59 / 200
第壱部-Ⅴ:小さな箱庭から
58.紫鷹 その声にこたえる
しおりを挟む
「消化管の出血がありました。足の件に加え、魔力の消耗と心労が続いて、日向様には心身ともに相当負荷がかかっていたのだと思います。」
「…そうか、」
小栗の話を聞きながら、点滴の管につながれた白い手を握る。
薬が効いているという日向は、水色の瞳をぼんやりとこちらへ向けるが、視線は合わなかった。
それでも小さな口が、名前を呼ぶ。
「し、おぉ」
「うん、いるよ、」
「こぁ、い」
「うん…、怖いな。ごめんな。小栗が良くしてくれるからな、大丈夫だから、」
声が震えるのをごまかしたくて、水色の髪をなでた。
汗でしっとりとした頭が、ひんやりと冷たく感じられて、ぞっとする。熱があった頃の方がマシだった。日向の熱を感じられる方が、生きているという実感があった。
「紫鷹殿下、」
小さく萩花が呼ぶ。
はっとして、俺の中に沸いた不安と恐怖を追いやり、揺らぐ感情を抑え込んだ。
日向が俺の魔力の気配に反応しないように、魔力を隠すのが、ここへ来る条件だった。
肌の表面から内側へ、腹の奥へと魔力をしまい込む。いつもなら容易にとは言わないまで、もっと簡単にできたことが、ひどく疲れた。ともすると、わずかな揺らぎで、内側に隠した魔力が、外へと放たれようとする。
体でなく、心とか、魂というようなもっと深い部分で疲弊していくのを感じた。
こんなにも疲れることを、日向に強いていたのか。
ボロボロの小さな体に。
未だ未熟なその心に。
水色の髪をなでる手に、力がこもる。
集中しろと、自分に叱咤した傍から、意識が感情に押し流されそうになった。
本当にきつい。
きつくて、余計に日向への悔いが増す。
「しお、ぉ、」
日向に名を呼ばれた瞬間、体の奥底から熱があふれた。
集中が途切れる。離れるべきだと思った。
それなのに、日向の手はそれをさせまいとするかのように、縋ってくる。
こんなにも、求められていることが、今は怖かった。
「日向、また来るから、今は休め。いっぱい寝て、早く良くなろうな、」
「しぉ、いか、ない、や、だ、」
「ひな、た、」
「いる、こぁい、しお、ぉ、いる、」
薬のせいで力が入らないであろう小さな手が、それでも俺を捕まえようと動いて、宙をつかみ、落ちる。
水色の瞳からボロボロとこぼれた涙が苦しくて、思わず抱きしめた。
小さくて、冷たくて、愛しくて、怖い。
去るべきだと言う理性と、離れたくない気持ちでぐちゃぐちゃだった。
傍にいたいのに。
こんなに大事なのに。
こんなにも大好きなのに。
俺が、日向を傷つける。
「し、ぉ、」
ふわりと、体を包み込む何かを感じた。
心地よいそれに、頭の中で警鐘が鳴る。
「ひな、た、ダメだ、」
「殿下、離れてください!畝見(うなみ)!」
萩花に引きはがされ、白い手が離れた。
すぐに畝見がその手を握る。
日向の小さな体が跳ねて、赤いものが散ったように見えた。
「し、おぉ、や、だ、」
萩花に引きずられて、日向から遠ざかる。
それでもなお、小さくなっていく声が俺を呼ぶのが聞こえて、涙があふれた。
「殿下、今はこらえてください。日向様の命が優先です。」
「…わかってる、」
涙が止まらない。
もうとっくに、俺自身の力で魔力を押し込めることなどできなくなっていた。
胸の内が、不安と恐怖で支配されている。
日向を失うかもしれない。
「しっかりしてください、殿下。」
柔く頬を叩かれ、黄色の瞳に視線を合わせられた。
いつも穏やかな黄色が、強い黄金色に変わっていく。
西佳(さいか)の戦士の目。
鍛錬に負けるたびに、俺や藤夜(とうや)を鼓舞した兄の目。
「殿下が折れてはいけません。日向様には殿下が必要です。わかりますか、」
わからない。俺のせいなのに。
俺のせいで、日向を失いかけているのに。
「藤夜が言ったでしょう。日向様の大事なもの。殿下はわかりますね?」
「…お、れ、」
「そうです。日向様は殿下が大事です。殿下がいないと元気にはなれません。」
「でも、」
「日向様には、殿下が必要です。」
有無を言わせない。
俺の迷いを薙ぎ払っていく強い目。
