65 / 196
第壱部-Ⅵ:尼嶺の王子
64.紫鷹 裏庭の安らぎ
しおりを挟む
「あおじ、が、ぴょんぴょんした!」
そう言って、俺の執務室に日向が飛び込んできたのは、3日前。
興奮しすぎて、何を話しているのか汲み取れなかったが、抱いて来た萩花によれば、執務室へ向かう途中、窓の外に青巫鳥がいたのだという。
朱華の襲来以降、俺に会いに来る以外に部屋から出られなかった日向が、裏庭に行きたいと嬉しそうに言った。
「しおう、見て。あおじ、」
宮城の用を済ませて離宮に帰れば、裏庭の草の上で、日向がころころと転がっていた。
俺を見つけた水色の頭が、キラキラと瞳を輝かせて振り返る。見てるよ、と言えば嬉しそうにまた転がった。
黄色い鳥が飛び上がって、再び水色の頭に降りる。
あはは、と日向の笑い声がした。
ただそれだけのことなのにな。
とてつもない幸福感が、胸の中に広がる。
「もう丸二日、魔力干渉を必要とせず過ごされていますよ、」
「そうか、」
隣に並んできた萩花が、嬉しそうに言う。
影のように控えた草も、「出番がありませんな」と笑った。
そういえば、今朝は青巫鳥に会いにいくからと、朝食の粥をほとんど食べた。楽しそうにおしゃべりするせいで半分は日向の服を汚していたが。
それでも、この数週間は見られなかった姿に、水蛟が涙を流していた。あの侍女が先に泣かなければ、俺も危うかったかもしれない。
「魔力が安定したら、身体強化の訓練も始める予定です。」
「頼む。ただ無理はさせるなよ。歩きたい気持ちが先走って、体を壊したら元も子もない。」
「ええ、その辺りは燵彩(たちいろ)が重々言い聞かせると言っております。」
「…歩けるんだな、」
はい、と頷く萩花の声に、今度こそ目が熱くなった。
日向の足は、小栗(おぐり)の見立てでは、手術によって弱った関節を修復することはある程度可能だという。筋力も鍛えれば、支えになる。だが、傷ついた全てを元に戻すことはやはり難しいだろうと。
まして、今の日向には、手術に耐えられるほどの体力がない。未熟な体が、どれだけ時間をかければ、手術に耐えうる体になれるのかは、小栗にも分からなかった。
だが、歩ける。
日向が行きたい場所へ、自分の足で歩いていける。
「青巫鳥のおかげか、」
「あの鳥は、本当に日向様をよく守ってくれますね、」
「ああ、」
ころころと草の上を転がる日向の頭や肩を、黄色い鳥がぴょんぴょんと跳ねる。
尼嶺(にれ)の生活の中で、たった1わ、日向の味方だったという黄色い鳥。
この離宮へ日向が来てからも、寄り添うようにそばにいて、あの小さな王子を励まし続けた。
「尼嶺の青巫鳥とは別なんだよな?」
「だと思いますけど。どこにもいる鳥ですし、」
「野鳥だろ、あんなに懐くものか?」
「ねぐらは森の中だと草が確認しておりますから、飼われているわけではなさそうです、」
この3日。日向が裏庭に出てくるたびに、青巫鳥もどこからともなく現れた。
どういうわけか、日向には何の警戒もなく飛びついて、喜ばせる。そのくせ、俺たちが一定の距離を保たなければすぐに飛び去ってしまった。
そうなれば、日向がこれ以上ないというくらい悲しい顔をして、しまいには泣き出してしまう。俺たちは遠巻きに見守るしかなかった。
「青巫鳥にとっても、日向様は特別なんですね、」
「にしても、懐きすぎだろ、」
くつくつと、萩花が笑う。
「青巫鳥にまで、嫉妬ですか、」
「悪いか、」
「いいえ、素直で良いと思いますよ、」
俺のことを甘えん坊の末っ子だと言ったのはお前だろう。今更だ。
「青巫鳥が日向の特別なのはわかるよ。だが、影響がでかすぎて悔しくなる。青巫鳥のおかげで、急に元気になっただろ、」
「日向様を支えてくれるよいパートナーとでも思えばいいじゃないですか、」
「俺は日向に関しては、狭量なの、」
「…本当に素直になりましたねえ、」
「日向、凍えるぞ。そろそろ戻れ。」
日向を見る時と同じ目でこちらを見る男を一瞥して、水色の頭へ声をかける。
