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第弐部-Ⅲ:自覚

143.藤夜 友は王子をときめかせたい

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「どうすれば、日向をときめかせられる、」

今朝、学院に向かう馬車の中で、紫鷹が急に言い出した。
知るか、と一蹴したかったが、その腕の中で何故かひなまでもが俺に答えを求めていて、無碍にできなかった。

でも、正直なところ、二人の痴情のもつれに俺を巻き込まないで欲しい。





「…それで、お前はあれを止めないの、」

昼食のための小部屋で、ひなが若葉(わかば)と萌葱(もえぎ)を相手に一生懸命話している。

今日は本来、ひなの登校日ではない。
だが、どういういきさつか、ひなは学院へ向かう馬車に乗っていた。すでに草が根回しを済ませていたのだろう。ひなが突然現れたことに学生たちは騒いだが、教授陣には咎められることもなく、午前の講義の間中、ひなは紫鷹の膝に座っていた。

講義の間は、表情もなくぼんやりとしているだけだったから、無理をしているのではないかと案じたが。


「……僕は、しおうが、好き、でいい、」


双子を部屋に呼びつけたかと思ったら、開口一番そんなことを言い出すから、面食らった。
双子の方こそ、なんの話だと混乱しただろう。今は二人揃って顔を真っ赤にしたまま座っているが、一体どんな心境なんだろうか。

「日向が若葉に言いたいことがあるって言うから連れて来たんだよ。止めてどうする、」
「…急に呼び出されて惚気られる方の気にもなれ、」
「そこは、日向だからな。あれで必死なんだよ、」
「それは…、何となくわかるけど、」

たどたどしい口調でひなが語るのは、他人が聞けばただの惚気だ。
ひなは紫鷹がいることが安心するだの、紫鷹の目が綺麗でずっと見ていられるだの、紫鷹が初めてご飯を持ってきた時は怖かったのに今は一緒じゃないと嫌だの、紫鷹が加護を込めた青巫鳥(あおじ)が一番の宝物だのと言われても、双子も困るだろう。

ただ、ひながあまりに真剣な形相で話すから、双子の方もいつの間にか呑まれて必死に聞いているようではあった。


「俺たちが与えたしがらみだけど、日向自身もそこにしがみつこうと頑張ってるんだよ。多めに見てやって、」


ひなと双子がただならぬ雰囲気でおかしな話をしているのを眺めて、俺の主は慈しむような目をする。
ひなが学院に通うようになって、お前がその表情をさらすようになったから、令嬢方が幾人も恋心を抱いてはすぐに失恋しているのだと噂になっているんだぞ。

そこに、こんな惚気話が広まってみろ。被害が拡大するばかりだ。

「ひなの気持ちは尊重するけど、……ひなの出自や生い立ちを晒すつもりはないんだろう?結構きわどい話をしているけど、平気か、」
「その辺は萩花(はぎな)が先に双子に話してくれてるよ。口外はしないと思う、」

通りで、部屋に入ってきたときの二人の表情が重かったわけだ。
昨日、離宮で玉蜀黍(とうもろこし)を収穫した時は、誰よりもはしゃいでいたように見えた。
萩花が全て話したとは思えないけれど、いくらかいつまんで話したって、ひなの過去は悲惨だ。16歳の学生が簡単に受け止められるものじゃない。

「…了承した上であれか、」
「そう。日向は人を見る目があるよな。ちゃんと自分の味方が分かってる、」
「双子を連れて来たのは、稲苗(さなえ)だけどな、」

そうだっけ、と笑う紫鷹が幸福そうに見えた。

ひなの話を聞く双子の表情は真剣だ。
決して仕方なしに真剣さを装っているのでもない。ひなの生い立ちを知ってショックは受けたのだろうが、その上でひなに向き合おうと目を逸らさずにいる。

