのか。
北区域を抜けて中央区に入り、更に南へと向かう。
その先にはおそらく、先程シェアトが質問した答えが待っているのだろう。
一体、アウラの身に何が起きたのだろう?
いつも通りに振る舞っているように見えるが、スレイヤーになってからのアウラには、どことなく違和感を覚える。
虚脱感とでも言おうか、何かが抜け落ちたような……。
いつもの涼やかな雰囲気の中に、凛と流れる覇気が無くなったような、そんな些細な違和感。
「今向かっている場所も、墓場なんだ」
唐突に口を開くアウラ。
「私がスレイヤーになった日に受けた依頼、あれで討った人が、そこで眠っているんだ」
ということは、邪竜に堕ちた人の、お墓……。
「何で、その人のお墓に私を?」
「知っておいて欲しいと思ったから。私が、今まで何をしてきたか。ボレアリスが、どういう人物なのか」
「……」
それは、重い言葉だった。
それと同時に痛感した。
アウラは、その小さな身体に、沢山の深い傷を負っている。
それは自身が体験した国の問題だけでなく、今日までを生きるまでに負った物も含めてだ。
自分よりも若干ながらも短い人生の中で、どれだけの苦悩と困難を乗り越えてきたのか、シェアトには想像する事も、ましてや理解する事も到底出来ない。
不意に、前を行くアウラが足を止めた。
そこは、中央区域にある集合墓地の入口。
「……ルク君?」
こんな小雨の降る中、入口前で俯き加減に一人佇んでいたのはルクバットだった。
彼は食いしばるように、拳を震わせて言う。
「どうして、黙ってたの?」
「……見てきたのか」
シェアトには意味が分からないが、アウラはそう静かに言葉を返す。
「アウラはいうだってそうだ。何でも勝手に一人で決めて、背負い込んで苦しんで……。俺は、俺じゃアウラの助けにならないの?俺はアウラと一緒に背負っていきたいのに、何で頼ってくれないんだよ?」
「お前には、十分助けられてるよ。でも今回のは、これだけはどうしようもならなかったんだ。時間も無かったし。それに、お前までこんな気持ちを味わう必要なんて無いよ」
激昂するルクバットに対して、アウラはそう静かに諭す。
しかしルクバットはそれでは納得出来ないようで、またも悔しそうに歯を食いしばる。
「またそれだ……。アウラ、俺誓うよ。もっともっと強くなって、アウラよりも強くなって、これ以上アウラが哀しまなくて済むようにしてみせるから!」
「あ、ルク君!」
そのままルクバットは二人の横を一目散に走り抜けて行った。
雨が降っていたので定かでは無いが、その横顔は泣いているようにも見えた。
「……いいの?放っておいて」
シェアトには何が何だか理解出来ず、困惑気味に尋ねるが、何故かアウラは嬉しそうに微笑んでいる。
「……いつまでも子供だと思っていたけど、知らないうちにあいつも、大きくなってたんだな……。さ、私達も行こう。目的の場所はすぐそこだから」
再び歩き出すアウラを止める理由も無く、何だか後ろ髪を引かれるような気持ちのまま付いていく。
そしてアウラは、一つの墓の前で立ち止まった。
その墓には、使い古されてはいるが、綺麗な輝きを放つ、刀身が剥き出しの刀が刺さっていた。
形状としては少し湾曲した方刃で、世界的に有名な御伽噺、ジパングの主人公であるサムライが所持している刀に酷似している。
「確か、お参りはこうするんだったかな?」
そう言ってアウラは墓の前にしゃがみ込み、顔の前で指を折らずに両手を揃え、静かに目を閉じた。
おそらく、冥福を祈っているのだろうが、風の王国の祈りの捧げ方とは異なる。
シェアトの母国である水の王国でも無く、どこの国の物でも無いのだが、何故か見覚えがある。
……あ、ジパングだ。
墓標である刀を見ていて思い出した。
その祈り方もまた、御伽噺ジパングの中で描かれていた物と同じだった。
この故人は、ジパングが大好きだったようだ。
「……あの、アウラ?さっき、スレイヤーになった日にこの人を討ったって言ったよね?その人って、まさか……」
「……ああ。大丈夫、子供じゃないよ。私と同じスレイヤーだから」
言い淀むシェアトの思いを察したアウラが、くすりと苦笑しながら答える。
ほっと安堵するが、ならこの墓は、一体誰の墓なのだろう?