小さな体がぴょんと跳ね起きてこちらを見るが、水色の頭は横に振られた。
「遊び足りないようですねえ、」
「あいつ、少し我儘になった?」
「我儘と言うか、ようやくご自分の希望が示せるようになったんだと思いますよ。」
「それはそうだけど、もう1時間も青巫鳥(あおじ)と遊んでいるんだろう、」
日向に向けて足を踏み出す。
「や、だ、」
拒絶の言葉に、胸が苦しくなる。
日向に拒まれることがこんなに苦しいとは。
「しおう、こない、あおじ、いる、」
「ダメだ。もう暗くなるから、青巫鳥ももうねぐらに帰る時間。日向も帰るぞ、」
「ぅあ、あー、あおじ、」
俺が数歩歩んだところで、青巫鳥はぱっと飛び立ってしまう。
白い手がすがるように追いかけたが、黄色い鳥はあっという間に森の中へと消えていった。
おいで、と手を差し出せば、日向は素直に腕の中に納まったが、視線は黄色い鳥が飛び去った方向を見つめたまま動かない。
もう少し遊ばせてやれば良かっただろうか。
でも、日向が凍えるのが心配というのも本音。
小さな体が腕に戻ってきて安心というのも本音だった。
「体、震えているじゃないか。寒いんだろう、」
懐に温玉(ぬくいだま)を入れさせていたが、抱き上げた日向はかたかたと震えていた。指先が冷たく、唇も色がない。
上着の内側に入れてやると、ぴったりとくっついてきて小さく体を丸めた。
やっぱり寒いんじゃないか。
「宇継が風呂の用意をしているから、部屋に戻ったら温まろうな、」
うん、
「日向が風邪をひいたら、青巫鳥とも遊べないだろう?俺も心配。わかる?」
「…わかる、」
ようやく水色の瞳と視線が合う。
「しんぱい、ごめん、ね、」
「いいよ。日向が楽しそうだったから、本当は俺ももっと遊ばせてやりたかった。温かい季節になったら、もっと遊べるから、我慢な。」
「うん、」
おそらくいろんな気持ちが交錯して揺れる水色の瞳が可愛くて、白い唇に口づけた。一度離れた唇を、二度目は日向の方から求めてくれる。
「あとな、あんまり放っておかれると俺も寂しい。」
「しおう、さびしい?」
「そう、寂しい。だから、青巫鳥以外の時間は俺にちょうだい、」
「いいよ、」
俺の気配に聡い日向は、細い腕を背中に回して、ぎゅっと抱きしめてくれる。
その頭にキスをして、聞いた。
「楽しかった?」
「うん、」
水色の瞳がぱっと煌いて、あのね、と語り出す。
部屋へ戻る道すがら、とまらないおしゃべりを聞いた。
ささやかで、最上の幸福が満ち溢れた。
そう言って、俺の執務室に日向が飛び込んできたのは、3日前。
興奮しすぎて、何を話しているのか汲み取れなかったが、抱いて来た萩花によれば、執務室へ向かう途中、窓の外に青巫鳥がいたのだという。
朱華の襲来以降、俺に会いに来る以外に部屋から出られなかった日向が、裏庭に行きたいと嬉しそうに言った。
「しおう、見て。あおじ、」
宮城の用を済ませて離宮に帰れば、裏庭の草の上で、日向がころころと転がっていた。
俺を見つけた水色の頭が、キラキラと瞳を輝かせて振り返る。見てるよ、と言えば嬉しそうにまた転がった。
黄色い鳥が飛び上がって、再び水色の頭に降りる。
あはは、と日向の笑い声がした。
ただそれだけのことなのにな。
とてつもない幸福感が、胸の中に広がる。
「もう丸二日、魔力干渉を必要とせず過ごされていますよ、」
「そうか、」
隣に並んできた萩花が、嬉しそうに言う。
影のように控えた草も、「出番がありませんな」と笑った。
そういえば、今朝は青巫鳥に会いにいくからと、朝食の粥をほとんど食べた。楽しそうにおしゃべりするせいで半分は日向の服を汚していたが。
それでも、この数週間は見られなかった姿に、水蛟が涙を流していた。あの侍女が先に泣かなければ、俺も危うかったかもしれない。
「魔力が安定したら、身体強化の訓練も始める予定です。」
「頼む。ただ無理はさせるなよ。歩きたい気持ちが先走って、体を壊したら元も子もない。」
