上 下
52 / 201
第壱部-Ⅴ:小さな箱庭から

51.水蛟 心を救うもの

しおりを挟む
紫鷹殿下の膝に抱かれて、日向様は小栗(おぐり)の話を全て聞かれていた。

歩行の負荷による関節の炎症で熱が出たこと。
もともと傷ついていた血管や神経が、炎症に伴う腫脹で圧迫され障害を受けたこと。
炎症は収まったが、血流と神経の阻害で、足の動きが悪くなっていること。
治療法を探してはいるが、必ず治せると確約はできないこと。
今は、炎症を繰り返さないことと、そのための体作りが大切なこと。
運動は必要だが、制限も必要なこと。

「わかった、」

日向様は、すべてを静かに聞いて、最後に小さくうなずかれる。
じっと何かを耐えるような表情がつらかった。



「じゃあな、日向。俺は行くが、絶対無理はするな。痛かったら、萩花(はぎな)か水蛟(みずち)にすぐ言え。」
「うん、」
「中庭に行ってもいいが、温かくして行けよ。上着だけじゃなく帽子もかぶれ、」
「わかった、」
「薬はちゃんと飲めよ。水分も忘れるな、食事は、」
「行くぞ、」
「とや、行ってらっしゃい、」
「うん、ひな。行ってきます、」

心配性の殿下が、相も変わらずグダグダと出ていかないのを、藤夜(とうや)様が引きずっていく。

朝食後に日向様の診察に付き添い、小栗の話を一緒に聞いて、歩行訓練まで付き合っていたから、もう間もなく昼食の時間。

いつも思うけれど、日向様がいらしてから、殿下の学院の単位は大丈夫なのかしら。
まだあと3年あるとはいえ、卒業できるのかしら。

「はぎな、鳥のずかん、よむ、」
「どちらがいいですか。」
「すずめの、」

部屋の入口まで殿下を見送った日向様は、不安定な足取りながらも、自分の足でソファまで歩いた。
萩花様が鳥の図鑑を持ってくる間、考え込む表情はしても、痛みに顔をゆがめたりはしない。
鳥の図鑑が置かれると、すぐに嬉しそうな表情になって、ページをめくった。

「お、お、る、り、これは紫?」
「そうですね。大瑠璃はどちらかというと紫を帯びた青色ですが、紫色に近い個体もいますよ、」
「こ、る、り、も?」
「ええ。」

本当に鳥がお好きねえ。

誕生日にもらった図鑑はあっという間に覚えてしまって、いつの間にか新しい図鑑が増えた。
主に紫鷹殿下と萩花様が持ってくるのだけれど、ほかにも離宮の者たちが、競うように持ってくるから、本棚が一つ新設された。
今は鳥に限らず、いろいろな図鑑がずらりと並んでいて、日向様は毎日嬉しそうに開いている。

でもやっぱり、鳥が一番お好きなんですよね。
ここのところ毎日同じ図鑑だもの。

「つくる、はどうする?」
「作る、ですか?」
「青巫鳥(あおじ)のブローチと同じように、大瑠璃のブローチを作りたいということではないかと、」
「ああ、なるほど、」

萩花様もまだまだですねえ。
さっきから日向様はずっと、胸につけたブローチを手でなでていらっしゃるのに。

「日向様のブローチは職人が作ったものですが…、」
「つくる、」
「ご自分で作りたいということですよね?」
「うん、」
「これは木を彫って作られたものですが、ご自分でとなると、最初は粘土あたりがいいのではないでしょうか、」
「ねんど、」
「粘り気のあるやわらかい土です。土をこねて、大瑠璃の形を作り、固めればブローチになります。粘土なら庭師がすぐに用意できると思いますが、」
「やる、」

水色の瞳が、キラキラと宝石のように輝いた。
あらまあ、可愛らしい。でも最近は、憂いが混じるせいか、お美しい、と見惚れてしまうことが増えた気がする。

「承りました。官兵(かんべ)、」

萩花様が部屋の外に向かって声をかけると、了承する声がした。
官兵さん、いらしたんですか。そして、庭師のもとに走りましたね。
日向様に新しく護衛が付くと聞いたときは、とてもとても心配だったけど。なんだかんだ便利でいいですよねえ。

「またどうして、鳥のブローチを、」
「無粋ですよ、萩花様、」
「え、」

本当にまだまだですね、萩花様。
ここしばらく、日向様は毎日、鳥の図鑑をめくって何かを一生懸命に探していたでしょう。
ようやく見つけたんですよ。求めていた鳥が。
それで、紫がいいんです。