「こいつは御伽噺のジパングが大好きでさ。服もお手製で、あのサムライが着てるような羽織も持ってるんだ。四十を越えた良い大人なのに、本当笑えるよ」
祈りを終えたアウラは立ち上がり、墓を背にして語り始める。
「こいつと初めて会ったのは、私がバスターになった日。最年少って噂を聞きつけて、先輩風を吹かしに来たんだ。火の帝国の出身で、会う度にジパングの話ばかりしてきて、本当、鬱陶しい奴だったよ。
シェアトは団喜ってお菓子知ってる?この国のちょっとした名物になってるんだけど、それ、こいつがジパングのを参考にして作ったんだって。あいつが発案者にしてはけっこう美味しいんだ。良かったら今度食べてみてよ」
愚痴から始まったかと思いきや、何ともほのぼのとした話題。
アウラにとってこの故人は、とても思い入れ深い人物のようだ。
「その人は、アウラにとってとても大切な人だったんだね?」
「うーん、どうかな?大切かどうかは分からないけど、頼りになる相手ではあったよ。……嫌いだったけどね」
「それは、ポエニーキスの出身だから?」
「それもある。けど今は、どうでも良いんだ。あいつは、あいつだったから」
意外な答えだった。
バスターになったばかりのアウラなら、ポエニーキス出身者をかなり敵視していたに違いないのに、それを語る声も表情も、かなり穏やかだ。
「昔の私は、家族や国を奪われた悲しみから、ポエニーキスの全てを憎んだ。勿論、こいつも例外じゃない。何度も殺そうとして、その度に失敗して、自分の弱さを実感した。
で、何のつもりかは知らないけど、こいつもしつこいくらいに私に関わってきて、おかげでだいぶ強くなれたし、考え方も変われた。国と人とは、関係無いんだって」
「アウラが人間的に成長出来た大きなきっかけ、てことか……」
私が初めて会った時、アウラはグラフィアスに命を狙われていた。それでも気にしていなかったのは、彼の本質を見抜いていたからなんだ。
この故人は、アウラの人生に大きな影響を与えてきた。そんな人を、殺める事になるなんて……。
「話が逸れたね。何で私がシェアトに、この墓を見せたかだけど、こいつはシェアトとは直接的な関わりは無いけど、全くの無関係ってわけでもないんだ。一応姿も、聖なる祠で見てるよ」
「え?」
聖なる祠で見てるって事は、お父さんの……?
「……ベナトシュ、さん?」
アウラと共に父と戦っていたジパングの格好をしていた人物を思い浮かべる。
「当たり。私はベナトって呼んでるんだけど、元々はヴェガさんのパートナーだったんだ」
「お父さんの……」
「うん。まあ私もベナトも、お互いの事を多く語らなかったから、詳しくは知らないんだけどね。私の時と同じように、ヴェガさんがバスターになった日に、声を掛けたらしい。
年が近いのもあってそのまま意気投合して、多くの依頼を二人でこなしてきたみたい。そしてベナトはヴェガさんの転生式を見届けて、そのまま彼の後見人になったんだ」
「後見人って?」
その質問には、少し答え難そうな顔をしたが、ほんの少しの間を開けてすぐに答えてくれた。
「バスターがスレイヤーになる時は、一人で行う事はまずなくて、誰かそれを見守る者がいるんだ。……万が一に備えてね」
「万が一って……」
「転生式には危険が伴うからね。戦い慣れている人が邪竜に堕ちると、普通のよりも凶暴なんだ。それに、転生式は成功したとしても、いつ牙を向かれるか分からない諸刃の剣。協会が力を把握する為にも、後見人は絶対に必要なんだ」
「え?ちょっと待ってよ」
流れるように説明されるが、今の言葉は聞き流せない。
「万が一とか、邪竜とか、後見人の役割ってつまり……」
それに対してアウラは静かに頷く。
「流石にもう分かるよね?後見人は、相手が邪竜に堕ちた時、もしくは堕ちかけの時、介錯をする役割を担ってるんだ」
「そんな……」
確かに、転生式にはそのまま邪竜に堕ちるリスクはあるし、バスターは邪竜の討伐が仕事だ。
戦闘スキルを持つ者が邪竜になれば凶暴なのも頷ける。
しかしだからといって、それを敢えて友に討たせるというのは、あまりにも酷な話ではないか。
「それじゃ、アウラはベナトシュさんの後見人だったの?」
それをアウラは小さく否定する。
「いや。そもそも私がスレイヤーになったのは最近だからね。誰の後見人にも出来なかったよ。でもベナトは私を指名してきた。竜に蝕まれる恐怖に耐えながら、いつスレイヤーになるかも分からない、私を、ずっと待ってたんだ。
