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第弍部ーⅤ:二人で歩く

198.紫鷹 嬉しい誤算

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咫木野乃国(とぎののくに)に嫁いだ姉上が帰郷し、離宮の雑務を引き受けてくれたことで、俺は日向と過ごせる時間が増えた。
お陰で毎日のように日向と畑を耕すし、プールで泳ぎもできる。念願だったキャンプもして、日向と一晩テントで過ごすこともできたから感謝しているよ。

だが一方で、日向は、修羅場なんだろう。


「僕は16歳、だから、僕が、お兄さんを、やる、」


姉上が来た日の晩に、ベッドの中で泣きながら宣言したのは、悔しかったからだと思う。

遊具遊びの際に播磨(はりま)に叱られたことで、相当しょげていた。普段の遊び相手は、誰も彼も日向に甘くて十分配慮してくれる人間ばかりだ。それが、対等のーーーと言ったら日向は怒るだろうがーーーー子どもが現れて、遊びには決まりごとがあるのだと初めて学んだ。
分からなかったから仕方ないと割り切れる日向じゃない。

今までのように自由に遊びたいのと同時に、皆と同じように決まり事を守れるようにもなりたいとも葛藤していたな。
また叱られるんじゃないかと怯えていたのは可哀想だったが、ちびたちの様子を観察して一生懸命に学ぼうとする姿には、何度も心の中で声援を送ったよ。


「ご飯は、一人で食べる。しおうの、膝で食べるは、赤ちゃん。僕は赤ちゃん、違う、」


そう言って、皆と食べる食事の場では俺の膝に乗らなくなったのは、正直寂しい。
一人で椅子に座り、溢さないように肩も腕もがちがちにしながら食べるのを見ると、片意地張らずに甘えればいいのにとは思う。
でも、初めての晩餐の席で、ちび3人が一人で椅子に座って食べていたのが、日向には相当ショックだったのも知っているから受け入れた。食事の間は一人で行儀良く食べていたが、部屋に戻るなりボロボロ涙をこぼして上手にできなかったと泣いた日向だ。
その悔しさをバネに成長しようとするのを、隣で支えこそすれ妨げられるわけがない。


「お店に行ったら、ほしいのを、探す。探したら持ってって、お金と交換。交換できたら、買い物したから、もらっていい、」
「ハリマのお金と交換すればいいの?」
「うん。値段がある、から、同じお金を、出す、」

今日は買い物を教えてやるらしい。
西庭を望む場所でちびや亜白(あじろ)たちと小さな塊になって蹲ると、その真ん中で、日向は財布を指し、小銭を広げて真剣な顔をした。

「値段って、どうしたら分かるの?」
「書いてる、もある。ないは、聞く、」
「ふーん。じゃ、ひなくんは、ハリマと来てよ。分かんなくなったら聞くから、」
「え、待って。ケマルがひなくんがいい、」
「ケマルは、亜白兄様と行って!ひなくん、ジニ、行くよ!」

待って待って、と慌てる稀丸は無視され、日向と地仁が播磨に連れて行かれる。
播磨の勢いに飲まれた日向は、されるがままだ。
険しい表情は、怯えと悔しさと緊張と困惑と色々だろうな。
最初にひどく叱られたのもあって、まだ少し播磨のことが怖いらしい。一生懸命年上らしく振る舞おうとする一方で、播磨が声を上げるたびに体を硬くしていた。

一方で、播磨は日向が気に入ったのだろう。

「ハリマったら、何で日向さんのお嫁さんになれないの、ですって、」
「はあ?」

ちびたちの買い物を覗きにきた姉上がとんでもないことを言い出すから、声が荒れる。
ちびたちに見つからないように、隠れているのに何だ。

「前は貴方のお嫁さんになるんだって言っていたのにねえ。今は、日向さん一筋ですって、」

初めこそ激しくぶつかった播磨だが、あっという間に日向に陥落したのは気づいている。
仕切りたがりの彼女が、自分の言うことをうんうんと聞く日向を気に入らないはずがないんだ。その上、ギャップの塊だからな。俺だって未だに新たな一面を見るたびに、落とされる。
たが、まさかそんなことも言い出すとは。冗談じゃない。


「……日向はやらんぞ、」
「貴方が日向さんにぞっこんなのは分かったから、あの子たちの前ではその殺気やめてよ。子どもの移り気にまで本気にならないで頂戴、」
「そう思うなら、播磨に言い聞かせてくれ。日向は、俺のだよ。播磨にも誰にもやらない、」
「分かってるわよ。だからハリマには日向さんは貴方の婚約者だと伝えたの。そしたら大泣きよ。それで、まだ婚約者なら間に合うか、ですって、」
「はあ!?」

