流星痕

サヤ

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転の流星

水の巡礼

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 サーペンの聖なる祠は、首都ルーハクより北に聳え立ち、万年雪を戴く霊峰ナーガル雪山にある。
 天候によっては何日も吹雪いていたりして、普通に入山するには危険を伴うが、王宮の地下に祠へと繋がる通路が設けられている為、巡礼者等はそこを使って山へ向かう。
 バスターがこの国で受ける試練は至極単純で、三日三晩祠の中で過ごすだけで良い。
 聞こえはとても良いが、実際はかなり過酷だ。
 ナーガル雪山では魔物が出るのは然る事ながら、真に恐ろしいのはその温度。
 年間を通しての平均気温は氷点下を下回り、今の季節、アクエリアスでは、氷点下三十度にも及ぶ。


「来ましたね。では、申し訳ないですが、これを持ってもらえますか」
 厚手の服を着込み、その上からコートを羽織り、耳当てと手袋と防寒対策を整えたシェアトが祠へと繋がる地下通路へ行くと、そこで待っていたエニフに粗い布地を手渡された。
「何ですか?これ」
「今から迎えに行く、バスターの荷物です」
「バスターさんの……」
 よくよく見ると、その粗い布地はマントのようで、バスターの証である紋章が取り付けられている。
「あれ?」
 マントの中で何やら堅い感触の物があり、不思議に思い探っていると、カチャカチャという金属音と共に、剣の柄が姿を現した。
 え、うそ……!
「武器まで預かったんですか?」
 魔物が出る雪山に丸腰でいるバスターを想像した瞬間戦慄が走り、思わず引きつった声を出したが、エニフは至って冷静に答える。
「ええ。本人が必要ないとおっしゃったので。では、そろそろ行きましょうか」
 傍らに置いておいたカンテラに火を灯し、エニフは先を歩き始める。
 シェアトも遅れをとらないよう少し後ろを歩きながら、これから会うというバスターの武器を眺める。
 小さな腰刀。刃渡りは……三十も無さそう。小柄な人なのかな?……ううん。武器を残したって事は、きっと魔法を中心とした戦闘をしているのね。もしくは他に主力の武器があって、これは守り刀の類いか……。
 今までの習慣故か、一つの物から色々と考え込んでしまう。
 その中でふと、ある思いが頭を過る。
 この人は、お父さんの事を、知ってるかな?
 シェアトがまだ幼い頃、バスターになると言って、母とシェアト、そして産まれたばかりの弟を残して家を飛び出したっきりの父。
 生きているのか死んでいるのか、それすら分からないままもう十数年が経つ。
 お父さん、今どこで、どうしているんだろう?
 安否の知れない父をぼんやり思う。
 そんな時、
「シェアト。寒くはないですか?」
 ふいに、前を歩いていたエニフが立ち止まって、そう尋ねてきた。
 気付かないうちに雪山に入っていたようで、通路の天井から大きな氷柱がぶら下がり、足元には雪が積もっていた。
「―っ!?」
 認識した途端、忘れていた温度に襲われ、反射的に大きく身震いし、はぁと白い息を吐く。
 寒さには慣れていても、やはりこの時期の雪山は相当堪える。
 それを見たエニフはくすりと笑い、胸ポケットからハジカミの砂糖漬けをシェアトに差し出した。
「どうぞ。少しは温まります」
「ありがとうございます」
 素直に受け取り、口に含むと、独特な辛みと砂糖の甘さが口いっぱいに広がり、何となく寒さも和らいだ気がした。
 その味でふと、昔にも同じような経験があった事を思い出し、シェアトは可笑しそうに微笑む。
「エニフ様のポケットには、昔から何でも入っていますね」
「ん?……ああ。そういえば、初めて会った時も何かをあげましたね」
「はい。あの時は、氷砂糖でした」
 彼が覚えていてくれた事が嬉しくて、ますます身体が温まる。
 シェアトがまだ三つくらいの頃、父と国立図書館に初めて行った時、そのあまりの広さに迷子になった事がある。
 父が見つからず、館内で泣き出しそうになっていた時に声を掛けてくれたのがエニフだった。
「どうぞ。甘くて美味しいですよ」
 今と同じように優しい笑顔で声を掛けてくれ、一緒に父を探してくれたのがきっかけで、いつからかシェアトはエニフに会うのを目的に図書館へと通いつめ、現在に至る。
 あの時の迷子が、今のシェアトを産んだといっても過言ではない。
「あんなに小さかった子供が、今ではこんなに立派になって。女の子の成長というのは、本当に早いものですね」
 まるで父親のような台詞が、妙にくすぐったい。
「エニフ様は、あの頃からあまりお変わりないですね」
「そうですか?私としては天子様の我が儘に振り回される毎日で、見えない所で年を取っているんじゃないかと、心配しているんですけどね」
 エニフは頭頂部に軽く触れながら冗談ぽく言う。
「大丈夫ですよ。……あの、ところで、これから会うバスターさんて、どんな方なのですか?」
 冗談を言い合うのも楽しいが、気になっていた事を尋ねた。
 バスターと言えば、主に邪竜を倒すのが仕事。
 理由はあれど、時には死神などと言われる事もある。
 今祠で巡礼を受けているバスターとは、どんな人物なのか。
 エニフは思い出すようにううん、と唸る。
「そうですね。私が見た限りでは、とても礼儀正しい方でしたよ。ただやはり、少し影がありますね」
 それは、そうよね……。
 バスターになる者の殆どは、身内が邪竜になった者達。
 シェアトの父親のように、自ら望んでなる者は少ない。
「まあでも、私の勘ですが、シェアトとは気が合うんじゃないかと思いますよ。あとは、自分で確かめると良いでしょう」
 立ち止まったエニフがカンテラを前の方に突き出すと、巨大な氷柱に挟まれるようにしてある、祠へと繋がる扉が照らされて見えた。
 石造りのように見えるが、前星暦の遺品で、その材質は一切不明。
 音や気温、あらゆる衝撃を遮断する、絶対の防壁である。
 この先に、バスターが……。
 意識すると一気に緊張が高まり、荷物を持つ手にも力が入る。
「それでは、開けますね」
 そう言ってエニフは、扉の傍らにある台座に近付き、水が張られた丸く浅い窪みの中に、手にしていたカンテラを嵌め込んだ。
 カンテラの熱によって水が蒸発する音と共に、窪みから溢れ出した水が扉の前を通過すると、静かな音を立てて祠へと繋がる道が開き始めた。
「……っ」
 開かれる扉の隙間から逃げるように吹き込んでくる吹雪に怯むが、直に風は収まり、エニフの声が聞こえてくる。
「お疲れ様でした。どうでしたか?我が国の巡礼の程は」
 バスターさんと話してる……!
 高まる好奇心と不安の中、シェアトはエニフの背中から祠の中を覗き見た。