「今、晴海(はるみ)さんが、魔力干渉が可能な者を揃えてくれています。これ以上、日向様を消耗させないように手は打っていますから、殿下が折れないでください。わかりますね?」
「…うん、」
「殿下や日向様が魔力を制御できなくても、我々がします。だから、くれぐれも、日向様から離れるようなことはしないでください。いいですね?」
「…うん、」
「では、今日は我々に任せて、しっかり休んでください。後で殿下の侍医が部屋に参りますから、腕もちゃんと診てもらってください。わかりましたか?」
「…うん、」
ぐっと体を引かれ、萩花の肩に頭を埋められた。
力強い手に背中を叩かれる。
「明日は、ちゃんといつもの顔を日向様に見せてくださいよ。」
子どもみたいだと思った。
恥ずかしくて、悔しくて、怖くて、悲しくて、涙が止まらない。
こんなふうに弱いから、日向に心配される。
こんなふうに弱いから、日向が魔法を使う。
こんなふうに弱いから、日向を守れない。
日向を失うくらなら、もう一生日向の傍に近づけなくてもいいと思った。
日向が生きていることの方が、俺は大事だ。
でも、日向が俺を呼んでいる。
その声に、俺は応えなければならない。
「…そうか、」
小栗の話を聞きながら、点滴の管につながれた白い手を握る。
薬が効いているという日向は、水色の瞳をぼんやりとこちらへ向けるが、視線は合わなかった。
それでも小さな口が、名前を呼ぶ。
「し、おぉ」
「うん、いるよ、」
「こぁ、い」
「うん…、怖いな。ごめんな。小栗が良くしてくれるからな、大丈夫だから、」
声が震えるのをごまかしたくて、水色の髪をなでた。
汗でしっとりとした頭が、ひんやりと冷たく感じられて、ぞっとする。熱があった頃の方がマシだった。日向の熱を感じられる方が、生きているという実感があった。
「紫鷹殿下、」
小さく萩花が呼ぶ。
はっとして、俺の中に沸いた不安と恐怖を追いやり、揺らぐ感情を抑え込んだ。
日向が俺の魔力の気配に反応しないように、魔力を隠すのが、ここへ来る条件だった。
肌の表面から内側へ、腹の奥へと魔力をしまい込む。いつもなら容易にとは言わないまで、もっと簡単にできたことが、ひどく疲れた。ともすると、わずかな揺らぎで、内側に隠した魔力が、外へと放たれようとする。
体でなく、心とか、魂というようなもっと深い部分で疲弊していくのを感じた。
こんなにも疲れることを、日向に強いていたのか。
ボロボロの小さな体に。
未だ未熟なその心に。
水色の髪をなでる手に、力がこもる。
集中しろと、自分に叱咤した傍から、意識が感情に押し流されそうになった。
本当にきつい。
きつくて、余計に日向への悔いが増す。
「しお、ぉ、」
日向に名を呼ばれた瞬間、体の奥底から熱があふれた。
集中が途切れる。離れるべきだと思った。
それなのに、日向の手はそれをさせまいとするかのように、縋ってくる。
こんなにも、求められていることが、今は怖かった。
「日向、また来るから、今は休め。いっぱい寝て、早く良くなろうな、」
「しぉ、いか、ない、や、だ、」
「ひな、た、」
「いる、こぁい、しお、ぉ、いる、」
薬のせいで力が入らないであろう小さな手が、それでも俺を捕まえようと動いて、宙をつかみ、落ちる。
水色の瞳からボロボロとこぼれた涙が苦しくて、思わず抱きしめた。
小さくて、冷たくて、愛しくて、怖い。
去るべきだと言う理性と、離れたくない気持ちでぐちゃぐちゃだった。
傍にいたいのに。
こんなに大事なのに。
こんなにも大好きなのに。
俺が、日向を傷つける。
「し、ぉ、」
ふわりと、体を包み込む何かを感じた。
心地よいそれに、頭の中で警鐘が鳴る。
「ひな、た、ダメだ、」
「殿下、離れてください!畝見(うなみ)!」
萩花に引きはがされ、白い手が離れた。
すぐに畝見がその手を握る。
日向の小さな体が跳ねて、赤いものが散ったように見えた。
「し、おぉ、や、だ、」
萩花に引きずられて、日向から遠ざかる。
それでもなお、小さくなっていく声が俺を呼ぶのが聞こえて、涙があふれた。
「殿下、今はこらえてください。日向様の命が優先です。」
「…わかってる、」
涙が止まらない。
