賢者様は世界平和の為、今日も生きてます

サヤ

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コボルト

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「賢者様!」
 二日ぶりに再会を果たしたカメリアは、私を見つけた途端脱兎の如く走ってきて、勢いそのままに私の懐へと飛び込んでくる。
「やあ、カメリア。元気そうで何よりだ。怖い思いはしなかったかい?」
「うん……、うん!大丈夫」
 顔を押し付けたまま返事をするカメリア。
 見たところ、色白の腕や足にちょっとした掠り傷があるようだが、最初に捕まった時に出来た物だろう。
 私はしがみつくカメリアから少しだけ離れ、その場に座り彼女と目線を合わせる。
「すまないね、海へ行くのが遅れてしまって。ここを出たら、すぐに向かうからね」
 ぽん、と頭に手を乗せ謝ると、カメリアはぶんぶんと力強く頷いてくれた。
「よし。それじゃ君に、お使いを頼みたいんだけど、出来るかな?」
「おつかい?」
 何の?と言わんばかりに首を傾げる彼女に、私はリンドブラッドに頼んでおいた籠いっぱいの食材を見せる。
「これをね、近くの里にいる人達に渡して来て欲しいんだ」
「ごはんを?」
「そう。出来ればその中で一番体の大きい人に渡して欲しい。やってくれるかい?」
「うん、分かった!」
 特に何を考えるでもなく、二つ返事で了承するカメリア。
 私は彼女にありがとうとお礼を言って、背中に籠を背負わせる。
 その様子を遠巻きに眺めていたリンドブラッドが不意に声をかけてきた。
「本当にその小娘を使うのか?」
「使うとか言わないでもらえますか?この子は大役を買って出てくれたんですから」
 どうにも言葉遣いの悪い皇子に不機嫌に返事をするが、彼は特に気にした様子も無くしげしげとカメリアを眺めている。
 カメリアも彼の事を好意的に見ていないようで、怯えた目をしながらもうう、と小さく威嚇をしている。
「よしよし。あ、それと……」
 私はカメリアを安心させるようにもう一度頭を撫で、最後に耳元でもう一つ指示を与える。
「いいの?」
 それを聞いたカメリアはきょとんとしたまま言う。
「ああ。むしろ今回は、そっちの方が良いんだ。じゃあ、よろしくね」
 軽く背中を押し、村近くまでの案内をする兵士の元へ行かせると、カメリアはこちらをちらちらと何度も振り返りながら出発していった。
 手を振って彼女を見送っていると、リンドブラッドが横に並んできた。
「今何を話した?」
「別に。大した話じゃありませんよ」
「あの娘は何なんだ?」
「何って、ただの子供ですよ」
「ふざけるな。ただの小娘を、魔物の群れの只中に、食糧を運ばせる奴がいるものか」
 流石にしらを通すのは無理があるが、私は何を語るでも無く無言を決め込む。
「……あの娘、混じり者だろう?」
 さっきから嫌な言い方ばかりするなぁ。
「それ、彼女の前では言わないで下さいね」
 いつ確認したのかはさておき、リンドブラッドの口の悪さを窘める。
 だんまりを決め込もうと思っていたが、気付かれているのなら仕方が無い。
「村の連中と同じか?」
「種族的にはそうなりますね」
「……解せんな。奴らは雄しか生まれない筈だぞ」
 お、意外と物知り。
 流石に外に出て戦をしているだけあって、魔物の生態系もそれなりに理解しているようだ。
 彼の言う通り、ピーリエンの村を占拠していたのはカメリアと同族のコボルトだった。
 その中でも上位種にあたるハイコボルトとシャーマンコボルトの混合群。
 一般的にコボルトは魔物の中でも最弱の部類で、武を嗜む者からすれば脅威では無いが、ハイコボルトやシャーマンコボルトは別だ。
 ハイコボルトは身体が頑丈でそれなりに知恵も回るし、シャーマンコボルトに至っては魔法を扱う。
 一般人に彼らの相手は難しい上に、場所が鉱山となれば動きが制限されてしまう。
 下手に爆薬を使おう物なら崩落に巻き込まれ兼ねない。
 リンドブラッドもそういった理由で手を拱いていたのだろう。
 魔物を追い出し、里を取り返したいだけであれば、カメリアに頼むのが一番有効だ。
 何しろ彼女の存在は、彼らにとって特別なのだから。
「確かに、コボルト種は雄しか存在しません。ですが極稀に、雌が誕生する事があるんです。数十年か数百年か……。極めて低い確率です」
「それがあれか。……ほぼ人間のように見えたが、やはりあのは本物だったか」
「人間に近いのは当たり前でしょうね。コボルトは基本的にんですから。女のコボルトが産まれるのはおそらく、人間の遺伝子が混じるからでしょう」
 幸か不幸かは別として、カメリアはそうやってこの世に生を成した存在だ。
「なるほどな。それで?その希少な存在である娘の命令に、奴らが従うというのか?」
 彼女の出生を理解したリンドブラッドがそう先を促してきた。
「そうですね。雌のコボルトというのは全コボルト種の中でも最上位にありますから、まず逆らう者はいません」
 まあ、その分危険もあるんだけどね……。
 私はその危険がカメリアに及ばないよう、自分も身支度を整え始める。
「なんだ。貴様も行くのか?」
「ええ、まあ。彼らと接触した直後に迎えに行こうかと。あの子に何かあったらいけませんからね」
「そう言いつつ、そのまま娘を連れて姿を眩ます算段ではあるまいな?」
 ニヤリと悪戯っぽく笑うその顔からして、本気で言ってるわけでは無いようだ。
 でなければどこまでも疑り深い、本当にただの嫌な皇子だ。
「まさか。依頼として承った以上、最後までやりますよ。私は夜更け前にここを出ますが、殿下は夜が明けてから里に来てください。その頃には全て終わっていますから」
 返してもらった荷物の中身をチェックし、別段問題ない事を確認しながらリンドブラッドに必要事項を伝えると、承知した。という短い返事が返ってくる。
「この拠点も今日で見納めというわけか。随分と長居をしてしまったな」
「片付けをお望みなら手伝いますよ?」
「いや、結構だ。ここにある物資は全て里に運び込むからな。魔物共に荒らされた土地だ。すぐには住めまい」
「……確かにそうですね」
 やはり、何だかんだと言って、民の事は考えているようだ。
 それは彼にとってはただの報酬なのかもしれないが、過酷な環境下で生きる平民にとっては救いの手に違いない。
 彼の事は好きにはなれそうにないが、その行いには賛同出来る。
「ではせめて、彼らが1日でも早く元の生活を送れるよう手助けを致しましょう」
 だから私は、そう言葉を付け加えた。


