第八皇子は人質王子を幸福にしたい

アオウミガメ

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第弐部-Ⅳ:尼嶺

164.紫鷹 混乱と

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それが来たのは、亜白(あじろ)を商業塔の教授陣に紹介し終えて、日向のいる魔法塔に向かう途中だった。

「殿下、」

それまで、亜白と俺の会話には一切関わらず、少し離れて歩いていた藤夜(とうや)が静かに俺を呼ぶ。
その声に俺が立ち止まったものだから、ちょこちょこと後ろについてきた亜白が背中にぶつかった。驚いて声を上げるのを制して藤夜を見ると、草が一人、藤夜の横に立ち、何事かを耳うつ。

藤夜の表情が、急速に固くなった。
何だ。


「……尼嶺(にれ)の王子が紛れていると、」


俺に寄って藤夜が告げる。
その言葉に、全身の毛穴が開くような気がした。

尼嶺がなぜ。
それを問うより早く、脳裏に浮かんだのは俺の水色だ。

「日向は、」
「すでに草が、部屋から出さないように萩花(はぎな)に指示している。魔法塔にも草を配備しているから、あそこには入れない。ひなは大丈夫だ、」
「なぜ分かった、」
「萩花と尼嶺に同行した草が気づいた。王子の魔力を覚えていたらしい。髪や顔を隠しているが、あそこは魔力に特徴があるから、まず間違いないそうだ、」
「どこだ、」
「この商業塔にいる。誰かを探している風だと言うが、接触した様子は今のところない、」

落ち着け、と藤夜の目が言っていた。
お前の方こそ落ち着け、と思うくらい、珍しく藤夜の気が立っているのが分かる。
そのことにいくらか冷静さは保っていたが、正直、今すぐに暴れ出したい衝動が腹の中を渦巻いていた。

尼嶺の、よりによって王子だと。
尼嶺の現王には、20を超える子が要るが、その殆どが王女で、王子はたったの4人だ。

4人。
うなされる日向が悲鳴とともに名前を呼んだのは、4人の王子だ。

「紫鷹殿下、あの…、」
「急を要する事案が入った。とりあえず待機だ。代都(しろと)、亜白を頼む、」

不安げな従兄弟の声に、衝動に引き込まれそうな頭が引き戻される。
青紫色の瞳が、戸惑いと恐怖で揺れていた。その瞳が、似ても似つかないのに、日向を思い出させる。

冷静になれ。
優先すべきは安全だ。
日向も、日向の友人も、俺も、藤夜も、誰も欠けるわけにはいかない。
脳裏で、水色が嬉しそうにくるくる回って、幸せそうに踊り出すのを見て、俺の優先順位はこれだと確信する。

だが、次に現れた草が告げた言葉に頭の中が真っ赤に燃えた。


「陽炎(かげろう)…!」


かろうじて理性を失くさずにいられたのは、俺以上に藤夜が荒れたからだ。

無理はないと思った。
現に、俺はもう握った拳の中で、掌に爪を食い込ませなければ、衝動を抑えきれない。いつか、離宮で怒りのままに執務室を破壊したときのように、尼嶺の王子ごと、この商業塔を潰してしまいたかった。

日向に、いらなくなりたい、とまで言わしめた男。
日向から、生きる気力さえ奪った男が、ここにいる。

だが、俺の脳裏を、ずっと水色がとことこと駆け回っている。
初めて商業塔につれてきた時、異国文化があふれる広間だけで、日向は大はしゃぎだった。あれは何だ、これは何だと、広間中を駆け回って、午前中いっぱいをそこで過ごしたほどだ。今も、商業棟に来るたびに広間に釘付けになってしまうせいで、日向に見せられていないものが山ほどある。

それを壊せないだろう、と理性が語った。
感情は怒りを爆発させようとするが、そのたびに水色がちらついて俺の理性を目覚めさせる。

いつもなら俺を止めるのは藤夜の役目だが、藤夜にしたって、日向の傷に心を痛めていたことを俺は知っている。
日向が自分の意思では食べることも眠ることもできなくなった時には、時間の許す限り訪ねてきて、本を読んでやったり、実家の弟妹たちの話をしたりして、必死につなぎとめていた。
日向をあんな風にした男に、藤夜が激高するのは当然だろう。

