第八皇子は人質王子を幸福にしたい

アオウミガメ

文字の大きさ
上 下
82 / 202
第壱部-Ⅵ:尼嶺の王子

80.萩花 尼嶺の大使

しおりを挟む
日向様と同じ、水色の髪と瞳をもつ男だった。

尼嶺乃国(にれのくに)の大使は、月虹(げっこう)と名乗る。
現国王の従兄弟に当たるというから、つまりは、日向様の従兄弟叔父。


「殿下の伴侶にと申されるのであれば、尼嶺にはふさわしい者がおります、」


初老に入るだろう年齢の割に、皺一つない。
表情が薄く、眉さえ動かない男は、作り物のように見えた。
妃殿下と紫鷹殿下を前にしても、淡々としているのが、さらに人間味を薄くさせる。
その表情は、日向様とは似てもにつかなかった。

「我が君のご息女は、皇子殿下と同い年でございます。教養も高く、美貌は尼嶺一とも。幼少より各国へ外遊の経験も豊富でございますから半色乃宮(はしたいろのみや)のお役にも立てましょう、」

差し出された姿絵を、妃殿下はちらりと見て、興味を失くす。
紫鷹殿下に至っては、見向きもしなかった。
少し不機嫌そうに、大使一行を見据えるばかり。

「大使は、書簡の内容は聞き及びではないか、」
「皇子殿下が、我が国との友好の証に、伴侶をお求めだと伺っております。」
「では、これが尼嶺の解答か、」

淀みなく動いていた大使の口が閉じ、水色の瞳が紫鷹殿下を伺うように見る。
殿下がその瞳をまっすぐにとらえたのが、背後からでもわかった。


「伴侶に望んだのは、日向王子だ。」


他はいらない、と殿下は言う。
大使の表情は動かなかったが、横に並んだ副官や後ろに従えた官吏は、不快そうに表情を歪める。

この者たちは皆、少なからず、日向様を知っているのだろうと思った。
尼嶺の宮殿の中で、蔵に押し込められた王子がいたことを知る者はさほど多くない。
日向様が教養や作法どころか、話すこともままならない王子だということは、尼嶺の宮殿の中でも王族に近しい者たちしか知り得なかった。

だが、大使はじめ、尼嶺を代表して帝国にはせ参じる一団が、知らないということはないだろう。
尼嶺から帝国へ日向様が渡った時、その一切を取り仕切ったのはこの大使だと聞いた。

知っているからこそ、受け入れ難いのではないか。

「あれは、」

大使が閉じた口を開く。

「日向王子は、皇子殿下の伴侶には役不足かと。ご存じかと思われますが、あれは少しばかり遅れております。」

その声に、紫鷹殿下はよく堪えた。
これでもかと言うほど、肩と腕に力が籠ったのが分かるけれど。
かくいう私も、後ろに組んだ腕を固く握らなければ、腹から怒りが湧きあがる。おそらくは、隣に立つ藤夜(とうや)も同様に。

「帝国の申し出に従い、あれを送りましたが、早計であったと我が君も悔恨の念を抱いております。帝国にふさわしい者を送るべきであったと。半色乃宮には、大変な御面倒をおかけ致しました。なればこそ、皇子殿下の伴侶には何卒、」
「書簡の通りだ、」
「殿下、」


「日向王子を貰い受ける。しきたりに則り、婚約の儀を進めるよう、尼嶺の王へ伝えよ、」


紫鷹殿下の強い声音に、大使は押し黙る。
表情は変わらなかったが、承りました、と応じた声には不快の色が混じっていた。





尼嶺の大使一行を見送った後、紫鷹殿下は「しばらく一人にしてくれ」と言う。
藤夜さえ傍に寄せず、執務室に籠られた。

「ひなは、亜白様のところか、」
「ええ、万が一にも尼嶺の者と鉢合わせないようにと、董子殿下がお願いされたようです。」
「…あの連中には、会わせられないなあ、」

そうですね、と藤夜の言葉に頷いた。

「日向様の護衛についてから、尼嶺の官吏とはやり取りがありますが、少なくとも一介の官吏は、日向様を王子として扱っておりましたよ。ですが、あの大使はいただけませんね、」

