第八皇子は人質王子を幸福にしたい

アオウミガメ

文字の大きさ
上 下
125 / 202
第弐部-Ⅱ:つながる魔法

123.宇継 少しずつの一歩

しおりを挟む
うー、と隠れ家の中から声がした。
そうかと思うと、次の瞬間には、ほとんど叫ぶような悲鳴が扉の向こうから響く。

ああ、またうなされているのだ。
駆け寄って隠れ家に声をかけるが、返答を待たずに扉を開いて小さな体を隠れ家から引き出した。

「日向様、大丈夫ですよ。ここは離宮です。みんな、日向様を大好きな離宮です、」

震える体を強く抱いて、何度も囁く。
目を閉じたまま小刻みに震える日向様は、細い腕を振り回して、何かをふり払おうとした。それを背中を擦ってなだめると、悲鳴が徐々にすすり泣きに変わり、小さくな口は「いやだ」と繰り返す。口でそんな風に拒絶を示すのに、白い手はいつしか私の服を縋るように掴んで離さなくなった。

「…いら、ない、に、ならない、で、」
「誰もなりません。日向様が大好きですよ。宇継は離しませんから、」
「ぅ、つぎ?」
「ええ、宇継です。おわかりになりますか、」
「…しぉ、は、」

ぼんやりと私を見上げた瞳が、うつろに瞬く。
私の存在を認めて安心するのに、一番欲しい温もりが得られずに悲嘆するのが分かった。
ずっと、求めておられますものね。

「殿下はお部屋におられますよ。…会いに行かれますか?」

こんなにも求めているのに、また瞳が陰って、体は小さく震えだす。

「しぉ、行かない、行け、ない、」
「そうですね。また、日向様がお元気になられましたら、会いに行きましょう、」
「しぉ、う、」
「殿下はいつまでも待っていてくれますから、大丈夫ですよ、」
「…ならない?しおう、いらないに、ならない?」
「なりませんとも、」

まだ半分夢の中にいるような日向様は、弱弱しく赤子のように泣いて、何度も殿下の名前を呼んだ。


毎夜繰り返される日向様の悪夢。
毎晩うなされて悲鳴をあげ、目覚めてからは紫鷹殿下がいないことにひどく落胆する。
それでも、昼も夜も関係なく悲鳴を上げていた頃に比べると、ずいぶん良くなった。

「殿下は毎日いらしてくれるでしょう?」
「うん、」
「殿下は、会えなくても日向様の側にいたいんですよ、」
「うん、」
「日向様の声が聞けた時は、大喜びだったでしょう?」
「うん、」
「お手紙も毎日送ってくれますね、」
「ぅん、」

赤ん坊のように泣く日向様をあやして部屋を歩き回った。今日はなかなかはっきりと目覚めなくて、ようやく意識が明瞭になり出した頃には、窓の外が白けだす。
小さな体は泣き疲れてぐったりとしていたけれど、紫色の手紙を渡すと、しっかりと握って胸の中に抱いた。
力加減がうまくいかず、皺だらけにしてしまったと再び泣くが、殿下の文字を眺めるうちにだんだんと落ち着いて表情が穏やかになっていく。

「…しおうは、僕が好き、」

小さな体を抱いたまま明るくなってきた窓辺に立つと、日向様は手紙に視線を落として、確かめるように呟かれた。

「ええ、紫鷹殿下は日向様が大好きですよ、」
「…いらなくならない?」
「もちろんです、」
「できなくてもいい?」
「どんな日向様のことも、殿下はお好きですよ、」
「うん、」

毎日、同じ質問をされますね。
殿下は日向様が大好きですよと繰り返せば、うん、と頷くけれど、わかった、とは仰らないのは、きっとまだ自信が持てないからですね。

人は、誰かに愛されていると確信し、自分の居場所が確かにあると確信できることで、ようやく本当の意味で安心できるのだと聞いた。人は人とのつながりの中で生きる生き物だから、衣食住や身体の安全が保障されても、愛情や居場所に確信が持てなければ不安になるのだと。

日向様にはそのどれもなかった。
離宮へ来て、ようやく得たけれど、いつ失われるかと言う不安はきっとずっとあったのでしょうね。
毎日、「いらなくならない?」と問うのは、日向様の中でその安心感が大きく揺らいで、取り戻せずにいるから。


でも、何が怖いのかもわからず、問うことさえできなかった日々に比べたら、うんと良いですね。


日向様を知らなければ、毎夜悪夢にうなされる姿も、紫鷹殿下への自信が持てない姿も、切ないばかりで苦しくうつるかも知れない。
でも、少しずつ少しずつ、ささやかな歩みではあるけれど、日向様は確かに前に進んでいる。

隠れ家を出て、お話ができるようになりましたね。
悪夢にうなされる頻度も減りました。
どんなに怖い夢を見ても、ちゃんと戻ってきて人の温もりを確かめ、大丈夫だと確認する習慣が着きました。
お食事がお粥からご飯に戻ったのも、本当に良く頑張りました。
隠れ家の中から、殿下にお声をかけられた時は、殿下も私も涙が流れましたよ。