笑えるよ。行ったら行ったで、いつもみたいに手合わせさせられてさ。本当に殺される気があるのか疑うよ。……でも、結局あいつを逝かせてあげられなかった」
「え……?」
「あいつを殺す事に、戸惑ってしまったんだ。それで、結局は自分で……」
「……アウラ」
そうか。アウラはこれが原因で、こんなにも苦しんでいるんだ。
少なくとも、シェアトにはそう感じた。
しかし、アウラの苦しみはそれだけでは無かった。
「助けを求めてきたのに助けられなかった私を、あいつは責めなかった。それどころかあいつ、馬鹿な話までしだしたんだ」
「馬鹿な話?」
アウラは自嘲気味に笑う。
「風の王国が滅んだ原因は、自分にあるんだってさ」
「……どういう事?」
「転生式がいつ行われるのかを知っていたのは、グルミウムの国民とバスター協会の上層部。そして、護衛として派遣されたスレイヤー数名。そこにベナトもいた。……それが全ての始まり」
アウラは一つ、間を置く。
「さっきも言ったけど、私達は互いの過去を知らない。ただベナトは、家族への罪滅ぼしの為に、決して他言してはならない式の日にちを、家族に知らせてしまった。その結果が、グルミウムを滅ぼした。……ね?笑えるだろ?」
「なっ……!?」
今の話のどこに、笑える要素があったというのか。
あまりの事に、シェアトはついかっとなる。
「笑える訳ないじゃない!そんな大事な話、何が可笑しいっていうの?」
「だって、可笑しいよ。そんな事今更言われたって、それが真実だなんて証拠、何処にも無いんだもん」
「……っ」
「それに、ベナトが私に罪の意識を感じさせない為についた嘘かもしれないし。……だいたい、もしそれが本当だったとしても、何かが変わるわけでも、ましてや戻ってくるわけでもないんだ」
「……」
ようやく分かった。アウラが、何故ここまで悲しんでいるのか。
そして同時に、自分を呪った。
ここまで言わせてようやく理解した、己の愚かさを。
「っアウラ!」
シェアトは、目から大粒の涙を零しながらアウラを強く抱きしめる。
突然の事でアウラは多少驚いたようだが、それでも笑った。
「……どうして泣くの?」
「だって、アウラが泣かないから」
そう。アウラは先程から笑ってばかり。
思えば、アウラの涙を見た事が無い気がする。
記憶を無くし、幼い王女になった時も。
「ねえ、アウラ。泣きたい時は、泣いても良いんだよ?じゃないと、アウラの心が潰れちゃうよ」
「……私は大丈夫だよ。泣いた事ないそ、そんなに弱くも無いよ」
思った通りの答え。
やはり王族はどこの国でも、他人に涙を容易く見せたりはしない。
「そっか……。強いね、アウラは。でもね、今は誰も、アウラの事を見てないよ。それにアウラは、ボレアリスでもある。だから、もっと素直になってもいいと思う。
それに泣く事は、決して弱い事じゃない。むしろ、ちゃんと泣ける人の方が、私は強いと思うな」
「……ありがとう。でも私の代わりに、シェアトが泣いてくれてるから」
「誰かの代わりなんて、誰にも出来ない。それはアウラも、よく分かってるでしょ?」
「……」
「……」
束の間、雨の降る音だけが世界を支配する。
やっぱり、私じゃダメか。
自分では、アウラの苦しみを軽くする事は出来ない。
「……戻ろっか。雨、なかなか止みそうにないし」
悲しみと共にアウラから離れようとしたその時、
きゅ、
と、アウラに強く抱き止められた。
耳元で、アウラの震えた声がする。
「……ほんとに、なかなか止まない雨だね……。もう少しだけ、こうしてても良いかな?ちょっと、寒くなってさ」
小刻みに震える身体。
押し殺した声に混じる小さな嗚咽。
……!
シェアトは、アウラの震えを抑えるように、優しく抱きしめる。
「……うん、良いよ。こうしてたら、あったかいもんね」
さぁー、と秋の訪れを報せるような静かな涙雨は暫くの間、二人の身体に優しく降り注がれる。
『涙雨』という言葉があるように、雨は、世界が流す涙なのではないか。
世界ですら定期的に、時には長期に渡って涙するのだから、我々人類も、もっと素直に涙を流すべきではないのか、と。
雷鳴は既に遠ざかっているものの、未だに涙雨が続く中、シェアトとアウラは外を歩いていた。
変わらずアウラが先を歩いているのだが、今度は何処へ向かおうとしているのか。
北区域を抜けて中央区に入り、更に南へと向かう。
その先にはおそらく、先程シェアトが質問した答えが待っているのだろう。
一体、アウラの身に何が起きたのだろう?
