第八皇子は人質王子を幸福にしたい

アオウミガメ

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第弍部ーⅤ:二人で歩く

185.紫鷹 夏休みの始まり

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空は快晴。
太陽は燦々とふりそそいで真夏の様相を呈していたが、樹々が作る影とそよぐ風が心地よかった。
爽やかな昼下がりだ。

それだというのにな。
離宮の裏庭では悲鳴が飛び交い、蝉の声さえ掻き消される。

「あ、こら、日向 、やめろ!」
「きゃー!日向様、ダメ!手、離さないで!ダメ!絶対ダメ!」
「わ、あ、ひー様、やめて!怖い!怖い!」

「あはっ、」

まさに阿鼻叫喚。

その中で一際高い笑い声をあげるのは日向だ。
ブランコを高く漕いだかと思うと、制止も虚しく、大空へと飛び出していく。

言葉のあやじゃない。
手を離すなと止める側から手を離して、小さな体はぽーんと空高く放り出された。
当の本人は、青空の真ん中で水色の髪をキラキラとなびかせて楽し気に笑っていたが、見守るこちらは堪まったもんじゃない。

裏庭のあちこちから一斉に上がる悲鳴と怒号。
それとほとんど同時に数え切れないほどの影が走り出して、小さな体へと手を伸ばした。

「離すなって言ったのに、離す人がいますか!馬鹿なんですか!?」
「あはは、僕、飛んだ、ね、」
「飛ぶものじゃないんですってば!もう本当に馬鹿!大馬鹿!」
「あはっ、おもしろ、かった!」

日向を受け止めた東(あずま)が怒鳴り散らすが、誰も止めやしない。
むしろ、よく受け止めてくれたと賞賛されるべきであって、叱られるべきは日向だ。

あの馬鹿、本当になんてことをしてくれるんだ。

「……日向には、やはり早かったんじゃないか、」

絞り出した声が、震えていた。
未だに心臓はバクバク言っているし、背中も腋の下も、冷たい汗が止まらない。
傍らの藤夜(とうや)と幸綺(こうき)にがっちり押さえられているせいで飛び出せなかったが、本当なら今すぐ駆けて行って、日向を叱り飛ばしてやりたかった。

「私も後悔してますけど、……これも勉強ですから、」

隣で項垂れた青空(そら)の顔色も最悪だった。
日向の遊びと養育を担う侍女は、この遊具遊びを提案した張本人だ。

「勉強かあ?あいつ、完全に調子に乗って、約束も守れなくなってるぞ、」
「それも含めて勉強なんですよ。何がダメで何がいいか、日向様には身を持って理解してもらわないと、」
「身を持ってが、あれか、」
「……だから、後悔してるんですって、」

真っ青な顔で項垂れた青空を責めるのは、流石に酷だな。
青空は、日向の成長を鑑みて遊びの幅を広げているから、責められるのはやはり日向だ。

離宮に来た頃の日向は、骨と皮しかないガリガリの体だった。
小栗(おぐり)の話では、ひどい飢餓状態で、体のあちこちに水が溜まるほどだったと言う。内臓もボロボロで、ようやく人に慣れて遊び出しても、体力がなくすぐに息が切れた。
だから、日向の遊びや学習には、青空が相当気を配っていたのを知っている。

少しずつ栄養状態が改善され、体ができてくるのに合わせて、日向の遊びの幅は広がってきた。
初めは、歌遊びや粘土遊びのように部屋の片隅でできる遊びだったのが、積み木遊びになり、ボール遊びになって、今は部屋中転げ回る。最近では歌留多やカード遊びのように、複雑な遊びだってできるようになった。
亜白(あじろ)のお陰で、外にも興味が向いて、虫取りや畑仕事にも夢中だ。

だから、学院が夏季休暇に入ったこのタイミングで日向の遊びの幅をさらに広げてやろうと、裏庭に遊具を設えた訳だが。

見守るこちらは、1時間もしないうちに心労で満身創痍だ。

「萩花が、ひなに本気で怒るのは、初めて見たなあ、」

東にがっちりと押さえられたまま、駆けつけた萩花(はぎな)に叱られる日向を見て藤夜がため息も漏らす。こちらもやはり顔色が悪かった。

「日向が無理をした時は、結構厳しく言うけどな。あそこまでの叱り様は、俺も初めて見たよ、」
「流石に、ひなにも分かったかな、」
「……どうだか。あいつ、萩花が怒るのは自分のためだって、喜ぶからな。叱られたくて、わざと怒られる様なことも最近はするよ、」

分かってくれると良いんだけどな。
今は、萩花にこっぴどく説教されて小さくなっているが、視線は真っ直ぐに萩花を向いているし、怖がる様子は微塵もない。

「日向様の社会性を伸ばすためにも、遊びの中で色々なルールを学んでもらうのが一番なんですけどね…、」
「まだやんの?正直、亜白と二人で虫でも愛でてくれた方が、俺はいいよ、」
「でも、休み明けにはまた学院に通われるんでしょう?社会性もそうですけど、もう少しご自分の体に慣れてもらわないと、」
「そうなんだけどさあ、」