会話の内容は置いといても、ひなにとってとても幸福なことだ。
それが、俺の主には嬉しいらしい。
まあ、この馬鹿は、話の内容にも喜んでいるのだろうが。


「それで、日向を俺に惚れさせたいんだけど、」


萩花が動いているなら任せればいいか、とひなと双子の友人たちを眺めていると、今度はこちらでも阿呆が恐ろしく馬鹿な話をし出す。

「知らん、勝手にやっててくれ、」
「馬車では聞いただろ、」
「ひなの手前、仕方ないだろ。そういうのは自分で頑張れよ、」
「その日向が、俺にときめきたいんだって、」
「はあ?」

何を言い出すんだ、と友を見るが、こちらもひなに負けず真剣な表情だ。やめてくれ。

「俺のことが好きなのに、若葉に好きじゃないと思われたくないんだと、」
「……思わんだろ、」
「俺が日向にときめくのに、自分がときめかないのも嫌らしい。俺と同じがいいんだって、」
「ああ、そう、」
「自分は絶対に俺のことが好きなんだから、ときめかないといけないんだ、って何か必死なんだよ、」

真面目な顔で、何か惚気られたな。

若葉も萌葱も、生態学の学生たちも、誰もひながお前を好きじゃないなんて、思わないよ。周りの目など気にせずいちゃつくくせに、今更何を、という話だ。
これが紫鷹なら、そう言ってお終いだった。
困るのは、紫鷹でなくひなが言っているということだ。

ひなの顔はずっと険しい。
小さな手をぎゅっと強く握っているのが見えるから、胸の内は表情以上に修羅場なんだろうなと思った。
それを救ってやりたいと思えばこそ、双子も真剣に聞くのだろう。俺にも同じ感情がある。

だが、どうしろと。

「…俺よりあの二人の方が、そういうのには詳しいんじゃないの、」
「それはあの二人の反応次第だな。だけど、藤夜だって婚約者はいるだろう。雀とはどうなんだ、」
「家同士の決まり事に、殿下の言うときめきを期待しないでください、」
「お前が俺に付きっきりで会う暇がないから、婚約者の立場がないと嘆かれたぞ、」

一体、いつ、どこで、なぜ、そんな会話を交わしているんだ。
ジロリと睨みつけると、紫鷹は真剣な顔を崩して、悪戯が成功した時のように笑う。

そのまま、頼むよ、と紫色の瞳で真っ直ぐ言われたから困った。
ひながその紫色の目が好きだと言っていただろう。ご令嬢方も、お前のその目が表情を変えるだけで、簡単に恋に落ちる。

その威力を、俺は子どもの頃から散々に見せつけられているから、嫌なんだ。


「……ギャップ、じゃないの、」


何を阿呆なことを真剣に答えているんだと頭が痛くなった。
だけど、紫鷹が嬉しそうに紫色の瞳を輝かせて俺を見るから、結局のところ負けてしまう。

「ご令嬢たちは、怖いと思っていたお前が、ひなには優しいのを見て、ギャップに落ちるらしい、」
「なるほど、」
「ひなは、お前が側にいるのが通常だろ。お互い知り尽くしているから、今更ギャップと言っても思いつかないけど、」
「日向には、格好悪いところも散々見られているからな、」
「格好良いと、言われことは、」
「モグラの巣を掘り当てた時かな。あの後、しばらく尊敬の目で俺を見てた。可愛かったな、」
「なら、それじゃないの、」
「それか、」

知ってるか、紫鷹。
ひなの中で、多分お前は「可愛い」だ。

ひなが「格好いい」と言うのは、萩花や纏(まとい)のような安定感のある大人たちだ。
お前じゃ手も足も出ないような格好いい人たちだよ。
あるいは、亜白(あじろ)様や稲苗のように、何かに精通している人間かな。
熱心であればある程、ひなの瞳は憧れに輝く。その視線が離宮の人間に向ける安心し切ったものと違って、少し熱を帯びていると感じることもあるけど、多分それを言うとお前は発狂するよな。

