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第弐部-Ⅳ:尼嶺

175.紫鷹 日向の友人と林檎と

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「日向様、林檎を剥いたので、少し摘まみませんか、」
「日向様、ついでに蜂蜜を稲苗(さなえ)に届けていただけると助かります、」
「わ、ひー様、それは違います。それを開けると、粉が、」
「え、あ、日向様、待って、」
「わー、」

厨房に白い粉が舞って、一瞬日向の姿も周りを囲んだ学友たちの顔も見えなくなる。
またやらかしたな、と阿鼻叫喚の真っ白な部屋を眺めていると、薄れていった白煙の中から、あはっ、と声がした。

「あじろ、真っ白、」
「僕より日向様がすごいです、」
「ああ、綺麗な御髪が…、」

萌葱(もえぎ)が嘆く通り、一番粉を被った日向の髪は真っ白で、俺の水色は一寸も見えない。
だがまあ、いいか。

「あは、りく、半分白、」
「わ、本当だ。何でそんな顔半分だけ綺麗に、」
「りく、へんてこ、あはは、」

どうやら利狗(りく)の顔が日向のツボにはまったようで、ひっきりなしに笑い声が聞こえた。
久しぶりに日向が楽しそうだ。
あんなに笑えるなら、しばらく粉まみれでも構わないだろう。
はらはら見守っていた侍女や料理人たちも笑い出すと、いよいよ日向の笑い声は止まらなくなって、厨房の中は一層にぎやかになった。





日向と一緒に料理がしたいと言い出したのは、双子の若葉と萌葱だ。
最近の日向がめっきり痩せてしまったのを心配して、一緒に作れば食欲も湧くんではないかと提案して来た。
それに賛同して離宮の厨房を提供することにしたら、亜白(あじろ)や料理長、侍女たちも巻き込んで色々と策を練ったらしい。
朝早くに三つ葉の馬車が大量の林檎を届けに来たと思ったら、九花、五つ葉と次々に馬車が来て荷物を下ろしていった。その後、学友四人が到着して、今はこの騒ぎだ。

「さなえ、りんごむくが、上手、」
「うちの特産なので、さすがにこれくらいは、」
「僕も、やりたい、」
「え、っと、じゃあ、料理長さんと一緒なら、」

真っ白な頭のまま稲苗の横に座った日向は、稲苗の手で林檎の皮が剥かれていくのを楽しそうに眺めていた。くるくると器用に剥いていくものだから、林檎の皮は長い蛇のようになって、日向を喜ばせる。

当然、日向は自分でやりたいと言い出した。
そんなのは想定済みだから、事前の打ち合わせ通り、料理長が嬉しそうに寄って行って日向を膝の上に抱く。
前々から日向にもっと厨房に遊びに来てほしいと望んでいた料理長は、意気揚々と日向の小さな手を握ると一緒に林檎の皮を剥いてみせる。流石は料理長。日向の不器用な手から見事な皮の蛇が生まれて、日向は歓声を上げた。

「しおう、見て、へび!僕がやった!」
「へえ、すごいな。こんな薄いのに、一度も途切れずに剥けるもんなのか、」
「すごい!料理長、えらい。しおうも、できる?」
「え、うん、まあ、これくらいなら、できそうだけど、」

日向があんまり嬉しそうな顔をするから見栄を張ってみれば、「ではどうぞ、」と料理長に場所を譲られる。
正直なところ林檎の皮なんてむいたことがなかった。だが、日向に期待の眼差しを向けられたら断れるはずがない。林檎とナイフを渡され、稲苗の手元を見様見真似してやってみたが、これが意外と難しかった。

「しおう、へた、」
「ひどいですね。もう実が半分じゃないですか、もったいない、」
「藤夜(とうや)、そんなに言うならお前もやれ。そこで笑ってる東(あずま)もだ、」
「とやと、あずまと、勝負!」

藤夜にからかわれて反射的に言った言葉だったが、日向が喜んだので、結局は言葉通りになった。
まあ、誰もが予想した通り、俺は惨敗だが。
何となく、東はひょいひょいとやってのけるんだろうなと思ったら、その通りだった。ただ、予想外に藤夜が下手で、俺とどっこいどっこいだったのには、俺も日向も喜んだ。

「とやも、へた!いいね!」

日向の喜びの舞も久しぶりだ。
嬉しくて目頭が熱くなったが、さすがに厨房で暴れるのは危険だから、言い聞かせてやめさせた。
すぐに若葉から声がかかったおかげで、日向がすねる時間もなかったから助かる。

