第八皇子は人質王子を幸福にしたい

アオウミガメ

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第壱部-Ⅴ:小さな箱庭から

45.紫鷹 会いに行く

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独特な気配がして、とてとてと足音がした。
それだけで心躍る気分になって、目の前の書簡から扉へと視線が移る。
足音が止まって、ひょっこりと、水色の頭が顔を出した。

「しおう、いた、」

日向が会いに来た。
自分の足で、俺に会いに来た。



おいでと、手を差し伸べると、またとてとてと足音を立てて部屋に入ってくる。
なれた仕草で膝に登り、俺の腹に背を預けると、水色の瞳が見上げてきた。
期待するような目。ここまで来たことを、褒めてほしいんだろう。

「随分と遠くまで来たんだな、」
「とおい、ね。しおうのお仕事のへやは、とおい。いっぱいあるく。かいだんもある。たいへん、」
「ちゃんと降りられたのか?」
「かいだんは、むずかしい、」
「でも来れたな、えらい。」

遠いと不満顔になり、むずかしいと悔しがる。えらいと褒めて頭をなでれば、瞳を細めて嬉しそうにする。
コロコロと表情が変わるのが可愛い。不器用なところがたまらない。

「おやつにでもするか?」

同じ机で書簡を眺めていた藤夜(とうや)が言うと、俺が答えるより早く、日向がうなずいた。
俺の腹の上でふんぞり返るような体勢になった王子様に、藤夜が恭しく「承りました」と笑う。すぐに従僕に指示して、机に散らばった書類を整えだし、日向についてきた萩花(はぎな)にも席を示した。


「ついに1階まで降りてきたか、すごいなあ、」


この場所で初めて感じる温もりに、しみじみと思う。

16歳の誕生日の翌日、日向は離宮に来て初めて、自分の足で部屋の扉の外に出た。
人が出入りするたびに覗いていたからか、扉の外にはすんなり出てきた。けれど、長い廊下が怖かったのかもしれない。数歩進んだところでプルプルと震えだし、その日はそのまま隠れ家に籠ってしまった。

ダメか、と皆が肩を落とした。
青巫鳥(あおじ)のねぐらと、うさぎを見たいと、外へ興味を示したのをきっかけに、日向の世界を広げてやりたかったが、急ぎすぎたかもしれないと、俺も反省した。

ところが、翌日の日向は、朝から嬉しそうに「おさんぽ、する?」とねだった。
部屋の前の廊下、日向の部屋の周囲に配置した侍女や護衛の部屋、俺や母上、藤夜の部屋と、半月もしないうちに散歩の距離を広げ、今日はついに2階から降りて、俺の執務室までやってきた。

「紫鷹殿下のお仕事部屋があると聞いて、見てみたかったそうですよ。」
「へえ、」
「しおうの、ね。けはいがあった、のに、来ないから。何で?って聞いたら、しおうは、お仕事って、そらが教えた。お仕事のへやがある、ははぎなが教えた。とおいよって、そらが教えたけど、しおういるのに、いないから、来た。」

じわじわと腹の底から温かいものが沸いてくる。
日向がいつもくれる幸福感。

「日向、それって、俺がいるのに来ないから寂しかったってことだよな?」
「うん、」

まっすぐすぎて、胸が射抜かれた。
鼓動が早くなって、高揚する。全身が発熱するような感覚があって、心地よさに脳が震えた。
思わず抱きしめて、あちこちに口づける。

「好き、もう好きすぎて、おかしくなる。何でこんな可愛いんだ、」
「殿下…、」
「おい、変態。やめろ、」

日向の護衛と俺の侍従の視線が、急激に冷めていくが、どうでもいい。
腕の中の日向は、くたりと全身の力が抜けて、俺に体をすべて預け、口づけを気持ちよさそうに受け入れてくれる。

「俺、日向の部屋で仕事していい?」
「いいよ、」
「ひな。それはダメだ。仕事は仕事部屋でするきまり、わかるか?」
「わかった、」
「わからなくていいから、お願い、日向。」
「やめろ、猥褻皇子、」