ただ、そこに、勝機はあるかもしれないとも思う。
ひなにとって可愛いお前が格好良くなったら、ひなもときめくかもな。

そこまで考えて、何て阿呆なことを、と気が遠くなった。

「…正直、ときめかなくても、ひなには他に選択肢もないと思うけど、」

紫鷹の熱に飲まれそうになる自分に呆れてため息をつくと、俺の友は、そうかもな、と笑う。

「ひなには帰る場所も安らぐ場所も、他にないだろ。別にお前に惚れなくたって、どこにも行かないよ、」
「転移魔法が使えちゃうのに?」
「ひなの護衛がどれだけ優秀だと思ってるんだ。ひなはある意味不自由だよ、」
「そうだなあ、」

それに、紫鷹に惚れなくたって、ひなの1番の安全圏はお前だ。
ひなが紫鷹に向ける愛情が何であっても、ひなはお前のとこにいると思うよ。
そうなると、やっぱりお前がひなに惚れて欲しいだけじゃないのか。


「そりゃ、俺が日向に惚れられたいってのが1番だけど、同じくらい、日向自身にしがらみを作ってやりたいんだよ、」


それは、惚れられたいのと同義じゃないのか。
そう思ったが、その言葉が口から出る前に飲み込んだ。多分、結果は同じだとしても、根本が違う。

紫鷹は、また愛しそうにひなを見る。
その瞳のまま、俺を振り返るから、ため息をつくしかなかった。
ああだこうだ反論を考えても、俺は結局巻き込まれる運命だ。

「…ひなは、離宮に来て、最初にお前を見てるから、親鳥みたいな刷り込みもあると思うよ。」
「だろうなあ。そういう意味では、しがらみは相当強いんだろうけど、」
「親鳥から番いに変わりたいと言う話だろ…。どんだけ難題だと思ってるんだ、」
「分かってる。だから、お前の力も欲しいんだよ、」
「……とりあえず、ミミズから克服すれば?」

ひっ、と紫鷹の喉の奥から悲鳴が上がったのを聞いて、少しだけ溜飲が下がった。
笑って見下ろしてやると、青ざめながらも真剣に検討し出したから、愛の力は偉大だな、と呆れたけども。


「……しおう、」


ひなの掠れた声が、双子からこちらへ向けられた。
話終えた満足感か、あるいは、若葉に納得させられた満足感か、ひなの瞳は大きく開いて、頬も少し紅潮している。
その後ろの双子はもっと真っ赤だったが、最初のうちの戸惑いや険しさはなかった。こちらも満足そうに見えるのは、なぜだろう。

「話せた?」
「……もえぎが、くれた、」
「本?」

紫鷹が、ソファからひなの体を抱き上げる。
その小さな手に、装飾の美しい本を抱えていた。

「ご令嬢たちの間で流行っている物語です!」
「日向様が、ときめきを勉強されたいと仰るので、どうぞ!」

双子が興奮気味に、本の内容を語った。
いわく、王子とご令嬢が惹かれ合い、様々な困難にぶつかりながらも一途に思い合って、やがて結ばれる恋愛物語だと言う。

双子の勢いか、物語の中身か、紫鷹が固まった。
そこに、ひなが追い打ちをかける。


「……寝る前、読んで、ね、」


すごい形相でひなを見た紫鷹に、流石に吹いた。
双子は、まさかこんな展開になると思わなかったのか、一瞬呆然としたが、すぐにニコニコと笑いだす。

ひなを抱いて、王子と令嬢の恋模様を読み聞かせる紫鷹か。
内容は知らないが、俺なら恥ずかしくて無理だ。
でも、想像すると笑える。

「こ、これを読み聞かせるの?」
「……うん、」
「俺が?」
「……しおうが、いい、」
「だよなあ、」

ひなが強請るように紫鷹を見つめれば、紫鷹は簡単にころりと落ちる。
仕方ないな、と言う顔をし出したから、多分、今夜あたりおかしな光景が始まるのだろう。

せっかくだ、お前も一緒に勉強したらいい。


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