第八皇子は人質王子を幸福にしたい

アオウミガメ

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第弐部-Ⅰ:世界の中の

84.紫鷹 光の当たる場所

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木漏れ日の下で、水色の光がちらちらと揺れていた。
太陽の光が降り注ぐ場所へ日向が飛び出すたびに、姿が光の中に溶けそうになって、どきりとする。
思わず捕まえて抱き留めると、見上げて来た水色が、水晶のように透けた。驚くほど綺麗で、またどきりとする。

「お前は、本当に日向なんだな、」
「なあに、しおう、」
「お前の名前。光が当たる場所って意味なんだよ。ぴったりだな、」
「ぴったり、」

白い肌が、陽があたるほど白く光るのも、水色の髪がきらきらと瞬いて木漏れ日に溶けるのも、名前の通りだと思った。


「良い名前だな、」


もごもごと、口を動かして日向は照れる。
嬉しそうに頬を赤くすると、光の中に消えそうだった日向が、こちらに戻って来た気がして、安心する。

だけど、腕の中の小さな光は、もぞもぞと動いて俺の腕を逃れようとした。

「うさぎ、いた、から、」
「うん、分かってる。足が痛くなったら、すぐ言えよ。我慢したら悪くなるからな。」
「わかった、わかった、から、」
「うん、」

腕をほどいて解放してやると、ぱっと白い顔が光って、また木漏れ日の中に溶けて行く。

「あじろ、うさぎ、どっち、」
「ひー様、こっちです。うさぎの巣穴がありました!」
「すあな!」

そんなに騒いだら、うさぎは逃げるだろうな、と思ったが、楽しそうなので言わないでおく。
亜白に懐くのは癪だが、何だかんだ、亜白と遊ぶ時の日向を見るのが好きだった。二人揃って、目の前のものに夢中になるから、余計な雑念がないのが良い。一生懸命すぎて、とんちんかんなことをするのも、見ていて面白かった。

後ろをついてきた日向や亜白の従者も、笑みをこらえきれずに二人を眺めている。藤夜に至っては、ははっ、と声を立てて笑っていた。
おそらくあちこちに潜んでいるだろう草も、楽しそうに見ているに違いない。


「さっき、ひなと逆の方向にうさぎが走って行ったな、」
「りすもいたんだが、気づかなかったな。まあ、巣穴が見られれば、満足だろう。そのうち、自分たちで気づいて改善するさ、」
「ひなは賢いからなあ、」

いつも侍従としてきっちり着込んでいる友を見慣れているからか、ゆったりと上着を羽織っただけで穏やかに笑う藤夜が、違う男に見えて可笑しかった。
随分と楽しそうだな、お前、と言えば、お前こそ、と笑われる。


木漏れ日の中に、日向の楽しそうな声と、友の穏やかな笑顔があふれるのが、心地よかった。



時間はかかったが、ようやく日向を森に連れて来ることができた。
青巫鳥のねぐらと、うさぎが見たいと日向が「お願い」をしたのは、もう3か月も前だ。
窓の外の黄色い鳥の話をしていた日向が、分厚い冬服に包まれていたのを覚えているから、季節が廻ったのだと実感する。

同時に、まだ3か月しか経たないのだとも。

日向との日々が濃厚すぎて、もう何年も一緒にいるような気になる。
3か月前は、まだ欲しいものがわからなくて、お願い一つできなかったのにな。
今はもう、嫌なものは嫌だというし、ほしいものは上手に強請る。我が儘も言えるようになってきた。

「あじろ、見て!ころころ!」
「あ、え、うさぎの糞ですよ、わー、小さい、」
「ふん、」

「おい、こらまて、糞を触るな、」

慌てて口を出すが、遅い。
きょとんとした顔の日向の手に、ころころと、黒い物が転がっていた。
本当にお前はなんでも触るな。

日向と一緒に地面を凝視する亜白の手も同様だったから、もうどうにもならない。


「後でちゃんと洗わせますから、諦めてください。あれも勉強です、」


申し訳ありません、と代都(しろと)が頭を下げるが、亜白の侍従が手を焼いているのは、この一月ともに過ごしてよくわかった。
同情こそすれ、お前を責める気にはならんよ。
むしろ、日向を見守る苦労を理解しあえる気がして、勝手に親近感を持っている。

「お前も大変だなあ、」
「初めて友達ができたと騒いでおりまして…、羽目を外さないよう抑えるのが大変です、」
「初めての友達か、」
「ええ、あの通りですので。羅郷(らごう)でも、ほとんどお一人で温室か野山におりますよ、」

容易に想像がついて笑う。
俺が羅郷を訪ねた時も、亜白は温室に籠って生き物の世話をしていて、ほとんど見なかった。
今回も、春の式典に参列するために帝国へ来たくせに、放っておくと裏庭で日向と土を掘っているか、一人で庭のあちこちを回って虫だの獣だのを捕まえているから、代都が引きずり戻しているのを何度か見かけた。

おかげで、日向が裏庭以外にも足を運べるようになったから、こちらとしては助かってもいるのだが。

「あいつ、羅郷では学院はどうしてる?」
「通ってはおりますが、お好きではないようで。教師を呼ぶことの方が多いですね。」
「じゃあ、羅郷でなくてもいいよなあ、」

淀みなく答えていた代都が黙る。
足も止まったから、俺も振り返って亜白に忠実な侍従を見た。

「俺の通う学院には、生物学に長ける教授も多くいるよ、」
「…ええ、帝国は羅郷よりも学問に注力されていると、存じ上げております、」
「うちの教授陣は変なのが多くてな、よくあんな風に土の上を這いずり回っているのを見る。なあ、藤夜、」
「研究用の野山もあるから、あちこち駆けずりまわってますね、」
「羅郷より冬が短いからな。年がら年中、外に出てるよ。」

言わんとしていることは分かるのだろう。
代都は、鋭い目を少し伏せて、考えるようだった。

「日向もいるしなあ、」

「それは、魅力的ですね、」

ようやく侍従が笑う。
考えておけ、と言うと、よく相談します、と意を汲んだ。

母上が亜白を羅郷から呼んだのは、日向のためだ。
式典に日向が出なければならないなら、近しい者で周囲を固めた方がいいと。
一方で、野山を這う以外は引きこもりがちな王子を、外に出したいという叔母上の意向もあったと言う。
それが、思いがけず、日向と馬が合った。

なら、逃がすわけがないだろう。


「あ、あ、あああ、あじろ、うさぎ、小さいうさぎ、」
「え、わ、ひー様、子ウサギです!」

わー、あー、と二人が騒ぐのが聞こえて、また笑った。
そうか、うさぎがいたか。良かったな。

逃げる子ウサギを、日向と亜白が追いかける。
まあ、無理だろうなと眺めていると、いつの間にか二人に混じっていた東(あずま)がひょいっと一匹捕まえてみせた。

「あー、う、う、うさぎ、あずま、うさぎ、」
「触りたいですか?」
「さわ、さわ、る、」
「触りたいです、東さん、僕も、」

うさぎを抱えてひょいひょい歩く東の後ろを、日向と亜白がすがるように追いかけていく。
何だ、これ、と藤夜が声を立てて笑った。

「あいつ、護衛だろ、」
「今日は東は非番なので、友達枠だそうです、」
「何だそれ、」

いつのまに、と萩花をにらみつけると、萩花は肩をすくめて笑う。お前の部下だろう。
日向に名前を呼ばれて縋られて、随分と嬉しそうだな、あの護衛は。

日向が楽しそうだから、今は許すが。
それに、あいつがいるなら、今度は糞を触る前に止めてくれるか。

東が逃げて、日向と亜白がすがって追いかける。しばらくそうして、3人はじゃれていたが、やがて倒木に腰かけて、小さなうさぎを囲んだ。

「日向様、やさしくです。」
「うさぎ、怖い?」
「人間の方が大きいから、うさぎも怖いかもしれません。痛いのはうさぎも嫌だと思いますよ。だから、やさしくです。」
「わかった、」

おそるおそる、日向が手を伸ばしてうさぎの背を撫でる。
指で、ほんの少し触れるだけ。うさぎがびくっと体を震わせると、日向も跳ねて手を離した。
その手を東が、大丈夫ですから、と捕らえてうさぎを触らせる。

わあ、と口を開けた日向が、ぱっと俺を見た。

「しおう、見て、」
「うん、見てるよ。うさぎ、はじめて触ったな、」
「うん、うさぎ、はじめて、うさぎ、しおう、」

水色の瞳をキラキラさせて、本当はいつものようにぴょんぴょんと飛び跳ねたいのだろう。
我慢しているのは、うさぎを怖がらせないためだな?


1年前に、帝国に来たばかりの頃は、お前の方が触れられるのを恐れて、怯えていたのにな。


1年。日向が帝国にやってきて、まもなく1年。
そのことが、胸の中でとても大事なことのように強く響いた。

しんどいこともあったが、日向は今笑っている。
隠れ家を出て、人に囲まれて、光の中で、幸せそうに。


「日向、」


何気なく呼べば、なあに、と日向は振り返る。
そこに怯えも恐怖もない。

日向、とまた呼ぶと、なあに、と日向は笑った。

日向。
光の当たる場所。
お前の名前。

いい名前だな。

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