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第弐部-Ⅲ:自覚

151.藤夜 友は皇子に腹を立てる 

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「さーかーなー、いるかなー、いないかなー、さーかーなー、」

川岸に、ひなの調子はずれの歌声が響く。
あちこちから楽しげに笑う声が聞こえると、さらに機嫌を良くしたように、ひなはおかしな歌を歌った。

「日向様、ご機嫌ですねえ、」
「ごきげん、です、ね!僕、ごきげん!」
「何か良いことがありました?」
「あった!しおうの印!しおうがつけた!僕の、」
「日向様、それは秘密の約束です、」
「そうだった!」

ひなと並んで岩の上に腰を下ろした若葉(わかば)と萌葱(もえぎ)が瞳を瞬かせる。
その後ろでひなの釣竿を支えていた東(あずま)は、もう何度目になるかもわからないため息を漏らしていた。
彼らを守るように岩の近くで釣り糸を垂らしている早苗と利狗(りく)は首を傾げる。

ここ数日のひなは、ずっとあの調子で機嫌がいい。
何日か前まで表情をなくして、生気すら失っていたのが嘘のように生き生きと見えて、何度か、同じひなだろうかと疑ったほどだ。

「これも、印。しおうが、くれた。これは、言っていい。しおうの印、」
「あ、やっぱり殿下の紋章ですよね…、」
「殿下……、嫉妬でとうとう実力行使に?」
「僕は、しおうの、って印!」

今日のひなが、いつもにもましてご機嫌なのは、おそらくその「印」のせいなのだろう。
ひなの黄色の麦わら帽子と上着の袖に、紫色の紋が刻まれていた。


「お前の独占欲が晒されているけど、いいの、あれ、」


ひなの岩がよく見える位置に立って釣り糸を垂らす皇子に視線をやる。
てっきり、いいだろう、と自慢げにするのだと思っていたから、困った表情をされて驚いた。
先日の「ときめく練習騒動」で、ひなに陥落した連中を牽制するためにつけたんじゃないのか。あんなに目立つ位置に自分の紋を刻ませるのだから、ひなは自分の物だと示したいのだと思ったが、違うのか。

「独占欲には違いないんだが…、ああでもしないと、日向が脱ぎかねないから困るんだよ、」
「…………なるほど、」

数日前に紫鷹とひなの部屋を訪ねた際の出来事を思い出して、気が遠くなった。
部屋に入るとひなが駆けてきて、見てみて、と俺の手を引く。何かと思って見ていたら、突然上着を脱ぎだして、この馬鹿がつけた鬱血痕をまざまざと見せられた。
首や胸に散ったその痕が、どうやって付けられたものかわからないほど、俺は鈍くない。
護衛も従僕も侍女も、部屋にいた全員が顔色を変えてひなを止めていたが。

「あいつ、母上にまで見せようとしたんだよ……、」
「……マジか、」
「宇継(うつぎ)と水蛟(みずち)に散々秘密だと言われてはいるんだけどなあ。元々嘘もつけないし、黙ってられない性格だから、無理だよ、」

遠い目になる友人に、さすがに同情する。
そう言えば、紫鷹の誕生日プレゼントに粘土で大瑠璃のブローチを作った時も、内緒にできずに、結局二人で一緒に作ったんだったな。

ひなは、会う人すべてに印を見せようとするばかりか、ついには亜白様への雁書にも、書いてしまったらしい。


「俺の印が嬉しいと言うから、自慢するならこっちにしろと譲歩したんだよ、」


鷹の周りを小さな大瑠璃が飛ぶ紋章。
16になった時に紫鷹が新たに定めた紋だ。
大瑠璃の意味は、公にはしていないから誰にもわからないだろうが、学院の一部の人間は、紫鷹が上着の下にいつも歪な紫色の鳥を付けているのを見ている。そこから察する人間も少なくないだろうし、噂が広がるのは時間の問題だろう。

