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第弐部-Ⅲ:自覚

149.紫鷹 嵐の後で

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寝室に入ると、日向はいつものように天井を見上げたままぼんやりとしていた。

「やっと力尽きたか、」

思わず、ため息混じりに笑った。
風呂に入る直前まで、抱き着いたり、くるくる踊ったりしながら、いかに俺にときめくか、告白し続けていたもんな。
そろそろ力尽きてもらわなきゃ、困る。

俺は散々な1日だったよ。
奈落に突き落とされたかと思ったら、心臓を射抜かれ続けて、ひどい醜態を晒した。
今も思い出すだけで、顔を覆って走り回るか、何かにこの恥ずかしさをぶつけたい衝動に駆られる。

そんな一日がようやく収束した訳だ。
やっと安息の時間が訪れた。


そう思っていたんだけどな。


転がる日向の横に腰を下ろすと、へらり、と下手くそな笑顔が俺に向かう。
声も出ないくらい疲弊して、起き上がることもできないくせに。
俺が側に寄った途端、幸せそうな顔をする。

そのせいで、また俺は胸が苦しくなってきたよ。


「日向は……、俺がいるのが良いんだっけ、」
うん、
「今、ときめいてんの?」
うん、
「本当だ、少し脈が早いな。そんなに嬉しい?」
うん、



水色が、ゆるりと緩んで三日月になった。
青白かった頬がほんのり赤くなっているのは、気のせいじゃないな。
俺が来た、それだけでときめいて、日向は鼓動を早くする。

他でもない、俺だから。
日向の中で、俺が特別だから。

そのことがあまりに幸福で、たまらず小さな体を抱き上げた。










『しおうが、嫉妬したら、うれしかった。僕は、しおうの。しおうの、じゃない、と、 しおうは、嫉妬。いいね、』
『とやは、ダメって、言うけど、しおうの、だだが、ときめく、よ。すみれこさまが、しおうは、赤ちゃん、って言った。僕は赤ちゃんが、ときめく』
『隠れ家でね、しおうを待った時、怖かったけど、声が、うれしかったよ。僕、しおうの声が、いい。一番、安心。一番、きらきらする、』



水色の頭が肩に擦り寄るのを感じながら、小さな体を抱いてゆらゆらと揺れた。
そうしてゆっくりと日向の体が解けていくのを待っていると、次々に昼間の告白が思い出されて、いろんな感情が湧く。

俺は嫉妬でしんどかったのに、それを喜んでいたのか。なんて奴だ。
あと、俺は赤ん坊じゃない。俺が赤ん坊なら、この腕の中で安心しきって完全に俺に委ねている日向なんて、胎児みたいなもんじゃないか。
でも、一番は俺だもんな。

俺が一番安心で、一番きらきらするんだもんな。


「……なんで、笑う、」


思わず口元が緩んだのを、日向は見逃さない。
そりゃそうだ。
俺が寝室に入って日向に声をかけてから、日向の視線はずっと俺を見たままだ。

たまらず、口元がさらに緩む。


「日向が俺に惚れてると思ったら、ニヤけた。日向だって、ずっとヘラヘラしてるだろ。そんなに俺が好き?」
「……うん、」


昼間散々、日向の良いようにされたから、少し意趣返しのつもりもあったんだけどな。
まだ少しぼんやりとした瞳でじっと見つめたまま日向が頷くから、俺の心臓はぎゅうっと鷲掴みにされた。

日向の言葉はいつも直球だ。
これじゃあ、俺は避けようがない。

思わず、顔を隠すように日向の肩に頭を埋めた。
多分、また顔は真っ赤だ。
俺の胸に手を当てていた日向には、鼓動が早くなったのも、体が熱くなったのも全部ばれているんだと思う。
ふにゃふにゃ笑い出したのは、そのせいだろ。


「……しおう、かわいい、」

ほら、また始まった。

「や、めてくれ、日向。今日はもう、限界、」
「……僕がときめく、わかった?」
「十分わかったよ。だから今日はもう勘弁して。俺の心臓が持たない、」


学院の小部屋で、日向の口から突然の告白が飛び出して以来、ほとんど一日中俺は日向の真っ直ぐな感情を聞かされ続けたんだ。
それこそ日向が離宮に来て俺にはじめて会った時から、今日に至るまで、日向がどんな風にときめいて、何が嬉しかったのか、ほとんど全て聞かされた。

もう、流石に理解したよ。

日向の中には、ずっと俺がいたな。
俺はずっと日向の中心にいて、日向の心に完全に住み着いている。
もう俺なしじゃ、日向は生きられない。


そのことを実感すると、あまりにも幸福感がデカすぎて耐えられなかった。
そう、幸福でどうにかなりそうなんだ。


「日向は…、趣味が悪いよ、」
「……変態?」
「そう、変態。何で、俺の泣き顔とか、格好悪いとこばっか好きなの、」
「……変態は、いい、って、しおうが、教えた、」
「教えてないけどなあ、」
「……しおうと、一緒は、いい、」

そうか、俺と一緒なら変態でもいいのか。
気持ちを落ち着けようとしたのに、失敗した。
むしろ体の熱はぐんぐん上がって、心臓はもう口から飛び出しそうだ。

そこに日向が、追い討ちかける。


「……ちゅう、する?」


心臓が一際高く弾かれて、一瞬止まったかと思った。
その衝撃のまま頭を跳ね起こして、日向の顔を覗く。ほとんど反射的に沸き起こった欲望は、日向の言うちゅうを強請ろうと必死だった。

そんな俺を見て、日向はふにゃふにゃ笑う。
ちゅう、と言えば俺がこんな反応をするのも、分かってるんじゃないか?趣味が悪いだけじゃなくて、意地も悪い。

でも、そんな日向が好きだ。
大好きだ。

だから、聞いた。


「いいの?」


火照る体と真逆に、頭の中が冷静になっていく。

風呂に入る直前まで、ひと時も落ち着いていられず喋り続けていたのに、風呂に入った途端、人形のように表情をなくして動かなくなったと宇継に聞いたぞ。
俺が刷り込んで、日向自身が俺に執着して、どこかに去りたい衝動は小さくなったかもしれない。
だけど、その発端となった傷は、今も日向に刻まれているだろう?