「ええ、その辺りは燵彩(たちいろ)が重々言い聞かせると言っております。」
「…歩けるんだな、」
はい、と頷く萩花の声に、今度こそ目が熱くなった。
日向の足は、小栗(おぐり)の見立てでは、手術によって弱った関節を修復することはある程度可能だという。筋力も鍛えれば、支えになる。だが、傷ついた全てを元に戻すことはやはり難しいだろうと。
まして、今の日向には、手術に耐えられるほどの体力がない。未熟な体が、どれだけ時間をかければ、手術に耐えうる体になれるのかは、小栗にも分からなかった。
だが、歩ける。
日向が行きたい場所へ、自分の足で歩いていける。
「青巫鳥のおかげか、」
「あの鳥は、本当に日向様をよく守ってくれますね、」
「ああ、」
ころころと草の上を転がる日向の頭や肩を、黄色い鳥がぴょんぴょんと跳ねる。
尼嶺(にれ)の生活の中で、たった1わ、日向の味方だったという黄色い鳥。
この離宮へ日向が来てからも、寄り添うようにそばにいて、あの小さな王子を励まし続けた。
「尼嶺の青巫鳥とは別なんだよな?」
「だと思いますけど。どこにもいる鳥ですし、」
「野鳥だろ、あんなに懐くものか?」
「ねぐらは森の中だと草が確認しておりますから、飼われているわけではなさそうです、」
この3日。日向が裏庭に出てくるたびに、青巫鳥もどこからともなく現れた。
どういうわけか、日向には何の警戒もなく飛びついて、喜ばせる。そのくせ、俺たちが一定の距離を保たなければすぐに飛び去ってしまった。
そうなれば、日向がこれ以上ないというくらい悲しい顔をして、しまいには泣き出してしまう。俺たちは遠巻きに見守るしかなかった。
「青巫鳥にとっても、日向様は特別なんですね、」
「にしても、懐きすぎだろ、」
くつくつと、萩花が笑う。
「青巫鳥にまで、嫉妬ですか、」
「悪いか、」
「いいえ、素直で良いと思いますよ、」
俺のことを甘えん坊の末っ子だと言ったのはお前だろう。今更だ。
「青巫鳥が日向の特別なのはわかるよ。だが、影響がでかすぎて悔しくなる。青巫鳥のおかげで、急に元気になっただろ、」
「日向様を支えてくれるよいパートナーとでも思えばいいじゃないですか、」
「俺は日向に関しては、狭量なの、」
「…本当に素直になりましたねえ、」
「日向、凍えるぞ。そろそろ戻れ。」
日向を見る時と同じ目でこちらを見る男を一瞥して、水色の頭へ声をかける。
小さな体がぴょんと跳ね起きてこちらを見るが、水色の頭は横に振られた。
「遊び足りないようですねえ、」
「あいつ、少し我儘になった?」
「我儘と言うか、ようやくご自分の希望が示せるようになったんだと思いますよ。」
「それはそうだけど、もう1時間も青巫鳥(あおじ)と遊んでいるんだろう、」
日向に向けて足を踏み出す。
「や、だ、」
拒絶の言葉に、胸が苦しくなる。
日向に拒まれることがこんなに苦しいとは。
「しおう、こない、あおじ、いる、」
「ダメだ。もう暗くなるから、青巫鳥ももうねぐらに帰る時間。日向も帰るぞ、」
「ぅあ、あー、あおじ、」
俺が数歩歩んだところで、青巫鳥はぱっと飛び立ってしまう。
白い手がすがるように追いかけたが、黄色い鳥はあっという間に森の中へと消えていった。
おいで、と手を差し出せば、日向は素直に腕の中に納まったが、視線は黄色い鳥が飛び去った方向を見つめたまま動かない。
もう少し遊ばせてやれば良かっただろうか。
でも、日向が凍えるのが心配というのも本音。
小さな体が腕に戻ってきて安心というのも本音だった。
「体、震えているじゃないか。寒いんだろう、」
懐に温玉(ぬくいだま)を入れさせていたが、抱き上げた日向はかたかたと震えていた。指先が冷たく、唇も色がない。
上着の内側に入れてやると、ぴったりとくっついてきて小さく体を丸めた。
やっぱり寒いんじゃないか。
「宇継が風呂の用意をしているから、部屋に戻ったら温まろうな、」
うん、
「日向が風邪をひいたら、青巫鳥とも遊べないだろう?俺も心配。わかる?」
