第八皇子は人質王子を幸福にしたい

アオウミガメ

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第弐部-Ⅱ:つながる魔法

121.紫鷹 強くなるとは

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強くなるとは、どういうことだろう。

剣や魔法が強ければ強いか、そう聞かれれば、俺は否と答えるだろう。
学問に長けるとか、財力があるとか、地位があるとか、それも違う。

強いとは、例えば母上だ。
他に3人も妃のいる中、優れた外交力と政治力で、皇帝陛下から絶対的な信頼を勝ち取った。
俺だって皇族だから、宮城とは才覚だけではのし上がれる場ではないと知っている。時には狡猾にならねばならないし、己の闇からも人々の闇からも逃れられない、そんな場所だ。その中で信念を貫いて真っすぐ立っている母上を、俺は強いと思う。

萩花もそうだ。
立場だけを言うなら、日向に近い。
西佳(さいか)から帝国の人質として送られたとき、萩花はまだ幼い子どもだった。複雑な立場の中で、いつも己の存在の意味を問い続けていた。
今、萩花が穏やかながらも強く動かずの精神でどしりと立っているのは、その問いに真正面から向き合い続けた萩花の強さだと俺は思う。


藤夜や晴海も強い。
俺や母上を守ると定めているせいか、いつだって芯に一本の筋が通っているように思えた。


俺はどうだろう。
以前は皇太子たる兄上が怖かった。
今でこそ、年の離れた弟に脅かされるのに恐れる兄上を滑稽だと思うが、俺は兄上が俺の大事なものを奪っていくのではないかと怯えていた。

今も、本質的には変わらないと思う。

それが、日向が奪われることへの恐怖に変わっただけで。
俺は今も怯える子どもだ。



「…怖いのは、どうすればなくなるんだろうな、」


そんなことを考えながら日向の手紙に視線を落としていると、ぽろりと声に出た。

水色の手紙の中で拙い文字が、昨日見た夢に、太陽の神様と金色の戦士が出て来たよ、と語っていた。蔵の中から連れ出して、一緒にうさぎを探しに森の中へいったんだと。
それが嬉しくて描いたという絵が、手紙と一緒に添えられている。水色と紫色と金色が緑の中で、白い塊を追いかける絵。とても人とも、うさぎとも取れない造形だったが、日向の嬉しさが溢れるようで愛しかった。

だが、最後に一言。
『早く怖くなくなる、をがんばるね』


「怖くなくなるを、がんばる、か、」

頑張るのは、俺だろうに。
そう思って、拙い文字を撫でていると呆れたような声がした。


「恐怖は、なくなりませんよ、なくなっては困ります、」
「は、」


顔を上げると、扉をくぐった那賀角(なかつの)がこちらへと歩いてきて、向かいに座る。
日向の個別授業を買って出た魔術師は、今は俺の指導者だ。
彼は、腰を落ち着けると、そのままぱらぱらと手帳をめくり、「今日はそこから学びましょうか」と言った。

「恐怖は、生存に必要なサインですよ。よく感情と心を同一視する人がいますが、感情は身体の生理的な反応です。生物が生きるために闘争か逃走かを定める本能的な機能ですから、それを失くすということは、死に向かうと同義です。」
「しかし、魔力を安定させるには、感情の制御が不可欠だと学びました、」
「ええ、不可欠です、」
「なら、」
「失くすことと、制御することは別物ですよ、」
「べつもの、」

淡々と語る那賀角に呆気にとられて、オウム返しになり、日向みたいだと思った。
日向のオウム返しが聞きたい。

そんなことを思って目の前の魔術師を見れば、那賀角は至って真面目な顔で俺を見ていて、やはり淡々と語った。

魔力は、魂と世界のつながりだから、魂の影響を受ける。その魂は感情そのものではないが、感情の影響を強く受ける。魂が弱ければ、扱える魔法は限られるし、魔力が不安定であれば、術式を発動させることさえ困難になるから、魔術師は、感情を制御する術を学ぶ。そんな話だ。

だが、感情は制御するものであって、失くすものでないと、那賀角は言った。

「感情は失くせません。脅威に遭遇すれば、逃げるか闘うかして身を護らねばなりませんから、人は心拍数を上げ血管を広げて酸素供給を増やし、行動に備えます。これに恐怖と人が名をつけたにすぎません。」
「…だが、戦士は戦場で心拍を抑える術を持っていると、」
「ですから、それが制御です。恐怖が消えたのでなく、恐怖を生じて尚、それを抑える術を戦士は持っていたわけです、」

戦士によっては、心拍を抑えるのでなく、あえて上げることで、平時以上の身体力を発揮する者もいるのだと、那賀角は言う。

「恐怖は、必要なもので決して悪いことではありません。悪いとすれば、その恐怖に呑まれて、病んだり生活が困難になることでしょう。戦士が恐怖に呑まれて統率を失えば、勝機は失われます。だから制御するんです。制御の術は千差万別、一様ではありませんが。」

くすり、と那賀角が笑うから何かと思えば、俺は口を開けてぽかんと魔術師を見ていた。
恥ずかしさに顔が赤くなるとともに、なるほど、これが羞恥と言う感情で、確かに感情は体に起こる反応なのだと得心する。これを失くせと言われれば無理だ。その一方で、なるほどと納得させた瞬間に冷めていくのを感じて、これが制御かと思った。