日向は日向自身の体を愛せない。
記憶の中の恐怖の象徴が、自分の体になってしまったから。
口づけは、その恐怖を呼び起こす引き金だ。


「……しおう、いや?」
「嫌なわけないだろ。でも日向が朝泣く羽目になるのは嫌だ。日向の泣き声で目覚めるのは、俺も辛い、」
「……好きは、ちゅう、する、」
「日向の方こそ、嫌じゃないの、」

簡単に応じると思った俺が、快い反応を示さなかったせいか、緩んでいた日向の頬が少しだけこわばった気がした。瞳も潤んでいくから、いじめているような気分になって少し焦る。
意地悪で言っているわけじゃないんだよ。

俺はいつだって日向に口づけたいし、全部欲しい。
俺の執着がひどいことは、日向だってもう十分理解しただろう。
だけど、日向を愛しいと思えば思うほど、大切にしたくて、俺は二の足を踏んでしまう。


「……いや、もある、」

ほらな。

「……ちゅうを、したら、また、どこかに行きたいに、なる、」
「なら、無理するな。日向が側にいることの方が大事だ、」
「……でも、しおうの、とろとろを、見たい、」
「うん?、」
「……とろとろの、しおうが、僕は、好き、」

また、おかしなことを言い出した。
こういう時の日向が録なことにならないのも、俺はもう理解したよ。

見れば、ゆらゆらと揺れていた瞳が急に輝き出して、日向の体に力が漲っていく。


「……僕が、しおうを、かわいく、する、」


何で、名案だ!とでも言うように一人で頷いているんだ。

また俺を襲う気だな。
雄々しい、と藤夜が言ったのは、あながち間違いじゃない、と顔がひきつった。

散々、日向に振り回された1日だった。
日向にならいくら振り回されたって付き合うけど、最後くらい、俺が主導権を握ってもいいだろう。


「わ、」


俺を押し倒すつもりで飛び起きた日向を、そのまま捕まえて、二人でベッドに転がった。

「しお、僕が、やる、の、」
「させるか。人が心配してるのに、無視して盛るな、」
「やぁ、だぁ、」
「あ、こら、お前、手癖まで悪くなったのか、ぅぶ、」

日向をベッドに押さえ込もうとすると、枕が飛んできて顔を掠める。避けて再び捕まえようとしたら、今度はうさぎが飛んできて顔面を覆った。

あはっ、と日向の笑う声がする。
それだけで、俺の胸は鳴った。

「…投げるんなら、うさぎは、いらないな?」

うさぎ越しに見返した先で、日向の表情が勇ましい物から頼りなさげになるのが嬉しくて、つい意地悪を言う。

「ちがう、しお、ごめん、ちがう、うさぎ、僕の、」
「せっかく母上がくれたのにな。投げられて可哀想だ、」
「ちがう、うさぎ、僕の。ごめん、うさぎ、」

泣くかな。
意地悪で泣かせたい訳じゃないけど、日向が泣けるなら、泣かせてやりたい。
そんな阿呆なことを考えたら、日向がうさぎめがけて飛びかかってくるから、そのままベッドを降りて逃げた。
ああ、怒った。

「しお、返して、うさぎ、僕の、」
「大事にできないなら、いらないだろ、」
「いるの!しおう、ばか、」
「傷ついた。もう、返してやらん、」
「やだぁ、ごめん。しおう、いじわる、しない、で。しお、やだぁ、」

怒り顔から泣き出しそうな顔へ。
表情が変わるたびに俺の胸が高鳴るのを感じて、俺も日向も似た者同士だなと思う。

日向の表情全部が好きだ。
笑うのも、泣くのも、怒るのも、怖くて震えるのも、嬉しい時に全身で喜びを表現するのも、全部全部大好きだ。
俺だけじゃない。日向もそうだ。

日向の届かない位置にうさぎを持ち上げて部屋の中を逃げ回っていると、小さな体が飛びついて俺の体をよじ登り始めた。不器用な手足に力を込めて、一生懸命上へ上へと這いあがろうとするのが愛しい。

「うさぎ、わ、」

俺の首を絞める勢いでしがみつく日向が、必死に手を伸ばしてうさぎを捕まえる。
小さな手がうさぎを引っ張り寄せようとするのに任せて、日向ごとベッドに倒れた。


「眼、まん丸だな、」


驚いた日向が水色の瞳を見開いて、俺を見上げる。
ぱちぱちと何度か瞬いて、ぎゅうっと腕の中のうさぎを抱きしめた。
うさぎに嫉妬しかけた自分に呆れていると、腕の間で、俺の王子は可愛いことを言った。


「ちゅう、する?」


水色が期待でキラキラ輝いている。
なら、応えなきゃならないか。

なんせ、俺は日向の特別だ。
明日の朝、日向が泣いたって、俺は側にいる。
ずっとずっとこんな風に笑ったり泣いたりしながら、日向と生きていく。


唇を重ねたら、日向の温もりが体の内側へと染み込んで、日向の命を確かに感じた。



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