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承の星々
可能性
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まるで台風のように去っていった科学者達を見送った後、アクベンスは重いため息を吐き、近くにあった椅子に崩れ落ちるように座り込んだ。
「どうかしたんですか?義兄さん」
黙って三人のやり取りを見守っていたアクベンスの弟、フォーマルハウトがそう尋ねる。
仕官の試験を受け、奏任官となって間もなく、有無を言わさず連れて来られた為、今一度状況が読めないが、義兄がこの件に関して頭を抱えている事は一目瞭然だ。
「仕事中は二等官と呼べ。何度も言わせるな」
「あ。すみません、二等官。……あの二人に何か不満でも?」
こちらに目もくれずにぴしゃりと言い放つ義兄に謝り、話を戻す。
「不満?それどころじゃない。これは大問題だ」
あの二人がよほど気に入らないのか、言葉の端に怒りが滲み出ている。
「一体、彼らは何の研究をしているのですか?わざわざ天帝様の御意向を賜るなんて」
フォーマルハウトの真っ直ぐな質問に、アクベンスは冷静になる為、一度大きく息を吐く。
「……原子分解再構築。今では王族と、一部の者しか扱えない、失われた技法だ」
その言葉なら以前、仕官学校で習った覚えがある。
己の肉体を故国を示す原子へと分解し、再び物質へと構築し直す、かなり高等な技。
「それのどこが問題なんですか?失われた技が蘇るのは、良い事だと思うのですが」
「ふん。相変わらず浅いな、お前は」
冷たく、蔑んだ目を向けたまま、義兄は先を続ける。
「あの技法は、己自身と正面から向き合い、互いが全てを受け入れ合って初めて成せる物だ。それを何の努力もせずに、機械などでやってみろ。また悲劇が繰り返されるぞ」
「悲劇?」
一体、何の事を言っているのだろう。
その答えはすぐに、苦々しげに顔を歪める義兄の口から出てきた。
「やつらが行おうとしている研究の本質は、火の帝国が起こした事件と同じなんだよ」
「え……?」
ポエニーキスが起こした事件。悲劇……。
その二つの言葉から連想されるのは、未だ記憶に新しい、風の王国滅亡事件。
あれは、ポエニーキス帝国民の特異能力『操獣の技』が原因で起きたと言われている。
大抵は野生の魔物を従わせる程度だが、中には人の魂の奥底に眠る龍さえも従わせる事が出来る者もいるようで、現皇帝であるフラームはそれを軍事的実験として執り行ったらしい。
その結果は、竜として目覚めさせる事は出来ても制御不能、人に戻す事も不可能で、一国を滅亡させ、悪戯に邪竜を増やしただけだった。
それ以上の混乱、更なる被害の拡大を防ぐ為、協会はすぐに五大国首脳会議を開き、操獣の技を人に使う事を禁忌と定め、事件は幕を閉じた。
その禁忌とあの兄弟がやろうとしている研究が同じだと、アクベンスは指摘する。
「か、考えすぎじゃないですか?それが本当だとしたら、天帝様が許可するとは思えません」
「私もそう思いたいよ。だが、エルタニンは監視する者。例え先が見えていようと、天帝様は許可も出さなければ、否定もなさらない」
その後も義兄は沢山の事を教えてくれた。
原子分解再構築は敷き詰めて言えば、転生式を極めた技であること。
あの兄弟の研究が成功すれば、いずれ転生式は誰もが容易に行えるようになるだろうが、その後の危険が増す可能性が高い事。
「どうして危険が増すんです?」
転生式は、強靭な肉体と長寿を得る代わりに、己の中で息を潜める龍と共存していくもの。
「簡単に言えば転生式は、原子分解再構築を分担して行なっている。肉体の分解を人が、原子の再構築を龍が。転生式の成功者が少ないのは、龍を受け入れる事が非常に困難だからだ。あの二人が開発しようとしている物は、魂が行う筈の、再構築の部分だろう。そのような者達は、些細な事で龍が目を覚まし、すぐに身を喰われるのがおちだ」