もうとっくに、俺自身の力で魔力を押し込めることなどできなくなっていた。
胸の内が、不安と恐怖で支配されている。
日向を失うかもしれない。
「しっかりしてください、殿下。」
柔く頬を叩かれ、黄色の瞳に視線を合わせられた。
いつも穏やかな黄色が、強い黄金色に変わっていく。
西佳(さいか)の戦士の目。
鍛錬に負けるたびに、俺や藤夜(とうや)を鼓舞した兄の目。
「殿下が折れてはいけません。日向様には殿下が必要です。わかりますか、」
わからない。俺のせいなのに。
俺のせいで、日向を失いかけているのに。
「藤夜が言ったでしょう。日向様の大事なもの。殿下はわかりますね?」
「…お、れ、」
「そうです。日向様は殿下が大事です。殿下がいないと元気にはなれません。」
「でも、」
「日向様には、殿下が必要です。」
有無を言わせない。
俺の迷いを薙ぎ払っていく強い目。
「今、晴海(はるみ)さんが、魔力干渉が可能な者を揃えてくれています。これ以上、日向様を消耗させないように手は打っていますから、殿下が折れないでください。わかりますね?」
「…うん、」
「殿下や日向様が魔力を制御できなくても、我々がします。だから、くれぐれも、日向様から離れるようなことはしないでください。いいですね?」
「…うん、」
「では、今日は我々に任せて、しっかり休んでください。後で殿下の侍医が部屋に参りますから、腕もちゃんと診てもらってください。わかりましたか?」
「…うん、」
ぐっと体を引かれ、萩花の肩に頭を埋められた。
力強い手に背中を叩かれる。
「明日は、ちゃんといつもの顔を日向様に見せてくださいよ。」
子どもみたいだと思った。
恥ずかしくて、悔しくて、怖くて、悲しくて、涙が止まらない。
こんなふうに弱いから、日向に心配される。
こんなふうに弱いから、日向が魔法を使う。
こんなふうに弱いから、日向を守れない。
日向を失うくらなら、もう一生日向の傍に近づけなくてもいいと思った。
日向が生きていることの方が、俺は大事だ。
でも、日向が俺を呼んでいる。
その声に、俺は応えなければならない。
187
お気に入りに追加
1,370
あなたにおすすめの小説
そばかす糸目はのんびりしたい
楢山幕府
BL
由緒ある名家の末っ子として生まれたユージン。
母親が後妻で、眉目秀麗な直系の遺伝を受け継がなかったことから、一族からは空気として扱われていた。
ただ一人、溺愛してくる老いた父親を除いて。
ユージンは、のんびりするのが好きだった。
いつでも、のんびりしたいと思っている。
でも何故か忙しい。
ひとたび出張へ出れば、冒険者に囲まれる始末。
いつになったら、のんびりできるのか。もう開き直って、のんびりしていいのか。
果たして、そばかす糸目はのんびりできるのか。
懐かれ体質が好きな方向けです。今のところ主人公は、のんびり重視の恋愛未満です。
全17話、約6万文字。
バッドエンドを迎えた主人公ですが、僻地暮らしも悪くありません
仁茂田もに
BL
BLゲームの主人公に転生したアルトは、卒業祝賀パーティーで攻略対象に断罪され、ゲームの途中でバッドエンドを迎えることになる。
流刑に処され、魔物溢れる辺境の地グローセベルクで罪人として暮らすことになったアルト。
そこでイケメンすぎるモブ・フェリクスと出会うが、何故か初対面からものすごく嫌われていた。
罪人を管理監督する管理官であるフェリクスと管理される立場であるアルト。
僻地で何とか穏やかに暮らしたいアルトだったが、出会う魔物はものすごく凶暴だし管理官のフェリクスはとても冷たい。
しかし、そこは腐っても主人公。
チート級の魔法を使って、何とか必死に日々を過ごしていくのだった。
流刑の地で出会ったイケメンモブ(?)×BLゲームの主人公に転生したけど早々にバッドエンドを迎えた主人公
普通の男の子がヤンデレや変態に愛されるだけの短編集、はじめました。
山田ハメ太郎
BL
タイトル通りです。
お話ごとに章分けしており、ひとつの章が大体1万文字以下のショート詰め合わせです。
サクッと読めますので、お好きなお話からどうぞ。
第一王子から断罪されたのに第二王子に溺愛されています。何で?