 宵の帳が落ち、月明かりと松明の灯りだけが唯一の光源となる闇の世界。
 一歩森の中へと踏み出せばそのまま溶けてしまいそうな暗闇の中へと、私は一人進もうとしていた。
「では、先に向かいますね」
 見送りをしてくれているリンドブラッド達に軽く会釈をする。
「俺達は夜が明けてからでいいんだな?
「ええ。何の問題もありません。それでは」
 最終確認をするリンドブラッドに対してにこやかに微笑み、くるりと踵を返してピーリエンの里を目指し歩き始める。
 光から離れるにつれ、一層闇が濃くなり、数分もしないうちに完全に闇に包まれる。
 静まり返った森の中で蠢くのは、魔物の気配。
 腹を空かしているのか、こちらを窺う気配が四方から感じられる。
 私は彼らの動向を気にしつつも、里を目指して歩みを進める。
 そして直に、私自身にも闇が広がり始める。
 夜は、彼の時間だ。
 今日は薬も服薬出来たので特に痛みを感じる事は無く、ほんの少しの違和感を覚える程度。
 闇が馴染んだ頃には、周りの空気は一変していた。
 王だ……。
 闇の支配者。
 俺達の主……。
 私を今夜の晩餐と品定めしていた魔物達はどこにもおらず、魔王ヒュブリスを讃える声が漏れる。
 この姿だと彼らを恐れる必要も、無駄な戦闘をする必要も無いのは、数少ない利点の一つだ。
「さて、それじゃあカメリアの元へ急ぐとしよう」
 魔王の能力でカメリアの現在地を確認すると、どうやら無事にピーリエンの里に辿り着いているようだ。
 もうすでに里にいるコボルト達と接触している筈だ。少し急ぐか。
 私は拠点から持ってきていた果物を片手に持ち、慣れない身体で魔力を練り上げ呪文を唱える。
「ポータル」
 途端に周りの空間が歪み、足が地から離れる感覚があり、軽い目眩のような状態に陥る。
 それはほんの数瞬の感覚で、何度か瞬きをしている内に足が地に着き、周りは今まで立っていた森ではなく、十数頭ものコボルト達に囲まれた渦中だった。
 そして私の懐には、きょとんとした顔でこちらを見ているカメリアがいた。
「けん、じゃ様……?」
「お待たせ、カメリア」
 カメリアにとびきりの笑顔を贈りながら彼女の腕を掴んでいるハイコボルトの手を払いのける。
「もう話は済んだかい?」
「うん!そうしたらこの人達が一緒にって」
「そう……」
 ま、そうなるよね。
 リンドブラッドに説明した通り、コボルト達にとってカメリアは特別な存在だ。
 そんな彼女が里から出て行って欲しいと頼めばそれに従う。
 そして彼女に危険が及ばないよう、人間達が戻ってくる前に、カメリアも共に連れて行こうとするのも自然な流れ。
 私はそれを防ぐ為に、今この姿でここにいる。
「悪いが、この娘は俺の物だ。貴様達はこのまま手を引け」
 ひょいとカメリアを片腕で抱き上げ、威圧的にコボルトに命令する。
 普段の私なら絶対に使わない言葉遣いだが、今は魔王ヒュブリス。
 生前の彼の振る舞いを思い出し、それらしく似せる。
 しかし目の前に突然現れた魔王の発言により、コボルト達はギャアギャアと騒ぎうろたえており、まるで話を聞いていない。
 あーもう、五月蝿いな。
「黙れ!」
 そう一喝してようやく静まり、彼らのリーダー各であるハイコボルトと向き合う。
「もう一度だけ言うぞ。この娘は俺の物だ。貴様達はさっさとここから出ていけ」
「……姫、魔王の嫁なら仕方無い。けど俺達、行くとこない」
「よめ……?」
「ここには直、人間達が戻ってくる。近くの森にでも行けばよかろう」
 嫁という単語に首を傾げるカメリアを無視し、話を続ける。
「この山、俺達の。人間達山壊す。それ止める為ここにいる」
 なるほど、そういう事か。
 コボルトは主に森や鉱山に住んでいる魔物だ。
 ピーリエンには資源が豊かな鉱山があるらしいが、どうやら彼らはそこから里まで出てきたようだ。
「では元の住処まで戻れ。そして今後、里には降りてくるな。山の事は、俺に考えがある」
 そして私は彼らにある案を与え、里から手を引かせた。