そういう事か。
義兄さんは、魂の暴走を心配しているんだ。
「その研究が、そういった細かい部分まで配慮されて開発されると良いですね」
多くの事を気にしている義兄には何の気休めにもならなかったか。
彼からは、疲れきったため息が漏れる。
「私はむしろ、この研究が失敗に終わる事を強く望むよ」
†
アウラはあの日、あの場所にいた。
右腕に走る灼熱の痛み。
その場を圧倒する、殺気に満ち溢れた血走った大きな瞳。
吐き気を催す程に淀んだ、血生臭い空気。
この状況下でアウラに宿った感情は、愛する父の手によって殺される恐怖、大切な人を守れず、己の夢を叶える事も出来ない絶望……そしてこれ以上、自分の手を血で汚す事のない、微かな安堵だった。
しかしそれらの感情は、蒼竜の不可解な行動によって全て掻き消されてしまう。
死を覚悟しつつ、それでも目は逸らさずに父と対峙していると、彼は急に殺気を消した。
邪竜が破壊衝動を抑えるなんて、有り得ない事だ。
その身が朽ち果てるその日まで、破壊の限り暴れ続ける、哀れな生き物。
それが一体、父の身に何が起きているのだろう。
その時ふと、あの日は感じられなかった風が、二人の間にそっと吹き込んでいるのに気がつく。
気のせいかもしれないが、その風が邪竜を抱き込むように巡っているように感じられ、それで殺気が抑さえられているようだ。
二人の死闘を止めるかのように吹き込むその風は、春風のように柔らかく澄んだ川のように純粋で、仄かに桜の香りを纏っている。
そう、まるで……。
「―っ!」
はっ、と目を覚ましたアウラがいたのは、どこか知らないベッドの上だった。
……夢?
過去の出来事だ。現実である筈がない。
今の状況からもそう理解出来るのに、随分と生々しい夢だった。
いまでも鼻の奥に、あの桜の香りが残っているようだ。
「……母様」
そう、あの桜の香りを含んだ風は、母を連想させる。
私を助けてくれたのは、母様だったんですね。
以前に、母の魂は父と共に有り、彼の暴走を抑えていると、シルフであるアルマクが言っていた。
「有り難うございます、母様……」
自然と、涙が零れた。
それは感謝の涙か、哀しみの涙か、それとも疼く右腕のせいか。
「……ん?」
無意識に右腕に触れた時、いつもは布で覆い隠している部分に、冷たく堅い何かがあった。
「何だ、これ?」
目の前に動かし眺めると、失った右腕の先に、何とも簡素な腕飾りが取り付けられている。
軽く引っ張ってみるが、身体にしっかりと固定されているのか外れない。
確か、ベナトシュの伝手で、義手を頼んだ筈だ。……そんな記憶は無いけど、途中なのか?
最後の記憶にあるのは、
「よー、アリス。おかえりー」
この男に殴られた事だ。
「……なあ、ベナト」
「ん?なん、ぐおっ!」
ドス!とベナトシュの鳩尾に、重たい空気の塊を抉り込ませる。
「殴っていいか?」
「も、もう……殴って、ます……ぐは」
そのままベナトシュは床に沈むが、直に殴った訳ではないので、まだ釈然としない。
「説明も無しにいきなりあんな事するからだ。それに何だ?これは。私が頼んだ義手は、どうなったんだ」
謎の腕飾りが付いただけの右腕を突き出すと、ベナトシュは腹をさすりながら答える。
「いや、急に殴ったのは悪かったよ、ごめん。けど、お前の義手はそれだよ」
「……そうか、もう一度殴られたいのか」
元々おかしな奴ではあったが、ついに頭までイカれてしまったのか。
これのどこが手だと言うのだろう。
左手で握り拳を作ると、ベナトシュは待て待て!と慌てて制止する。
「いやマジで。冗談じゃなく。最初にちゃんと言っただろ?特別な義手だって。それは、お前の魔力に反応して、姿を変えるんだ」
「……どうすれば良い?」
