流星痕

サヤ

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承の星々

世の真実

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「悪いベナト。後を頼む」


 そう言った仇の姿が、視界から消えた。
 気を失った訳ではなかったが、グラフィアスは起き上がる事なく、地面に転がり続けていた。
 何だ?この無様な姿は。敵討ちはおろか、一太刀も、あいつを動かす事も出来なかった。……あいつの動きが、全く読めなかった。
 帝国を出てから独学ではあったが、鍛練は欠かさず行なってきた。
 それなのに、全く歯が立たなかった。
 火は、風よりも強いんじゃないのか?
 自分の中にあった絶対の自信が、音を立てて崩れ落ちる。
 身体よりも、精神的ショックが大きすぎた。
「おーい、坊主。いつまでそうやってふて寝するつもりだ?」
 妙な格好をした男が上から覗き込んでくるが、応える気になれない。
「お前さ、ここ道のど真ん中なんだから、さっさとどかねーと邪魔だろーが。若いんだから、シャキッとしろ、よっと」
 声かけと共に腕を引かれ、強引に身体を起こされる。
 それでも動かずにいると、その男は近くに落ちている、折れたグラフィアスの大剣を拾い上げた。
「へー、流石アリス。綺麗に折ったもんだ。良かったな、これならすぐに直るぜ」
「……」
 しげしげと観察した後、柄を向けてこちらに差し出す。
 グラフィアスはそれを無言で受け取り、刀身に反射する自分の顔を眺めた。
 研磨が終わったばかりのそれは、グラフィアスの顔をよく映し出している。
 なんて情けない顔だ。これが誇りある、ポエニーキスの戦士の顔か。
 感傷的になっていると、先ほどの男が横にしゃがみ込んできて、警告するような口調で言う。
「なあ坊主。詳しくは聞かねーけど、アリスにあの言葉は禁句だぜ?」
 一瞬、何を言われたのか分からなかったが、しばらくして、あの女の顔付きが変わる瞬間を思い出す。
「本当の事を言って何が悪い。風は火に負けたんだ」
「それは世界の真実だろ?実際お前はあいつに負けて、地面に這いつくばってた。火の使い手であるお前が、風の使い手であるアリスに、手も足も出なかった。それがお前の現実だ」
「今のは……!」
「本当の事だろ?」
「……っ!」
 何も言い返せず、折れた大剣の柄を、強く握り締める事しか出来ない。
「さっきのお前は、殺気丸出しで、狂った獣同然だった。それに比べてアリスは……まあ、ちょっとあれだけど、それでもかなり冷静だった。
 あいつ、そっちの話になると容赦なくなるからな。もし本気出されてたら、そんな掠り傷じゃ済まなかったぞ」
 男は、グラフィアスの顔や肘に出来た掠り傷を顎で差してからからと笑う。
「……あんたは」
「ん?」
 グラフィアスはその時、初めて男の顔を見て尋ねた。
「あんたは、あいつより強いのか?」
 おそらく、この男が噂に出てくるポエニーキス出身のバスターだろう。
 『火』という言葉に対して過剰な反応を示したあの女を、どうやって手懐けたというのか。
 一方、男は質問の内容が意外だったのか、ぽかんとしており、しばらくして噴き出すように笑い出した。
「んー、どうだろうな?初めて会った頃は、しょっちゅう喧嘩してたけど、当然俺が勝つだろ?けど、今は分かんねーな。あいつもかなり場数踏んできてるからな。組み手じゃいまいち分かんねーし」
 その後も男はあーでもない、こーでもないと一人でぶつぶつと考え込む。
「……」
 もし、この男があの女よりも強いなら、側にいて技の一つでも盗んでやろうと考えたが止めた。
 どうも見ている限り、反りが合いそうにない。
 これなら今まで通り、一人で鍛練に励んだ方がマシだ。
 はぁ、と軽い落胆と共に立ち上がり、折れた大剣の刃先を拾い上げ歩き出す。
「あれ、どこ行くんだ?」
「鍛冶屋。このままじゃ何も出来ない」
 折れた柄の方を背中越しに見せ、先を急ぐ。
「それなら俺が直してやろっか?」
「必要ない」
 男の好意を突き放し、グラフィアスは更に足を早め、その場を離れた。


     †


 ルクバットが暴れた場所から、かなり離れた位置にある宿を取ったボレアスは、こちらに背を向けたまま、彼女の護り手であり、ルクバットの母である、エラルドの形見の腰刀を熱心に手入れしており、部屋に入ってから一言も会話をしていない。
「……アウラ」
 恐る恐る、名前を呼ぶ。
 二人きりの時は呼ぶ事を許されている、彼女の本当の名前。
「ん?」
 アウラが振り返る事はなく、返事だけが返ってきた。
「アウラは、その……」
 言いたい言葉が喉元まで出てきているのに、なかなか出てこない。
 それでも、聞かなければ。
 ルクバットは意を決して、ある質問を口にした。
「人を、殺した事があるの?」
「……」
 瞬間、アウラの手が止まり、長い沈黙が降りてきた。
 やっぱり、聞いちゃまずかったかな。
 背中を向けられて顔が見えない分、余計に心配になる。
 ややあって、腰刀が机に置かれる音がして、アウラがゆっくりとこちらを向いた。
 その表情は、いつもの難しい答えを言う時と、少し似ていた。
 そして、その顔のまま答える。
「そうだよ」
「……」
「それも、一人や二人じゃない。バスターになってからは、ずっと殺し続けてる」
「殺し、続けてる?」
 そんな所、見たことない。一体、いつ?
「お前も見てるよ」
「え?」
「ほら。前に邪竜を倒した後、小さな子が私を『人殺し』と呼んでたのを、覚えてる?」
 もちろん覚えてる。
 依頼をこなして村に帰った途端、泣き叫び、アウラを『人殺し』と呼び、石を投げつけてきた小さな男の子。
「でも、アウラがたおしたのは邪竜だよ?人なんかじゃ……」
「人だよ。あれは、あの子の祖父だ。姿は変わっても、その魂は何も変わってない」
 あの邪竜が、おじいさん?
「じゃあ、人を殺し続けてるって……」
 動揺した声で言うと、アウラは目線を外し、寂しげに頷く。
「バスターは、みんな人殺しだ。……いや。この世に生きている限り、誰かを殺したり、殺されたりしない人は、すごく限られている。それは、とても幸せで、とても難しい事だね」
「アウラ……」
 この四年間、いつもそんな事を考えていたの?
 邪竜と対峙した時、アウラはトドメは必ず自分で差し、ルクバットには決してやらせなかった。
 そしてその後、いつも祈りを捧げているのを、ルクバットは横で見ていた。
 何故そんな事をするのか、今まで分からなかったが、きっと、謝っていたんだと思う。
 邪竜に堕ちてしまったとはいえ、その命を、奪ってしまった事を。
「怖い?私が」
 自嘲気味に、そう問いかけてくる。
 それに対してルクバットは、静かに首を振った。
「ううん。それにオレは、アウラが人を殺してるなんて思わないよ。確かに邪竜は元々人間かもしれないけど、もう元には戻れないんでしょ?だったらアウラは救ってるんだよ。
 自分では止められなくなった人達を助けてるんだ。オレは、そう思うよ」
 少し、ベナトシュの影響があったかもしれないが、自分の気持ちを素直に伝える。
 するとアウラは、
「……ありがとう」
 と少しだけ笑顔を見せてくれた。
 それを見たルクバットも笑い返す。
 アウラには、頑固な一面がある。
 きっと、ルクバットの言葉をそのまま受け止めてはいないだろう。
 それでも、ほんの少しでも、アウラの心を癒やす事が出来れば、それで良い。
 その時、


 コンコン。
 と、何か堅い物が窓を叩く音がした。
 その方を見ると、窓の外に一羽の鷹がいる。
 アウラが窓を押し上げると、鷹はすぐに中へ入ってきて、腰掛けの背もたれに止まる。
「どうした?」
 アウラが聞くと、鷹は興奮気味に羽をばたつかせる。
「見ツケタ!ツイニ見ツケタンダ!」
「見つけたって、何を?」
「蒼竜サ」
「!?」
 さっと、アウラの顔付きが変わる。
「本当か?それはどこだ」
「ツイ先日ダ。急イデ来タカラ、マダ其処ニイルハズ」
「分かった。そこまで案内してくれ」
「嗚呼!付イテ来ナ」
 手入れを終えたばかりの腰刀を手に取り、勢い良く羽ばたく鷹に続こうと、アウラも窓の桟に手を掛ける。
「アウラ!」
 思わず呼び止めると、アウラはこちらを横目で見、早口で言う。
「しばらく帰れないかもしれない。何かあったらベナトの所へ行くんだ。いいな?」
 そしてあっという間に、アウラの姿は闇の中へと消えていった。
「あ……」
 残されたルクバットは、開け放たれた窓を呆然と見つめる。
 どうしよう?
 後を追いかけようにも、飛び方を知らない。
 アウラ、一人で戦う気なの?
 アウラは強い。
 それは、身近で見てきたルクバットが一番良く分かっている。
 しかし、相手が蒼竜ともなれば、今までとは次元が違うはず。
 嫌な予感がする。
 何故だか分からないが、このままアウラを、一人にしてはいけない。
「ベナト兄!」
 助けを呼ぼうと思ったのと同時にベナトシュの顔が浮かび、ルクバットは弾かれるように部屋から飛び出し、夜の街中を走った。
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