いつも通りに振る舞っているように見えるが、スレイヤーになってからのアウラには、どことなく違和感を覚える。
虚脱感とでも言おうか、何かが抜け落ちたような……。
いつもの涼やかな雰囲気の中に、凛と流れる覇気が無くなったような、そんな些細な違和感。
「今向かっている場所も、墓場なんだ」
唐突に口を開くアウラ。
「私がスレイヤーになった日に受けた依頼、あれで討った人が、そこで眠っているんだ」
ということは、邪竜に堕ちた人の、お墓……。
「何で、その人のお墓に私を?」
「知っておいて欲しいと思ったから。私が、今まで何をしてきたか。ボレアリスが、どういう人物なのか」
「……」
それは、重い言葉だった。
それと同時に痛感した。
アウラは、その小さな身体に、沢山の深い傷を負っている。
それは自身が体験した国の問題だけでなく、今日までを生きるまでに負った物も含めてだ。
自分よりも若干ながらも短い人生の中で、どれだけの苦悩と困難を乗り越えてきたのか、シェアトには想像する事も、ましてや理解する事も到底出来ない。
不意に、前を行くアウラが足を止めた。
そこは、中央区域にある集合墓地の入口。
「……ルク君?」
こんな小雨の降る中、入口前で俯き加減に一人佇んでいたのはルクバットだった。
彼は食いしばるように、拳を震わせて言う。
「どうして、黙ってたの?」
「……見てきたのか」
シェアトには意味が分からないが、アウラはそう静かに言葉を返す。
「アウラはいうだってそうだ。何でも勝手に一人で決めて、背負い込んで苦しんで……。俺は、俺じゃアウラの助けにならないの?俺はアウラと一緒に背負っていきたいのに、何で頼ってくれないんだよ?」
「お前には、十分助けられてるよ。でも今回のは、これだけはどうしようもならなかったんだ。時間も無かったし。それに、お前までこんな気持ちを味わう必要なんて無いよ」
激昂するルクバットに対して、アウラはそう静かに諭す。
しかしルクバットはそれでは納得出来ないようで、またも悔しそうに歯を食いしばる。
「またそれだ……。アウラ、俺誓うよ。もっともっと強くなって、アウラよりも強くなって、これ以上アウラが哀しまなくて済むようにしてみせるから!」
「あ、ルク君!」
そのままルクバットは二人の横を一目散に走り抜けて行った。
雨が降っていたので定かでは無いが、その横顔は泣いているようにも見えた。
「……いいの?放っておいて」
シェアトには何が何だか理解出来ず、困惑気味に尋ねるが、何故かアウラは嬉しそうに微笑んでいる。
「……いつまでも子供だと思っていたけど、知らないうちにあいつも、大きくなってたんだな……。さ、私達も行こう。目的の場所はすぐそこだから」
再び歩き出すアウラを止める理由も無く、何だか後ろ髪を引かれるような気持ちのまま付いていく。
そしてアウラは、一つの墓の前で立ち止まった。
その墓には、使い古されてはいるが、綺麗な輝きを放つ、刀身が剥き出しの刀が刺さっていた。
形状としては少し湾曲した方刃で、世界的に有名な御伽噺、ジパングの主人公であるサムライが所持している刀に酷似している。
「確か、お参りはこうするんだったかな?」
そう言ってアウラは墓の前にしゃがみ込み、顔の前で指を折らずに両手を揃え、静かに目を閉じた。
おそらく、冥福を祈っているのだろうが、風の王国の祈りの捧げ方とは異なる。
シェアトの母国である水の王国でも無く、どこの国の物でも無いのだが、何故か見覚えがある。
……あ、ジパングだ。
墓標である刀を見ていて思い出した。
その祈り方もまた、御伽噺ジパングの中で描かれていた物と同じだった。
この故人は、ジパングが大好きだったようだ。
「……あの、アウラ?さっき、スレイヤーになった日にこの人を討ったって言ったよね?その人って、まさか……」
「……ああ。大丈夫、子供じゃないよ。私と同じスレイヤーだから」
言い淀むシェアトの思いを察したアウラが、くすりと苦笑しながら答える。
ほっと安堵するが、ならこの墓は、一体誰の墓なのだろう?