俄には信じられず、話だけでは見当もつかない。
だがベナトシュは、何でもない事のように説明する。
「想像するんだよ。お前の腕を。出来るだけ正確にな。そうすりゃ、その腕輪が、お前の望む物を創り出してくれる」
「これが?」
どうにもピンとこないが、取りあえず言われた通りにしてみる。
腕を想像する事は難しくはない。
何せ半年程前まで、ここに在ったのだから。
目を閉じて集中すると、ベナトシュの感嘆とした声が聞こえてきた。
静かに目を開けると、確かに右腕がそこに在った。
それは透けて輝き、関節も曲がらない歪な物だったが、確かに腕だった。
数秒もしないうちに、右腕は微かな風を起こして静かに消えた。
「すげーなアリス!ちゃんと腕になってたぞ」
「……」
ベナトシュが嬉しそうに誉め、ボレアリスは若干の疲れを感じながら、右腕があった空間を眺める。
そしてもう一度、右腕を創り出し、そっと触れてみた。
「どした?」
「……触られている、感覚が無い」
「ああ、そりゃそうだろな。そこは魔法を具現化させてる場所だし、なにより、何にでも対応出来るよう、神経は通して無いんだろ」
「何にでも?」
「そうさ。さっきから何度も言ってるだろ。それは、お前の魔力と想像力に反応するって。今は腕を想像したから右腕になってるけど、その気になりゃ剣にも盾にもなる」
剣にも、盾にも……。
これは、予想以上の結果だ。
この義手を使いこなす事が出来れば、今まで以上の戦闘が可能になる筈だ。
「ベナト……有り難う」
顔は上げず、義手を見つめたまま、ボレアリスは今までで一番の感謝を述べた。
ベナトシュは若干照れくさそうな笑いを漏らし、
「おう」
という短い返事だけを返す。
「明日からは、また特訓だな。体力も戻さないと」
「そだな。そんじゃ一つ。武者修行にお薦め、俺の秘密の場所を教えてやろうかな」
ボレアリスがそう言うのを待っていたかのように、にししと笑うベナトシュは、いつもの事ながら不気味だ。
「何だ?血に飢えた魔物でもはびこってるのか?」
「いやいや。むしろ、心のオアシスよ」
「心のオアシス?」
オウム返しに言うと、ベナトシュは改まって畏まる。
「此度、私が案内致しますのは、屈強な魔物達も立ち寄る、秘境の温泉地でございます。ボレアリスお嬢様は、温泉はお好きですか?」
「……はぁ?」
これより三年間。
ボレアリスは療養と義手の鍛錬に集中するのだが、これを機に、彼女に一つの趣味が出来たのは言うまでもない。
「どうかしたんですか?義兄さん」
黙って三人のやり取りを見守っていたアクベンスの弟、フォーマルハウトがそう尋ねる。
仕官の試験を受け、奏任官となって間もなく、有無を言わさず連れて来られた為、今一度状況が読めないが、義兄がこの件に関して頭を抱えている事は一目瞭然だ。
「仕事中は二等官と呼べ。何度も言わせるな」
「あ。すみません、二等官。……あの二人に何か不満でも?」
こちらに目もくれずにぴしゃりと言い放つ義兄に謝り、話を戻す。
「不満?それどころじゃない。これは大問題だ」
あの二人がよほど気に入らないのか、言葉の端に怒りが滲み出ている。
「一体、彼らは何の研究をしているのですか?わざわざ天帝様の御意向を賜るなんて」
フォーマルハウトの真っ直ぐな質問に、アクベンスは冷静になる為、一度大きく息を吐く。
「……原子分解再構築。今では王族と、一部の者しか扱えない、失われた技法だ」
その言葉なら以前、仕官学校で習った覚えがある。
己の肉体を故国を示す原子へと分解し、再び物質へと構築し直す、かなり高等な技。
「それのどこが問題なんですか?失われた技が蘇るのは、良い事だと思うのですが」
「ふん。相変わらず浅いな、お前は」
冷たく、蔑んだ目を向けたまま、義兄は先を続ける。