「日向様、大瑠璃の目はどうしますか?紫色の目にするなら、石を手配させますよ、」
「する、」
「萩花様、確か無色の煌玉(こうぎょく)は、最初に込めた魔力に反応して色に染まると聞きました。日向様にもできますか?」
「え、はい。もちろん、日向様ならできますが…。」

まん丸な目。
そんなに驚かなくてもいいのに。
隣の日向様が、嬉しそうに真似して、とても可愛らしいのに、見えていませんね。もったいない。

「紫になるように教えてあげてください。日向様の大事な贈り物ですから、」
「あ、はい、」
「ああ、青空(そら)。無色の煌玉を取りに行ってほしいのだけど、」

ちょうど入ってきた青空に事情を話して、官兵と同じように走らせる。
萩花様がぽかんとする横で、日向様が同じように口を開けて、可愛らしかった。

楽しそうで、何よりです。

日向様は、熱が下がって、ベッドやソファへ移動できるくらいには、歩けるようになった。
毎日数回、お散歩のおねだりもするし、お勉強や魔力制御の鍛錬も熱心にされる。
それでも、隠れ家にこもる時間は増えたし、おしゃべりの途中で急に静かになって、考えこむことも多かった。夜はまだうなされる。

昨晩も、夜番だった宇継が、何度も日向様を隠れ家から出してあやしたと聞いている。
そのせいで、やっぱり俺が一緒に寝てやるからと、紫鷹殿下が騒いだのは今朝のことだ。

本当にあの皇子様は、何かにつけて、日向様を囲い込もうと画策するんだから、困ってしまうわ。
ご自分の体調は省みない。その愛情の深さには感心するのだけど。
その愛情が、不安や恐怖に呑まれそうになる日向様を掬いあげて、笑顔にさせていることも。

だから、紫が、いいんですよね。

「ブローチができたら、お包みする袋も紫でご用意しましょうか。薄い紫の袋に、濃い紫のリボンは素敵ですよ、」
「うん、紫がいい、」
「ご用意いたしますね、」

「あ、なるほど。誕生日ですか、」

萩花様。ようやくですか。
優秀だと聞いておりましたのに、本当にまだまだ!

日向様は、誕生日を祝ってもらえたことが嬉しかったんです。
紫鷹殿下の誕生日が近いと聞いて、プレゼントを一生懸命考えたんです。
きっと紫鷹殿下は、プレゼントなんかなくても、日向様がお祝いするだけで喜ぶでしょうけれど。
日向様は、はじめてお祝いすることが、楽しみで仕方ないんです。

特に今は、日向様の心が弱っている。
歩けたものが歩けなくなって、したいことができなくなって。
その心を守ってくれる殿下に、自分の手でお祝いできることが、日向様にとって、どれほど嬉しいか。

その気持ちがわからないなんて、本当にまだまだ!


「水蛟さんは、本当によく日向様を見ているんですね、」


萩花様の黄色い目が細くなって、隣の日向様がまた真似をする。

ようやくわかりましたか。
私は萩花様より長く日向様にお仕えしているんですから、わかりますとも。

あと、プレゼントを差し上げないと、あの馬鹿皇子は、「プレゼントは日向がいい、」とか阿呆なことを言いだすに決まってるじゃないですか!
そんなこともわからないなんて、本当に萩花様はまだまだですね!
しおりを挟む
感想 44

あなたにおすすめの小説

【書籍化進行中】契約婚ですが可愛い継子を溺愛します

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
恋愛
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ  前世の記憶がうっすら残る私が転生したのは、貧乏伯爵家の長女。父親に頼まれ、公爵家の圧力と財力に負けた我が家は私を売った。  悲壮感漂う状況のようだが、契約婚は悪くない。実家の借金を返し、可愛い継子を愛でながら、旦那様は元気で留守が最高! と日常を謳歌する。旦那様に放置された妻ですが、息子や使用人と快適ライフを追求する。  逞しく生きる私に、旦那様が距離を詰めてきて? 本気の恋愛や溺愛はお断りです!!  ハッピーエンド確定 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2024/09/07……カクヨム、恋愛週間 4位 2024/09/02……小説家になろう、総合連載 2位 2024/09/02……小説家になろう、週間恋愛 2位 2024/08/28……小説家になろう、日間恋愛連載 1位 2024/08/24……アルファポリス 女性向けHOT 8位 2024/08/16……エブリスタ 恋愛ファンタジー 1位 2024/08/14……連載開始

「トリプルSの極上アルファと契約結婚、なぜか猫可愛がりされる話」

悠里
BL
Ωの凛太。オレには夢がある。その為に勉強しなきゃ。お金が必要。でもムカつく父のお金はできるだけ使いたくない。そういう店、もありだろうか……。父のお金を使うより、どんな方法だろうと自分で稼いだ方がマシ、でもなぁ、と悩んでいたΩ凛太の前に、何やらめちゃくちゃイケメンなαが現れた。 凛太はΩの要素が弱い。ヒートはあるけど不定期だし、三日こもればなんとかなる。αのフェロモンも感じないし、自身も弱い。 なんだろこのイケメン、と思っていたら、何やら話している間に、変な話になってきた。 契約結婚? 期間三年? その間は好きに勉強していい。その後も、生活の面倒は見る。デメリットは、戸籍にバツイチがつくこと。え、全然いいかも……。お願いします! トリプルエスランク、紫の瞳を持つスーパーαのエリートの瑛士さんの、超高級マンション。最上階の隣の部屋を貰う。もし番になりたい人が居たら一緒に暮らしてもいいよとか言うけど、一番勉強がしたいので! 恋とか分からないしと断る。たまに一緒にパーティーに出たり、表に夫夫アピールはするけど、それ以外は絡む必要もない、はずだったのに、なぜか瑛士さんは、オレの部屋を訪ねてくる。そんな豪華でもない普通のオレのご飯を一緒に食べるようになる。勉強してる横で、瑛士さんも仕事してる。「何でここに」「居心地よくて」「いいですけど」そんな日々が続く。ちょっと仲良くなってきたある時、久しぶりにヒート。三日間こもるんで来ないでください。この期間だけは一応Ωなんで、と言ったオレに、一緒に居る、と、意味の分からない瑛士さん。一応抑制剤はお互い打つけど、さすがにヒートは、無理。出てってと言ったら、一人でそんな辛そうにさせてたくない、という。もうヒートも相まって、血が上って、頭、良く分からなくなる。まあ二人とも、微かな理性で頑張って、本番まではいかなかったんだけど。――ヒートを乗り越えてから、瑛士さん、なんかやたら、距離が近い。何なのその目。そんな風に見つめるの、なんかよくないと思いますけど。というと、おかしそうに笑われる。そんな時、色んなツテで、薬を作る夢の話が盛り上がってくる。Ωの対応や治験に向けて活動を開始するようになる。夢に少しずつ近づくような。そんな中、従来の抑制剤の治験の闇やΩたちへの許されない行為を耳にする。少しずつ証拠をそろえていくと、それを良く思わない連中が居て――。瑛士さんは、契約結婚をしてでも身辺に煩わしいことをなくしたかったはずなのに、なぜかオレに関わってくる。仕事も忙しいのに、時間を見つけては、側に居る。なんだか初の感覚。でもオレ、勉強しなきゃ!瑛士さんと結婚できるわけないし勘違いはしないように! なのに……? と、αに翻弄されまくる話です。ぜひ✨ 表紙:クボキリツ(@kbk_Ritsu)さま 素敵なイラストをありがとう…🩷✨

【完結】もふもふ獣人転生

  *  
BL
白い耳としっぽのもふもふ獣人に生まれ、強制労働で死にそうなところを助けてくれたのは、最愛の推しでした。 ちっちゃなもふもふ獣人と、攻略対象の凛々しい少年の、両片思い? な、いちゃらぶもふもふなお話です。 本編完結しました! おまけをちょこちょこ更新しています。 第12回BL大賞、奨励賞をいただきました、読んでくださった方、応援してくださった方、投票してくださった方のおかげです、ほんとうにありがとうございました!

ちっちゃくなった俺の異世界攻略

鮨海
ファンタジー
あるとき神の采配により異世界へ行くことを決意した高校生の大輝は……ちっちゃくなってしまっていた! 精霊と神様からの贈り物、そして大輝の力が試される異世界の大冒険?が幕を開ける!

転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!

めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。 ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。 兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。 義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!? このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。 ※タイトル変更(2024/11/27)

【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺

福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。 目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。 でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい… ……あれ…? …やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ… 前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。 1万2000字前後です。 攻めのキャラがブレるし若干変態です。 無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形) おまけ完結済み

妹を侮辱した馬鹿の兄を嫁に貰います

ひづき
BL
妹のべルティシアが馬鹿王子ラグナルに婚約破棄を言い渡された。 フェルベードが怒りを露わにすると、馬鹿王子の兄アンセルが命を持って償うと言う。 「よし。お前が俺に嫁げ」

【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします

  *  
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!? しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です! めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので! 本編完結しました! 時々おまけを更新しています。

処理中です...