流星痕

サヤ

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転の流星

王都ゼフィール

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 その土地は、聞こえざる声に護られていた。
 故にその国は、沈黙した静に包まれていた。
 しかしその都は、溢れんばかりの生に満ちていた。
 そして彼等は、真実へと導かれる……。


 エラルドは、アウラ達が乗っている飛行船を、王都より少し手前の平地に着陸させた。
 王都ゼフィールは、西から流れる川に望んだ高台の上に城が建てられており、それに向かって城下町全体が斜面となっていて、平地となる箇所が少ないのだ。
 城下町は城の西南に広がって出来ており、北は峰続きとなっており、そのうちの一つに聖なる祠がある。
 東側一帯はあし平原が広がり、一部は湿地帯となっている。
 見晴らしはとても良いが、空を飛べない者が無闇に足を踏み入れると、沼地に嵌まって身動きが取れなくなるなど、それなりの苦労と危険を伴う、天然の防御壁となっている。
 皆が飛行船から降りると、船は力尽きたかのようにあちこちから黒煙を吐き出し、時折嫌な悲鳴を挙げ始めた。
「大丈夫かこれ?まだ飛べるんだろうな?」
「ふーむ。相当痛めつけられたし、何より急いで造ったからね」
 シェリアクは腕から数本コードを取り出して、船を触診するように診て一つ頷く。
「……うん、大丈夫。肝心な部分は傷付いていないようだ。少し時間は掛かると思うけど、王女様が記憶を取り戻している間に、何とか直しておくよ」
「ここに残るんですか?せっかくですから、兄さんも一緒にグルミウムを観察しましょうよ」
「そうしたいのは山々だが、この器は、歩き回るには不向きだ。今はこの地に降り立つ事が出来ただけで満足だよ。次に来る時は、自分の足で歩きたいしね」
 ベイドの誘いをシェリアクはそうやんわりと断る。
 ここで一行はシェリアクと一旦別れ、王都へと向かった。



 人が足を踏み入れなくなっておよそ十年。
 何がいても、何が起きてもおかしくないその場所へ、グラフィアスは緊張と警戒が入り混じった面持ちで、慎重に歩を進める。
 城下町には当時の傷跡がくっきりと残されており、半壊した建物や、瓦礫の山と化した遺物が転がる光景が一面に広がっている。
 しかし、そんな中でも緑の生命力というのは逞しいものである。
 まるで傷口を塞ぐように、あるいは癒やすように、半壊した家の壁、瓦礫の山の隙間、石畳の街路に、いくつもの草花が咲き誇っている。
 その花の香りに誘われたのか、鳥や虫、草食動物がちらほら集まっていた。
 自然の美しさと、廃墟と化したかつての栄国の融合は実に見事な物だが、その光景がグラフィアスにはどうしても腑に落ちなかった。
「妙だな。これだけ荒れた廃墟なのに、魔物がいない。大人しい動物ばかりだ」
 いつでも戦えるよう気を張っているのが馬鹿らしく思える程、王都は長閑だ。
「王都には、聖なる祠に繋がる道があるから、魔物に荒らされないように皆が守ってるんだよ。俺達もしばらくは祠に隠れてたからね。ね、アウラ?」
 ルクバットが得意気に説明し、アウラに同意を求めるが、その返事は返ってこない。
「アウラ?」
 再度声を掛けるが、やはり返事は無く、アウラはそのまま何処かへと歩き始めた。
 その足取りはどことなく覚束なく、ふらふらしている。
 この現状を目の当たりにしては、どれだけ前置きをしていても、ショックを受けるのは当たり前だろう。
「大丈夫かな?アウラ様」
「まあ、この現実は受け入れ難いでしょうね。もしくは、記憶が戻りつつあるのか。ともかく今は、彼女から目を離さない方が良いでしょう。何処に向かっているのか分かりませんが、彼女に付いて行きましょう」
 ここには、ボレアリスの記憶を求めてやってきたのだ。
 シェアトやベイドに言われなくても、目を離す気など毛頭無い。
 ここで親父は、英雄になった。ヴァーユ王を邪竜に堕とす事に成功し、国を壊滅させ、王女を捕らえた功績を讃えられて。……もしこいつが本当に王女だとしたら、親父は、一体何の英雄になったんだ?
 グラフィアスはここに来るまで王女アウラの存在を否定し続けてきた。
 肯定したら、憧れであり越えるべき目標でもあった父を、見放してしまう気がしたから。
 しかしその意固地にも、少しずつだが変化はある。
 父、タウケティが英雄と讃えられたのは、過去の出来事。
 今では戦闘に情けを掛け、小娘に負けた国の面汚しという烙印まで押されてしまっている。
 確かに親父は英雄だった。それは事実だ。だから、こいつが王女だろうがただのバスターだろうが、そんな事はどうでも良い。今度こそ、俺の手で葬ってやる。親父の仇、風の王国グルミウムの亡霊め!