 翌朝、コボルト達がいなくなりがらんどうとなった里でちょっとした後片付けをしていると、リンドブラッドが里の人達を連れてやってきた。
「これは……」
「すげえ。全部元のままだ」
 開口一番、住人達は呆然とした様子で里を見渡す。
 コボルトを追い出した後、すぐに人が住めるように魔法で掃除をしておいたのだ。
「いらっしゃい。里は一通り直しておきましたから、食事の確保とかは暫くは森等からお願いします」
 にっこりと微笑むと、住人に囲まれ口々にお礼を言われるが、彼らには伝えておかなければならない注意事項がある。
「あの、一つお伝えしておきたいのですが、ここにいたコボルト達は、元いた鉱山に戻っただけです。無闇な発掘を繰り返せばまた里に降りてくるでしょう。目先の利益に囚われず、適切な量の採掘をお願いします。そうすれば、今までと変わらない生活が送れますから」
 これは里の住人よりも、これからここを管轄地とするリンドブラッドに対する警告だ。
 ちらりと彼の様子を窺うと、難しい顔をして里の奥にある鉱山を睨んでいる。
「……奴らが里を占拠したのは、俺の国ギルガロッソの命で銀の発掘量を増やしたからだったな。図らずも、父の尻拭いをさせられたわけだ」
「コボルト達も、自分の住処を守るのに必死だったんでしょう。皇帝陛下には、民の安全を第一に考えた政策を執ってもらいたいものです」
「ふん。俺が言って聴く耳など持っておるまい。……さて、では賢者よ。貴様に報酬をくれてやらねばならんな」
 改めてこちらに向き直るリンドブラッドに対して、私も彼と向き合う。
「貴様が望んでいる場所についてだが、生憎今の俺には心当たりは無い」
 周りに人がいるせいか、はっきりと口にはしないが予想通りの答え。
「だがこの先、何処かでそのような場所を見つけたら伝えると約束しよう」
「期待はしませんが、よろしくお願いします。ではその時は、これで私を呼んでください」
 そう言って懐から取り出したのは、何の変哲も無い一ギット硬貨。
「それにはちょっとした魔法が掛かっていて、振動を与えるなり燃やすなりして貰えれば気付きますから、そうしたら私が殿下の元へ伺います」
「ほう。それは便利だな」
「ただし、むやみやたらに呼びつけないでくださいね?その辺も真実かどうか調べれば分かりますから」
「……ふっ。肝に銘じよう」
 あ、やっぱり呼びつけようとしてたな。
 少し残念そうに硬貨を握り締める彼の様子を見て、釘を刺しておいて良かったと心から安心する。
「それでは、私達はもう行きます。いつかまた、お会い出来ると良いですね」
「ああ、世話になったな」
 リンドブラッドと里の者達に見送られながら私達は旅を再開する。
 今度こそ海を目指して出発だ。
「……ねえ、賢者さま」
 暫く歩いていると、不意にカメリアが話し掛けてきた。
「ん?なんだい」
「よめって、何?」
「ぶっ!?」
 まさか、気にかけてたのか……。うーん、これは……。
「それはカメリアが、もう少し大きくなってから教えてあげるよ」
 とりあえず今は、海を目指そう。


 後に囁かれるようになるのだが、銀鉱山として有名だったピーリエンの里が人手に戻って暫く、銀に似た鉱物も発掘されるようになり、それはコボルトからの警告としてコボルト鉱石と呼ばれるようになったという。
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