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第弍部ーⅤ:二人で歩く
194.紫鷹 二人の夏休み
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「お帰りなさい、紫鷹さん、」
「ただいま戻りました。……起きていて良いんですか、」
「ええ、日向さんがよくお世話してくれましたからね。大分良いみたい、」
離宮に戻り母上の寝室を訪ねると、母上は起きていて俺を迎える。
日向はと見ると、昨日と同様、母上の隣に小さな山ができていて水色の髪だけがチラリと覗いていた。布団が規則正しく上下しているから寝ているのだろう。
ベッドの脇に用意された椅子に腰掛けると、ピクピクと水色のまつ毛を動かしながら眠る日向の顔がわずかに見える。
「さっきまでお話ししてたんですけどね、急に力尽きちゃって、」
「・・・ご迷惑をおかけしてませんか、」
「とんでもない。日向さんは本当にいい子よ。見てちょうだい、水槽見学の招待券ですって。亜白さんと作っている水槽ができたら一番に招待するから、それまでに元気になってね、とくれましたよ、」
ベッドの横の小さな机に、日向の字で書かれた招待券が乗っていた。
画用紙を切って作ったんだろうな。日向は鋏が苦手だから、切り口はガタガタだ。魚と思しき絵が描かれているが、事前に水槽のものだと聞かなければ分からなかったかも知れない。
不器用で歪な招待券。
だが、日向の精一杯が込められていて、母上が自慢するのも分かった。
世話をすると言った日向の方が寝かし付けられて、あべこべだな、と思ったが。
水色の頭を撫でる母上の手も顔も穏やかだ。
まだ、呼吸は荒いが、顔色がよく見えるのも気のせいではないだろう。
今日一日、母上の言うよう、日向はよくやってくれたんだろうと思えて、胸の中が熱くなった。
「お仕事はどう?今日は呉須色乃宮(ごすいろのみや)が一緒だと聞いたけれど、」
「四紺(しこん)が来ましたよ。……相変わらず調子が良くて、正直俺一人でも十分だったと思います、」
せっかく日向の頑張りを思って、癒されていたのに、母上に聞かれて嫌な顔を思い出す。
お喋りな異母兄さえいなければ、もっと早く帰れるはずだったんだ。
「あら、せっかくお手伝いしてくれるのに。喧嘩なんてしてない?」
「しませんけど、……というか、あの手紙何ですか、」
公務で訪れた先で、二通の手紙を受け取った。
一通は出がけに約束した通り、日向からの手紙だ。
水色の封筒と便箋に日向の独特な字が連なる。最近、字がすらすらと書けるようになってきた一方で、その分、手紙に書きたいことも増えたのだろう。気持ちが先走るせいで、誤字と解読困難な文字が増えた可愛い手紙だ。
日向の癖を熟知した俺だから読めるが、そろそろ暗号文書か何かと間違われてもおかしくないな、と読みながら笑った。
四紺に辟易していた俺を、日向の手紙は随分癒してくれたよ。
多分、その一通だけなら四紺も気には留めなかったと思う。
だが、今日は何故か、もう一通手紙が届いて、異母兄の気を引いてしまった。
菫色の封筒と便箋は、母上の色だ。
何の手紙だ、なぜ私信が二通も届くんだ、見せろ、菫子様と誰だ、わかった、婚約者ちゃんだな、何でお前のとこはそんなにラブラブなんだ、良いな、お兄様にも見せておくれよ、うんぬんかんぬん。
公務よりも、あの馬鹿兄の相手が大変だったんですよ。
「日向さんがね、お手紙を書いたら紫鷹さんが喜ぶと仰るものだから、」
「……最後のあれも、日向ですか?」
「手紙では、大好きだと伝える決まりだそうよ。日向さんに教えていただいたのだけど、違ったかしら、」
「…日向の常識を間に受けないでください、」
日向に向けていた愛しげな視線がそのままこちらにも向かい、顔に一気に熱が集まった。
顔を通り越して脳まで沸騰するんじゃないかと思ったのは、本日2度目だ。
どちらも母上のせいですよ。