その紋章をひなの服や所有物のあちこちに刻んでやったら、ようやく服を脱ぐのをやめてくれたと言う。
ひなの周囲の人間の苦労に涙が出そうだ。

「…一応、元気になった、と言うことでいいんだよな?」
「まだ、時々ひどい顔をしてるけどな。魔法もしょっちゅう、おいで、とか言うらしい。…でもまあ、ひとまずは留まってくれたかな、」

再び調子ハズレの歌を歌い出したひなを見つめて、紫鷹は穏やかに笑う。
色々ありすぎて、振り回され続けたから、安心したのだろう。数日前の嫉妬で狂った顔や、生気のないひなを抱いて項垂れていた姿を思えば、素直に良かったな、と思う。

その一方で、少し腹立たしくもあった。

「印で?」
「そうらしい、」
「したの、」
「するわけないだろ。あいつ、何もわかってないのに、」
「一応、理性はあるんだな。もっと見境ないかと思った、」
「……何だ、」

怪訝そうに視線をこちらへ送った皇子を無視して、釣り糸を手繰り寄せ、餌を付け直した。ついでに俺の餌もつけ直してくれ、と言う殿下は放っておく。

「何でお前の機嫌が悪くなるんだ、」
「知りませんよ。殿下とご婚約者様が幸福そうなので、それでいいんじゃないですか、」
「何だ、雀と上手く行ってないのか、」
「それは関係ありません、」

正直、上手くいっているかどうかと判断できる程、交流が持てる訳でもない。
婚約者と言っても、家同士が決めた相手だ。殿下とひなのように、深いつながりがある訳じゃない。

まあ、二人に振り回されてそれどころでないというのが、一番の原因だが。

ひなの混乱は仕方ないとしても、二人の痴情のもつれに巻き込まれたのは納得がいかない。惚れさせたいだの、嫉妬だので翻弄させておきながら、気づけば、二人で仲睦まじくやっているのは何だ。
こっちは、二人の婚約に関わるあれこれもあって、駆けまわっているのに。

「うらやましくなった?」
「はい?」
「日向が俺に惚れたのを見たら、うらやましくなったんだろう、」

また阿呆なことを言い出した皇子を見れば、岩の上に座り込んで、ニヤニヤとこちらを見下ろしている。
本当に腹立たしい。

「日向のやつ、俺にときめくんだと分かった途端に、色んな顔を見せるようになったよ。俺だけに見せるの。お前にも懐いてるのは確かだけど、あの顔を見たら、ちゃんと俺に惚れてるんだなって分かったよ。うらやましいだろう、」

惚気だした馬鹿は無視して、釣り糸を放った。
向こうの岩の上では、ひなが歓声を上げ出したから、多分釣れたのだろう。
そろそろ俺も一匹くらい釣っておきたい。

「俺も婚約は政略になるんだと思ってたから、愛情は二の次だったけどな。いいよ、惚れられるってのは、」

ひなの釣り上げた魚が大物だったようで、岩の上はにぎやかだ。
俺もあちらが良かった。
どうせ演習の間は俺も東も同じ場所にいるのだから、たまには護衛対象を交換してもいいのではないか。

「雀は、お前に惚れてると思うけどなあ。どうなの、お前は、」

ああ、またひなの調子はずれの歌が聞こえ出した。
今度は大物が連れた歓喜の舞つきか。
ご機嫌だな。良かったな。

「何なら離宮に呼ぶか?雀なら日向も懐くと思、」
「お断りします、」

睨みつけてやれば、岩の上の色ボケ皇子が嬉しそうににやりと笑うから、本気で殴りたくなった。
こちらが無視しているのをいいことに、何を言い出すんだ、この馬鹿は。

「へえ、日向相手でも、雀を取られるのは嫌か、」
「……お前の頭の中には、色事しかないのか、」
「これでも悪いと思ってるんだよ。藤夜の時間を大分奪ってる自覚はあるからなあ、」
「なら、ご自分でできることはご自分でどうぞ。殿下のお世話が減るだけで、随分楽ですから、」
「え、ミミズは無理だろ。餌はつけてくれ、」
「知らん、」