部屋の中や土いじりの間は好きに遊ばせているが、歩くことも走ることも、日向にはほとんどさせていない。移動中は専ら俺や東の腕の中だ。
足が悪いせいで負荷をかけられないのが一番の理由だが、とにかく不器用で、すぐに転ぶしぶつかる。広い裏庭ならまだしも、部屋や教室、森の中では、一度走り出したら止まることも曲がることもできずに壁や木に突っ込んでいくこともしばしばあった。

だから、青空の言うのもわかる。
日向には体を動かす遊びが必要だ。
夏期休暇が開けたら、一学生として講義数も増やす予定だから、社会性を身につけさせてやる必要があるのも理解できる。

だが、滑り台を滑れば脇に落ち、鉄棒を掴めば頭から落ちる。梯子では一段登る度、足を滑らせて宙吊りになったり、危うく首吊り状態になったりした。
それで、ブランコに乗れば空高く飛んでいくんだ。

とてもじゃないが、俺は平常心ではいられないよ。
実際、日向が遊び出して数分もしないうちに、日向を部屋に閉じ込めたくなって口も手も散々出した。
そのせいで、余計に危ないからと日向から遠ざけられている訳だ。

「ブランコは、離さない。わかった、」

萩花に散々叱られたくせにな。
そう復唱させられた時には、やはり頬を上気させて満足げだった。
それで再び遊び出せば、案の定、空高く飛んでいく。

俺の心臓は止まり、侍女は悲鳴をあげ、日向の護衛と草が全力で駆けた。その真ん中で、日向だけが、あはは、と声を立てて笑っている。

「もうダメです。約束を守れないなら、遊びはお終い!」
「やだぁ、あずま。ごめん、ちゃんと、守る、」
「嘘つきの言うことなんて信じません!怪我でもしたらどうするんですか!」
「だいじょぶ、あずまが、守る、」
「はあ!?」

やはりと言うか、何と言うか。

日向は、あんな風に東が必死に守ってくれるのが嬉しいんだろう。
いつもは顔色一つ変えずに飄々としている東だ。
それが、顔を真っ赤にして怒鳴るものだから、日向はもう喜びを隠しきれないといった様子で、随分と甘えん坊の顔をしている。

普段なら、俺以外にそんな顔を晒せば、嫉妬ものだよ。
それが今は、恐怖が勝って嫉妬なんて微塵も湧かないし、東には憐れみすら覚えた。

生まれて初めてのブランコや滑り台が楽しいのは、嬉しいよ。
いつも自由に動き回ることすらできないから、全身を使って遊べるのも、日向には新鮮なんだろう。
そこに、大好きな離宮の皆の愛情まで注がれたら、嬉しさのあまり、タガが外れるのも理解はできる。


でも、これはダメだ。


おそらく、青空も、藤夜も、幸綺もそう感じたのだろう。
俺が立ち上がって日向の元に向かうのを、もう誰も止めなかった。

例え日向が泣いて喚いても、ダメなものはダメだと判らせないといけない。
これから先、日向には元気に長生きしてもらうんだ。
そのためなら、嫌われ役になるのも構わなかった。
勿論、日向が俺を嫌うなんてことはありえないが。

だが、俺より先に我慢の限界を超えた声が、日向を咎めた。


「そんな遊び方をするなら、僕はもう、ひー様とは遊べません、」


見れば、侍女や従者と一緒になって大騒ぎしていた亜白(あじろ)が、顔を真っ赤にして立っている。

「あじろ、」
「何で危ないことばかりするんですか。東さんも萩花様もダメだって言ってるのが、分かりませんか、」
「だいじょぶ、あずま、いる、」

いつも自信なさげで、日向がどんなに我が儘を言っても怒ったことなどない亜白だ。それが、怒りをあらわにして日向に詰め寄っていくから驚いた。

流石の日向も、いつもと違う亜白の様子に困惑したんだろう。
急にオロオロし出すと、焦ったように亜白の腹に突撃していく。
亜白はそれを受け止めはしたものの、いつものように優しく抱きしめてはくれなかった。

「もし間に合わなかったら、どうなるか分かりますか、」
「だいじょぶ。あずまは、速い。離宮でいちばん、」
「その東さんが間に合わなかったら、大変なことになるって話です、」
「なら、ない。あずまはできる、だいじょぶ、」
「違うでしょう!」

水色の目がまん丸に見開かれて揺れ出す。
泣くかな、と思ったが困惑しすぎて泣けないのか、亜白を見上げたまま固まっていた。

泣き出したのは、亜白の方だ。
噴火しそうな程真っ赤になったかと思ったら、眼鏡の奥の青紫の瞳から、ぼろぼろと涙が溢れた。それを拭うこともせず日向を睨みつけると、本当に亜白だろうかと疑うほど激しい声で捲し立てる。

「僕は一緒に楽しくしたかったのに。ひー様がそんなんじゃ、ちっとも楽しくない!東さんがいいなら、二人で遊んでください。僕は東さんみたいに走れませんよ。僕は、ひー様を助けられませんから。もう無理です!」