成長した播磨が、日向にぐいぐいと迫る様子を想像したら、全身の毛が逆立った。日向の気持ちがあのちびに向くなど万に一つもあり得ないが、俺の日向に色目でも使おうものならタダじゃおかない。

「だから、子ども相手に本気で怒らないで頂戴、」

姉上には本気でため息をつかれたが、それどころじゃない。
本当なら今すぐ買い物をする集団に飛び掛かって、日向から引き離したかった。
かろうじて抑えているのは、その集団の中で、日向が頑張っているからだ。

「じに、あげる、」
「あぃあと、」

ほら、見ろ。
播磨の剣幕に圧倒されながらも、日向は棚に手が届かない地仁に気づいて、青巫鳥(あおじ)の人形を取ってやった。
口をもぐもぐするのは、地仁の舌足らずな礼が嬉しかったからだ。
嬉しすぎて言葉にできない時、日向は何かを食べるみたいに言葉を食べる。

「ひなくん、教えて!お金はどうしたらいい!」

稀丸が支払いに困った時には、一緒に財布をのぞいて小銭を数えてやった。

知ってるか。
知らないことだらけの日向だが、数は離宮に来た頃から数えられたんだよ。
それが、尼嶺で酷い仕打ちを受けた時に、従兄弟たちが数えたせいだと日向の口から聞かされた時は、頭に血が上りすぎて一瞬意識をなくした。日向の数えられる数が大きくなればなるほど、怒りも憎しみも悲しみも増して、一人の時に壁を殴ったことも泣いたこともある。

だが、日向には数を覚えた経緯より、数えられることが大事だったんだ。

鳥を数えられるのが嬉しいと言い、俺の年がわかるのが嬉しいと言う。
亜白と虫を捕まえるようになってからは、捕まえた数を競い合えるのを喜んでもいた。
楽しい予定を立てた時に、あと何日と数えられるのだって、日向は幸せだと言う。
今だって、年上らしく稀丸に小銭を数えて見せ、支払いの仕方を教えて満足そうにしてるんだ。


なら、俺のすべきは、それを一緒に喜んで何倍にも増やしてやることだ。


だから、買い物の後は、ちびたちが姉上に戦利品を自慢しに行った隙に、日向をブランコに連れ去った。
偉かった、と褒めてやるつもりで連れてきたが、日向の表情は浮かない。抱きしめた体は奥の方からプルプルと震えていて、また何かを葛藤しているのが分かった。

「じには、赤ちゃんだから、僕がお金を、やらないと、いけなかったのに、」
「やっただろ。日向が地仁の支払いを手伝ってやったの、ちゃんと見てたよ、」
「じにが、お財布を開けたら、全部、落ちた、」
「あれは地仁の失敗だよ。日向はそれを助けてやったんだから、良くやったよ。皆で拾ったから小銭もすぐに見つかっただろ、」

そうは言っても、できなかったことに固執してしまうのは日向の悪い癖だ。
まあ、口を閉ざし声も失くして泣かれるより断然いいから、こうしてブランコを揺らし、震える体を撫でて解してやりながら聞くわけだが。

「お店は、静かにする決まりって、はりまに、言ったのに、はりまが聞かない、くて、」
「あいつは喧しいからなあ…、大変だったろ、」
「あじろの、手伝いも、できない、かった、」
「あいつは一人で大丈夫だと思うけど。でも、日向は手伝いたかったんだよな、」
「あじろ、の、はじめて、だから、」
「悔しかったな、」
「くやしい、」

腹に回した手にぴりっと痛みが走ったのは、日向が悔しさのままに握ったからだ。
いいよ。ちびたちの前では堪えていたんだ。悔しさも不安も涙も全部、俺に吐き出せばいい。

母上の病で不安になっていたところに、色々なものを突きつけられて、本当はパンクしそうなんだよな。
ちびたちが来て初めこそ嫉妬もしたが、今は怒りや嫉みよりも、俺や亜白を奪われはしないかと言う不安の方が強くなってしまっているのを知っているよ。
できないと一緒に遊んでもらえないように、母上を失い、俺たちを失って取り残される恐怖が、日向を掻き立てているんだろうとも思っている。

日向が自分を認められない分は、俺が褒めてやる。
吐き出した分は、俺がこれでもかと言うほど愛を注いで埋めてやるから、俺には意地も見栄も張らずに全部曝け出してくれ。

「ちびたちな、いつもは後宮で女官たちに囲まれて暮らしているから、自分たちだけで何かをするってのが本当に少ないんだ。買い物なんて、日向が提案してくれなきゃ、この先経験できたかどうかも怪しい。だから大喜びだったろ。あいつらの顔見たか?あんなにキラキラした顔、俺もはじめて見たよ、」