母上から受け取った手紙の始まりは良かった。
代理を務めることへの礼と謝罪。それに加えて、日向の手紙では分からない今日の日向の様子が綴られていて、感謝したほどだ。
それが、文末に向かうにつれておかしくなっていった。いかに俺を心配しているか、頼りにしているか、愛しているかーーー、そんな熱烈な告白が文末に始まったかと思うと次の一枚にまたがって延々と書かれていて困惑せずにいられない。
字は明らかに日向なのに、選ぶ言葉は母上。
どちらに告白されているのか分からず混乱した俺の気持ちがわかりますか。
しかも、隣では阿呆な兄がニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて俺を揶揄っているんだ。愛されてるね、とか、相思相愛だねえ、とか馬車に乗る直前まで笑っているから恥ずかしいことこの上なかった。
「……ああ言うのは、日向で十分です、」
「あらまあ。でも、本心よ。紫鷹さんは私の大事な大事な息子ですもの、」
「わかりましたから!」
病床であることも忘れて声が荒れた俺に、母上は、ころころと笑う。
その声に、日向がむにゃむにゃと何かを言って頭を転がしたから起きたかと思ったが、布団から顔が覗いただけで、一人平和に眠ったままだ。
日向のせいで酷い目にあったんだよ。
なのに、何を安心し切った顔で寝てるんだ。
少しの不満を込めて頬を突けば、日向はまだむにゃむにゃ言う。
くそ、可愛いな。
起きて俺の愚痴を聞け、と思うのに、何かを喰むようにもぐもぐと口を動かす日向をずっと見ていたくもある。そんなことを思って頬を突いていると、ヌッと現れた小さな手が俺の手を捕まえて握るから、また顔に熱が集まって悶絶したよ。
「日向さんは、本当に貴方のことが大好きね、」
そう笑った母上が言うには、世話をするとやってきた日向からは、一日中俺の話を聞かされたそうだ。
俺の寝顔が可愛いだとか、プールで水をかけた時の顔が面白かっただとか、将棋で藤夜(とうや)に負けた時の悔しがる顔が良いだとか。
母上の口から聞かされるのは、正直恥ずかしくていたたまれない。
だが、俺がいない場所で日向がどんなふうに俺を語るのかは聞きたかった。
裏も表もない日向だから、多分俺に話すのとほとんど変わらないとは思っているが。
「ダンゴムシに悲鳴をあげたんですって?」
「…一匹くらいなら我慢しますけど、大量に並べられたら、流石に無理です、」
「可愛かったって、けらけら笑ってましたよ、」
亜白(あじろ)との研究の話もしたらしいが、すぐに脱線して俺とダンゴムシの話になる。
伊雲(いぐも)と畑を耕す話の途中にも、夏休みには俺が一緒に畑をやってくれるから嬉しいんだ、と笑ったそうだ。
初めてブランコで遊んだ時に飛んだら叱られたからやらないことにしたけど、実はこっそり東(あずま)に抱いてもらって飛ぶんだ、とは自分でバラしたらしい。見て見ぬふりをしてやってるのに、何で自分で喋るかなと聞いていたら、いつか俺とも飛びたいと言っていたことを聞かされた。
「もうずっと貴方の話ばかりよ。デートもするんですって?」
「こいつは……、本当に何でも喋るなあ、」
「すごく楽しみにしているみたい。お揃いを買うんだって言うから、お小遣いをあげないといけませんね、って言ったの。そしたら、そこで踊ってましたよ、」
「小遣いの意味、分かってましたか?」
「分かってはいないわねえ、」
ベッドから飛び降りて小躍りする日向を思い浮かべて笑った。
感情の湧き上がるままに両手をあげ、足をあげて、体を振るのは、いつ見ても妙ちくりんで笑えるほど可愛い。
まだ足は痛むだろうに、湧き上がる喜びを抑えきれず踊ったんだろうな。
そんなに楽しみにしているのに、連れて行ってやれなくて、ごめん。
脳裏で踊る水色が愉快なほど、目の前で体を小さく丸めて眠る日向に申し訳なくなる。
頬の下には新しく擦れた跡が見えたから、今日も泣いたんだろう。
最高の夏休みにしてやると言ったのに、泣かせてばかりだ。