叫んだと思ったら、腹にまとわり付いた日向を突き離し、バタバタと離宮へ走り去ってしまう。
日向は、草の上に一人ポツンと残された。


「あじ、ろ、」


たっぷり呆けた後で、ようやく状況を理解したのだろう。
はっと意識を取り戻した日向は急に狼狽えだして、亜白が消えた離宮へと白い手を伸ばす。そのままよたよたと歩き出し追いかけたが、足はもつれて覚束なかった。
前のめりに倒れたところを抱き留めてやれば、水色の瞳は困惑や恐怖や不安でゆらゆら揺れる。

「しぉ、あじ、ろ、いなく、なった、」
「………そりゃ、日向が怒らせたからな、」
「なん、で。あじぉ、」
「なぜか、分かるか、」

いらなくなった、と恐怖に呑まれないかと不安は過った。
怖がりの頻度は減ったが、今もまだ、ひどく混乱して現実の境が分からなくなることが時々ある。

だが、もう日向は分かるはずだ。
そう信じるし、分かってほしい。
だから敢えて、甘やかすのはやめて真っすぐに水色の瞳を覗いた。

「……僕の、せい、」
「何でそう思った?」
「僕、が、約束、守る、ら、なぃから、」
「うん、」
「僕が、けが、したら、あじぉ、はかなしぃ、」
「うん、」
「ぼくの、せぃ。あじぉ、たのしぃ、ない。ぼくと、ぃっしょに、ぃない。あじお、おこった、」
「そうだな、」

水色の瞳には、みるみるうちに涙が溜まって、ボロボロと零れていく。
いつもなら舐めてデロデロに甘やかしてやるところだが、せっかく亜白が教えてくれたことを無駄にできないだろう。
遊びの中で学ばせるのだと、青空は言った。

「あじぉ、もう、きらぃ?僕と、いなぃ?」
「どうだろう。日向のことは大好きだと思うが、日向が怪我をするのは見たくないんじゃないかな、」
「やぁだぁ、あじぉ、一緒に、やる、ゃくそく、」
「……じゃあ、どうしたらいいか、ちゃんと考えような、」

うーと唸り出したかと思ったら、日向はわんわん泣き出して俺の首にしがみつく。
激しく泣くから、しばらくの間、背中を擦って落ち着くのを待った。
本当は今すぐ抱きしめて慰めてやりたいのを、堪えた俺は偉かったと思う。

同じくらい、日向も偉かったな。

「あじぉ、に、ごめん、なさい、って言う、」
「うん、」
「はぎなが、ダメって、言ったは、もうしない、」
「そうだな、」
「僕、あじろが、いい、」
「うん、それも言ってやれ、」
「ぅん、」

一人ではできないから一緒に来てほしいと言う日向を抱いて亜白の元へ向かったが、日向は自分で謝罪も約束も亜白にできた。
謝って、何が悪かったか、これからどうしたいか、辿々しい口調でちゃんと伝える。
亜白が謝罪を受け入れてくれた後は、二人揃ってわんわん泣いたが、泣き疲れてしばらく呆けた後は、二人で手を取り合って再び裏庭に出て行った。

今度は、言いつけを守って遊べたな。
嬉しくて途中でまた泣き出しひどい顔をしていたが、亜白と二人で滑り台を滑り降りた時には、眩しいくらいの笑顔で笑っていた。

「大変だけど、こうやって成長していくんだなあ…、」

日向の笑い声を聴きながら、そんなことをしみじみ思った。
だが、そんな感傷に浸っている俺に、青空のやつは大袈裟にため息をつく。

「日向様は、素直で聞き分けがいいから楽な方ですよ。それに比べて殿下と来たら、」
「はあ?」
「同じことを散々したじゃないですか。体力も筋力もあるから、日向様とは比べ物にならない程、暴れん坊でしたよ。しかも聞き分けが悪くて、やめないの。飽きるまで3年、全く同じことで毎日叱られてたじゃないですか、」
「…知らん、」
「弥間戸(やまと)さんたちに散々迷惑かけたって、分かったでしょ。殿下も後で謝ってらっしゃい、」

無視を決め込んだら、それからしばらく青空に小言を吐かれ続けた。
随分とひどい言われようだったが、そんな昔のことは忘れた。

今は日向だ。
俺は、日向の成長は余すことなく見届けたいんだ。

「あじろ、もっかい!」

日が翳り出した裏庭で、日向が不器用な手足を一生懸命に動かして梯子を登る。
東に背中とお尻を支えてもらってやっとと言う様子だったが、それでも自分の手と足で登れたことに満足気に笑い、腹を反らして自慢した。
亜白が登ってくるのを待って、一緒に滑る。もう一回、と何度も何度も繰り返して、日が暮れるまで楽しそうに笑っていた。

そんな風に笑うなら、いいよ。
一緒に乗り越えていくから、のびのび育ってくれ。

そう思えたから、俺の過去についてもいいことにした。

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