第八皇子は人質王子を幸福にしたい

アオウミガメ

文字の大きさ
上 下
123 / 202
第弐部-Ⅱ:つながる魔法

121.紫鷹 強くなるとは

しおりを挟む
強くなるとは、どういうことだろう。

剣や魔法が強ければ強いか、そう聞かれれば、俺は否と答えるだろう。
学問に長けるとか、財力があるとか、地位があるとか、それも違う。

強いとは、例えば母上だ。
他に3人も妃のいる中、優れた外交力と政治力で、皇帝陛下から絶対的な信頼を勝ち取った。
俺だって皇族だから、宮城とは才覚だけではのし上がれる場ではないと知っている。時には狡猾にならねばならないし、己の闇からも人々の闇からも逃れられない、そんな場所だ。その中で信念を貫いて真っすぐ立っている母上を、俺は強いと思う。

萩花もそうだ。
立場だけを言うなら、日向に近い。
西佳(さいか)から帝国の人質として送られたとき、萩花はまだ幼い子どもだった。複雑な立場の中で、いつも己の存在の意味を問い続けていた。
今、萩花が穏やかながらも強く動かずの精神でどしりと立っているのは、その問いに真正面から向き合い続けた萩花の強さだと俺は思う。


藤夜や晴海も強い。
俺や母上を守ると定めているせいか、いつだって芯に一本の筋が通っているように思えた。


俺はどうだろう。
以前は皇太子たる兄上が怖かった。
今でこそ、年の離れた弟に脅かされるのに恐れる兄上を滑稽だと思うが、俺は兄上が俺の大事なものを奪っていくのではないかと怯えていた。

今も、本質的には変わらないと思う。

それが、日向が奪われることへの恐怖に変わっただけで。
俺は今も怯える子どもだ。



「…怖いのは、どうすればなくなるんだろうな、」


そんなことを考えながら日向の手紙に視線を落としていると、ぽろりと声に出た。

水色の手紙の中で拙い文字が、昨日見た夢に、太陽の神様と金色の戦士が出て来たよ、と語っていた。蔵の中から連れ出して、一緒にうさぎを探しに森の中へいったんだと。
それが嬉しくて描いたという絵が、手紙と一緒に添えられている。水色と紫色と金色が緑の中で、白い塊を追いかける絵。とても人とも、うさぎとも取れない造形だったが、日向の嬉しさが溢れるようで愛しかった。

だが、最後に一言。
『早く怖くなくなる、をがんばるね』


「怖くなくなるを、がんばる、か、」

頑張るのは、俺だろうに。
そう思って、拙い文字を撫でていると呆れたような声がした。


「恐怖は、なくなりませんよ、なくなっては困ります、」
「は、」


顔を上げると、扉をくぐった那賀角(なかつの)がこちらへと歩いてきて、向かいに座る。
日向の個別授業を買って出た魔術師は、今は俺の指導者だ。
彼は、腰を落ち着けると、そのままぱらぱらと手帳をめくり、「今日はそこから学びましょうか」と言った。

「恐怖は、生存に必要なサインですよ。よく感情と心を同一視する人がいますが、感情は身体の生理的な反応です。生物が生きるために闘争か逃走かを定める本能的な機能ですから、それを失くすということは、死に向かうと同義です。」
「しかし、魔力を安定させるには、感情の制御が不可欠だと学びました、」
「ええ、不可欠です、」
「なら、」
「失くすことと、制御することは別物ですよ、」
「べつもの、」

淡々と語る那賀角に呆気にとられて、オウム返しになり、日向みたいだと思った。
日向のオウム返しが聞きたい。

そんなことを思って目の前の魔術師を見れば、那賀角は至って真面目な顔で俺を見ていて、やはり淡々と語った。

魔力は、魂と世界のつながりだから、魂の影響を受ける。その魂は感情そのものではないが、感情の影響を強く受ける。魂が弱ければ、扱える魔法は限られるし、魔力が不安定であれば、術式を発動させることさえ困難になるから、魔術師は、感情を制御する術を学ぶ。そんな話だ。

だが、感情は制御するものであって、失くすものでないと、那賀角は言った。

「感情は失くせません。脅威に遭遇すれば、逃げるか闘うかして身を護らねばなりませんから、人は心拍数を上げ血管を広げて酸素供給を増やし、行動に備えます。これに恐怖と人が名をつけたにすぎません。」
「…だが、戦士は戦場で心拍を抑える術を持っていると、」
「ですから、それが制御です。恐怖が消えたのでなく、恐怖を生じて尚、それを抑える術を戦士は持っていたわけです、」

戦士によっては、心拍を抑えるのでなく、あえて上げることで、平時以上の身体力を発揮する者もいるのだと、那賀角は言う。

「恐怖は、必要なもので決して悪いことではありません。悪いとすれば、その恐怖に呑まれて、病んだり生活が困難になることでしょう。戦士が恐怖に呑まれて統率を失えば、勝機は失われます。だから制御するんです。制御の術は千差万別、一様ではありませんが。」