藍音
BL
占星術により、最も国を繁栄させる子を産む孕み腹として、妃候補にされたルーリク・フォン・グロシャーは学院の卒業を祝う舞踏会で第一王子から断罪され、婚約破棄されてしまう。
悲しみにくれるルーリクは婚約破棄を了承し、領地に去ると宣言して会場を後にするが‥‥‥
すみません、シリアスの仮面を被ったコメディです。冒頭からシリアスな話を期待されていたら申し訳ないので、記載いたします。
男性妊娠可能な世界です。
魔法は昔はあったけど今は廃れています。
独自設定盛り盛りです。作品中でわかる様にご説明できていると思うのですが‥‥
大きなあらすじやストーリー展開は全く変更ありませんが、ちょこちょこ文言を直したりして修正をかけています。すみません。
R4.2.19 12:00完結しました。
R4 3.2 12:00 から応援感謝番外編を投稿中です。
お礼SSを投稿するつもりでしたが、短編程度のボリュームのあるものになってしまいました。
多分10話くらい?
2人のお話へのリクエストがなければ、次は別の主人公の番外編を投稿しようと思っています。
異世界に落っこちたら溺愛された
PP2K
BL
僕は 鳳 旭(おおとり あさひ)18歳。
高校最後の卒業式の帰り道で居眠り運転のトラックに突っ込まれ死んだ…はずだった。
目が覚めるとそこは見ず知らずの森。
訳が分からなすぎて1周まわってなんか冷静になっている自分がいる。
このままここに居てもなにも始まらないと思い僕は歩き出そうと思っていたら…。
「ガルルルゥ…」
「あ、これ死んだ…」
目の前にはヨダレをだらだら垂らした腕が4本あるバカでかいツノの生えた熊がいた。
死を覚悟して目をギュッと閉じたら…!?
騎士団長×異世界人の溺愛BLストーリー
文武両道、家柄よし・顔よし・性格よしの
パーフェクト団長
ちょっと抜けてるお人好し流され系異世界人
⚠️男性妊娠できる世界線️
初投稿で拙い文章ですがお付き合い下さい
ゆっくり投稿していきます。誤字脱字ご了承くださいm(*_ _)m
迷子の僕の異世界生活
クローナ
BL
高校を卒業と同時に長年暮らした養護施設を出て働き始めて半年。18歳の桜木冬夜は休日に買い物に出たはずなのに突然異世界へ迷い込んでしまった。
通りかかった子供に助けられついていった先は人手不足の宿屋で、衣食住を求め臨時で働く事になった。
その宿屋で出逢ったのは冒険者のクラウス。
冒険者を辞めて騎士に復帰すると言うクラウスに誘われ仕事を求め一緒に王都へ向かい今度は馴染み深い孤児院で働く事に。
神様からの啓示もなく、なぜ自分が迷い込んだのか理由もわからないまま周りの人に助けられながら異世界で幸せになるお話です。
2022,04,02 第二部を始めることに加え読みやすくなればと第一部に章を追加しました。
俺は北国の王子の失脚を狙う悪の側近に転生したらしいが、寒いのは苦手なのでトンズラします
椿谷あずる
BL
ここはとある北の国。綺麗な金髪碧眼のイケメン王子様の側近に転生した俺は、どうやら彼を失脚させようと陰謀を張り巡らせていたらしい……。いやいや一切興味がないし!寒いところ嫌いだし!よし、やめよう!
こうして俺は逃亡することに決めた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる