第八皇子は人質王子を幸福にしたい

アオウミガメ

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第弐部-Ⅱ:つながる魔法

108.紫鷹 日向の言葉

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ふわりと、体が軽くなり、心が凪いでいくのを感じた。
ああ、日向の魔法だ。日向の魔法が、俺を癒す。

「僕がね、もっと、って言ったら、魔法が、いいよ、って言った、」
「言う、とは、言葉として聞こえるということでしょうか、」
「ちがう、口じゃなくて、きらきらする。きらきらして、手、みたい、」
「手、ですか、」

藤夜が、もういいよ、と言うと途端に、心地よく感じていたものが消えて、体の重みを感じた。
これが普通の状態だと、頭では分かっているが、重いと感じるから不思議だ。
いや、日向は今も癒しの魔法を途切れることなく使っているのだろうから、本来の俺の体はもっと重い。

おそらく、その場にいた誰もが感じていた。
当の日向だけが、言葉を探すことに精一杯で、その変化を気にも留めない

改めて、膝の上に抱いた日向が異次元にいるような気がして、少し不安になった。




学院の魔法学塔の一室。
重厚な結界の中で、日向の個別授業がはじまった。

日向の魔法を明かし、制御するための最初の授業。


「僕の、魔力が、ね、魔法に言うの、でも口、じゃない、くて、魔力が、いって、いっ、て、」


抱いた腹が震えだすから、引き寄せて抱きしめる。
ほろほろと、涙が零れたが、日向はそれでも言葉を紡ごうとするから、腹をなでて宥めた。

朝から、あんなに楽しそうに笑って過ごしていたのにな。
こんな風に泣かせたかったわけじゃない。
だが、日向を失わないために、どうしても必要だった。

「日向、ゆっくりでいい、焦るな、」
「ちがう、いいたい、わかる、の、できる、のに、」

魔法を、言葉にするというのは、俺だって難しい。
魔力がどう見えるとか、どう操作して魔法を発動しているかは、教科書的な言葉であれば言えるが、実際の肌感覚を伝えろと言われれば、言葉が見つからなかった。

日向の場合は、その教科書さえない。
俺達の誰にも見えない世界の話を、言葉にしろと言う。
ただでさえ、持っている言葉の少ない日向に言うのだから、過酷だろうとは分かっていた。

それでも、日向以外に、日向の魔法を語れる者がいない。
だから、目の前に座った那賀角(なかつの)も問うしかなかった。


「日向様の言う魔力とは、魂のことですね?その魂が、魔法に働きかけるのですか?」
「はたらき、かける、は何?」
「何らかの活動をすることです。言う、でも、触る、でも、構いません、」
「言う、も、触る、もはたらき、かける?」
「ええ、そうです、」
「じゃあ、魔力が、魔法に、はたらき、かける、」
「…どのようにでしょうか、」


また、日向の腹が震えて、うーと唸り出す。
向かい合った那賀角も、厳しい問いかけをしている自覚はあるらしく、意思の強そうな眉を下げて申し訳なさそうにした。

藤夜が推した学院の講師だ。
俺も魔術理論の講義を何度か受けたことがある。確か、藤夜が日向の魔法に不安を抱いて質問を投げかけたのが、この講師だった。

日向の魔法を明かす。
そのために、技としてだけでなく、根本を求める知識者が必要だった。
正直なところ、俺にはもう、日向の魔法は訳が分からない。日向の願いに、いいよ、と簡単に応じ、日向を奪おうする魔法に恐怖さえ感じる。

癒しの魔法は、あんなにも心を凪いでいくのに。
その魔法が、日向を俺の手から奪う。
冗談じゃない。


「ごめん、ね、」


無意識に日向の腹を抱く手に力が籠っていたのかもしれない。
日向の声にハッとして見下ろすと、濡れた水色の瞳が、不安げに俺を見上げていた。

「何で謝る、」
「しおう、しんぱい、僕のせい、」
「あ、うん。ごめん、邪魔しない約束だったのにな、」

不安なのは、日向だって同じだろうに、俺の気配を目ざとく感じて案じるのが、本当に愛しい。
だからこそ余計に、この小さな王子を失いたくなかった。

「…あのな、日向の魔法が分からないのが、俺は怖い。」
「う、ん、」
「お前が俺の指輪に加護を与えた時は、めちゃくちゃ嬉しかったよ。でも、俺のいないとこにお前を連れて行こうとする魔法はダメだ。お前が制御できなくて傷つくのも、俺はもう見たくない、」
「ぅん、」
「だから教えてくれ。整った言葉じゃなくていい。日向が感じたままでいいから、日向の世界を、俺にも見せてほしい。日向がどこにも行かないって、俺も安心したい、」

うん、と小さく頷いた水色の頭が、俺の胸に縋るように寄って来るから、口づけを落としてやる。
震えは納まらない。もういいよ、と言ってやりたいができない。だから代わりに、その震えを俺の内側に押し込めるつもりで腕の中に抱きしめた。

日向の魔法が知りたい。
日向が何を見て、何を感じて、何を聞いているのか。
日向の全部が知りたい。

そのために、日向の言葉がほしいんだ。


「…僕は輪っか、がうれしかった、」


腕の中で、小さな声がした。
見下ろすと、日向の肩を抱いた左の手を、水色の瞳がじっと見つめている。
日向が加護を与えた約束の指輪。

「うれしくて、うれしくて、お腹のうんと奥の方が、熱くなった。僕のそわそわが、きえないところ、」

思わず、日向の腹を撫でると、その上に日向の手が重なった。
お前の腹の奥には、今もまだ不安があるんだな。

「ぽかぽかして、ふわふわして、いっぱいいっぱいうれしいになったら、魔力が魔法にじまんしたの。」
「自慢?」
「しおうは、僕の!って。」
「は、」
「そしたらね、魔法が、わかった、って言った。魔力と魔法が、手をつないだら、いつもは、きらきらして魔法がひっぱるけど、ひっぱらなかった。あげる、って。」