くすり、と那賀角が笑うから何かと思えば、俺は口を開けてぽかんと魔術師を見ていた。
恥ずかしさに顔が赤くなるとともに、なるほど、これが羞恥と言う感情で、確かに感情は体に起こる反応なのだと得心する。これを失くせと言われれば無理だ。その一方で、なるほどと納得させた瞬間に冷めていくのを感じて、これが制御かと思った。


学ぶとはこういうことか。
日向が、術式の意味が分かった途端に魔法が変わったと言ったのが思い出されて、そうか、と胸が熱くなる。


「…俺が、自分の中の恐怖や不安を制御することは可能ですか、」


手の中に握ったままの水色の手紙を、そっと撫でた。
日向が魔法を扱えれば怖くなくなるのだと思っていた自分を恥じる。多分、それを願って叶ったところで、俺はまた恐怖の対象を見つければ、同じように恐怖したに違いない。

恐怖に呑まれ、魂を染めて、日向に甘えたように。
だが、俺の恐怖や不安は、俺のものだ。


「まずは殿下が、ご自分の心癖を知ることです。何に恐怖するのか、どんな時に小さくなるのか、恐怖に呑まれるのはどんな時か。一つ一つ明かして、殿下の心を統べる手段を見つけていくことです、」
「分かった、」
「恐怖に呑まれ足を止めるか、恐怖に支配されず歩み出すか、殿下ならご自分で選べると私は思います、」
「うん、」


『早く怖くなくなる、をがんばるね』


拙い文字が、そう語った意味が、胸の中に深く深く刻まれていく気がした。

日向は、恐怖が自分のものだとちゃんと分かってたな。
震える自分の体を、誰のせいにするでもなく、ずっと自分のものとして、一生懸命向き合っていた。
制御する術をほとんど持っていないから、上手くいかないし、心も体も耐えられないことが多いのに、のまれまいといつも必死にもがいていた。


強いとは、日向を言うんだ。


そう思えばこそ、水色の手紙につづられた言葉が愛しくて、切なくて、宝物のように大事になっていく。


那賀角を相手に、俺が何を恐れるか、その根源がどこにあるか、何がそれを和らげるかを話した。心の内をさらけ出すのが恥ずかしくて、何度も取り繕うとするし、そうでないと思いたいことが己の中にいくらでもあるのだと思い知らされる。

だけど、日向の隣にいたい。
俺の恥や醜さをさらけ出したとしても、日向と生きたい。


「日向様の時も思いましたけど、」


ふ、と那賀角が笑って、あまり感情の分からない瞳が緩んだ。
何だ、と問えば、わかりませんか、と那賀角はまた笑う。

「日向様といたいと思えば、殿下はご自分の感情を抑えられるんですよ、」
「は、」
「日向様といたいと思えばこそ、恐怖にもなるのでしょうけれど、同時にいたいと思えばこそ、殿下は恐怖も不安もかなぐり捨てて、前へ進もうとできるように見受けられます、」
「俺が?」
「ええ、日向様も、殿下に認められないことが恐怖に変わるのは、殿下の傍にいたいと願われるからでしょう?その願いがあるからこそ、日向様はご自分の魔法と向き合う難しさや恐ろしさを超えて、鍛錬に取り組まれるのだと、私は感じておりました。」
「日向が、」

「人の弱みは必ずしも、弱みのまま終わるものではありません、」

その恐怖を強みになさい、そう笑って、那賀角は手帳を閉じる。
結局、魔法の話はほとんどなく、個別授業は終わった。那賀角が部屋を辞すると、呆けた俺だけが残される。


「紫鷹、」



しばらくして入って来た藤夜が、俺の名を呼ぶ。
その手に水色の手紙が握られているのを見て、思考が現実に引き戻された。

「ひなから、昼に送った手紙の返事だ、」

水色の封筒に、鷹と青巫鳥の印璽。
日向の手紙。

それを受け取って開くと、拙い文字が俺の名をつづっていた。


『しおうへ

学院行けなくて、ごめんね。
さっき、ざくろの芽が出たよ。
緑のはっぱ。
はっぱがざくろになるは、本当?
ざくろは、木は、本当?
うららに聞いてね。

ご飯の時、お話してね。
おへんじ、できるように、がんばるね。 ひなた』



ああ、そうか、日向は柘榴の木を見たことがなかったか。
柘榴の実がそのまま土から出てくると思ったか?
なら、小さな緑色の芽を見て、さぞ驚いただろう。
きっと、目を丸くして、そわそわと鉢の周りを歩き回ったんだろうな。

それで、また、『がんばるね』と一人努力している。


「日向を強みにしろ、と那賀角に言われた、」
「うん、」
「俺の恐怖を強みにしろと、」
「そうか、」
「日向にとっても、俺は強みになるか、」
「そうじゃなかったら、ひなは隠れ家を出なかっただろ。ひなだって、お前を番いに選んだんだ、」

