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第壱部-Ⅴ:小さな箱庭から

55.紫鷹 奪われたもの

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瞼に触れる温かい感覚で目を覚ますと、ゆらゆらと揺れる水色が俺を見下ろしていた。
酷い動悸と不快な汗で、視界が混濁する。

「しおう、泣く?」

もう一度瞼に唇を落とされて、ようやくそれが日向だと認識した。

青白く不安に塗れた酷い顔。揺れる瞳は、きょどきょどと落ち着かず、視線が彷徨う。それでも、なんとか俺を視界にとらえようとしているのがわかった。

ぐらぐらと揺れる頭をとらえて胸に抱く。縋るようにしがみついてきたので、両手で抱えて抱きしめ、水色の頭に顔を埋めた。息苦しさが、ゆるゆると溶けていく気がした。

「…泣かないけど、泣きたかった。ごめんな、怖かっただろ、」
「うん、」
「もう兄上には近づかせない、ごめん、本当に、」

「…しおうが、泣くが、いや、」

ぽつりと、小さく声がした。
胸元に、温かい息遣いを感じる。
日向はそれ以上何も言わなかった。だから、俺も何も言わず、ただ小さな体を抱きしめる。俺よりも僅かに高い体温が心地よくて、心が凪いだ。
そのまま二人で抱き合って、朝まで眠った。





「チラと見えたけど、さすが尼嶺(にれ)だね。見目がいい。あれなら、欲しい者がいくらでもいるだろう。使い勝手が良さそうだ。尼嶺で十分躾もされているのだろう?」

去り際、朱華(はねず)が吐いた言葉に、全身の毛が逆立つのを感じた。
揶揄うような、楽しむような朱色の目を、本気でえぐり、消し去りたかった。
藤夜が俺を抑え、草が朱華を送り出さなければ、怒りのまま暴走したかもしれない。
実際、執務室は壊した。

日向のために取り寄せた青巫鳥(あおじ)柄の服があったのにな。

それだけが悔やまれた。
薄い水色に黄色の青巫鳥が縫い込まれたシャツは、日向に似合うと一目で思った。
まだ季節が早いから、春になったら渡して喜ばせようと楽しみにしていたのに。
多分、もう見る影もない。

「日向様、いい感じですよ。昨日よりうんと良い。」
「まだ、ちがう、」
「昨日より良いんだから、明日はもっと良くなりますよ。殿下の誕生日までには、もっともっと良くなるでしょ?」
「…うん、」

膝にのせた日向が、粘土を捏ね始める。
青空(そら)の強引さが、日向を引っ張っているようで、多少助かった。

俺も日向も、目覚めた時にはぐったりとしていて、朝食もそこそこに、昼までベッドでだらだらと過ごした。
昼時に唯理音(ゆりね)に叩き起こされ、ようやくまともに食事をして、起きた。
日向は一度隠れ家に入って昼寝をしたが、おやつには起きてきて、今は俺への誕生日プレゼントだという鳥を捏ねている。

藤夜(とうや)は朝小言を吐きに来たっきり、見ていない。
俺が呆けている分、あちこち駆け回っているんだろう。後で一つくらい要望を聞いてやろう。

「し、おう、ここ、やる、」
「うん?あ、はい、」
「殿下にあげるものを、殿下に作らせるってありですか?」
「うるさい、俺と日向の共同作業だ。俺がいいんだから、良いだろ、」
「はいはい、」

日向の散らかした粘土を集めながら、青空はケラケラと笑う。
俺は日向のいうままに、大瑠璃のくちばしと思しき辺りを整えてやった。

日向はまだぼんやりとしていて、粘土を捏ねている間も手が止まる。しばらくすると、思い出したように動き出すのを繰り返していた。時々、俺にああしろ、こうしろと注文を出してくるので、手伝ってやる。

「これでいい?」
「うん、足できた、」

足だったのか。
妙にこだわりがあるくせに、できあがっていくものが、こちらの想定を超えていく。もはや、手や指の感覚がどうという問題でなく、日向の感性なのではないだろうか。独特すぎるだろう…。

言われても鳥とはわからない、ブローチというには、厚く立体的な粘土を、全部もらった。
俺が回収して部屋に持ち帰るために箱に詰めていると、少しだけ頬をゆるめて笑う。
ようやく見られた笑顔に、安堵した。

「粘土は終わり?」
「うん、」
「夕食まで時間がある。散歩にでも行くか?」
「…んーん、」

膝から、小さく震えるのを感じた。
日向の体の奥深くに、不安か恐怖が巣くっているのがわかって、言いようのない怒りが、腹の底から込み上げてくる。

「散歩、怖くなったか、」
「行きたい、もある、けど、行きたく、ない、がある、」

1日に何度も侍女や護衛に強請っていた散歩。
それなのに。

「…行きたいがあるなら良い。今日は休んで、また行きたくなったら行こう、」
「いいの?」
「いいよ。散歩は行きたい時に行くものだから。俺は日向が俺に会いたくなって、我慢できなくて、また会いにきてくれるようになるのを楽しみにしてる、」
「会いたいは、行く、よ、」
「そうか、」

腹の底でどす黒く渦巻いていたものが、少しだけ緩やかになった。
昨日暴れたせいで消耗した体力と魔力が、日向のそばにいるだけで、回復していくのを感じる。
とても幸福で、心地良かった。


「…日向様、癒しの魔法が、増幅しています、」


部屋の隅に控え、こちらを見守っていた萩花(はぎな)が、申し訳なさそうに眉を下げる。
そうか、日向の魔法か。

「俺のせいか?」
「いえ…、日向様、制御できますか?」
「でき、ない、」
「わかりました。畝見(うねみ)、」

音もなく日向の護衛が姿を表して、小さな手を握った。
震えている。

「枯渇しない程度に、抑えます。」

畝見が言い、わずかの時間を置いて、心地よさが薄れていくのを感じた。同時に、また腹の底からグツグツと込み上げてくるものがある。

昨日、中庭で朱華と対峙した日向は、朱華に従って、膝をついた。
その時に、唯理音の拘束を逃れようと、身体強化を使ったと聞いている。術式も媒介もなしに。
魔力が枯渇することはなかったが、相当消耗したらしい。意識をなくした後も吐いて震えていたのは、恐怖のせいばかりではなかった。

いつも誰よりも上手く魔力を制御する日向が、できないと訴えるのは、体の消耗か、心労か。
おそらく両方だろう。
その原因を作った朱華が憎かった。

「これでしばらく魔力は抑えられます。干渉を受けた不快感があると思いますが、どうですか、」
「ちょっと、ある、」
「…少しお休みなさいませ。今は休むことがいちばんの治療です、」
「うん、」

水色の瞳が俺を振り返る。

「ぎゅうって、したい、」
「ああ、」

言われるまま日向を抱きしめ、ベッドまで連れて行った。
小さな肩を撫でながら、日向の寝息を聞く。
ゆるゆると、怒りが悲しみに変わっていった。


これ以上、日向から何も奪わないでくれ。
些細な幸せを、日向に許してやってくれ。


懇願にも似た気持ちが、胸のうちに溢れ、また再び怒りに変わる。


守れなかったのは俺だ。
朱華を止められなかったのも、日向を恐怖させたのも、奪わせたのも、俺だ。


自分への苛立ちで、体が震える。
震えはやがて、恐怖に変わった。


朱華は、あいつは、いつも奪っていく。
俺の大切なものを奪っていく。
ーーーーーーまた、

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