大使自身が、日向様を直接虐げたかどうかは知らない。
それでも、離宮に来たばかりの日向様には、新しい傷があったと言うから、少なくともあの大使はそれを容認していただろうとは思う。
そんな男に、日向様を会わせられない。

日向様を、あれ、と呼ぶ者などには。


「すんなり婚約とはいかないだろうなあ、」


紫鷹殿下の執務室へ視線をやって、藤夜が言った。

「帝国と姻族関係になれるなら、そりゃ影響力を持ちたいよな。」
「尼嶺の王には、ご令息とご息女が多くいますからね。しばらくは、殿下は大変でしょうね、」
「それくらいの壁は乗り越えてもらわないと、ひなはやれないだろ。」

父親のようなことを言う藤夜に、思わず笑みを漏らす。
確かに、それくらいの困難は超えてもらわなければ、日向様を殿下に任せるわけにはいかない。

菫子殿下が言うには、日向様が16歳になってすぐに、尼嶺から日向様に婚姻の話があったと言う。
どれも、尼嶺が覇権を広げるためのもので、日向様の事情は何一つ考慮されていなかったと。
もちろん、そんなところへ董子殿下が日向様を送るわけはない。

だが、紫鷹殿下だけでなく、日向様にもそう言った話が、これからはさらに増えるだろうと推測された。
おそらく今日の話も、尼嶺の周囲から漏れ、広がる。

ならば、殿下には、きちんと防波堤になっていただかなければ、困る。

「鍛錬も、厳しくしなければなりませんねえ、」
「…お手柔らかに、」
「二人とも伸びしろがありますからね、期待しています、」


「勝手に期待してくれるなよ、」


「紫鷹、」
「殿下、」

音もなく開いた扉から、紫鷹殿下がうんざりした表情で出てきた。
落ち込んでいるかと思ったのだけれど。

「何だ、もういいのか、」
「日向を迎えに行く、」

さっさと踵を返して歩きだした殿下の背中を、藤夜と追う。
幾分か疲れたようで、背中が少し丸くなっていた。それでも、力は抜けて落ち着いている。

正装を脱いで、緩やかになった上衣に、光るものがあった。
日向様お手製の大瑠璃のブローチ。
その大瑠璃を、殿下の手が撫でる。その仕草が、日向様がいつも左胸の青巫鳥(あおじ)を撫でる仕草に少し似ていた。



亜白様の部屋の扉を叩くと、すぐに従僕に中へと招き入れられる。
その先の光景に、思わず足が止まった。

「何でこうなる、」

ソファを見下ろし、殿下が唸る。
藤夜はへえ、と笑ったし、私も微笑ましく思った。本当に仲良くなられたようで。

散らかった紙と画材の中で、日向様と亜白様が折り重なるように眠っていた。

「申し訳ありません、お二人とも遊び疲れて寝てしまって、」
「日向は分かるが亜白は何だ、相変わらずなのか、」

はあ、とため息を漏らす殿下に、代都(しろと)が頭を下げる。
相変わらずと言うことは、亜白様がこんな風に寝るのは日常なのか。通りで、日向様と波長が合う。

亜白、起きろ、と殿下が呼んだ。
呆れてはいるが、いつものように嫉妬するような気迫はない。かといって、力がない訳でもなく。
ただただ、穏やかで、優しかった。
その声に、おや、と思う。


「し、おう、」


亜白様が目覚めるより先に、水色の瞳が開いた。
けれど、いつもならすぐさま手を伸ばす殿下が、そうしない。ソファの横に膝をついて、日向様を見守るだけに留めた。
その視線の先で、ぼんやりとしていた日向様の瞳が、少しずつ大きく開いていって、きょどきょどと頭を揺らし出す。

「…わかるか、」

「に、れ、」
「うん。尼嶺の大使に会った。」
「僕、に、れ、に、」
「日向。大丈夫だから落ち着け。日向は尼嶺に帰さない。大使には俺が貰うって、言っておいた。それでいいな?」