「こいつは御伽噺のジパングが大好きでさ。服もお手製で、あのサムライが着てるような羽織も持ってるんだ。四十を越えた良い大人なのに、本当笑えるよ」
祈りを終えたアウラは立ち上がり、墓を背にして語り始める。
「こいつと初めて会ったのは、私がバスターになった日。最年少って噂を聞きつけて、先輩風を吹かしに来たんだ。火の帝国の出身で、会う度にジパングの話ばかりしてきて、本当、鬱陶しい奴だったよ。
シェアトは団喜ってお菓子知ってる?この国のちょっとした名物になってるんだけど、それ、こいつがジパングのを参考にして作ったんだって。あいつが発案者にしてはけっこう美味しいんだ。良かったら今度食べてみてよ」
愚痴から始まったかと思いきや、何ともほのぼのとした話題。
アウラにとってこの故人は、とても思い入れ深い人物のようだ。
「その人は、アウラにとってとても大切な人だったんだね?」
「うーん、どうかな?大切かどうかは分からないけど、頼りになる相手ではあったよ。……嫌いだったけどね」
「それは、ポエニーキスの出身だから?」
「それもある。けど今は、どうでも良いんだ。あいつは、あいつだったから」
意外な答えだった。
バスターになったばかりのアウラなら、ポエニーキス出身者をかなり敵視していたに違いないのに、それを語る声も表情も、かなり穏やかだ。
「昔の私は、家族や国を奪われた悲しみから、ポエニーキスの全てを憎んだ。勿論、こいつも例外じゃない。何度も殺そうとして、その度に失敗して、自分の弱さを実感した。
で、何のつもりかは知らないけど、こいつもしつこいくらいに私に関わってきて、おかげでだいぶ強くなれたし、考え方も変われた。国と人とは、関係無いんだって」
「アウラが人間的に成長出来た大きなきっかけ、てことか……」
私が初めて会った時、アウラはグラフィアスに命を狙われていた。それでも気にしていなかったのは、彼の本質を見抜いていたからなんだ。
この故人は、アウラの人生に大きな影響を与えてきた。そんな人を、殺める事になるなんて……。
「話が逸れたね。何で私がシェアトに、この墓を見せたかだけど、こいつはシェアトとは直接的な関わりは無いけど、全くの無関係ってわけでもないんだ。一応姿も、聖なる祠で見てるよ」
「え?」
聖なる祠で見てるって事は、お父さんの……?
「……ベナトシュ、さん?」
アウラと共に父と戦っていたジパングの格好をしていた人物を思い浮かべる。
「当たり。私はベナトって呼んでるんだけど、元々はヴェガさんのパートナーだったんだ」
「お父さんの……」
「うん。まあ私もベナトも、お互いの事を多く語らなかったから、詳しくは知らないんだけどね。私の時と同じように、ヴェガさんがバスターになった日に、声を掛けたらしい。
年が近いのもあってそのまま意気投合して、多くの依頼を二人でこなしてきたみたい。そしてベナトはヴェガさんの転生式を見届けて、そのまま彼の後見人になったんだ」
「後見人って?」
その質問には、少し答え難そうな顔をしたが、ほんの少しの間を開けてすぐに答えてくれた。
「バスターがスレイヤーになる時は、一人で行う事はまずなくて、誰かそれを見守る者がいるんだ。……万が一に備えてね」
「万が一って……」
「転生式には危険が伴うからね。戦い慣れている人が邪竜に堕ちると、普通のよりも凶暴なんだ。それに、転生式は成功したとしても、いつ牙を向かれるか分からない諸刃の剣。協会が力を把握する為にも、後見人は絶対に必要なんだ」
「え?ちょっと待ってよ」
流れるように説明されるが、今の言葉は聞き流せない。
「万が一とか、邪竜とか、後見人の役割ってつまり……」
それに対してアウラは静かに頷く。
「流石にもう分かるよね?後見人は、相手が邪竜に堕ちた時、もしくは堕ちかけの時、介錯をする役割を担ってるんだ」
「そんな……」
確かに、転生式にはそのまま邪竜に堕ちるリスクはあるし、バスターは邪竜の討伐が仕事だ。
戦闘スキルを持つ者が邪竜になれば凶暴なのも頷ける。
しかしだからといって、それを敢えて友に討たせるというのは、あまりにも酷な話ではないか。
「それじゃ、アウラはベナトシュさんの後見人だったの?」
それをアウラは小さく否定する。