「粉が、丸くなった、」

若葉の元に駆けた日向は、今度は捏ねて丸くなった生地に目を丸くした。
さっき日向が頭から被った粉で作ったんだ、と聞くと、口をぽかんと開けて頭を撫でだすから、あまりの可愛さに笑う。

「小麦粉は水を加えて捏ねると粘り気が出るんです。小麦は分かりますか?」
「稲に、似てる、けど、ちがうやつ、」
「そう、それです。その小麦にはタンパク質がたくさん含まれてるんですけど、その中の…、」

グリテニンだの、グリアジンだの、グルテンだの、よく分からない言葉が若葉の口から飛び出した。
俺には全く理解できない話だが、日向はうんうんと嬉しそうに聞く。その姿を見て、なるほど、と思った。

日向を輪に入れるために、友人たちは色々と考えたのだろう。
ただ一方的に知識を与えられるだけでは日向は多分立場が違うと、孤立する。教える側にはそのつもりがなくても、日向は少し悲観的なところがあるから、そう考えてしまうだろうことは、これまでの出来事からも想像できる。
だから、日向が一緒にできるだろうことを、彼らは考えた。
一緒にやって、会話して、日向を輪の中に巻き込む。

いつも図鑑にかじりついて勉強する日向にとっても、生きた知識は相当興味を惹かれるのだろう。
友人たちが次々に教えてくれることに頷いて、水色の瞳がキラキラと輝いていた。

途中、日向は体が震え出して2度度退室したが、復活するのはいつもより早かった。
別室で小さな体を抱いてあやしている間も、ひどい時のような記憶の混濁はない。口づけを強請って甘えて来るのが、以前の日向に戻ったような気さえした。
あと、友人たちに隠れて唇を重ねるのが、何だか背徳感がある。たまらず燃えてしまったのも、日向の回復が早かった要因かもしれない。誰にも言えないが。


「りんごが、ご飯になった、」


厨房に戻り、もう一度小麦粉をぶちまけて真っ白になった後、オーブンから取り出した料理を見た日向の顔は見ものだった。
頬を紅潮させ水色の瞳を大きく見開いて何度も瞬きする。日向好みの香りがしたんだろう。開いた口からはよだれが垂れそうで何度か口を拭った。

「白かった、のに、茶色、」
「ね、おもしろいですよね。でもあっちのパイも見てください、」
「金色!」

林檎のパイに、林檎のスープ、林檎のサラダ、林檎の煮物、浅漬け、ゼリー、ジュース、ジャムと、主菜から日向のおやつまで林檎尽くしのメニューが並んで、日向は大喜びだ。

よくもこんなに、と稲苗に感心して見せると、特産品を売り出すために父親と相当研究したらしい。二~三年は毎日林檎づくめだったようで、流石にその頃は林檎が嫌いになりそうだった、と笑っていた。
俺だったら確実に見るのも嫌になっているだろうに、未だに嫌っていないのだから、余計に感心する。すごいな。

母上も呼んで皆で食事を囲むと、日向はここ数週間の間には見られなかったほどよく食べた。

あれもこれもと急ぐから、膝の上にボロボロこぼされてあっという間に汚れたが、それも久しぶりでむしろ嬉しい。
頬がリスみたいに膨れるのも可愛くて、何度か突いて日向に怒られた。それすら何日ぶりだろう。

「りんごと、おいも、」

一口食べて、日向が皿ごと抱えたのは、林檎と甘芋を煮たものだ。
取り分けた小皿を俺の分も奪って抱えたから、相当うまかったんだろう。

「気に入ったか、」
「好き、」
「じゃあ、これはうちのメニュー確定だな、」
「料理長も、作る?」
「そのために一緒に作ったんだよ。料理長は稲苗が持ってきたレシピは全て覚えたってさ、」

すごい、と料理長に感心するのと、これからもこの煮物が食べられる喜びとで、膝の上の小さな体はぴょんぴょんと跳ねた。

「おいしい、ね、」
「そうか、」
「おいしい、おいしい、」

歌い出した日向を見て、居合わせた者たちの目が潤んだのは、気のせいではなかったと思う。
かくいう俺も、目頭が熱くなって堪えるのが大変だった。
風呂でこの時の光景を思い出した時は、もうこらえきれなくて一人で泣いたよ。

良かったな、日向。
日向が幸せなことが、俺たちはこんなにも嬉しい。


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