学ぶとはこういうことか。
日向が、術式の意味が分かった途端に魔法が変わったと言ったのが思い出されて、そうか、と胸が熱くなる。


「…俺が、自分の中の恐怖や不安を制御することは可能ですか、」


手の中に握ったままの水色の手紙を、そっと撫でた。
日向が魔法を扱えれば怖くなくなるのだと思っていた自分を恥じる。多分、それを願って叶ったところで、俺はまた恐怖の対象を見つければ、同じように恐怖したに違いない。

恐怖に呑まれ、魂を染めて、日向に甘えたように。
だが、俺の恐怖や不安は、俺のものだ。


「まずは殿下が、ご自分の心癖を知ることです。何に恐怖するのか、どんな時に小さくなるのか、恐怖に呑まれるのはどんな時か。一つ一つ明かして、殿下の心を統べる手段を見つけていくことです、」
「分かった、」
「恐怖に呑まれ足を止めるか、恐怖に支配されず歩み出すか、殿下ならご自分で選べると私は思います、」
「うん、」


『早く怖くなくなる、をがんばるね』


拙い文字が、そう語った意味が、胸の中に深く深く刻まれていく気がした。

日向は、恐怖が自分のものだとちゃんと分かってたな。
震える自分の体を、誰のせいにするでもなく、ずっと自分のものとして、一生懸命向き合っていた。
制御する術をほとんど持っていないから、上手くいかないし、心も体も耐えられないことが多いのに、のまれまいといつも必死にもがいていた。


強いとは、日向を言うんだ。


そう思えばこそ、水色の手紙につづられた言葉が愛しくて、切なくて、宝物のように大事になっていく。


那賀角を相手に、俺が何を恐れるか、その根源がどこにあるか、何がそれを和らげるかを話した。心の内をさらけ出すのが恥ずかしくて、何度も取り繕うとするし、そうでないと思いたいことが己の中にいくらでもあるのだと思い知らされる。

だけど、日向の隣にいたい。
俺の恥や醜さをさらけ出したとしても、日向と生きたい。


「日向様の時も思いましたけど、」


ふ、と那賀角が笑って、あまり感情の分からない瞳が緩んだ。
何だ、と問えば、わかりませんか、と那賀角はまた笑う。

「日向様といたいと思えば、殿下はご自分の感情を抑えられるんですよ、」
「は、」
「日向様といたいと思えばこそ、恐怖にもなるのでしょうけれど、同時にいたいと思えばこそ、殿下は恐怖も不安もかなぐり捨てて、前へ進もうとできるように見受けられます、」
「俺が?」
「ええ、日向様も、殿下に認められないことが恐怖に変わるのは、殿下の傍にいたいと願われるからでしょう?その願いがあるからこそ、日向様はご自分の魔法と向き合う難しさや恐ろしさを超えて、鍛錬に取り組まれるのだと、私は感じておりました。」
「日向が、」

「人の弱みは必ずしも、弱みのまま終わるものではありません、」

その恐怖を強みになさい、そう笑って、那賀角は手帳を閉じる。
結局、魔法の話はほとんどなく、個別授業は終わった。那賀角が部屋を辞すると、呆けた俺だけが残される。


「紫鷹、」



しばらくして入って来た藤夜が、俺の名を呼ぶ。
その手に水色の手紙が握られているのを見て、思考が現実に引き戻された。

「ひなから、昼に送った手紙の返事だ、」

水色の封筒に、鷹と青巫鳥の印璽。
日向の手紙。

それを受け取って開くと、拙い文字が俺の名をつづっていた。


『しおうへ

学院行けなくて、ごめんね。
さっき、ざくろの芽が出たよ。
緑のはっぱ。
はっぱがざくろになるは、本当?
ざくろは、木は、本当?
うららに聞いてね。

ご飯の時、お話してね。
おへんじ、できるように、がんばるね。 ひなた』



ああ、そうか、日向は柘榴の木を見たことがなかったか。
柘榴の実がそのまま土から出てくると思ったか?
なら、小さな緑色の芽を見て、さぞ驚いただろう。
きっと、目を丸くして、そわそわと鉢の周りを歩き回ったんだろうな。

それで、また、『がんばるね』と一人努力している。


「日向を強みにしろ、と那賀角に言われた、」
「うん、」
「俺の恐怖を強みにしろと、」
「そうか、」
「日向にとっても、俺は強みになるか、」
「そうじゃなかったら、ひなは隠れ家を出なかっただろ。ひなだって、お前を番いに選んだんだ、」

ひながお前に惚れてるかどうかは別だが、と藤夜は素っ気ない。
だが、そうだな、と頷いて笑った。


『ごめんね』
『がんばるね』


頭の中で、小さな日向が震えながら頑張る姿がいくらでも思い出された。
その姿に不安になって恐怖を抱くけれど、愛しくて守りたいと俺を強くもする。


そうなのだ、と納得すると、腹の奥底の不安と恐れが、愛しさに包まれて熱くなっていくのを感じた。

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