遠目にもわかるほど、日向様の体が震えていた。
それでも、小さく、うん、と頷く。



ああ、そうか。
日向様が何をきっかけに覚るかわからないから、服も換えたし、迎えに来るのに間も置いたのか、と思う。

日向様は聡いから。
気配を察することに関しては、ここにいる誰よりも長けていて、私たちでは到底足元にも及ばない。



「日向だけがいいと、尼嶺に伝えた。」
「う、ん、」
「日向しかいらない、日向しか欲しくない、」
「ぅん、」
「抱っこしてもいいか、」
ぅん、



殿下が震える小さな体を、抱き上げ、抱きしめた。
宝物のように。愛しい者を。




尼嶺の大使は何も知らない。
こんな光景、きっと想像もしない。

日向様が聡いことも。
日向様が、殿下にこれほど愛されていることも。
日向様が、物ではなく、一人の人として生きていることも。

知らないし、知ろうともしない。
知りたくもないのだろう。


ならば、知らなくていい、と思う。


知らないまま、足掻けばいい。


紫鷹殿下に取り入ろうと、伴侶を見繕って。
いらないと跳ね返されればいい。


「俺が望んだのは、日向だけだ、 」
うん、


殿下の腕の中で徐々に落ち着きを取り戻した日向様が、こところと大瑠璃を転がした。
その仕草を真似るように、殿下が日向様の青巫鳥のブローチを撫でる。


こんな幸福な番いを、大使は知らない。

きっと、大使が知らないまま、ことは成るだろう。

大使が気づかぬうちに、殿下は、尼嶺から日向様を奪ってしまうだろうから。


しおりを挟む
感想 44

あなたにおすすめの小説

余命僅かの悪役令息に転生したけど、攻略対象者達が何やら離してくれない

上総啓
BL
ある日トラックに轢かれて死んだ成瀬は、前世のめり込んでいたBLゲームの悪役令息フェリアルに転生した。 フェリアルはゲーム内の悪役として15歳で断罪される運命。 前世で周囲からの愛情に恵まれなかった成瀬は、今世でも誰にも愛されない事実に絶望し、転生直後にゲーム通りの人生を受け入れようと諦観する。 声すら発さず、家族に対しても無反応を貫き人形のように接するフェリアル。そんなフェリアルに周囲の過保護と溺愛は予想外に増していき、いつの間にかゲームのシナリオとズレた展開が巻き起こっていく。 気付けば兄達は勿論、妖艶な魔塔主や最恐の暗殺者、次期大公に皇太子…ゲームの攻略対象者達がフェリアルに執着するようになり…――? 周囲の愛に疎い悪役令息の無自覚総愛されライフ。 ※最終的に固定カプ

異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします

み馬
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。 わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!? これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。 おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。 ※ 設定ゆるめ、造語、出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。 ★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★ ★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★

宰相閣下の執愛は、平民の俺だけに向いている

飛鷹
BL
旧題:平民のはずの俺が、規格外の獣人に絡め取られて番になるまでの話 アホな貴族の両親から生まれた『俺』。色々あって、俺の身分は平民だけど、まぁそんな人生も悪くない。 無事に成長して、仕事に就くこともできたのに。 ここ最近、夢に魘されている。もう一ヶ月もの間、毎晩毎晩………。 朝起きたときには忘れてしまっている夢に疲弊している平民『レイ』と、彼を手に入れたくてウズウズしている獣人のお話。 連載の形にしていますが、攻め視点もUPするためなので、多分全2〜3話で完結予定です。 ※6/20追記。 少しレイの過去と気持ちを追加したくて、『連載中』に戻しました。 今迄のお話で完結はしています。なので以降はレイの心情深堀の形となりますので、章を分けて表示します。 1話目はちょっと暗めですが………。 宜しかったらお付き合い下さいませ。 多分、10話前後で終わる予定。軽く読めるように、私としては1話ずつを短めにしております。 ストックが切れるまで、毎日更新予定です。

期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています

ぽんちゃん
BL
 病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。  謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。  五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。  剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。  加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。  そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。  次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。  一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。  妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。  我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。  こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。  同性婚が当たり前の世界。  女性も登場しますが、恋愛には発展しません。

巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく

藍沢真啓/庚あき
BL
婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。 目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり…… 巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。 【感想のお返事について】 感想をくださりありがとうございます。 執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。 大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。 他サイトでも公開中

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺

福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。 目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。 でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい… ……あれ…? …やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ… 前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。 1万2000字前後です。 攻めのキャラがブレるし若干変態です。 無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形) おまけ完結済み

転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!

めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。 ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。 兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。 義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!? このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。 ※タイトル変更(2024/11/27)

処理中です...