日向の兄のような友人だ。
その藤夜も、俺は失えない。

堪えろ、と頭の中で必死に叫んで、脳裏を駆けまわる水色を必死に追った。

「辞羽(じば)、尼嶺の王子がどうやって帝国に入ったか調べろ。直接の接触はするな、」

つい4年前まで戦争状態にあり、今も国内の動乱が続く尼嶺からの入国には制限が掛かっている。
それをたやすく抜けて、堅固な守りの学院に入ったということは、おそらく帝国側に協力者がいるのだろうと思う。おそらくは、長兄の朱華(はねず)あたりの関係だろう。

すぐにどこからともなく、応、と声がして、気配が一つ消えた。

「俺達は魔法塔に向かう。日向と合流だ。叉里(さり)、王子と接触せずに渡りたい、」

やはりどこからともなく、応、と声がして、草が一人姿を表す。
王子がいるのは階下。
このまま渡り廊下を渡って塔を移れば良いと、叉里が示し、これに頷いた。

「紫鷹、あいつの目的は、」
「今は、安全を優先する、」
「だが、」

俺の友人は、今にも王子の元へ飛び出していきそうだな。
だが堪えてくれ。
俺達はまだ尼嶺の魔法への対処を得ていない。

「藤夜、」

なおも感情を荒げる友の名を呼ぶと、藤夜ははっとして目を開き、俺を見る。

真っ直ぐにその目を見ると、藤夜は何か言いたげではあったが、頷いて代都に魔法塔への道を指示した。
草が先行し、俺の周りを藤夜と数人の草が囲んでそれを追う。恵比寿(えびす)もすぐに亜白を抱えて続いた。亜白は怯えたように見えたが、黙ってされるがままでいるから、自分のすべきことは理解しているのだろう。

幸いにも授業中とあって、どの道にもほとんど人はなく、すぐに魔法塔が見えた。

商業塔を離れ、魔法塔が近づくほどに、安堵とも似つかない気持ちが湧いてきて、息を詰めていたことを実感する。
藤夜も同様で、魔法塔に続く渡り廊下を歩く頃には、耳元で、ごめん、と小さく聞こえた。
頷くだけで返して、先を急ぐ。


一刻も早く、日向の安全をこの目で確かめたかった。
同じくらい、俺自身が、日向を欲している。


あの水色を見て、この腕で抱きしめなければ、本当に安心はできない。
今は仕事に集中しているから大丈夫だろうと願ってはいるが、万が一にも日向が尼嶺の気配を感じ取ってしまわないだろうか、と言う不安もあった。
離宮のどこにいても、俺の帰城が分かる日向だ。俺が特別なのだと自負しているが、別の意味で尼嶺は日向にとって特別だ。

早く早く、と気持ちが急く。
急くままに足を運んで魔法塔へとたどり着いた。――――その時だった。


パキン、と小さく音が鳴る。


何だ、と思う反面、構っている場合ではないと進むことに意識を集中させた。
だが、今度は俺の左の指から何かが抜け落ちて、石畳の上で二度、小さな音がする。

その音の正体は、見ずとも知れた。

案の定、床に転がった金色の指輪に足が止まる。
日向と揃いの指輪だ。
離宮で番いの約束を結んだ時に、日向が俺の指につけた。

その指輪が、真っ二つに割れて転がっていた。

「何、で、」

口からそう問うた時には、もう理解していたと思う。

「日向か、」

普段なら俺より感情の制御に長けた藤夜が荒れていた。
その姿を見て冷静になれたと思ったが、違う。

尼嶺の魔法だ。
他人の感情を揺さぶる魔法に、藤夜は影響された。
だが、俺は、脳裏で日向の水色に、何度も引き戻された。


日向の加護。


そう理解した時には、指輪を拾い上げて駆け出していた。

俺は日向のものだと、自慢したと言っていたな。
自慢するほど嬉しかったと。
そうしたら、魔法が、いいよ、と答えて指輪に加護を与えた。

その加護が俺を守った。

日向が、俺を守った。

駆けて行くほどに、日向の気配を感じる。
俺の水色。
大きな傷を抱えているくせに、いつも一生懸命に、必死に生きている俺の番い。
何の偽りもない瞳で俺を見て、いつだって俺を求めてくれた。

扉が見えた。
日向がいる部屋。
飛び込んで名前を呼ぶと、きょとんと振り返った水色が俺を振り返って、なあに、と首を傾げる。

途端に、俺の中に溢れるほどに柔らかな熱が湧いて、世界がぱっと輝いたように見えた。


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