「あの技法は、己自身と正面から向き合い、互いが全てを受け入れ合って初めて成せる物だ。それを何の努力もせずに、機械などでやってみろ。また悲劇が繰り返されるぞ」
「悲劇?」
一体、何の事を言っているのだろう。
その答えはすぐに、苦々しげに顔を歪める義兄の口から出てきた。
「やつらが行おうとしている研究の本質は、火の帝国が起こした事件と同じなんだよ」
「え……?」
ポエニーキスが起こした事件。悲劇……。
その二つの言葉から連想されるのは、未だ記憶に新しい、風の王国滅亡事件。
あれは、ポエニーキス帝国民の特異能力『操獣の技』が原因で起きたと言われている。
大抵は野生の魔物を従わせる程度だが、中には人の魂の奥底に眠る龍さえも従わせる事が出来る者もいるようで、現皇帝であるフラームはそれを軍事的実験として執り行ったらしい。
その結果は、竜として目覚めさせる事は出来ても制御不能、人に戻す事も不可能で、一国を滅亡させ、悪戯に邪竜を増やしただけだった。
それ以上の混乱、更なる被害の拡大を防ぐ為、協会はすぐに五大国首脳会議を開き、操獣の技を人に使う事を禁忌と定め、事件は幕を閉じた。
その禁忌とあの兄弟がやろうとしている研究が同じだと、アクベンスは指摘する。
「か、考えすぎじゃないですか?それが本当だとしたら、天帝様が許可するとは思えません」
「私もそう思いたいよ。だが、エルタニンは監視する者。例え先が見えていようと、天帝様は許可も出さなければ、否定もなさらない」
その後も義兄は沢山の事を教えてくれた。
原子分解再構築は敷き詰めて言えば、転生式を極めた技であること。
あの兄弟の研究が成功すれば、いずれ転生式は誰もが容易に行えるようになるだろうが、その後の危険が増す可能性が高い事。
「どうして危険が増すんです?」
転生式は、強靭な肉体と長寿を得る代わりに、己の中で息を潜める龍と共存していくもの。
「簡単に言えば転生式は、原子分解再構築を分担して行なっている。肉体の分解を人が、原子の再構築を龍が。転生式の成功者が少ないのは、龍を受け入れる事が非常に困難だからだ。あの二人が開発しようとしている物は、魂が行う筈の、再構築の部分だろう。そのような者達は、些細な事で龍が目を覚まし、すぐに身を喰われるのがおちだ」
そういう事か。
義兄さんは、魂の暴走を心配しているんだ。
「その研究が、そういった細かい部分まで配慮されて開発されると良いですね」
多くの事を気にしている義兄には何の気休めにもならなかったか。
彼からは、疲れきったため息が漏れる。
「私はむしろ、この研究が失敗に終わる事を強く望むよ」
†
アウラはあの日、あの場所にいた。
右腕に走る灼熱の痛み。
その場を圧倒する、殺気に満ち溢れた血走った大きな瞳。
吐き気を催す程に淀んだ、血生臭い空気。
この状況下でアウラに宿った感情は、愛する父の手によって殺される恐怖、大切な人を守れず、己の夢を叶える事も出来ない絶望……そしてこれ以上、自分の手を血で汚す事のない、微かな安堵だった。
しかしそれらの感情は、蒼竜の不可解な行動によって全て掻き消されてしまう。
死を覚悟しつつ、それでも目は逸らさずに父と対峙していると、彼は急に殺気を消した。
邪竜が破壊衝動を抑えるなんて、有り得ない事だ。
その身が朽ち果てるその日まで、破壊の限り暴れ続ける、哀れな生き物。
それが一体、父の身に何が起きているのだろう。
その時ふと、あの日は感じられなかった風が、二人の間にそっと吹き込んでいるのに気がつく。
気のせいかもしれないが、その風が邪竜を抱き込むように巡っているように感じられ、それで殺気が抑さえられているようだ。
二人の死闘を止めるかのように吹き込むその風は、春風のように柔らかく澄んだ川のように純粋で、仄かに桜の香りを纏っている。
そう、まるで……。
「―っ!」
はっ、と目を覚ましたアウラがいたのは、どこか知らないベッドの上だった。
……夢?