そのことに胸が痛んで、俺の指を捕まえた手を握り返す。
そこに、母上は言った。
「だから考えたんだけど、紫樹(しじゅ)を呼ぼうと思うの、」
「は、」
突然聞こえた名前に困惑した。
紫樹。
久しく聞かなかったが、父母を同じくする姉の名を忘れるわけがない。
10も年が離れた姉は、今は帝国を離れ異国の地にいるが。
「あの子の嫁ぎ先では、女性は公の場に出ることができないでしょう。せっかく帝国で磨いた腕を持て余して退屈だと、愚痴を言っているのよ。子供たちもある程度大きくなったから余計にね。だから少しの間、里帰りをさせてあげようかと思うんだけど、どうかしら、」
「……俺では、頼りありませんか、」
「そうじゃないのよ、」
眉を下げた母上は、俺に微笑んだ後、視線を落とし水色の頭を見つめる。
「貴方の話をしている間は、笑ったり怒ったり、いろんな顔をしたわ。だけど、それ以外はずっと泣きそうなのを我慢しているの。目は真っ赤なのにね。私の前では一度も泣かずに頑張っていたわ、」
きゅっと口を結んで、睨みつけるように目に力を込めながら涙を堪える日向が浮かんだ。
感情が豊かになるほどに涙も増えたが、泣き虫を卒業するんだと言い出してからは、そうやって一生懸命に泣くのを耐える姿を何度も見た。
「そんな顔ばかり、この子にさせたくないでしょう?」
「……日向は、母上のことが気がかりで、」
「分かっていますよ。優しい子ですもの。きっと遊んでいても、私のことを心配して泣いてしまうわ。でも、紫鷹さんが一緒なら、笑ってくれるんじゃないかと思うの、」
「それは……、そうだと思いますけど、」
「ふふ、そう思うわよね、」
だからね、と母上は言った。
「公の場には、紫鷹さんに出て貰わなければいけないけど、内々のことは紫樹に任せようと思うの、」
「でも、俺は、」
「日向さんの初めての夏休みよ。思いっきり遊んでほしいじゃない、」
「それは、もちろん、」
「同じくらい、私は紫鷹さんにも、残りわずかな子ども時代を楽しんでほしいのよ、」
日向に向けた瞳が、そのまま俺を見る。
愛情と慈悲に満ちたいつもの母上が、そこにいる気がした。
「成年になれば、皇族としての責務が優先されるわ。まして、貴方は日向さんの分まで負うつもりでしょう、」
18になれば、俺は成年皇族だ。
半色乃宮を継ぎ、母上の役割を引き継いで、責任を果たさなければならない。
日向と婚姻を結べば、日向にかかる分の役割も、俺は担うつもりだ。
だからこそ、今この時に俺は母上の代理を立派に務めなければならないと思った。
だが、母上はにこりと笑んで、否と言う。
「日向さんと笑う紫鷹さんが、私の一番の元気の源よ。貴方、日向さんと遊んでる時は、良い顔してるもの、」
「……どこで見てたんですか、」
「ふふ、紫鷹さんと同じよ。私も息子たちの笑顔が見たくて、時々盗み見するの、」
俺一人だったらこのまま任せようと思ったんだと母上は笑った。
だが、日向には俺がいるべきだし、俺と日向が揃っている方が母上も安心するのだと言う。
何となく、俺が日向に縋って泣いたのも、母上は知ってる気がした。
多分というか、絶対、日向は全部喋っているだろう。
だけど、その日向と俺は約束したんですよ。
俺は仕事をして、日向は母上の側にいて、一緒に守ろうと。
何もできないのはあまりに辛いから、俺たちにできることをそれぞれ頑張って、超えていこうと。
「日向さんが笑っている方が、私は元気になるって、分かるでしょう?」
分かる。
日向は怖がって母上から離れたがらないかもしれないが、日向が笑って元気に遊んでいる方が、きっと母上には幸せだ。
だが、ずるい手だ。
俺が日向を出されたら頷く他にないと分かっていて、そんな風に言う。
「手紙に書いた通りよ。愛する息子ですもの。貴方にも笑っていてほしいの。だから、日向さんと夏休みを楽しんでくださいね、」
日向に向けるのと同じ目で俺に言うから、結局頷く羽目になった。
「ただいま戻りました。……起きていて良いんですか、」