「しおう、」

ほら、愛しのひなが来たんだから、ひなに頼めばいい。
多分、ひなの不器用な手では針に餌をつけるのは難しいだろうけど、ひながいれば愛の力で何でも克服できるのがお前だ。せいぜい2人で大騒ぎしながら戯れたらいい。

東が片手に下げたバケツに自分も手を伸ばして、ひながよたよたと歩いてくる。
その姿を認めたら、俺の主はいとも簡単にこちらを揶揄うのをやめて岩を降りた。

「ます、大きい!つれた!」
「へえ、でかいな。こんなのいるの、」
「あっち、もっと大きいの、いる!わかばが、つる!もえぎは、小さいの、いっぱい、つった!」
「通りでこっちが全く釣れないわけだ。お前たちが全部釣ってんのか、」
「うん!」

ひなは、バケツの周りをぴょんぴょんと跳ねまわって、再び楽しそうに踊り出す。

「さかながつれた、ますがつれた、僕は一匹、わかばは大きいの、もえぎはいっぱい、しおうはつれないー、」

紫鷹は、何だそれ、と顔をしかめて見せるが、ひなを前にしたらそれもすぐに緩む。
まあ、ひなのおかしな舞を見て、笑わずにいられるわけがないんだが。かく言う俺も、笑った。東までもが、歯を見せて笑うから少し驚いたよ。すごいな、ひな。

双子も、稲苗も、利狗も、あちこちに散らばった学生たちも、笑顔だった。
その光景を眺めて、紫鷹は嬉しそうに瞳を細める。


お前には絶対言わないが、うらやましくはある。
困難だらけなのに、いつも二人して必死にもがいて、決して互いを離さないだろう。
その結びつきが、日を重ねるごとに強くなっているのは、傍から見ていても分かるよ。
お前とひなの言葉を借りるなら、二人は確かに番いなんだと思う。

まだ出会って1年と半年。
たったそれだけの時間で、そんな強い絆を築けるのは、正直言ってうらやましいよ。

「殿下、釣れないのでしたら、こちらへどうぞ、」
「私たちは十分釣りましたので、」
「いや、お前らのせいで釣れないんだと思うんだが、」
「しおう、へた、」
「ふふ、お教えしましょうか?」
「日向様はお上手でしたよー、」
「はあ?」

いつの間にか、普通の学生生活も楽しんでいるしなあ。
ひなのおかげで、お前が意外とヘタレだと言うことがバレたせいとも言えるが。
ひなが学院に通い出すまでは想像もできなかった光景だから、こんな日々が送れるのも、うらやましくはある。

「藤夜、勝負だ、」
「はい?」

先ほどまでひなが座っていた岩の上に立って、馬鹿がまた何か言い出した。

「俺ですか?」
「お前もまだ一匹も釣っていないだろ。一応授業だからな、一匹くらい成果を上げないと記録の書きようもないだろ、」
「そこは、何とでも…、」
「とやも、へた?」
「日向に言わせたままじゃいかんだろ、」

いつの間にか俺の周りをくるくると回り出したひなが、何かを期待するように見上げていた。

「勝ったら何があるんです、」
「ちゅうする、約束、」
「……俺もですか?」
「はあああああ!?なわけあるか、」

もはや、先ほどまでひなに集まっていた温かな視線は、全て紫鷹へ向かっている。
この演習を受講し始めた当初は、皇子の威厳も少しは気にしていたようだが、今はかけらもないな。
今の紫鷹は、皇子でも何でもなく、完全にひなに恋慕するただの色惚け男だ。

なら、多少の報復も許されるだろう。

釣竿を持って岩の上に登ると、ひなは嬉しそうに歓声を上げた。
ひなの四人の友人たちも岩の下に並んで、楽しそうに観戦し出す。

「とや、がんばれー、」
「藤夜様、応援してます、」
「あら、若葉は藤夜様?じゃあ、私は殿下かな、頑張ってください、」
「ひー、どちらも頑張ってください、」
「お怪我のないように気をつけてくださいね、」

紫鷹は、応援する相手が違う、とひなに怒っていたが、無視してさっさと釣り針を放った。
色狂いの皇子には悪いが、鬱憤を晴らさせてもらおう。

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