なくならないように、あげる、って。
そしたら、輪っかがきらきらして、加護になった。


小さな手が俺の指輪を撫でる。
体が熱い。頬も目も頭も、ゆだるように熱を持つのが分かって、感情がぐちゃぐちゃになる。
嬉しい、だけど、怖い。

「…魂で自慢するほど、指輪が嬉しかったのか、」
「うん、」
「お前の魂が自慢したら、世界が加護を与えたんだな、」
「うん、」
「お前が魂で、羅郷(らごう)に行きたいと願ったら、世界はお前を連れていくのか、」

いたい、と小さく呻く声が聞こえた。
自分でも抑えきれないほど強く、腕の中の小さな体を抱きしめていた。


「…おそらく、日向様に術式は要りません、」


聞きたくなかった現実に、日向を抱く腕をさらに強くする。
ごめん、日向。だけど嫌だ。

「術式がいらない?」
「はい、萩花様。術式は言葉です。我々人は世界に語り掛ける言葉を持ちませんから、術式を使って世界に呼びかけ、魔法を使います。ですが、日向様には言葉があります。世界に直接働きかける言葉です、」
「では、無意識の魔法は、」
「本人の意思に関係なく、生命の危機や心の脅威に、人は反射的に防衛します、」
「術式とぶつかるのは、」
「術式は言葉ですから、日向様の言葉と術式の二つは要りません。」
「…日向様の魔法を制御することは、可能でしょうか、」
「残念ながら、私は、寝ている間に自分の寝返りを止める術も、呼吸を止める術も持っておりません、」

自分でも、体が震えるのが分かった。
その体を、日向の小さな手が擦る。

「ただ、日向様がご自身の言葉を正確に使えるようになれば、事故は最小限に減らすことができます。」

小さな手が触れた場所から温もりを感じて、その分だけ体が動いた。
水色から離せなかった視線を那賀角に向けると、やんわりとほほ笑む顔が目に入る。

「最小限とは、」
「少なくとも、正確に言葉を使えれば、魔力枯渇や魔力暴走を避けることは可能です、」
「日向に可能か、」
「術式は…、要素が一つ違えば魔法は発動しない、あるいは暴走する。それと同じように、日向様がどれだけ正しくその言葉を扱い、正しく世界に伝えることができるかが問題です、」
「無意識の魔法は、」
「日向様は、無意識に発動された魔法を抑制されたと聞きました。その精度を上げることと、周囲の環境を整えることができれば、ゼロとは言わずとも限りなく近づけることは可能かと思います、」


泣きたくなるのは、俺だって、術式を覚えるのがどれだけ大変か知っているからだ。
日向の青巫鳥(あおじ)のブローチに加護を与える時は、鍛錬を倍に増やした。それだって、何年もかけて術式を覚えた上に成り立つ時間だ。

日向の言葉は、術式ですらない。
教科書も、すでに明かされた術式もない。
日向にしか見えない世界の話だ。

それに、魔力を抑制することが、口で言うよりずっとしんどいことを、俺は知っている。
体や心でない、もっと奥深く、魂が削られるような疲労があった。

その重荷をすべて日向に課すのか。
どれだけ過酷になるかもわからない重荷を。
この小さな日向に。



「いいよ、」



誰が何を言うより早く、掠れた声がした。
何で、と見下ろすと、白い手が伸びてきて俺の頭を撫でる。

「だいじょぶ、」
「何が、」
「しおうが、いる、」
「何で、」
「僕ができないは、しおうができるにする、」
「ひな、た、」
「転移魔法の時、あおじと輪っかが、行くなって、言ったよ。だから、できた、」


白い頬が緩んで、日向が笑う。
日向はもう震えていなかった。震えているのは、俺の方だ。

「…何にしても、ひなが制御できないことには、前に進めない。分かるな、紫鷹、」
「殿下、護衛の人員も増やしていますから、必ずお守りします、」

藤夜と萩花が言えば、日向がまた、だいじょぶ、と俺の頭を撫でた。

「私も、日向様の魔法に関心があります。魂と世界の言葉を明かせるのなら、いくらでも尽力いたしましょう、」

冗談とも本気とも取れない表情で那賀角が言う。
ね、だいじょぶ、と日向が笑った。


「しおうがいたら、僕は、できるよ。できないって泣いたら、しおうがぎゅってしてね。」


これじゃあ、立場が逆だ。
ついさっきまで、上手く話せないと泣いていた日向を慰めていたのは俺なのに。
怖いと震える日向を宥めるのが俺の役目なのに。

だいじょぶ、だいじょぶ、と日向が言う。

腹の奥底の恐怖は消えないが、震えは納まった。
茹るような感情の波が、少しずつ凪いでいく。この心地よさは何だ。

「…お前、魔法使った?」
「んーん、使っていい?」
「使わなくていい。…俺も、日向がいれば大丈夫だ、」
「うん、」

日向の体を締め付けていた腕を解く。緩んだ隙間から抜け出た日向が、俺の額に口づける。

「だいじょぶ、」
「うん、」

温かくて、優しくて、愛しくて、なお一層、手放せなくなった。





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