「ええ、日向さんがよくお世話してくれましたからね。大分良いみたい、」
離宮に戻り母上の寝室を訪ねると、母上は起きていて俺を迎える。
日向はと見ると、昨日と同様、母上の隣に小さな山ができていて水色の髪だけがチラリと覗いていた。布団が規則正しく上下しているから寝ているのだろう。
ベッドの脇に用意された椅子に腰掛けると、ピクピクと水色のまつ毛を動かしながら眠る日向の顔がわずかに見える。
「さっきまでお話ししてたんですけどね、急に力尽きちゃって、」
「・・・ご迷惑をおかけしてませんか、」
「とんでもない。日向さんは本当にいい子よ。見てちょうだい、水槽見学の招待券ですって。亜白さんと作っている水槽ができたら一番に招待するから、それまでに元気になってね、とくれましたよ、」
ベッドの横の小さな机に、日向の字で書かれた招待券が乗っていた。
画用紙を切って作ったんだろうな。日向は鋏が苦手だから、切り口はガタガタだ。魚と思しき絵が描かれているが、事前に水槽のものだと聞かなければ分からなかったかも知れない。
不器用で歪な招待券。
だが、日向の精一杯が込められていて、母上が自慢するのも分かった。
世話をすると言った日向の方が寝かし付けられて、あべこべだな、と思ったが。
水色の頭を撫でる母上の手も顔も穏やかだ。
まだ、呼吸は荒いが、顔色がよく見えるのも気のせいではないだろう。
今日一日、母上の言うよう、日向はよくやってくれたんだろうと思えて、胸の中が熱くなった。
「お仕事はどう?今日は呉須色乃宮(ごすいろのみや)が一緒だと聞いたけれど、」
「四紺(しこん)が来ましたよ。……相変わらず調子が良くて、正直俺一人でも十分だったと思います、」
せっかく日向の頑張りを思って、癒されていたのに、母上に聞かれて嫌な顔を思い出す。
お喋りな異母兄さえいなければ、もっと早く帰れるはずだったんだ。
「あら、せっかくお手伝いしてくれるのに。喧嘩なんてしてない?」
「しませんけど、……というか、あの手紙何ですか、」
公務で訪れた先で、二通の手紙を受け取った。
一通は出がけに約束した通り、日向からの手紙だ。
水色の封筒と便箋に日向の独特な字が連なる。最近、字がすらすらと書けるようになってきた一方で、その分、手紙に書きたいことも増えたのだろう。気持ちが先走るせいで、誤字と解読困難な文字が増えた可愛い手紙だ。
日向の癖を熟知した俺だから読めるが、そろそろ暗号文書か何かと間違われてもおかしくないな、と読みながら笑った。
四紺に辟易していた俺を、日向の手紙は随分癒してくれたよ。
多分、その一通だけなら四紺も気には留めなかったと思う。
だが、今日は何故か、もう一通手紙が届いて、異母兄の気を引いてしまった。
菫色の封筒と便箋は、母上の色だ。
何の手紙だ、なぜ私信が二通も届くんだ、見せろ、菫子様と誰だ、わかった、婚約者ちゃんだな、何でお前のとこはそんなにラブラブなんだ、良いな、お兄様にも見せておくれよ、うんぬんかんぬん。
公務よりも、あの馬鹿兄の相手が大変だったんですよ。
「日向さんがね、お手紙を書いたら紫鷹さんが喜ぶと仰るものだから、」
「……最後のあれも、日向ですか?」
「手紙では、大好きだと伝える決まりだそうよ。日向さんに教えていただいたのだけど、違ったかしら、」
「…日向の常識を間に受けないでください、」
日向に向けていた愛しげな視線がそのままこちらにも向かい、顔に一気に熱が集まった。
顔を通り越して脳まで沸騰するんじゃないかと思ったのは、本日2度目だ。
どちらも母上のせいですよ。
母上から受け取った手紙の始まりは良かった。
代理を務めることへの礼と謝罪。それに加えて、日向の手紙では分からない今日の日向の様子が綴られていて、感謝したほどだ。
それが、文末に向かうにつれておかしくなっていった。いかに俺を心配しているか、頼りにしているか、愛しているかーーー、そんな熱烈な告白が文末に始まったかと思うと次の一枚にまたがって延々と書かれていて困惑せずにいられない。