過去の出来事だ。現実である筈がない。
今の状況からもそう理解出来るのに、随分と生々しい夢だった。
いまでも鼻の奥に、あの桜の香りが残っているようだ。
「……母様」
そう、あの桜の香りを含んだ風は、母を連想させる。
私を助けてくれたのは、母様だったんですね。
以前に、母の魂は父と共に有り、彼の暴走を抑えていると、シルフであるアルマクが言っていた。
「有り難うございます、母様……」
自然と、涙が零れた。
それは感謝の涙か、哀しみの涙か、それとも疼く右腕のせいか。
「……ん?」
無意識に右腕に触れた時、いつもは布で覆い隠している部分に、冷たく堅い何かがあった。
「何だ、これ?」
目の前に動かし眺めると、失った右腕の先に、何とも簡素な腕飾りが取り付けられている。
軽く引っ張ってみるが、身体にしっかりと固定されているのか外れない。
確か、ベナトシュの伝手で、義手を頼んだ筈だ。……そんな記憶は無いけど、途中なのか?
最後の記憶にあるのは、
「よー、アリス。おかえりー」
この男に殴られた事だ。
「……なあ、ベナト」
「ん?なん、ぐおっ!」
ドス!とベナトシュの鳩尾に、重たい空気の塊を抉り込ませる。
「殴っていいか?」
「も、もう……殴って、ます……ぐは」
そのままベナトシュは床に沈むが、直に殴った訳ではないので、まだ釈然としない。
「説明も無しにいきなりあんな事するからだ。それに何だ?これは。私が頼んだ義手は、どうなったんだ」
謎の腕飾りが付いただけの右腕を突き出すと、ベナトシュは腹をさすりながら答える。
「いや、急に殴ったのは悪かったよ、ごめん。けど、お前の義手はそれだよ」
「……そうか、もう一度殴られたいのか」
元々おかしな奴ではあったが、ついに頭までイカれてしまったのか。
これのどこが手だと言うのだろう。
左手で握り拳を作ると、ベナトシュは待て待て!と慌てて制止する。
「いやマジで。冗談じゃなく。最初にちゃんと言っただろ?特別な義手だって。それは、お前の魔力に反応して、姿を変えるんだ」
「……どうすれば良い?」
俄には信じられず、話だけでは見当もつかない。
だがベナトシュは、何でもない事のように説明する。
「想像するんだよ。お前の腕を。出来るだけ正確にな。そうすりゃ、その腕輪が、お前の望む物を創り出してくれる」
「これが?」
どうにもピンとこないが、取りあえず言われた通りにしてみる。
腕を想像する事は難しくはない。
何せ半年程前まで、ここに在ったのだから。
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静かに目を開けると、確かに右腕がそこに在った。
それは透けて輝き、関節も曲がらない歪な物だったが、確かに腕だった。
数秒もしないうちに、右腕は微かな風を起こして静かに消えた。
「すげーなアリス!ちゃんと腕になってたぞ」
「……」
ベナトシュが嬉しそうに誉め、ボレアリスは若干の疲れを感じながら、右腕があった空間を眺める。
そしてもう一度、右腕を創り出し、そっと触れてみた。
「どした?」
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「ああ、そりゃそうだろな。そこは魔法を具現化させてる場所だし、なにより、何にでも対応出来るよう、神経は通して無いんだろ」
「何にでも?」
「そうさ。さっきから何度も言ってるだろ。それは、お前の魔力と想像力に反応するって。今は腕を想像したから右腕になってるけど、その気になりゃ剣にも盾にもなる」
剣にも、盾にも……。
これは、予想以上の結果だ。
この義手を使いこなす事が出来れば、今まで以上の戦闘が可能になる筈だ。
「ベナト……有り難う」
顔は上げず、義手を見つめたまま、ボレアリスは今までで一番の感謝を述べた。
ベナトシュは若干照れくさそうな笑いを漏らし、
「おう」
という短い返事だけを返す。
「明日からは、また特訓だな。体力も戻さないと」
「そだな。そんじゃ一つ。武者修行にお薦め、俺の秘密の場所を教えてやろうかな」
ボレアリスがそう言うのを待っていたかのように、にししと笑うベナトシュは、いつもの事ながら不気味だ。
「何だ?血に飢えた魔物でもはびこってるのか?」
「いやいや。むしろ、心のオアシスよ」
「心のオアシス?」
オウム返しに言うと、ベナトシュは改まって畏まる。
「此度、私が案内致しますのは、屈強な魔物達も立ち寄る、秘境の温泉地でございます。ボレアリスお嬢様は、温泉はお好きですか?」
「……はぁ?」
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