ひながお前に惚れてるかどうかは別だが、と藤夜は素っ気ない。
だが、そうだな、と頷いて笑った。


『ごめんね』
『がんばるね』


頭の中で、小さな日向が震えながら頑張る姿がいくらでも思い出された。
その姿に不安になって恐怖を抱くけれど、愛しくて守りたいと俺を強くもする。


そうなのだ、と納得すると、腹の奥底の不安と恐れが、愛しさに包まれて熱くなっていくのを感じた。

しおりを挟む
3/13 人物・用語一覧を追加しました。
感想 44

あなたにおすすめの小説

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた

翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」 そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。 チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

不遇の第七王子は愛され不慣れで困惑気味です

新川はじめ
BL
 国王とシスターの間に生まれたフィル・ディーンテ。五歳で母を亡くし第七王子として王宮へ迎え入れられたのだが、そこは針の筵だった。唯一優しくしてくれたのは王太子である兄セガールとその友人オーティスで、二人の存在が幼いフィルにとって心の支えだった。  フィルが十八歳になった頃、王宮内で生霊事件が発生。セガールの寝所に夜な夜な現れる生霊を退治するため、彼と容姿のよく似たフィルが囮になることに。指揮を取るのは大魔法師になったオーティスで「生霊が現れたら直ちに捉えます」と言ってたはずなのに何やら様子がおかしい。  生霊はベッドに潜り込んでお触りを始めるし。想い人のオーティスはなぜか黙ってガン見してるし。どうしちゃったの、話が違うじゃん!頼むからしっかりしてくれよぉー!

いつかコントローラーを投げ出して

せんぷう
BL
 オメガバース。世界で男女以外に、アルファ・ベータ・オメガと性別が枝分かれした世界で新たにもう一つの性が発見された。  世界的にはレアなオメガ、アルファ以上の神に選別されたと言われる特異種。  バランサー。  アルファ、ベータ、オメガになるかを自らの意思で選択でき、バランサーの状態ならどのようなフェロモンですら影響を受けない、むしろ自身のフェロモンにより周囲を調伏できる最強の性別。  これは、バランサーであることを隠した少年の少し不運で不思議な出会いの物語。  裏社会のトップにして最強のアルファ攻め  ×  最強種バランサーであることをそれとなく隠して生活する兄弟想いな受け ※オメガバース特殊設定、追加性別有り .

イケメンチート王子に転生した俺に待ち受けていたのは予想もしない試練でした

和泉臨音
BL
文武両道、容姿端麗な大国の第二皇子に転生したヴェルダードには黒髪黒目の婚約者エルレがいる。黒髪黒目は魔王になりやすいためこの世界では要注意人物として国家で保護する存在だが、元日本人のヴェルダードからすれば黒色など気にならない。努力家で真面目なエルレを幼い頃から純粋に愛しているのだが、最近ではなぜか二人の関係に壁を感じるようになった。 そんなある日、エルレの弟レイリーからエルレの不貞を告げられる。不安を感じたヴェルダードがエルレの屋敷に赴くと、屋敷から火の手があがっており……。 * 金髪青目イケメンチート転生者皇子 × 黒髪黒目平凡の魔力チート伯爵 * 一部流血シーンがあるので苦手な方はご注意ください

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?

名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。 そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________ ※ ・非王道気味 ・固定カプ予定は無い ・悲しい過去🐜 ・話の流れが遅い ・作者が話の進行悩み過ぎてる

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

若頭と小鳥

真木
BL
極悪人といわれる若頭、けれど義弟にだけは優しい。小さくて弱い義弟を構いたくて仕方ない義兄と、自信がなくて病弱な義弟の甘々な日々。

【完結】愛執 ~愛されたい子供を拾って溺愛したのは邪神でした~

綾雅(要らない悪役令嬢1巻重版)
BL
「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」  洞窟の神殿に鎖で繋がれた子供は、愛情も温もりも知らずに育った。 子供が欲しかったのは、自分を抱き締めてくれる腕――誰も与えてくれない温もりをくれたのは、人間ではなくて邪神。人間に害をなすとされた破壊神は、純粋な子供に絆され、子供に名をつけて溺愛し始める。  人のフリを長く続けたが愛情を理解できなかった破壊神と、初めての愛情を貪欲に欲しがる物知らぬ子供。愛を知らぬ者同士が徐々に惹かれ合う、ひたすら甘くて切ない恋物語。 「僕ね、セティのこと大好きだよ」   【注意事項】BL、R15、性的描写あり(※印) 【重複投稿】アルファポリス、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ 【完結】2021/9/13 ※2020/11/01  エブリスタ BLカテゴリー6位 ※2021/09/09  エブリスタ、BLカテゴリー2位

処理中です...