字は明らかに日向なのに、選ぶ言葉は母上。
どちらに告白されているのか分からず混乱した俺の気持ちがわかりますか。
しかも、隣では阿呆な兄がニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて俺を揶揄っているんだ。愛されてるね、とか、相思相愛だねえ、とか馬車に乗る直前まで笑っているから恥ずかしいことこの上なかった。
「……ああ言うのは、日向で十分です、」
「あらまあ。でも、本心よ。紫鷹さんは私の大事な大事な息子ですもの、」
「わかりましたから!」
病床であることも忘れて声が荒れた俺に、母上は、ころころと笑う。
その声に、日向がむにゃむにゃと何かを言って頭を転がしたから起きたかと思ったが、布団から顔が覗いただけで、一人平和に眠ったままだ。
日向のせいで酷い目にあったんだよ。
なのに、何を安心し切った顔で寝てるんだ。
少しの不満を込めて頬を突けば、日向はまだむにゃむにゃ言う。
くそ、可愛いな。
起きて俺の愚痴を聞け、と思うのに、何かを喰むようにもぐもぐと口を動かす日向をずっと見ていたくもある。そんなことを思って頬を突いていると、ヌッと現れた小さな手が俺の手を捕まえて握るから、また顔に熱が集まって悶絶したよ。
「日向さんは、本当に貴方のことが大好きね、」
そう笑った母上が言うには、世話をするとやってきた日向からは、一日中俺の話を聞かされたそうだ。
俺の寝顔が可愛いだとか、プールで水をかけた時の顔が面白かっただとか、将棋で藤夜(とうや)に負けた時の悔しがる顔が良いだとか。
母上の口から聞かされるのは、正直恥ずかしくていたたまれない。
だが、俺がいない場所で日向がどんなふうに俺を語るのかは聞きたかった。
裏も表もない日向だから、多分俺に話すのとほとんど変わらないとは思っているが。
「ダンゴムシに悲鳴をあげたんですって?」
「…一匹くらいなら我慢しますけど、大量に並べられたら、流石に無理です、」
「可愛かったって、けらけら笑ってましたよ、」
亜白(あじろ)との研究の話もしたらしいが、すぐに脱線して俺とダンゴムシの話になる。
伊雲(いぐも)と畑を耕す話の途中にも、夏休みには俺が一緒に畑をやってくれるから嬉しいんだ、と笑ったそうだ。
初めてブランコで遊んだ時に飛んだら叱られたからやらないことにしたけど、実はこっそり東(あずま)に抱いてもらって飛ぶんだ、とは自分でバラしたらしい。見て見ぬふりをしてやってるのに、何で自分で喋るかなと聞いていたら、いつか俺とも飛びたいと言っていたことを聞かされた。
「もうずっと貴方の話ばかりよ。デートもするんですって?」
「こいつは……、本当に何でも喋るなあ、」
「すごく楽しみにしているみたい。お揃いを買うんだって言うから、お小遣いをあげないといけませんね、って言ったの。そしたら、そこで踊ってましたよ、」
「小遣いの意味、分かってましたか?」
「分かってはいないわねえ、」
ベッドから飛び降りて小躍りする日向を思い浮かべて笑った。
感情の湧き上がるままに両手をあげ、足をあげて、体を振るのは、いつ見ても妙ちくりんで笑えるほど可愛い。
まだ足は痛むだろうに、湧き上がる喜びを抑えきれず踊ったんだろうな。
そんなに楽しみにしているのに、連れて行ってやれなくて、ごめん。
脳裏で踊る水色が愉快なほど、目の前で体を小さく丸めて眠る日向に申し訳なくなる。
頬の下には新しく擦れた跡が見えたから、今日も泣いたんだろう。
最高の夏休みにしてやると言ったのに、泣かせてばかりだ。
そのことに胸が痛んで、俺の指を捕まえた手を握り返す。
そこに、母上は言った。
「だから考えたんだけど、紫樹(しじゅ)を呼ぼうと思うの、」
「は、」
突然聞こえた名前に困惑した。
紫樹。
久しく聞かなかったが、父母を同じくする姉の名を忘れるわけがない。
10も年が離れた姉は、今は帝国を離れ異国の地にいるが。