     †


 崩れ落ちた家の屋根、焼け焦げて枯れてしまった街路樹、所々剥がれて地面が剥き出しになっている石畳。
 それを隠すように生える草花や、家の壁に侵食する蔦。
 どれもこれも、アウラの記憶には無い景色。
 そもそもアウラに城下町の景色は無いのだが、王都に足を踏み入れた瞬間から何故か胸が苦しい程に痛む。
 その胸の痛みが、ここがあの美しかった王都ゼフィールなのだとアウラに教えてくれる。
 崩れた壁や焼け焦げた枯れ木を見ていると、燃え上がる炎やくすぶる黒煙すら見えるような気がして、吐き気がする。
「アウラ様、気をしっかりとお持ちください」
「アウラ様。焦らないで。ゆっくり行きましょう?」
 左右から投げかけられるエラルドやシェアトの励ましのおかげで、何とか気丈に振る舞う事が出来る。
「だい、じょうぶ。……うん、大丈夫だよ」
 自分に言い聞かせるようにそう答え、アウラはひたすらに、ある場所を目指す。
「行かないと。呼んでるんだ」
「呼んでる?……エラルドさんですか?」
 うわごとのように呟いたそれにシェアトが反応するが、アウラはそれを静かに否定する。
「エルはここにいるよ。誰かは分からないけど、知ってる気がする。御神木まで来いって、ずっと呼んでるんだ」
 胸を締め付ける痛みと共に、アウラを呼ぶ声が風に乗って聞こえてくる。
 御神木へ。お前の望む物が、ここに眠っている。
 私が、望むもの?一体何が……?
 目指す御神木はもう目の前、この坂を登り切った先にある。
 天辺だけが見える緑が、徐々に大きくなり、そしてようやく、その全貌が見えた。
 その姿を見た瞬間、アウラはほっと安堵する。
 この御神木だけが、アウラの記憶に存在する姿そのままだった。
 それは、アウラにとっては安堵する光景だが、他者からすると異様に映るようだ。
「変ですね。ここだけ何の被害も受けていない。まるで切り離されているようだ」
「そうですね。坂を登り切るまでは酷い有り様なのに、ここだけは何が何でも死守した、という感じでしょうか」
「やっぱり、それだけこの御神木が大事なんですね。……でも、アウラ様を呼んでいるという人は一体どこに?」
 背中を支えてくれていたシェアトがきょろきょろと辺りを伺うが、人の気配は全くない。
 アウラは、御神木が無事なのが嬉しくて、そっと幹に手を触れて、城から初めてこの御神木を見つけた時に、母から聞かされた言葉を口にした。
「当たり前だよ。この御神木は私達だけじゃなくて、鳥や虫、風や聖霊、全ての物が還ってくる場所なんだから。とても、大切な物だよ」
 言い終わったその瞬間、


