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第壱部-Ⅴ:小さな箱庭から

58.紫鷹 その声にこたえる

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「消化管の出血がありました。足の件に加え、魔力の消耗と心労が続いて、日向様には心身ともに相当負荷がかかっていたのだと思います。」
「…そうか、」

小栗の話を聞きながら、点滴の管につながれた白い手を握る。
薬が効いているという日向は、水色の瞳をぼんやりとこちらへ向けるが、視線は合わなかった。
それでも小さな口が、名前を呼ぶ。

「し、おぉ」
「うん、いるよ、」
「こぁ、い」
「うん…、怖いな。ごめんな。小栗が良くしてくれるからな、大丈夫だから、」

声が震えるのをごまかしたくて、水色の髪をなでた。
汗でしっとりとした頭が、ひんやりと冷たく感じられて、ぞっとする。熱があった頃の方がマシだった。日向の熱を感じられる方が、生きているという実感があった。

「紫鷹殿下、」

小さく萩花が呼ぶ。
はっとして、俺の中に沸いた不安と恐怖を追いやり、揺らぐ感情を抑え込んだ。
日向が俺の魔力の気配に反応しないように、魔力を隠すのが、ここへ来る条件だった。

肌の表面から内側へ、腹の奥へと魔力をしまい込む。いつもなら容易にとは言わないまで、もっと簡単にできたことが、ひどく疲れた。ともすると、わずかな揺らぎで、内側に隠した魔力が、外へと放たれようとする。
体でなく、心とか、魂というようなもっと深い部分で疲弊していくのを感じた。


こんなにも疲れることを、日向に強いていたのか。


ボロボロの小さな体に。
未だ未熟なその心に。


水色の髪をなでる手に、力がこもる。
集中しろと、自分に叱咤した傍から、意識が感情に押し流されそうになった。
本当にきつい。
きつくて、余計に日向への悔いが増す。

「しお、ぉ、」

日向に名を呼ばれた瞬間、体の奥底から熱があふれた。
集中が途切れる。離れるべきだと思った。
それなのに、日向の手はそれをさせまいとするかのように、縋ってくる。

こんなにも、求められていることが、今は怖かった。

「日向、また来るから、今は休め。いっぱい寝て、早く良くなろうな、」
「しぉ、いか、ない、や、だ、」
「ひな、た、」
「いる、こぁい、しお、ぉ、いる、」

薬のせいで力が入らないであろう小さな手が、それでも俺を捕まえようと動いて、宙をつかみ、落ちる。
水色の瞳からボロボロとこぼれた涙が苦しくて、思わず抱きしめた。
小さくて、冷たくて、愛しくて、怖い。

去るべきだと言う理性と、離れたくない気持ちでぐちゃぐちゃだった。

傍にいたいのに。
こんなに大事なのに。
こんなにも大好きなのに。

俺が、日向を傷つける。



「し、ぉ、」



ふわりと、体を包み込む何かを感じた。
心地よいそれに、頭の中で警鐘が鳴る。

「ひな、た、ダメだ、」
「殿下、離れてください!畝見(うなみ)!」

萩花に引きはがされ、白い手が離れた。
すぐに畝見がその手を握る。
日向の小さな体が跳ねて、赤いものが散ったように見えた。

「し、おぉ、や、だ、」

萩花に引きずられて、日向から遠ざかる。
それでもなお、小さくなっていく声が俺を呼ぶのが聞こえて、涙があふれた。



「殿下、今はこらえてください。日向様の命が優先です。」
「…わかってる、」


涙が止まらない。
もうとっくに、俺自身の力で魔力を押し込めることなどできなくなっていた。
胸の内が、不安と恐怖で支配されている。


日向を失うかもしれない。


「しっかりしてください、殿下。」


柔く頬を叩かれ、黄色の瞳に視線を合わせられた。
いつも穏やかな黄色が、強い黄金色に変わっていく。
西佳(さいか)の戦士の目。
鍛錬に負けるたびに、俺や藤夜(とうや)を鼓舞した兄の目。

「殿下が折れてはいけません。日向様には殿下が必要です。わかりますか、」

わからない。俺のせいなのに。
俺のせいで、日向を失いかけているのに。

「藤夜が言ったでしょう。日向様の大事なもの。殿下はわかりますね?」
「…お、れ、」
「そうです。日向様は殿下が大事です。殿下がいないと元気にはなれません。」
「でも、」
「日向様には、殿下が必要です。」

有無を言わせない。
俺の迷いを薙ぎ払っていく強い目。

「今、晴海(はるみ)さんが、魔力干渉が可能な者を揃えてくれています。これ以上、日向様を消耗させないように手は打っていますから、殿下が折れないでください。わかりますね?」
「…うん、」
「殿下や日向様が魔力を制御できなくても、我々がします。だから、くれぐれも、日向様から離れるようなことはしないでください。いいですね?」
「…うん、」
「では、今日は我々に任せて、しっかり休んでください。後で殿下の侍医が部屋に参りますから、腕もちゃんと診てもらってください。わかりましたか?」
「…うん、」

ぐっと体を引かれ、萩花の肩に頭を埋められた。
力強い手に背中を叩かれる。

「明日は、ちゃんといつもの顔を日向様に見せてくださいよ。」

子どもみたいだと思った。
恥ずかしくて、悔しくて、怖くて、悲しくて、涙が止まらない。

こんなふうに弱いから、日向に心配される。
こんなふうに弱いから、日向が魔法を使う。
こんなふうに弱いから、日向を守れない。

日向を失うくらなら、もう一生日向の傍に近づけなくてもいいと思った。
日向が生きていることの方が、俺は大事だ。


でも、日向が俺を呼んでいる。

その声に、俺は応えなければならない。

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