その小さな歩みの全てが、こんなに愛しくて、大事なんです。
ゆっくり、少しずつ、日向様にそれが伝わると良い。


「しおうは、いらなくならない、」
「ええ、大丈夫です、」
「うん、」


朝日が昇って、窓辺に青巫鳥(あおじ)がやってきた頃、日向様はもう一度確かめるようにつぶやいて、私の腕を離れた。
窓の外の青巫鳥にパンをあげてしばらくお話された後は、ゆるりと朝のお仕度をされる。

お洋服はご自分で選んで準備された。
この後はお食事だから、汚れてしまうのも考えて、お食事用のお洋服を決めていますものね。
お顔もご自分で洗えますね。
洗面台の周りも寝衣も全部びしょ濡れにしてしまうし、お顔を拭くのはまだ私の仕事だけれど、日向様はもうご自分でできるようになりました。
濡れたお洋服を着替えるのも、ボタンを閉めるのも、もう随分と上手です。青巫鳥のブローチも、自分でつけられるようになりましたね。

少しずつ私の手を離れていく日向様に、一抹の寂しさを覚えるものの、その成長が嬉しくて、私は朝のこの時間がとても大好きですよ。

「隠れ家にお戻りになりますか?」

もうすぐ殿下がお食事を届けにいらっしゃる時間。

「…んーん、」

大きなソファの真ん中にちょこんと座って、少し緊張した面持ちで日向様は首を振られた。手には、紫色のお手紙。ぎゅっと握ってしわくちゃになってしまっているけれど、今はそれを気にされる様子もない。


「僕は、自分で、動けない、から、」


固い表情でそう仰る横顔に、胸が熱くなった。

「よろしいんですか、」
「がんばる、やくそく、」
「…無理はなさらなくて、良いんですよ、」
「怖いも本当、会いたいも本当、」
「ええ、どちらも日向様の本当のお気持ちですね、」
「うん、」

目元が熱くなって、小さな水色が頷く姿が少しだけ霞む。


ゆっくり、少しずつだけれど。
ご自分にできる方法で、日向様は前に進んでいくんですね。


日向様の大好きな林檎のお茶をお淹れしましょう。
飲まれなくとも、大好きな香りが少しでも日向様の緊張を緩やかにしてくれると良い。
くしゃくしゃになったお手紙は、後でアイロンをかけて、綺麗に伸ばしますね。


扉のところの護衛が、いつの間にか畝実(うなみ)さんから官兵(かんべ)さんに変わっていた。きっと畝実さんは殿下の元へ走られたのだろう。官兵さんは、とてもやさしいお顔で日向様を見守られている。

しばらく日向様はそわそわと落ち着かなかった。
ソファの真ん中で座ったまま体を揺らしたり、急に立ち上がってまた座ったり。何度か、隠れ家に体が向かったような気もする。でも思い留まって、またソファの上でそわそわする。
きっと隠れ家に戻りたいのも本当で、座って待っていたいのも本当なんですよね。

そわそわして、ぎゅうっとたくさん手を握って。

やがて、落ち着かなかった体が、ぴたりと動きを止めた。
それとは逆に水色の瞳はあちこちに視線を泳がせて、忙しなく動く。
私にもわかるほど気配が近づいてきた頃には、それもなくなって、小さく固まっていらした。




「日向、」




息を切らすほど慌てていらしたのに、扉を抜けた途端、殿下は固まった。
日向様の名前を呼んで、その姿を確かめて、泣き出しそうな程表情を歪めるのに、足は立ち入って良いものかと迷っておられる。


「しぉ、」


掠れた小さな声。
お体が固まって動かないのに、一生懸命に口を開いて名前を呼ばれる。


「ぎゅ、って、して、」
「ひな、た、」
「僕、動かない、から、しおうが、ぎゅって、して、」


扉のところで固まっていた紫色が、声に惹かれるように、私の前を横切って行った。
私はもう視界が歪んで鮮明には見えなかったけれど、日向様は震えておられなかったと思う。殿下は泣いておられたかもしれない。


朝の穏やかな日差しの中で、紫色が小さな水色を包んだ。


しおりを挟む
感想 44

あなたにおすすめの小説

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく

藍沢真啓/庚あき
BL
婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。 目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり…… 巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。 【感想のお返事について】 感想をくださりありがとうございます。 執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。 大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。 他サイトでも公開中

【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺

福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。 目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。 でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい… ……あれ…? …やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ… 前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。 1万2000字前後です。 攻めのキャラがブレるし若干変態です。 無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形) おまけ完結済み

獣人将軍のヒモ

kouta
BL
巻き込まれて異世界移転した高校生が異世界でお金持ちの獣人に飼われて幸せになるお話 ※ムーンライトノベルにも投稿しています

期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています

ぽんちゃん
BL
 病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。  謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。  五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。  剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。  加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。  そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。  次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。  一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。  妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。  我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。  こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。  同性婚が当たり前の世界。  女性も登場しますが、恋愛には発展しません。

完結·助けた犬は騎士団長でした

BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。 ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。 しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。 強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ…… ※完結まで毎日投稿します

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

処理中です...