「いや。そもそも私がスレイヤーになったのは最近だからね。誰の後見人にも出来なかったよ。でもベナトは私を指名してきた。竜に蝕まれる恐怖に耐えながら、いつスレイヤーになるかも分からない、私を、ずっと待ってたんだ。
笑えるよ。行ったら行ったで、いつもみたいに手合わせさせられてさ。本当に殺される気があるのか疑うよ。……でも、結局あいつを逝かせてあげられなかった」
「え……?」
「あいつを殺す事に、戸惑ってしまったんだ。それで、結局は自分で……」
「……アウラ」
そうか。アウラはこれが原因で、こんなにも苦しんでいるんだ。
少なくとも、シェアトにはそう感じた。
しかし、アウラの苦しみはそれだけでは無かった。
「助けを求めてきたのに助けられなかった私を、あいつは責めなかった。それどころかあいつ、馬鹿な話までしだしたんだ」
「馬鹿な話?」
アウラは自嘲気味に笑う。
「風の王国が滅んだ原因は、自分にあるんだってさ」
「……どういう事?」
「転生式がいつ行われるのかを知っていたのは、グルミウムの国民とバスター協会の上層部。そして、護衛として派遣されたスレイヤー数名。そこにベナトもいた。……それが全ての始まり」
アウラは一つ、間を置く。
「さっきも言ったけど、私達は互いの過去を知らない。ただベナトは、家族への罪滅ぼしの為に、決して他言してはならない式の日にちを、家族に知らせてしまった。その結果が、グルミウムを滅ぼした。……ね?笑えるだろ?」
「なっ……!?」
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あまりの事に、シェアトはついかっとなる。
「笑える訳ないじゃない!そんな大事な話、何が可笑しいっていうの?」
「だって、可笑しいよ。そんな事今更言われたって、それが真実だなんて証拠、何処にも無いんだもん」
「……っ」
「それに、ベナトが私に罪の意識を感じさせない為についた嘘かもしれないし。……だいたい、もしそれが本当だったとしても、何かが変わるわけでも、ましてや戻ってくるわけでもないんだ」
「……」
ようやく分かった。アウラが、何故ここまで悲しんでいるのか。
そして同時に、自分を呪った。
ここまで言わせてようやく理解した、己の愚かさを。
「っアウラ!」
シェアトは、目から大粒の涙を零しながらアウラを強く抱きしめる。
突然の事でアウラは多少驚いたようだが、それでも笑った。
「……どうして泣くの?」
「だって、アウラが泣かないから」
そう。アウラは先程から笑ってばかり。
思えば、アウラの涙を見た事が無い気がする。
記憶を無くし、幼い王女になった時も。
「ねえ、アウラ。泣きたい時は、泣いても良いんだよ?じゃないと、アウラの心が潰れちゃうよ」
「……私は大丈夫だよ。泣いた事ないそ、そんなに弱くも無いよ」
思った通りの答え。
やはり王族はどこの国でも、他人に涙を容易く見せたりはしない。
「そっか……。強いね、アウラは。でもね、今は誰も、アウラの事を見てないよ。それにアウラは、ボレアリスでもある。だから、もっと素直になってもいいと思う。
それに泣く事は、決して弱い事じゃない。むしろ、ちゃんと泣ける人の方が、私は強いと思うな」
「……ありがとう。でも私の代わりに、シェアトが泣いてくれてるから」
「誰かの代わりなんて、誰にも出来ない。それはアウラも、よく分かってるでしょ?」
「……」
「……」
束の間、雨の降る音だけが世界を支配する。
やっぱり、私じゃダメか。
自分では、アウラの苦しみを軽くする事は出来ない。
「……戻ろっか。雨、なかなか止みそうにないし」
悲しみと共にアウラから離れようとしたその時、
きゅ、
と、アウラに強く抱き止められた。
耳元で、アウラの震えた声がする。
「……ほんとに、なかなか止まない雨だね……。もう少しだけ、こうしてても良いかな?ちょっと、寒くなってさ」
小刻みに震える身体。
押し殺した声に混じる小さな嗚咽。
……!
シェアトは、アウラの震えを抑えるように、優しく抱きしめる。
「……うん、良いよ。こうしてたら、あったかいもんね」
さぁー、と秋の訪れを報せるような静かな涙雨は暫くの間、二人の身体に優しく降り注がれる。
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