「……え!?」
 バスターの姿を認めた瞬間、思わず声を失った。
 極寒の雪山に佇むそのバスターは、シェアトの常識を越えた、驚く程の軽装備だった。
 下は旅人によく見られる、ズボンにブーツという至って普通の格好。
 しかし上は、肩から腕にかけて完全に肌が露わになったノースリーブたった一枚だけ。
 寒いを通り越して、見ているだけで痛くなる。
 しかし当の本人は何ともなさそうにエニフとの会話を続ける。
「途中雪崩に遭いましたが、ここの景色はとても綺麗で、心が落ち着きます。ですが、やはり少し寒いですね」
 女の、人……?
 その声は決して高いとは言えないが、澄んでいて耳に心地良く響く。
「そのお姿で少しとは、恐れ入りますね。巡礼はこれにて終了です。貴女に、天子様への謁見を許可します。十分休息をとられてから、宮殿にいらしてください」
「ありがとうございます。早速ですが、明日には伺おうかと思います」
 バスターがこちらに近付いてくるにつれ、その風貌がはっきりと見えてくる。
 肩にぎりぎりかからない程度の緑色の髪。
 瞳は、髪よりもさらに深く、右目には一線に走る傷痕がある。
 それを下に辿っていくと、更に深い傷痕が、腕飾りを着けた右腕に向かっている。
 すごい傷……。よほど強い邪竜と戦ってきたのね。
 すぐ目の前まできたバスターはとても若く、シェアトと同年代に見える。
 背はシェアトよりも少し低いが、すらりと細く、どこか気品のある女性だ。
 ……風?
 時折、彼女の元から暖かい空気が届いてくる。
 もしかしてこの人……。
 眺めていると、ふいに彼女と目が合い、エニフがすかさず紹介してくれた。
「すみません。この子は私の教え子でして、バスターや世界に興味を持っているので、授業の一環として連れてきました」
「初めまして。シェアト・サダルスードと言います。これ、荷物をお持ちしました」
 会釈をして荷物を差し出すと、彼女は微笑んでそれを受け取った。
「ありがとう。私はボレアリス」
「ボレアリスて、あの有名な?」
「有名かは知らないけど、バスターのボレアリスは、私だけだと思うよ」
 バスターボレアリス。最年少にして、蒼竜と戦った事のある生還者。この人が……。
 有名なバスターが目の前にいる事に驚きはしたが、想像以上に気さくな人物に見える。
「ボレアリスさん……。フェディックス語で『優しさと厳しさの二面性』ですよね」
 そう言うと、装備品を着けていた彼女の手が止まり、驚いたようにシェアトを見た。
「へえ。分かるんだ」
「はい。趣味で、少しだけ覚えました」
「ふーん……」
 すると彼女は、
「シェアトは『笑顔と心の優しさ』だっけ?」
 と含み笑いを浮かべて言った。
「その通りです!ボレアリスさんも知ってらっしゃるんですね」
「まあ、昔ちょっとね」
 一般人でフェディックス語を理解する者は少ない。
 もしかしたらボレアリスは、貴族の出身なのかもしれないが、それでも親近感が湧いた。
 彼女はホルダーベルトを留めようとしているが、手がかじかんでいて上手くいかないようだ。
「あの、良ければ手伝いましょうか?」
 シェアトの申し出に若干戸惑いを見せるが、ありがとうと聞き入れてくれた。
 変わりにボレアリスは左手だけに手袋をはめる。
 そんな様子を眺めていたエニフが、ふいに口を挟んできた。
「ボレアリスさん。謁見は明日と仰っていましたが、だいぶ疲弊しているようですし、もう少し後にしてはどうですか?焦らなくても、天子様は逃げませんよ」
 エニフの意見にはシェアトも賛成だ。
 間近で見たボレアリスの顔は軽く青ざめているし、極寒にも関わらず汗ばんでいる。
「あの、私も同じ意見です。顔色も悪いですし、しっかりと休養をとってからの方が良いと思います」
「いや、連れを外に待たせているので……」
 「それなら先にお連れ様の元へ行かれてはどうです?サーペンには有名な湯浴み場も沢山ありますし、一緒に行かれると良いですよ」
 エニフが更なる助け船を出すと、ボレアリスはそこへ行った事があるのか、懐かしむような表情をした。
「ああ……。確かに、ここの湯は良いですね」
 そして彼女は、諦めたように肩を竦める。
「分かりました。では、謁見は三日後に変更させてください」
 それを聞いたエニフは、
「はい。お待ちしております」
 と満足そうに微笑んだ。
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