日向がそうさせたんだよ。
買い物自体も嬉しかっただろうが、日向が教えてくれたと言うのが、ちびたちには特別だったろうと俺は思ってる。

「亜白だって同い年なのにはじめてだったろ?あいつ、引きこもりだから、日向が引っ張り出してやらないと店になんて出かけないよ。人見知りだから店員に話しかけるなんてもっての外だ。でも、良い顔してたろ。日向が一緒じゃないと、あいつのあんな顔見られないよ、」

日向だってわかってるはずだ。
亜白が顔を真っ赤にして店員に対峙しているのを側で見てた。亜白が自分で買った図鑑を手にした時に、日向の小さな体が跳ねたのを俺は見逃さなかったよ。亜白が喜んだのが嬉しくて、自分がその顔をさせたのが嬉しくて、体から溢れ出てきたろ。

「皆があんなに喜んだんだ。それは、できたってことだよ。俺の日向は、あいつらに買い物をちゃんと教えた。夏休みの最高の思い出を作ってやった。日向だけにできる特別なことだよ。俺はそれが誇らしい、」
「ほこら、しい、」
「うん、俺の自慢、」

多分、真っ直ぐに俺の言葉を受け取ったんだろう。
俺の腕を握った手が、ゆるりと緩んで解けていく。
どこまで素直なんだ。可愛いな。

「次は、もっと、やる、」

撫でて褒めてやればこの通りだ。
まだ涙も震えも止まらないくせに、もう前を向いて歩き出そうとする。
本当に俺の誇りだよ。
ただ、もう少し甘やかしていちゃいちゃしたかったのが本音だ。
日向が頑張ろうと努力するほど、俺の膝は寂しくなる。

だから、立ち上がりかけた体を引き寄せ、もう一度抱く。

「今日は、もう十分頑張ったろ、」
「すみれこさまの、ご飯、」
「ん。それは一緒に行くからもうちょっと一緒にいて、」
「しおう、甘えん坊?」
「そ。ちびたちに取られてた分、補充させて、」
「僕も、ほじゅう、いる、」
「だろ、」

首筋に頭を埋めると、日向の匂いがした。
朝も昼も、日向は一人で椅子に座って食事をしたし、食事の後はちびたちに買い物を教えるのに必死だったから、久しぶりに嗅いだ気がする。

姉上のおかげで日向といられる時間は増えたんだけどな。
日向が頑張れば頑張るほど、こうして密着していられる時間が減ってちょっと寂しいんだよ。
それは日向だって同じだろう。

俺たちには、二人だけの時間が必要だ。

「明日、二人で出かけるか、」

肩に頭を埋めたまま囁くと、日向は少しくすぐったそうに体を震わせた後、俺を振り返る。

「二人?」
「ん。ちびたちも亜白もなしで、二人、」
「でーと?」
「そ、」
「でーと、」

頭を上げると、すぐ目の前で潤んだ水色が大きく開かれた。
驚いて、困惑して、それから喜ぶ。
視界いっぱいに映った水色が、みるみるうちに変化して感情を露わにしていくのが愛しくてたまらなかったよ。

母上が倒れて以来、日向が離宮を離れるのは難しいかな、ってちょっと不安だったんだ。
だが、ちびたちに構ううちに、母上の側を離れる時間が増えた。理由さえ与えてやれば、側につきっきりにならなくても不安に呑まれるようなことはないな。
同時に、俺とこんな風に過ごせる時間が減った分、日向にとっても二人っきりの時間は大事になったろ。
嬉しい誤算だ。

「町で、一緒に歩く?」
「そうだよ。勿論抱っこもしてやるが、手を繋いで歩くの。足は平気だな?」
「だいじょぶ!」
「ん、俺も日向と歩きたい、」
「おそろいも、買う?」
「もちろん、」
「わぁ、」

さっきまで全身を覆っていた悲壮感はどこに行ったんだろうな。
もう水色の目は煌玉ばりに輝き、頬は上気してピンク色だ。口がこれでもかと言うほど開いで、顔面中に日向の期待と喜びが溢れていた。
顔だけじゃないな。
俺に背中を預けていたはずの体は、いつの間にかこちらを向いて軽やかに跳ねる。ぎゅっと俺の首に抱きついたり、離れて俺の顔を覗いたり、溢れるものを抑えきれないのが全身から伝わった。

「俺に日向を独り占めさせろよ、」
「僕もする!しおう、ひとりじめ!」
「ん、楽しみだ、」
「楽しみ!」



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