「……っ!」
 突然、首筋に鋭い痛みが走り、頭にいくつかの映像がちかちかと浮かぶ。
 今と変わらない御神木の前に立つ一組の男女。
 あれは、ルクバットと私?
 知らない自分が、今より幼いルクバットに話しかける。
「ここから出たら、私の事をアウラって呼ばないでほしいんだ」
「何で?」
「私はね、昔は一人で外には出る事が出来なかったんだ。けどエルが私に、外に出る為の名前をくれた。だから、その名前で呼んでほしい」
「へー。なんて名前?」
「ボレアリス。エルはアリスって呼んでたから、そう呼んで」
 そこで映像は途絶え、暗転する。
 次に付いた色は、赤と黒。
 炎と黒煙が立ち昇る中を、礼儀用の甲冑に身を包んだエラルドに手を引かれ、顔をぐしゃぐしゃにして泣き叫ぶ自分だった。
 走り続けた二人は、御神木の前でようやく一息つく。
「ここに結界を張りましょう。周りの熱を利用すれば、この辺り一帯は目に着かなくなります」
「父さま……。母さま……。なんで、こんなことに」
「詳しくは分かりませんが、火の帝国ポエニーキスの能力に間違いないかと。……アウラ様、私が戻るまで、ここから離れないで下さい」
「何処に行くの?一人にしないで!エルが行くなら、私も一緒に……」
「大丈夫です。貴女を独りにはしないし、何が起きても、私が必ず護ります。ですから今は……」
「嫌だ!イヤだ、嫌だ!離れたくない……!」
 エラルドが何処にも行けないよう、必死にしがみつくアウラ。
 エラルドは悲痛な顔でアウラを抱きしめ、そして一言呟く。
「……アウラ様。申し訳ありません」
 そこで映像はぷつりと切れた。
「……っぅわあああああ!」
 あまりの出来事に、叫んだ。
 周りが驚くのに構うことなく、頭を押さえてひとしきり叫ぶ。
 そのうちに、また首筋がチリリと痛み出す。
 今のは……あれは、私の記憶だ。
 垣間見えた物が極一部すぎて逆に混乱するが、それでもあれが自分の記憶である自覚はあった。
 思い出した。……ううん、覚えてる。確かに私は、御神木に誓いを立てた。でも、何を誓った?あの時、私は悲しくて、辛くて、エルを困らせた。でも、何があんなに悲しかった?知りたい。違う。知らなくちゃ。本当の、私を。
「……エル。私が、ボレアリスが何処にいるか、知ってる?」
 アウラを気遣うシェアトを遮って、傍らに控えているエラルドに尋ねる。
「……はい。知っています。ですが、本当に彼女に会いたいのですか?私は、今のアウラ様のままの方が、ずっと幸せに……」
「ありがとう。でも、私はアリスに会いたい。会わなくちゃいけないんだ。だからお願い。私は、何処にいるの?」
 エラルドは、しばらく戸惑ったようだが、やがて跪き、主従関係の下、答えた。
「バスターボレアリスの記憶は、彼の聖地にて、眠りについております。私は先行して、アルマク様に事の次第をお伝えしておきます。道中、危険な場所もありますので、どうかお気をつけて」
 一陣の風が吹き渡り、エラルドは姿を消した。
「アウラ様。本当に大丈夫ですか?」
 心配そうにこちらを見るシェアトは、なんだか自分より体調が悪いように見える。
「大丈夫だよ。ちょっとだけ、記憶が戻ったんだ。ほとんどは、聖なる祠にあるって」
「アルマクに伝えるって言ってたよね?元気にしてるかな」
「どうだろうね。でも、道中気をつけてって言ってた。何があるんだろう?」
 そう不安がると、グラフィアスが鼻で一蹴してくる。
「ふん。ここまで来て、今更何をビビってんだ?行くしかねーだろ」
「……そうだね。とりあえず、聖なる祠に向かおう」
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