ついに藤夜と萩花が二人がかりではがしに来る。離すまいと、日向を抱くが、「いたい」と言われて仕方なく手放した。
俺の宝物を奪った侍従が、日向を諭すように言う。

「ひな、あんまり紫鷹を甘やかすと、どんどん馬鹿になるから、ほどほどにしような。」
「わかった。へんたい、はしおう?」
「そう、あいつは変態。」
「わいせつ、おうじ、もしおう?」
「そう、あいつは猥褻皇子。」

萩花と、おやつを並べる従僕が、うんうんと頷く。不敬ではないのか。あと、余計なことを教えるな。
温もりが消えた腹が寒くて仕方がない。体の中は熱がたまって熱かったが、一時も早く可愛い温もりがほしい。返せと手を伸ばそうとした。



「しおうが仕事は、こない。僕がいくは、いい?」



本当に、まっすぐで、胸が苦しくなった。

「…ひなが、紫鷹に会いに行くのは構わないよ、」
「わかった、」

藤夜がため息をついて、日向を俺の腕に戻してくる。日向は俺と藤夜をきょろきょろと見てから、首に縋り付いてきた。
親友の瞳が、何かを言い聞かせるように、強く俺の目を見る。



分かってる。
熱に浮かされて暴走したが、一応、わかってはいる。

こんなにまっすぐな気持ちを、裏切るわけにはいかない。
熱に浮かされて、宝物を壊すわけにはいかない。
熱をぶつけるのでなく、大切に慈しみたい。



胸が熱くて、腹が熱くて、気持ちは高揚している。脳は震えているが、どこか静かに友の視線の意味を受け止めてもいた。戻ってきた小さな体をもう一度抱きしめて温もりを確かめ、熱を静めた。

「足はどうだ?痛くないか?」
「大丈夫、」
「日向の大丈夫はあんまり信用できないんだが、」

ああ、またすごい表情になったな。眉を寄せて黒目を大きくして、白目が消える。困ったときにやるな、それ。
可愛くて好きなんだが、そうか、困ってるのか。

日向の左足に手を伸ばし、ふくらはぎのあたりを擦ってやると、骨の形がいびつなのが服の上からでもわかる。
歩き始めて分かったが、日向の足は、長く歩くことや、階段の登り降りには向いていない。
離宮の中を散歩するようになってから、左足が赤く腫れていることがよくあった。

「ここは痛くない?」
「うん、いつもと同じ、」
「いつもと同じは、少し痛いだろ。足首は?」
「痛くない、」
「膝は?」
「かいだん、ね。おりる練習したら、かくんって、なった。はぎなが抱っこしたから、大丈夫。」
「それは大丈夫とは言わない、かくんってなったって教えてくれ、」
「わかった、」
「足の付け根は?」
「痛い、かもしれない、」
「うん、えらい。ちゃんとわかったな、」

部屋に戻ったら、小栗の処方した湿布と薬を使うよう指示をだす。
萩花がうなずいて応じた。

「痛いときは休めって、小栗に言われただろ?」
「あるく、」
「無理すんな、」
「あるいたら、あえる。さびしい、がなくなる。それは、とてもいい、ちがう?」

少し不満そうな膨れ顔。
そんな顔もできるようになったのか。
大切にしたいと、思った直後にそんな顔をされると、俺は断れないじゃないか。

「…違わないなあ、」
「ちがわない、」

どうだ、という顔で嬉しそうに俺を見る。いいな、その顔。

藤夜がため息をつく。萩花も仕方ないとあきらめるように息を吐いた。おやつを並べ終わった従僕も同じく。
まあいい。
無理をさせないように日向の周囲に周知させればいい話だ。

俺の腹の上で、またしてもふんぞり返ったようになる日向を抱き直して、フォークを持たせる。
うさぎのリンゴを見て、日向はまたコロコロと表情を変えて喜んだ。



そうか、さびしかったら、会いに来てくれるのか。
心配もあるけれど――――たしかに、それはとてもいい。


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