「あの子の嫁ぎ先では、女性は公の場に出ることができないでしょう。せっかく帝国で磨いた腕を持て余して退屈だと、愚痴を言っているのよ。子供たちもある程度大きくなったから余計にね。だから少しの間、里帰りをさせてあげようかと思うんだけど、どうかしら、」
「……俺では、頼りありませんか、」
「そうじゃないのよ、」
眉を下げた母上は、俺に微笑んだ後、視線を落とし水色の頭を見つめる。
「貴方の話をしている間は、笑ったり怒ったり、いろんな顔をしたわ。だけど、それ以外はずっと泣きそうなのを我慢しているの。目は真っ赤なのにね。私の前では一度も泣かずに頑張っていたわ、」
きゅっと口を結んで、睨みつけるように目に力を込めながら涙を堪える日向が浮かんだ。
感情が豊かになるほどに涙も増えたが、泣き虫を卒業するんだと言い出してからは、そうやって一生懸命に泣くのを耐える姿を何度も見た。
「そんな顔ばかり、この子にさせたくないでしょう?」
「……日向は、母上のことが気がかりで、」
「分かっていますよ。優しい子ですもの。きっと遊んでいても、私のことを心配して泣いてしまうわ。でも、紫鷹さんが一緒なら、笑ってくれるんじゃないかと思うの、」
「それは……、そうだと思いますけど、」
「ふふ、そう思うわよね、」
だからね、と母上は言った。
「公の場には、紫鷹さんに出て貰わなければいけないけど、内々のことは紫樹に任せようと思うの、」
「でも、俺は、」
「日向さんの初めての夏休みよ。思いっきり遊んでほしいじゃない、」
「それは、もちろん、」
「同じくらい、私は紫鷹さんにも、残りわずかな子ども時代を楽しんでほしいのよ、」
日向に向けた瞳が、そのまま俺を見る。
愛情と慈悲に満ちたいつもの母上が、そこにいる気がした。
「成年になれば、皇族としての責務が優先されるわ。まして、貴方は日向さんの分まで負うつもりでしょう、」
18になれば、俺は成年皇族だ。
半色乃宮を継ぎ、母上の役割を引き継いで、責任を果たさなければならない。
日向と婚姻を結べば、日向にかかる分の役割も、俺は担うつもりだ。
だからこそ、今この時に俺は母上の代理を立派に務めなければならないと思った。
だが、母上はにこりと笑んで、否と言う。
「日向さんと笑う紫鷹さんが、私の一番の元気の源よ。貴方、日向さんと遊んでる時は、良い顔してるもの、」
「……どこで見てたんですか、」
「ふふ、紫鷹さんと同じよ。私も息子たちの笑顔が見たくて、時々盗み見するの、」
俺一人だったらこのまま任せようと思ったんだと母上は笑った。
だが、日向には俺がいるべきだし、俺と日向が揃っている方が母上も安心するのだと言う。
何となく、俺が日向に縋って泣いたのも、母上は知ってる気がした。
多分というか、絶対、日向は全部喋っているだろう。
だけど、その日向と俺は約束したんですよ。
俺は仕事をして、日向は母上の側にいて、一緒に守ろうと。
何もできないのはあまりに辛いから、俺たちにできることをそれぞれ頑張って、超えていこうと。
「日向さんが笑っている方が、私は元気になるって、分かるでしょう?」
分かる。
日向は怖がって母上から離れたがらないかもしれないが、日向が笑って元気に遊んでいる方が、きっと母上には幸せだ。
だが、ずるい手だ。
俺が日向を出されたら頷く他にないと分かっていて、そんな風に言う。
「手紙に書いた通りよ。愛する息子ですもの。貴方にも笑っていてほしいの。だから、日向さんと夏休みを楽しんでくださいね、」
日向に向けるのと同じ目で俺に言うから、結局頷く羽目になった。
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日向も紫鷹もかわいい!
菫子さまも素敵すぎます。
それに他の登場人物も魅力的な人ばかりで、最近こちらのお話を読むのが本当に楽しみです!
みんなが笑顔でいられますように。
でーと…可愛い…可愛い…!
投票させていただきました!
とても素敵なお話です。
毎回、更新を楽しみにしています💓