「…わかる、」
ようやく水色の瞳と視線が合う。
「しんぱい、ごめん、ね、」
「いいよ。日向が楽しそうだったから、本当は俺ももっと遊ばせてやりたかった。温かい季節になったら、もっと遊べるから、我慢な。」
「うん、」
おそらくいろんな気持ちが交錯して揺れる水色の瞳が可愛くて、白い唇に口づけた。一度離れた唇を、二度目は日向の方から求めてくれる。
「あとな、あんまり放っておかれると俺も寂しい。」
「しおう、さびしい?」
「そう、寂しい。だから、青巫鳥以外の時間は俺にちょうだい、」
「いいよ、」
俺の気配に聡い日向は、細い腕を背中に回して、ぎゅっと抱きしめてくれる。
その頭にキスをして、聞いた。
「楽しかった?」
「うん、」
水色の瞳がぱっと煌いて、あのね、と語り出す。
部屋へ戻る道すがら、とまらないおしゃべりを聞いた。
ささやかで、最上の幸福が満ち溢れた。
198
お気に入りに追加
1,307
あなたにおすすめの小説
そばにいてほしい。
15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。
そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。
──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。
幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け
安心してください、ハピエンです。
転生令息は冒険者を目指す!?
葛城 惶
BL
ある時、日本に大規模災害が発生した。
救助活動中に取り残された少女を助けた自衛官、天海隆司は直後に土砂の崩落に巻き込まれ、意識を失う。
再び目を開けた時、彼は全く知らない世界に転生していた。
異世界で美貌の貴族令息に転生した脳筋の元自衛官は憧れの冒険者になれるのか?!
とってもお馬鹿なコメディです(;^_^A
僕を拾ってくれたのはイケメン社長さんでした
なの
BL
社長になって1年、父の葬儀でその少年に出会った。
「あんたのせいよ。あんたさえいなかったら、あの人は死なずに済んだのに…」
高校にも通わせてもらえず、実母の恋人にいいように身体を弄ばれていたことを知った。
そんな理不尽なことがあっていいのか、人は誰でも幸せになる権利があるのに…
その少年は昔、誰よりも可愛がってた犬に似ていた。
ついその犬を思い出してしまい、その少年を幸せにしたいと思うようになった。
かわいそうな人生を送ってきた少年とイケメン社長が出会い、恋に落ちるまで…
ハッピーエンドです。
R18の場面には※をつけます。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします。……やっぱり狙われちゃう感じ?
み馬
BL
※ 完結しました。お読みくださった方々、誠にありがとうございました!
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。
わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!?
これは、とある加護を受けた8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。
おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。
※ 独自設定、造語、下ネタあり。出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。
★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★
★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる