流星痕

サヤ

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承の星々

新芽と微風

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 暗闇の中を、アウラは漂っていた。
 ―いや、おそらくそれは、正しい表現ではない。
 アウラは今、総ての感覚―自身すらも感知する事が出来ない状態にあった。
 本当に自分は闇の中を漂っているのか、ただ深い眠りに堕ちていてそう錯覚しているのか……そもそもアウラという存在が、まだこの世に“在る”のか、それすら疑わしい。
 私は、死んだはず。……ポエニーキスで首を……じゃあ、これは、聖霊としての、私?
 光が一縷も刺さない空間の中で、考える事が出来るのはまた不思議な話だ。
 アウラが今考えるのは、暗く、澱んだ事ばかり。
 その度に、周りの闇が濃くなるような気がする。
 もしかしたらここは、考えによって形を変えるのかな?
 自嘲気味に笑うと、


「間違ッテイル。ダガ、正シクモアル」
 ふと、そよ風が囁いてきた。
 普段は聞かない言葉に眉根を寄せる―少なくともアウラはそうしたつもり―が、それがフェディックス語だと理解するのに、そう時間は必要なかった。
 世界ダイスリールを人の姿で治めるより以前、遥か昔の祖先達が聖獣や龍の姿を主として暮らしていた時代に使われていた言葉。
 現代ではそこより派生したフィックスター語が共通言語として使用されている為、需要は殆どないが、聖霊達と言葉を交わす機会が多々あったアウラは、多少なりとも理解出来る。
 誰?
 風に向かって尋ねると、奇妙な答えが返ってきた。
「我ハウヌの本質。ウヌハ我ノ器ナリ」
 本質?器?
 意味の分からない言葉の後、風は更に続ける。
「思い出せ。ウヌノ本来ノ姿ヲ」
 私の、姿……?
「ソウダ。焦ラズ、ユックリトナ」
 言われるままに、アウラは自分の姿を思い浮かべる事に集中する。
 すると、今まで失われていた感覚が―顔が、腕が、脚が、身体全体が、徐々に知覚出来るようになっていく。
 それに加え、大きく柔らかな羽根に包まれているような、ふわふわと暖かい感触まで生まれた。
 そこでようやく、生きている、という“生”への実感が湧き上がる。
 それを見届けていた風が「ソレデ良イ」と静かに頷く。
「ウヌハ我ヲ呼ビ起コシ、再ビ身ノ内ニ閉ジ込メタ。例エ、ウヌ自身ノ意思デハ無カッタニセヨ、ウヌノ力ハ賞賛スルに値スル。
 従ッテ、我ノ力ヲ、ウヌニ貸シ与エヨウ。我ノ力ヲ欲スル時、我ヲ抑エル自身ガ有ルナラバ、我ヲ求メヨ。其ノ時ハマタ、ウヌノ力ヲ、確カメサセテモラウ」
 最後に「いつも見ている」といった感じの言葉を残し、風は何処かへと吹き抜けていった。
 それと同時に、鈍かった五感も一気に冴え渡り、酷い耳鳴りの後に、誰かの鳴き声が聞こえてくる。
 あれは、私?……違う。小さな、男の子だ。
 泉の縁で泣き崩れているのは、アウラよりも小さな男の子。
 うるさいな……。
 口にしたつもりだったが、上手く言葉にならない。
 息を軽く吸い込み、もう一度。


「うるさい!」
 力を入れすぎたのか、それとも単に響いたのか。
 その子はビクッと身体を震わせ、しばらくしてからゆっくりとこちらを向いた。
 涙で顔をぐちゃぐちゃにしながらこちらを見る男の子は、明らかにアウラよりも幼い。
 せいぜい四つか五つといった程度だろう。
新芽のような鮮やかな色をした瞳が、驚きで見開かれている。
「お、お兄ちゃん、誰?」
 涙ぐんで声が震えていたが、はっきりと聞こえた。
 お兄ちゃん?
 む、と苛立ち、アウラは風の力を使って自身を浮かせる。
 泉の中にいたはずだが、アウラの周りを空気の層が包んでいたようで、衣服等が全く濡れていない。
 その空気の層も、役割を終えたようにぱちんと弾け飛んで消えた。
 アウラはそのまま空気の流れに乗って泉の縁まで移動し、男の子の前に降り立つ。
「私は男じゃない。それに、名前を尋ねる時は自分から名乗るのが礼儀だ」
 腰に手を当て、彼の無礼な振る舞いをそう窘める。
 しかし、目の前の少年はその意味が分からないのか、ぽかんとした表情のまま、アウラを見続ける。
「はぁ。私はアウラ。お前の名前は?」
 仕方なく、自分の名前を述べてから再び尋ねる。
 そうする事で、少年はようやく名前を教えてくれた。
「あ、ルクバット」
「ルクバット?」
 同じ言葉を、語尾のアクセントだけ変えて発音する。
 フェディックス語で“少年の心を持ち続ける”という意味を持つその言葉に、最近聞き覚えがあったからだ。
「もしかして、エルの子供?」
「エル?」
 今度は少年が聞き返し、アウラはああ、と思い直す。
 エルという愛称は、アウラしか使っていない。
 アウラは膝を折り、ルクバットと視線を合わせ、もう一度問う。
「右翼隊近衛師団長のエラルド・アルカフラー。知ってる?」
「うん。ははうえ」
「やっぱり」
 確信を得て納得したが、本当はそんな質問をする必要はなかった。
 そもそも“ルクバット”という名前は、アウラが付けた物なのだ。
 アウラ自身はその事を覚えてはいないが、エラルドが子を授かり、男の名前を考えている時、その名を提供したと、つい最近エラルドから聞かされたばかりだ。
 ルクバットとは彼が産まれたばかりの時に一度だけ会っており、次に会うのは彼が試練を終えた後だという事も。
「こんな所にいるってことは、もしかして試練の途中?」
 この泉には覚えがある。
 何らかの儀式や試練といった、大切な行事が行われる事が多い、聖なる祠の最奥にある場所だ。
 ルクバットが試練を受けるのは、アウラの父、ヴァーユが転生式を行う日だと聞いている。
 どうしてそのような大事な日にやるのかは教えてもらえなかったが、もしそうなら、あの日の出来事や、アウラの身に起きた事は全て悪い夢だったという事になる。
 そう考えれば、自分がこうして生きている事も、すんなりと納得がいく。
「ここには誰と来たの?」
「ちちうえ!でもね、すぐにどこか行っちゃった。それでね、風がぶわってね、出れないの。で、虫が死んじゃったの。
 それから、ちちうえやははうえ、色んな怖い声がして、ボク怖くなっちゃって、ここで寝てて、そしたらお姉ちゃんが卵から産まれたの!」
「たま?え、ちょ、ちょっと待って。落ち着いて。分かんないから」
 聞いてもいないことまで矢継ぎ早に話されて頭が混乱する。
 とりあえず、気になった言葉を一つ一つあげていく。
「えっと、出れないって?」
「うん。風がね、外からぶわってくるの」
 ルクバットは言いながら両手を広げる。
 恐らく、試練の邪魔をさせないよう、誰かが結界を張ったのだろう。
 秘め事を守る為だ、と父やエラルドが行なっているのを何度か見た事がある。
「じゃあ、虫は?」
「んと、こんくらいの白く光る虫。触ったら死んじゃった」
 ルクバットは指で小さな輪を作り、虫の大きさに示す。
 その大きさで白く光って、触ったら死んだ……。
「んん、もしかして石光虫せっこうちゅうかな?だったら死んでないよ。あれは怖がりだから触ったりすると、すぐ固まっちゃうんだ」
「え?」
 安心させるつもりで言ったのだが、ルクバットの顔は逆に曇った。
「……どうしよう。ボク、埋めちゃった」
「あはは。大丈夫。大きくなるまで土の中にいる虫だから、そのくらいじゃ死なない」
「生きてるの?」
「うん。今頃また壁に登って、元気に光ってるはずだよ」
「良かったぁ」
 初めて、ルクバットの笑顔を見た。
 垢抜けた笑顔は、どことなくエラルドに似ていて、ぎゅっと胸を掴まれたように苦しくなる。
「……声、は?」
 アウラの声が堅くなったのが伝わったのか、ルクバットの顔から笑顔が消えた。
 その反応だけでも十分だったが、それでもアウラは、問う。
「エルは、お前のお母様は、何て?」
「ははうえは……」
 ルクバットも、声を震わせ、涙が出るのを必死に堪え、言葉を紡ぐ。
「ボクに、もう一度会いたかったって。もっと、見守りたかったって……。それで、悲しい声や怒った声が聞こえてきて、ボクに、こ、殺してって……」
「もういい!」
 堪えきれなくなり、溢れる涙を拭うことなく、必死に伝えようとするルクバットを抱きしめ、無理やり言葉を遮る。
 これ以上は、アウラが耐えられそうにない。
「もういいよ。ごめん、ありがとう」
 緊張の糸が切れたように、ルクバットはアウラの胸の中でわっと大声で泣き、アウラは彼を一層強く抱きしめる。
 そうしないと、アウラも一緒に泣き出しそうだったから。
 この祠の中では、内部にいる者に関する声や、話を聞いてほしいと強く願う者の声が、時として流れてくる事がある。
 ルクバットが聞いたというエラルドの声。
 その内容は、別れを意味していた。
 ルクバットは試練として個々にいた為に、奇跡的に助かったのだろう。
 あれは、夢じゃなかったんだ。……なら、どうして私は、生きているんだろう?
 アウラは儀式の最中で起きた惨劇、そして自分の最期を思い出し、ルクバットに涙声で呟いた。
「どうして私達は、生き残っちゃったんだろうね」


「それはアナタ方が、多くの者達に護られているから」
 ふわ、と泉の方から、柔らかい風が囁いた。
 聞き覚えのない声に驚き見ると、泉の奥に、半透明の身体で淡く輝く羽根を持つ聖霊、シルフの群れがこちらを見つめていた。
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